第3話
静かなところ。迷宮の地下9階。とても、寒い。凍りつきそうに…。
事実、凍ってしまった。そのエリアが元の状態に戻るまで1か月を費やした。その話題はギルガメッシュの酒場で持ちきりになった。まだ地下9階まで降りたことのないパーティも多い中、そんな階層を一部とはいえ凍結させてしまった魔法使い。
ナルは称賛と畏怖とが入り混じった評価をされた。酒場の常連だった彼女はしばらくそこに顔を出さなかった。マスターの館で今日も後進たちを指導し、書庫に籠っていた。研究したいことは山とある。いまは特定のパーティに所属していない。時間はある。自分のための時間。本を開いても、その目は活字を追ってはいなかった。
思い出されるのはあの日の地下9階での出来事。1か月を過ぎても脳裏を過ぎり続ける、毎日。
「あなたは何をしたの?」
「マロールだけは残そうと思ったわ。使ったのは第6レベルの呪文よ」
「ラカニト(窒息)? ハマン(変異)? フロアが凍りついただなんてどういうこと?」
エリスでさえわからなくなっていた。フロアが凍りついたなどと。思い当たるのはマダルト(大凍)のみ。冷却系のスペルなら他にダルト(小凍)があるが威力が弱すぎる。ましてやフロアを凍りつかせたなどと。そしてはっとして。
「それが以前言っていたラダルト(凍嵐)? そんなスペルが本当に」
「あるから使ったんじゃないの」
エリスの疑問をナルは早口に塞いでしまった。そして被せるように続けた。
「あるから使ったの。そしてわたしはそれを使える術者だったのよ」
「なぜ? マスターから教わったの?」
「マスターはラダルト(凍嵐)の存在は知っているけど使えないわよ。本来は失われたスペル。文献だと千年前に使った術者もいるけど相当なダメージを負ったみたいよ。時間が経ち過ぎたのね。術としてエレメントと己の精神力を融合させるにも。空気でさえも数千年前とは、きっと違っているんでしょうね。うまく合わさらなくなってしまっているのよ。いまじゃあ真似さえできないわ」
「なぜあなたは…」
あなたは一体。
「スペルそのものを生み出した血族の末裔だからよ。こんな凡人だけどね。そういう血統だったの。わたしが、本来なら大した才能もないのに、そんなことができたのは結局のところそういうことだったの」
「スペルを生み出した…」
「スペルひとつひとつだって、「人」が生み出したものなのよ。神の恩恵に縋るか、自らの精神力と知性を高めて森羅万象と精神の力を結合させて未知の力を生み出すか。せいぜいその違い。かつてはスペルを生み出す血族が存在したわ。その末裔のひとりがわたしよ」
息を呑んで次の言葉を待つ。エリスは脅威より、知的好奇心に駆られる自分に気づいていた。迷宮に挑むゆえ、常に沈着冷静に構えているエリスの精神でさえ、長年の姉弟子に対する疑問が数千年単位の時を隔てた答えに辿り着こうとしていることに昂り始めていた。
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