第1章

第一話 社内外での性格の違いを会社に知られたら、傷病休暇の取得を許されるんじゃないかと思う時がある。

 長すぎず短すぎずな残業を終え、社員証をゲートに翳すと軽快な電子音が錆固まった心を小突いてくる。

 会社の駐車場は大阪とはいえ、県境に位置するド田舎であるためか無駄に広い。

 頭金として三分の一程を支払い新車で購入した、軽自動車に乗り込む。ちなみに、色は明るい青。といっても、若者……特に女性に人気の車ということもあってか、そう目立ちはしない。むしろ、見飽きた人の方が多いんじゃないだろうか。

 エンジンを掛けると、車のスピーカーとスマホがBluetooth接続され、大好きな女児アニメ『魔法少女☆メタモルフォーゼ』のオープニングが流れ始めた。



「あああああああ~~~~~! 終わったああああああ~~~~~~っ!」



 物凄い開放感が体中を巡っているのがわかる。一週間に5回も経験することというのに、何度繰り返そうとも、この快感が薄れることは無いだろう。


「花金最高! クソ社員共がよう、仲良しごっこの餌にしやがって恥ずかしくないのかよ! それでも大人かっての!! ばーかばーか! もう二度と出勤してやらねえからな!」


 ……まあ、土日が空けて月曜日が来れば行くんだけれども。

 とはいえ、今日は金曜日。何を言っても言いのである。それに、独り言だしね!


「ふう……今日は特別な日だしピザでも頼むか。ドライブスルーをする時間すらも惜しい。早く帰りたい。帰って、アニメ見てゲームして、贅沢の限りを尽くしたい」


 社会人にとって、翌日が休日であると言うのは、それだけで特別な日になりえるのである。毎週末、同期や同僚と呑み会に出ている人たちに比べれば、一人ピザを片手に酒盛りをするくらいは安いものだろう。

 

 異動前の部署は体を使う現場職だったためか、帰宅して一番に風呂に入る癖がついていた。

 男にしては少し長めな髪を乾かし、ビールを一口煽った所でピンポンが鳴った。


「ピザ屋ットです~、ご注文の商品をお届けに参りました~」


 受け取ったピザからは、滅茶美味いからな! と言わんばかりの素晴らしい匂いが噴き出ていた。


「いやいや、金曜日最高だな」


それからはダラダラとピザを食べつつ、学生時代にハマっていた懐かしいアニメを見返したり、バーチャルユーチューバーのアーカイブを見て過ごした。

 時刻は22時過ぎ。Discordを確認すると、地元の友達が続々とゲームを初めているのが確認できた。混ざろうかと、PS4の電源を入れる。

 しかし同時に、スマホから着信音が鳴り始める。発信元には下古川彩しもこがわさいと表示されていた。母さんからだ。


「もしもし、なんかあった?」


『息子に電話するのに、何か用が無いといけないっての?』


「いや、そういう意味じゃないけど」


 急に電話が来ると、誰かが倒れたのかなとか、そういうの心配になるじゃん。便りが無いのは良い便り、とか言うくらいだし。


『あそう。それで、アンタちゃんとご飯食べてるの?』


「食べてるけど」


『けど? ちなみに、今日の晩御飯は?』


「ピザ」


『だけ?』


「うん」


『もー、何やってんのよ。栄養が偏るでしょうが』


「べっ、別に今日は金曜だし贅沢しようかなーみたいな感じだし」


『じゃあ昨日は何食べたの?』


「ぎ、牛丼……」


『その前は?』


「牛丼……」


『……はあ、全くアンタって子は……。来週末にでも、祖母ちゃん家の野菜送るからね、ちゃんと食べなさいよ』


「ええ……いいよ、切るのとか面倒だし」


『はあ?』


「ええっと……なんでもないデス」


『よろしい。それで、最近の仕事はどうなの。忙しい?』


「まあ、ボチボチかな」


『職場が変わったって言ってたけど、会社の人とは上手くやれてるの?』


「や、やれてるよ」


 やれていないと言ったところでどうなるものでも無い。下手に心配をかけるくらいなら虚言で通すのが無難だろう。


『ふーん、あそう。まあ、あんまり無理しなさんなね。それよりもさ、そろそろお嫁さんとか見つかった?』


「はっ、はぁ⁉ なんだよいきなり!」


『もう、突然大声出してビックリするじゃないのよ。だって、アンタは小さい頃から女の子の出てくるアニメばっかり見てたし、家に連れてくるのは男友達ばかりでしょう。波瀬はぜは結婚できるのかな? って流石に心配にだってなるわよ』


