マッチング成立から始まる、会社の先輩と窓際社員な俺の街コン協力戦線。
涼詩路サトル
プロローグ
プロローグ 窓際社員プラスのいち
「霧島株式会社の
恒例である面倒なやり取りの後、取引先に要件を伝えてから通話終了をタップする。
静かな溜息をゆっくりと吐きながら、覗くように辺りを伺った。
オフィス内。窓際に位置するこの席からであれば、大して首を振らずとも見渡すことは容易だ。
楽しげな表情で談笑している者、営業スマイルを浮かべながら電話対応をしている者、苛立ち気にキーボードを叩いている者――こちらを見ている人は誰も居ない。
(ほ…………)
何もやましいことがあるわけでは無かった。他の社員の前で電話をすることが苦手なだけ。どうにも、他人の眼が気になってしょうがないのだ。
地元の九州では珍しくない下古川という苗字は、関西圏では珍しい苗字らしく入社時から何度、名前をネタに話をされたか数えきれない。また、関東圏にある大半の取引先からも一度で聞き取って貰えた試しが無い。つまるところ、下古川という苗字は九州以外の人からすれば初めて聞くものらしいのだ。慣れを感じつつあるとはいえ、電話の取次ぎをお願いする度に何度も名乗り直すのは非常に面倒。なので、関係各所には社用携帯の普及と固定電話の廃止をお願いしたいところだ……。
「下古川くん」
「! …………はい」
動揺を無理やりに抑えつけて、落ち着いた応答で返す……というのも、いつから立っていたのか、背後から突然に話しかけられたからだった。
振り向いた先に居たのは、
肩口をくすぐるくらいの長さの色素の薄い髪に、端正な目鼻立ち。儚げに見える瞳だが、どういうわけか確かな強さも伝わってくる。上品な化粧と、すらりと美しくスーツを着こなす姿からは、『できる女』という雰囲気がありありと醸し出されていた。正直、俺よりも一つだけ年上の25歳であることが信じられない。彼女はベテランとまで言えなくとも、中堅と言えるだけの実力はあるからだ。
それに相対する存在。窓際社員である俺こと――ロクデナシの面倒を、何かと見てくれているのが彼女だった。
この部署に異動してきて間もない頃。短い間ではあったが、俺の教育担当を請け負ってくれ、その名残だろうと思う。
「月次の予算報告会の資料、進捗はどうですか?」
「資料……も、申し訳ありません。先程、完成したところですのでメールで共有します」
「別に急かしているわけじゃないですよ。むしろ、逆です」
「逆……?」
「ええ。報告会は2週間も先です。未だ時間はあるのですし、ゆっくりでいいんです
よ。下古川くんはいつも仕事が早いので……むしろ、無理をしていないか心配なんです」
「まっ、まだまだ下っ端の僕が無理をする事なんて……えとでもっ、ありがとうございます」
「はい。それでは、今日も一日がんばりましょう」
温かみのある起伏の小さい声音と共に、天音先輩は右手を差し出してきた。
これが彼女の癖。少なくとも、一週間に二回から三回はこうして握手を求めてくる。
初めこそ戸惑いはしたものの、今では慣れたもの……あくまでも握手をするまでは、だが……。
(う…………)
触れることで分からされる、力を入れれば折れてしまいそうな細く繊細な指。
体温が低いのか、ひんやりとしている。それと、柔らかい。感触は握手を終えた後、数分間は残り続け、俺の心音をどうしたって早くする。まるで何かのヤバい薬みたいだ。
別に、天音先輩のことが好きだからとかいうわけではない。ただ俺が、女性に慣れていない……そう、それだけのことなのだ。
(ほんと、良い人だなぁ……)
社内で肩身の狭い俺にとって、天音先輩は心の清涼剤そのものだった。
ノートパソコンの画面端のポップアップがミーティング開始5分前を告げた。
会議室。先に来ていた社員達と目を合わせないようにして、隅っこの席に静かに座る。
ミーティングは、始業から30分後に毎日行われる。各社員が一日の軽い行動予定を話し、最後に部長が締めくくるという流れだ。
俺が社内で声を発する、数少ない機会の一つでもある。
やがて、俺の順番が回ってきた。
今日はミーティング前に取引先と電話をしたし、天音先輩にも話しかけられた。そのため、発声練習のようなものは済んでいる。だから、大丈夫なはずだ。
「あ……あの、今日はまず、ゆ……輸送会社関連の……請求書検収か、から――」
終始、口内は水分という概念を疑うレベルでからっからに干上がっていた。追従して、舌だってまともに動きやしなかった。発言を終えた後となっても、自分が何を話したのか、まるで思い出せない。
