第六話 昼時の街コンが人気の理由。それは、そのままご飯に誘えるところにある。

 居酒屋を出ると、辺りの建物はオレンジ色に染まろうとしていた。

 休日の梅田は人の通りが目まぐるしい。喧噪に呑まれないように道路端に寄る。

すると、ぴったりと天音先輩も付いてきた。


「っ…………⁉」


 ふわりと、女性らしい甘い香りが鼻孔をくすぐる。ぎょっとしたように天音先輩を見やると、至近距離から見つめられていた。

 身長は俺よりも低いはずなのに目線は同じくらい、ヒールを履いているからだろう。

 大人っぽく、落ち着いた表情――しかし、会社に居る時よりも瞬きの回数が多いことに気づいた……気づいてしまったが最後、まつ毛の一本一本や、唇をきらきらと輝かせているリップクリームの塗り加減までも、意識せずとも脳に直接ぶち込まれていく。一度ハマれば自力では抜けだせない、まるでアリジゴクのようだ。


「下古川くん、私――」


 ピコン!

 不意に、スマホが鳴った。


「すっ、すみません!」


(会社の先輩と街コンでカップル成立? それも相手は窓際社員の俺ってありえないだろ……? きっと何かの間違いだ)


 天音先輩に断りを入れてから、ロックを解除する。恭介からのラインだった。


『波瀬さん! カップル成立おめでとうございますっす! 俺もちょうど今、番号が呼ばれたところっす!』


「恭介……」


「きょーすけ?」


「あっ⁉ ええっと……前の部署で親しかった後輩で……。今日、一緒に街コンに来ててその……カップル成立したみたいで、おめでとう。みたいな……?」


「なるほど、そういうことですか」


 納得したような口ぶりではある。ただ、なんだか引っ掛かることがあるような……。


「……立ち話でする内容でもありませんね。少し早いですが、夕食にしましょう」


「き、急ですね。夕食……それでは、僕はこれで………………あ、天音先輩っ⁉」


 シャツの裾を掴まれた。細っこい、折れてしまいそうな人差し指と親指だった。


「ちょっと、どこに行くんです」


「い、家に帰ろうかと……」


「何か用事があるんですか?」


「いえ、その……そういうわけでは……ご飯に行くんでしたら、僕が居続けていれば邪魔でしょうし……」


 気を遣ったが、天音先輩は小さく息を吐いた。


「……一つ、確認させてください」


 少々、むっとしているような……けど、何か怒らせるような事をしただろうか?


「私と下古川くんはお互いの番号を告白カードに記入して、マッチング成立しましたよね」


「は、はい……一応」


「でしたら、私と下古川くんは両想い、そういうことでは無いんですか?」


「両想い……っ⁉」


 俺なんかと天音先輩が⁉ そんなわけ――


「私はね、下古川くん。君と夕食に行きたいと言っているんです。お互いに伝えたいことがたくさんある、そうではありませんか?」


(伝えたいこと……っ⁉ ………………………………告白とかっ⁉)


「それともなんでしょう。下古川くんは、軽はずみは気持ちで私の番号を記入したんですか?」


「い、いえっ……そんなことは絶対に無いです!」


 天音先輩の白い手が伸びた。眉の高さを越えたところで、思わず目を瞑る。


「はい、よく言えましたね。偉いですよ」


「あっ、天音先輩っ?」


 頭を撫でられていた。指のひんやりとした感触が、髪の隙間を縫うようにして伝わってきている。

 瞼を開いた。

 子供をあやすような……とは違う。強いて言えば、弟を扱うように穏やかで尊重するような感じだった。


「私は、他の社員とは違う眼で貴方を見ています。だから、下古川くんは私の前でくらい堂々としていればいいんですよ。次にそんな態度を取ったら、下古川くんは私と他の社員を区別してくれていないんだ、って拗ねちゃいますから」


「なっ……絶対ありえないです!」


「ふふっ、やっぱり下古川くんは下古川くんですね。流石、私の自慢の後輩です」


 美人なイメージが強いのに、笑顔は笑顔で可愛さが限界突破している。胸の奥がどきんと弾かれっぱなしだ。

 ややあって、手が頭から放される。名残惜しさは感じるが、後ほんの少しでも続いていれば頭は沸騰して、最悪の場合は気化にまで至っただろう。


「それでは、ご飯の場所を決めましょう。下古川くんは、ピザはお好きですか?」


「えと、それなりには……」


「じゃあ決まりです。とっておきのピザ、シカゴピザが自慢のお酒の美味しいお店に連れていってあげます」


 頼りがいのある先輩……会社での天音先輩はまさにソレだ。

 ただ、今の天音先輩はそうなんだけど違う、違和感のようなものを感じた。なんというか、こうも仕草が露骨でないのだ。これが素だと言うのならそれまでだが、そうでないとしたら……。


(もしかして、天音先輩は無理をしているのか?)