「す、すいませんねえ、心配かけちゃって……!」


 眉根をぴくつかせながら、努めて冷静に返す。


『ま、色々と大変だろうけど頑張りなさいよ。それじゃ』


「あっちょっ――」


 ツーツーツー。

 一方的に喋られ、一方的に切られた。我が親ながら、マイペースである。


「はあ……彼女、彼女ねえ……」


 そんな単語を聞くこと事態、随分と久しぶりのような気がする。呑み会とか、行かないし。まあ、行ったところで囃し立ててくるような間柄にある人は居ないんだけど……。

 ふと思い立ち、俺は押し入れを開けた。隅に隠すようにして置いていた、遊園地で買ったお菓子の缶箱を開ける。中には、数枚のプリクラが入っていた。


「そろそろ、捨てられそうだな」


 楽しそうに笑う二人の男女。一人は俺で、もう一人は元カノ――桜島愛美さくらじまあみちゃん。まつ毛が長く、綺麗系というよりは可愛い系で、隙の無い化粧がそれを十全に活かしている。桜の花びらのヘアピンは、仲の良い男友達に誕生日にプレゼントされたという。俺には勿体ないくらいの美人。けれど、別れを切り出したのは俺からだった。


「別れてからすぐに、異動になったんだっけ……」


 現場職から一転してのオフィスワーク。正直、事務の仕事というものを舐めていた。今になっても仕事は大して慣れてはおらず、ペース配分はぐちゃぐちゃだ。ただ、しょうもないミスを犯してはいないので、最低限はこなせているんじゃないかと思っている。


「バタバタしてたから、恋愛なんて考える暇も無かったな」


 現場職の頃も初めはそうだった。

 けれど、仕事が軌道に乗り始め、上司から若手チームのリーダーに任命された頃にようやく心の余裕ができた。

 彼女が欲しいなと思ったのはまさにその時で、それから出会いの場――街コンと呼ばれる、個人では無く企業が開いてくれる合コンへと参加するようになった。

 愛美ちゃんと出会ったのは4度目の街コンのこと。

 そして、人生で初めての彼女になった。

 しかし交際数か月にして、ある事情から彼氏彼女の関係で居続けるのを辛く感じるようになってしまうことになった。ようやく別れ話を吞んでもらえたのが、ちょうど一年前の春だ。



『では部長、私とお付き合いをしてくれますか?』



 なぜかは分からない。唐突に、天音先輩の部長への告白が脳裏に浮かんできた。

 感情が籠っていて、重い一言だった。けれど、とても澄んでいた。

 天音先輩の声色が綺麗だから、というのもあるかもしれないし、何より俺の強い憧れが作用しているのかもしれない。

 天音先輩が、今この瞬間も気落ちしているんじゃないかと想像すると心が痛む。けれど、相手は会議中にセクハラをするような屑だ。叶わなくて良かったと心から安心してしまう。

 とは言っても、歳の離れた天音先輩の気持ちを汲み取り、茶化すこと無く断った部長には感心する所が無いとは言えない。

 それでも大嫌いだし、今すぐにでも〇ねば良いのにという気持ちは変わらないけどね。



「……やっぱ彼女、欲しいな」



 おもむろにスマホを取り出し、『街コン 大阪』と検索をかける。

 前を向くきっかけになるかもしれない。

 元カノと別れてから1年間も燻り続けたままなのだ。このままで、良いはずが無い。

 

 明日明後日に開催予定の街コンの殆どが、未だ『募集中』となっていた。常々思うのだが、募集が締め切られる前々日までは『定員につき募集終了』と表示されているのに、前日と当日には『募集中』になるのはどうしてなんだろう。不思議でならない。

『【20歳~25歳限定】一人参加歓迎の恋活パーティ! with梅田』


「値段は男が5000円で女の子が2000円。まあ、こんなもんだろ」


 クレジットカード支払いを済ませると、直ぐにメールでチケットが届いた。忘れずないうちにフラグを付けておく。


「あっ、そうだ。あいつにも、いちおう声だけ掛けておくか」


 そして、一通のラインを飛ばした。


 なんやかんやとしている内に、日を跨ぎそうな時間帯になっていた。

 街コンは昼からだし、今日はあまり夜更かしをしない方が良いだろう。

 空になったピザの空き箱や、ビール類の缶を片していく。

 途中、出しっぱなしにしていた元カノとのプリクラが目に入った。酔って気持ちよくなっていた頭から、熱が少しだけ引いていくのがわかる。

 ちょうど、ゴミ袋は一杯になるところだった。

 ぺら紙のプリクラを入れたところで、口が閉じれなくなることは無いだろう。

それに、入れて直ぐに封ができる……なんて、よく分からないことを思った。


「…………」


 それから。空き缶を洗ったり、小さいテーブルを布巾で拭いたり、歯磨きをしたり、トイレを済ませたり……寝る前に行う諸々を済ませた。

そうしてようやく、俺はプリクラをゴミ袋に入れた。

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