ピンクvsストロベリー

「王都の北に位置する、世界最高の魔法ギルド。そこの頂点におわすソロル様を知らないとは言わせないのにゃ」


 そう言ってツヤツヤプニプニのほっぺをふくらませ、彼女はバサリっと背にしたマントを翻した。彼女が背にしている茶色のなめし皮のマントの中央に焼印が押されている。絵? ううん、紋章かな? 五芒星のど真ん中に、羽を広げて飛んでいるような鳥が描かれている……。


「あれぇえ! 確か、アマデトワールの北にある超有名な魔法ギルドの紋章だったはずだよぉお」


 レトが耳を伏せて、泣きそうな表情で私にささやいた。ゲゲゲ。ってことはこのソロルって子、見たカンジはレトか、レトより幼いんだけれど、とっても偉い人ってことだよね。そんな人にぶつかっちゃって。すっごくマズイんじゃないのこれ!?


「す、すすすす! すみませんでした!」

 

 私は目の前の少女に深く頭を下げた。同時に襟元からあのペンダントがするりと落ちて服の間から覗く。


「そのソロル様を薄汚い尻でどつくとは、失礼にも程があるのにゃ! それ相応の謝罪を要求するの……にゃん?」


 年下なのにすごい生意気な口調(なんてエライ人に言ったらマズイよね)で、文句をまくし立てる彼女が急に静かになった。何事かと顔をあげる。こちらの首元を見つめる彼女の金色に光る大きな目がパチパチとニ回瞬きした。黒く縦長のスリット状の瞳孔がすうっと細くなる。彼女の視線の先。それは……。私のペンダント!?


「むにゅにゅ。それキレイなペンダントだにゃあ。お星さまの形、してるのにゃ」

「え、これは」


 思わず私は右手でペンダントを握りしめた。彼女の眼差しが急にゾッとするほど凶悪なものに様変わりした。真っ赤なマニュキュアが塗られた鋭く長い爪をした指が、私の手のひらにかかる。


「星の形はむやみに使ってはいけない神聖なシンボルなのにゃ。それを……寄越すにゃ!」


 ガリっと手の甲に爪を立てられる。いたい……! でもそれより両親の大切な形見を奪われることの方が怖くて私は痛みを我慢してさらに強くペンダントを握りしめる。


「これはダメです! 両親の大切な形見なんです!」

「そんなこと知ったこっちゃないにゃ! 寄越せ! 欠陥ネオテールのくせに生意気なのにゃ!」


 握りしめる私の手と、それを振りほどこうとする彼女の手。それを上にさらに大きな手がかかった、私は驚いて、横に立つその手の持ち主をみつめた。ら、ラーテルさん!?


「おやめください。それは私の大切な友人の宝物なのです。それでも無理にとおっしゃるのでしたら……手加減はいたしませんわ」


 ラーテルさんが私ではなく、私の手を握るソロルの手の甲をつかんだ。彼女の白く陶器のように美しい手の甲にくっきりと筋が数本浮かび上がった瞬間。


「う、うぅうううにゃぁあ!」


 ソロルが叫び声をあげた。同時にシッポの毛が逆立ち、すごい速さで手を離す。ちらっと見えた彼女の手は真っ赤だ。ラーテルさん、ものすごい力で彼女の手を握り返し、私を助けてくれんだ。


「ラーテルさん……」

 

 ありがとうございます、と言いたかったのだけれど、安心したのと、驚いたのと、色々な感情が入り混じって泣きそうになってしまって、その先が続けられない。ラーテルさんが私を見て、深くうなずき返してくれる。レトも片方の手で頭を押さえ、小さく震えながらも、私の左腕をつかみ横に並んで上目遣いで抗議してくれた。私たち三人は並んでソロルをにらみつけた。


「何するのにゃ! お前らなんか姉様に言って、全員……!」


 ソロルにはお姉さんがいるみたい。きっとその人も魔法ギルドのお偉いさんなのだろう。魔法ギルドがどういうものだか、大した魔法も使えない私にはわからないけれど、地位がすごく高いからと言って、人のものを泥棒のように勝手に取り上げていいわけない! 絶対絶対、そんな一方的な要求に従ったりしないんだから!


「何をしているんだいソロル。急ぎの用事と言ったはずなんだが。早くその「書類」をサイキに届けてくれないかい」


 それは突然だった。まさに一触即発の緊迫した空気を割って入るように、威厳のある静かな声が頭上から降ってきて、私たちは一斉にその声の主を見上げた。


 螺旋階段の少し上に、いつの間にか人が立っている。


 紺色の丈の長いローブに、黒い細身のパンツ姿の男性だ。ローブの襟元や、袖には金糸で細かい縁取りの刺繍がされている。首や手首には銀色のチェーンに彩りの宝石のついたお守りアミュレットを着けている。女性、かなと思いつつ、そのまま視線を上へ上へと移動させる。いや、違う。ずいぶん背が高い。細面の男性だ。


 宝石のように美しい、青と青とした切れ長の瞳に縁なしのメガネ。すごい。この庁舎の外にあった勇者たちの石像みたいに、面長で、繊細で、美しくて、中性的な顔立ち。長い髪を下の方で一つに結んでいたのだけれど、邪魔だったのか、片手ではらった。ふわりと空を舞う、豊かで赤みの強い……ストロベリーブロンド。


 ストロベリーブロンド!? うーん、なんか引っかかる。えーと。なんだっけ??


