二、玩具の汽車

 集会所の壁ではにこにこ笑顔のキリンとライオンがボール遊びをし、ウサギとネコが縄跳びをしていた。片倉が案内されたまま手持ち無沙汰に立っていると、『東陽坂組織連合』のロゴマークと水野という名入りのパーカーを着た男が子供用の折りたたみテーブルを開いて置いた。


「どうぞ、そこらの座布団を使ってかまいません」


 あちこちが剥げ、傷のついたテーブルを挟んで座った。水野のズボンには継ぎがあたっており、ほころびかけた部分が座る動きで魚の口のように開いた。


「ふだんは共有の保育所でして。子供を預かってもらってます。教育が得意な組織があってそこの運営なんですが、会議室代わりに借りられるんですよ」


 周りを見回す片倉に気付いた水野は早口で説明した。


「さて、と。この度は木下氏との交渉ありがとうございます。思ったより順調で早く済みましたね。もっと通わなきゃいけないかと思ってました。おかげで良い関係が築けそうです」

「それでは成功ですね。お役に立てて光栄です」

「はい。今後も細々とした交渉が残っておりますのでお力をお貸しください」

「もちろんです。私の方こそ今後ともよろしくお願いします」


 片倉はそう言いながらポケットから小型の端末を出した。


「握手でいいんですが、こっちの方が確実ですので」

「あの、済みませんが、このように急にお呼びしたのにはわけがありまして、報酬の件なのは間違いないのですが」


 端末の画面には契約書が表示され、双方が成就を確認する欄が点滅していた。すでに片倉の印は押されている。


「どういった事でしょう?」

「お支払する内訳を変更したいのです。もちろん価値を減ずるつもりはありません」

「詳しくお願いします」


 小さなテーブルに水野の端末が並び、比較表が表示された。


「これは困りましたな」片倉は苦笑いした。「水の権利分を日本−円に? それで価値を減らすつもりはないとおっしゃられても」

「これは現時点での公平な価値変換です。複数の金融組織の証明もあります」表の下に並んだ認証済みロゴマークを指差す。

「そこを疑っているのではありません。しかし日本−円は受け取れません。よくある言い回しですが、時間と価値が反比例する通貨はちょっと」

「どういったものなら?」

「いえ、水の権利でお願いしたい。私はあなた方の浄水場管理運営計画の将来は明るいと考えています。だからこそ成功報酬にし、うち六割を水で受け取るようにしたんです」

「こちらのエネルギー組織ならいかがですか」


 その言葉と同時に別の表に切り替わった。大分裂前は大手の会社だったエネルギー生産・供給組織の株が日本−円の代わりを占めていた。


「返事の前に理由をお伺いしたい。成功報酬を事後に変更するなど契約倫理にもとる」


 節電モードに入っていた片倉の端末が、膝があたった振動で復帰した。押印欄がまた点滅を始めた。


「資金難です。先が不透明になりました。水の権利を別に回したい」

「それはないでしょう。事前にそちらの状況くらい調べてますよ。この計画はかなり余裕を見ていたはずだ」

「ええ、『はず』でした」


 水野は端末を一旦引き寄せ、片倉に見えないようになにか打ち込んでからまたテーブルに置いた。そこには玩具の汽車が映っていた。


「交渉頂いている間にこちらの技術者チームに提示されたものです。浄水場の管理人工知能の要求です」

「これは?」

「説明します。浄水場は大分裂の後、公の手を離れていくつもの組織の管理下に置かれていたのはご存知ですね。そのどれかが管理を容易にするために擬似人格を組み込んだらしいのです」

「浄水場に?」

「そうです。人間の意思を汲み取って操作を楽にする目的と思われますが、記録が残っていません。組み込まれたのは幼児教育および接客用のモジュールなのは突き止めました」


 間が空いても腕を組んだまま黙っている片倉を見、水野は早口になった。


「我々が浄水場を全面的に管理運営するに当たり、人工知能、つまり管理体を完全に制御下に置かねばなりません。その鍵を探させていたのですが、提示されたのがこの汽車です」

「これを持ってきたら味方になると言うのですか」

「そうです。もちろん我々は相手にしませんでした。このような余計なモジュールは除去すべきです」

「すべき? やってないんですか」

「できませんでした。お恥ずかしながら我々の技術力では不足です。思ったより深く食い込んでいました。能力を損なわずに除去はできません」

「で、もっと力のある組織に頼むには金がかかる?」

「はい。見積もりを取ったのですが、どこの組織も報酬に水の権利を要求します。情報の伝わるのは早いですね」

「それは喜んでいいでしょう。東陽坂の高評価は」


 水野はため息をついた。


「そうなんですが、それではこちらの利益が想定を下回る」

「だから私の分を削ろうというのですか」

「はっきり言えばそうです。最初から騙すつもりはありませんでした。お詫びと言ってはなんですが、ご理解下さるなら私個人の資産から割増を加えましょう」


 先程の表に戻ると、水野の暗号資産が加わっていた。


「これはこれとして、水野さん、それなら汽車を探してやればいいのでは」

「それは検討しました。しかしこれは骨董品なのです」

 片倉は声を出さずに、ああ、という口を作った。

「物品タグが埋め込まれていません。所有権の移転を含め、ネットでは追跡不可です。どこかの収集家が秘蔵しているのでしょう。博物館以外、所在についての情報も出てきません。そもそも一般に現存しているかどうかすら分かりません」

「複製を作らせればいい。そういう工芸を得意とする組織はあるでしょう。情報技術者よりは安くつくはずです」

「資料が足りません。どうやら真贋を区別する明確な印があるらしいのですが公開情報がありません。ネット上にない情報の調査経験はありませんし」

「人工知能、あ、いや、管理体は知っている?」

「はっきりとは言いませんが、そう匂わせます」

「今のままでは不都合なのですか。これまでだって浄水場を管理していたのでしょう。その続きでいいじゃないですか」

 水野は返事をせず天井を見上げた。ツルとチョウとコウモリが仲良く星を並べていた。片倉も一緒に見上げて言った。

「そうですね。聞くまでもなかった。完全に制御してこそ力ですよね」


「片倉さんはなんで水の権利にこだわるんですか」

 水野が聞いた。

「儲かるからです。これは明らかに儲かる」

「でも、水ですよ。電気じゃない。配送できる場所は近場に限られてるのに、なんで利益を生むんですかね」

「みんなが欲しがるから。水野さんが言うようにいずれ熱が冷めて、水は電気みたいに遠距離までは届けられないのにそれを得る権利だけ売買してどうするって我に返るでしょう。その時に適正な値打ちにまで落ちるでしょうが、それまでは儲けられる。私は初期に手に入れて熱いうちに売って逃げるつもりです」

「賭けがお好きなんですか」

「嫌いです。これは賭けじゃない。確実性の高い儲け話です」


 水野は片倉をじっと見た。そして笑った。


「確実性ですか。気に入りました。私も賭けは嫌で、確実なのが好きです。そこでひとつ仕事を頼みたい。よろしいですか」

「まず、この報酬の話を片付けましょう」

「ますます気に入りました」


 そう言うと片倉の端末上の契約書に印を押した。変更点はなし。始めの契約通り、様々な組織が発行する暗号通貨や種々雑多な権利の株と共に『東陽坂組織連合』が発行する水の権利が移った。


「では、次の仕事の話をしてもよろしいですか」

「どうぞ」

「玩具の汽車です。手に入れて下さい」

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