(大人って、もっと大人だと思ってたな……)
今すぐに退社したい。帰って、冷えたビールを煽りながら柿ピーとか食べたい。あれ、まだ始業から1時間も経ってないんだ。うーん、有給休暇を取っとくべきだったかなあ。
この部署に異動してきてからというもの、ただでさえ苦手だった人前で喋る行為が更に苦手になっていた。
理由は、なんとなくわかっている。
けれど、誰に恨みを覚えるようなことではない。全部、自業自得な事だ。
陰気な雰囲気を悟られないように顔を無理やり上げ、冷静な表情を張り付けた顔面をつくる。
心裡だけで絶望しているうちにもミーティングは進んでいく。
最後、部長の締めに入った。
バーコードのような頭髪をしている部長は会社内の連絡事項を述べた後で、自身の行動予定を話す。時折、笑いを誘うような雑談を交えながら。
「そういえば、予算報告会まで2週間となりました。常識ではありますし、わざわざ言うことでは無いのかもしれませんが、くれぐれも自身が資料として挙げる内容くらいは理解した上で臨むようにしてください。まあ、誰がとかじゃありませんが」
どっと、会議室は沸いた。笑みを浮かべる社員達の視線は、ちらちらと俺に向けられていた。
気にしてしまえば、おそらく俺は駄目になるだろう。
だから、毅然とした態度のまま素知らぬ顔で居続けた。ネタにされることは初めてのことじゃない。もう、慣れているはずだ。
「確か、今月の司会は絵美ちゃんでしたね。むさくるしい男ばかりの職場だから、華のある女性が司会となれば雰囲気も変わるもの。良い討論の場となることを、期待していますよ。効果があれば、もういっそ報告会の司会を絵美ちゃんで固定するのもありかもしれませんね」
首肯し、肯定的な発言をする者が殆どだった。
天音先輩は人気者だ。若くて美人で仕事ができる。無愛想と捉えられなくもない落ち着いた話し方には、いつだって思いやりが籠っている。
大人の女性。とてもカッコイイ、理想の人だ。
……だから、天音先輩がセクハラ紛いの扱いを受けていることに酷い不快感を覚えた。
部長達は何も、悪気があって言っているわけではないのだろう。
ジェネレーションギャップと言うやつかもしれない。未だ、高齢の社員で占める職場ではセクハラやパワハラに対する意識が低いのが現実だった。
仮に、ここで俺が声を張ったところで天音先輩が得をすることは無いだろう。
間違い無く、他の社員は俺の事を嫌悪しているだろうからだ。
静かにおとなしく、話の流れが変わるのを待つしかない――そうやって、思考を停止させた時だった。
「では部長、私とお付き合いをしてくれますか?」
(…………は?)
聞き心地の良い透明感のある声音。文字通り、会議室内で透き通るように響いた。天音先輩の声だった。
耳を疑った。けれど、真っ直ぐに部長を見つめる彼女の瞳からは、まるで冗談を言っている雰囲気は伺えない。俺を含め、会議室内の全員が凍り付くように動きを止めている。
当事者である部長を覗いてだが。
「絵美ちゃん……? いったいどうしたんだ、君らしくない」
「らしくない、ですか。仰る通り、経験に乏しいために不自然さは拭えませんでした。私も一人の女、ですから」
有無を言わさない凛々しさがあった。
一回りも二回りも歳が離れ、尚且つ社内の部長という立場にある人への告白。
本人も理解しているであろう、今後の社会人生活に大きく響くことになる一言には、異常なまでの凄みがある。
だからこそ、部長が天音先輩を見ていた眼からは子供を扱うような雰囲気は消え失せていた。
「絵美ちゃんの気持ちは確かに伝わった……だが、私には妻も娘もいる。すまないが、君とお付き合いをすることはできないよ」
「はい。お返事、ありがとうございます。大変、失礼致しました。子供じみた事を口走り、更にはミーティングを中断させたこと……皆さまにも深くお詫び申し上げます」
告白を断られたショックを出さないようにしているのか、天音先輩は淡々と謝罪を口にし、頭を下げた。伏せられた瞳が何を示しているのか、考えるまでもないだろう。
それからミーティングが終わるまでの間、鉛のように重い空気は会議室内を充満し続けた。朝ミーティングということもあってか、解放されるまでの時間はそう長くは掛からなかったものの、その後の喫煙所は相当な賑わいをみせたという。
きっと。俺も喫煙者であれば、そのうちの一人になっていたに違いない。
こうしてこの日、窓際社員が一人増えた。
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