 思えば、件のプロフィールカードだ。異性を寄せ付け難い内容の解答がされていた。

 ともすれば、異性との経験に乏しいのではないだろうか? 失礼かもしれないけど……。ただ、「私がリードするべきでしょう」と気を遣ってくれているとしたら……男として、返すべき事がある。

 こつこつとヒールを鳴らし、「ついてきてください」と背を向けている天音先輩に駆け寄る。

 横並びになる時、できる限り自然かつスマートに車道側へ身体をねじ込んだ。


「下古川くん」


「は、はい?」


「お優しいんですね」


(ばっ、バレてるっ⁉ どこらへんが露骨だったっ⁉)


 男として――なんてカッコつけた手前、頬が熱を帯びた。


 そうして、右足を出しているのか左足を出しているのかも分からないまま、呑み屋街へと歩みを進めた。


 やがて案内された場所は、ダイニングバーだった。

店内にはハイテーブル席と、カウンター席があり、いずれも白飛びしたような黄色で統一されている。


「2人です。カウンターでお願いします」


 迷いなく進む天音先輩に慌てて続いた。お洒落な場所に慣れていないから……というよりも、周囲の眼が気になったからだ。


「すごい美人だ」


「誰か声掛けてこいよ」


「うっそ、あれ何かの芸能人? それともモデルさんとか?」


「くそ、男連れじゃなかったらなあ」


 誰もかれもが好き勝手に天音先輩を褒めちぎっている。

 社内で一目置かれている天音先輩は、社外に出ても扱いは変わらないらしい。なんだか、急に遠い存在に感じた。


「下古川くんは何を呑みますか?」


「ええと……」


「私は――」


 手渡されたメニューを見る。正直、一杯目はアサヒスーパードライとか頼みたい。けど今は女性と一緒だ。居酒屋のテンションでは駄目。元カノ相手に散々やらかし、白い眼を向けられた経験から学んだのだ。


「ジントニックを」


「かしこまりました。アサヒスーパードライとジントニックでございますね。少々、お待ちくださいませ」


「…………」


「どうかしましたか? 下古川くん」


「ああ、いえ。なんでも……」


 ややあって、ミックスナッツと共にそれらが運ばれてくる。


(不意に思い出した。ダイニングバーとは言え、バーはバーだ。乾杯の時は、音を立てないように優しく――)


「天音先輩、お疲れ様で」


「下古川くん、乾杯です」


 こちんっ。


「んく、んく、んく、んく、んく……。くう、やっぱり初めはビールに限りますね……! けぷっ……あっ、少し油断してしまいました。お恥ずかしけぷっ。うーん……そうです、こういう時はむしろ更に炭酸を入れるが吉なのでした……! んく、んく、んく、んく、んく――嗚呼、堪りません……! 店員さん、これと同じものをもう一つお願いします」


(いや……………………誰っ⁉⁉⁉⁉)


「どうしましたか、お化けでも見たような顔をして。私に遠慮でもしているんですか?」


「いえ……なんだか色々と余計な気遣いだったようで、むしろその逆と言いますか……」


「ふーむ……? で、次は何を呑まれますか?」


「あの……まだ僕、口を付けてすらいなくて……」


「そうですよね。申し訳ありませんでした、気づかなくて。店員さん、ジンベースのもので度数が高い……ええ、マティーニを追加してください、彼に」


「天音先輩は、いったい何に気づいたんですか……!」


 頭を抱えざるをえない。こんな天音先輩知らないっ! 

 店へと向かう途中『会社の美人な先輩と2人だけで呑み会』という男心を掻き乱す展開に胸を躍らせ、緊張から手に汗を握っていたはずが……ともあれ、気安くなったのは良いこと。複雑な気分ではあるけども……。


「マティーニが来る前に、ジントニック呑みきっちゃいましょう」


 お酒が入っているから? それともプライベートではこんなもの? お茶目な理由に検討もつかないまま、勧められるままにグラスを傾けた。幸い、お酒には強いし問題は無いだろう。


「お。良い呑みっぷりですね、流石の男の子」


(語気が弾み、口数が多くなったものの、天音先輩は以前として怜悧な表情のまま……いや待て、そうでもない? きりっとした目元が微かに和らいでいるし、きつく結ばれていたはずの口元も僅かに緩んでいる。近くで見ないと分からないくらいの差で気づきずらいけど――って、天音先輩が近いっ!)