「毎年のことなのだが、君の姉上の許可がなければ研修を行えないのでね。早急に頼むよ。それとも……今年に限り私がそちらへ直接出向いた方が良いかな?」


 年齢はエルクさんたちよりは若そうだ。三十代〜二十代後半、くらいかな? けれど年齢の割にすごく冷静で落ち着いた物腰の人だ。ただ。その言い方の裏になんとも言えない冷たさと圧力を感じ、私はそれ以上口を聞けなくなってしまった。


 ソロルが私たちにしか聞こえないくらい小さな音で舌打ちをする。そしてさらに小さく、こんなの連れて帰ったら姉様、気絶しちゃうにゃと、ぼやいている。


と。急に、私たちを階段の段上から見下ろし、八つ当たりとばかりにキッと睨みつける。


「どうせお前らなんか。特に一番厄介者のお前なんか! いの一番にこの都からいなくなっちゃうのにゃ! その時は」


  一番厄介、と言いながら赤い爪をした人差し指で指したのは……私だ。私は思わず息を吸い込み目を見開いた。この都からいなくなっちゃう? それって。どういうこと?


「ソロル……!」


 低い押し殺した怒声が、ホール中に響き 渡った。彼の声がホールに木霊するたびに、ぞっとするような恐ろしい空気で辺りを埋め尽くされていく。なんだろう。何かされたという訳ではないのに、その空気に溺れて息ができなくなるような感覚に襲われて、こわい……。無意識に、自分のしっぽが小さく震えている。


「うにゃにゃ」


 ソロルもそうだったのだろう。息をつくようにやっとの調子で声をあげ、私の横をすり抜け、螺旋階段を逃げるように駆け下る。最後の段を飛び降りると、扉を乱暴に開け、力任せに締めた。ガチャンッという大きな音がして、やっと重苦しい空気が和らぐ。私、そしてラーテルさん。レトまでもが大きく息をついた。きっとみんな同じなんとも言えない雰囲気を感じていたに違いない。


 これって、上にいる男性が放っていたものなのかなぁ?


「大丈夫かい? すまなかったね。彼女が塔を出るまで、私が見張っておくべきだった」


 すかさず声をかけられ、私たちは驚いて顔を上げた。わわわ。先ほどの男性がいつの間にか私たちのすぐそば、今しがたソロルがいた辺りに立ち、私たちを心配そうに見下ろしている。ふわぁあ。こうしてみると、体つきから男性とはわかっているものの、右の耳の黒い石でできた菱形のピアスとか、おしゃれだからして、やっぱり女性のような気がしてきてしまう。


 耳の後ろあたりからさらりとこぼれ落ちる、結わき損ねたおくれ毛。赤みの強いブロンドの髪。ストロベリーブロンド……。


「あ、あの」


 私は目の前の男性の髪を見つめながら思わず訊ねずにはいられなかった。


「どこかでお会いしたことがありませんか……?」


 男性の眼鏡の奥の青い瞳が、大きく見開かれる。そして。腕を組み、左の手の甲を薄い唇に当てて、くすくすと笑い始めた。すると、あれ? わずかばかり残っていた緊迫した空気が消えて、ふわっと花が開いたような温かい雰囲気が辺りに広がっていく。


「いやあ、部下にナンパされたのは初めてだなぁ。さすがに驚いてしまったよ」

「ち! ちちちち! ちがいます! ナンパじゃなくてその!」


 な、ナンパ!? ち、ちがうのにぃい! 私は真っ赤になってそれを否定しようとしたのだけど、よく考えてみれば、なんて否定したらいいんだろう? 私もイマイチこの既視感がなんだかわからないし。よくわからないのだけれど、ビビッときて、運命のようなものを感じて……って、やっぱり、ナンパの常套句にしかならないよお!


 って! 私は今、目の前でくすくす笑い続ける美青年をもう一度見上げた。今この男性、私のこと部下って言ったよね? ってことは遺跡調査課、その所属長、つまり上司はこの人ってこと!?


 私たち3人は顔を見合わせた。そんな私たちを見下ろし、男性が優しく微笑みかける。


「ようこそ遺跡調査課へ。はじめまして。私が君たちの所属長兼教育係りとなるオウルだ。よろしく頼むよ。さあ、職場となる最上階の調査室まで、上がりたまえ」

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