「うん?」


 こてんと首を傾けられ、その拍子に舞った甘い香りにドキッとする。

 これ以上はまずい、と上体を逸らしつつ最大限距離を取る。カウンター席なだけあって、油断すれば色々と触れ合ってしまいそうだ。ほんと、気を付けて……!


「こちら、アサヒスーパードライとマティーニでございます」


 それぞれ受け取ってから、天音先輩は顔を上げた。


「注文なんですけど――」


 当初の目的らしいシカゴピザを初め、牛ハラミのステーキや海老のアヒージョを頼んだ。最後のは俺のチョイスだ。

 どれも来るまでに時間がかかる。シカゴピザについては30分はかかると言われた。

 食事無しで天音先輩のペースに乗せられていれば、いくらお酒に強いとは言え、限界が来るのも時間の問題だ。ちびちびと呑んでいこう。


「んく、んく、んく……ほっ……お酒、美味しいですね。さて、次は何を頼むとしましょうか」


 あまりにもハイペースだ。お酒に強い方らしいのは一目瞭然だが、必ず限界は来る。

 お互いに酔ってしまう前に、ハッキリさせないといけないことがある。


「天音先輩……その……どうして僕の番号を告白カードに書いたんですか?」


 問うと、彼女は肘をついてから小顔を載せてみせた。お酒のせいか、妖艶さを含んだ瞳で小さく微笑んでいる。


「ふふ、下古川くんと同じですよ」


「僕と、同じ……?」


「ええ、そうですよ」


 天音先輩と俺は告白カードを通じてカップル成立となった、これは事実だ。

 通常、初対面同士で街コン中に仲良くなり、気が引かれた結果――という経緯でカップル成立と至るわけだが、今回はワケが違う。そもそも、天音先輩との関係は会社における先輩と後輩の関係。俺の動機は、そんなお世話になっている先輩のことを田井中さんに好き放題に言われ、カッとなったからというものだ。

 好きとかそういう、恋愛感情みたいなものじゃ決してないし、俺みたいな人間が、内側も外側も美人な相手に、そんなことを期待すること事態がおこがましいのだ。だから、「同じですよ」と言われたとて、見当を付けるなんて、できっこない。

 ただ、万が一。億が一にでも、天音先輩が真っ当な意味合いで告白カードに俺の数字を書き込んでいたとしたら……? 



『下古川くん……終電、無くなっちゃいましたね。休憩、していきませんか……? そのっ、変な意味では無いんですよ……? ただ……ただその、貴方とまだ一緒にいたいと思って……ふふ、なんだか恥ずかしいですね……』



(なんだこれ、最高か? もうおこがましかろうとワンチャンに掛けて言ってみるのもありなんじゃないだろうか? もし勘違いだったとて、事態の複雑さ故に勘違いしても仕方の無い状況であることは間違い無い。つまり、これは失敗しても痛くない告白……!)


「天音先輩、俺!」


「会社の人にはお互いが街コンに居たこと、絶対に秘密にしましょう。直ぐにでもその約束を取り交わしたくて、告白カードにお互いの番号を記入。流石は私の後輩、以心伝心というやつでしょうか」


(あ・ぶ・ね・え・っ・!)


 危機一髪。恥ずかしい、変な期待をして空回りしかけた自分が恥ずかしい……っ!

 もし先走ってしまっていたら、会社でどんな顔すればいいか分からなくなるととこだった……!


「い、いやあ……! ま、まさにその通りです。出会いの場に通ってるなんて、他人に知られて嬉しい内容じゃないですもんね……! 今後のことを考えて、秘密にしましょう!」


 冷や汗を感じつつ、そう口約束を取り交わす。

 しかし、天音先輩は急にもじもじと、まだ何か言いたげな顔をしている。

 俺がロクデナシで、窓際社員故に「失うものなんて何もないぜ!」と何かの拍子でバラしそうとか疑われちゃってるのかもしれない。

 妄想とはいえ、余りの信用の無さに気が萎えてきちゃうなコレ……。


「あっ、あのですね……!」


「は、はい……」



「素敵な相手が見つけられるよう、お互いに協力しませんか?」



「ほんとすみませっ………………今、なんと……?」

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