第10話 霊神獣

「イタタタ……」


 起きた時の第一声はそれだった。身体からだはバキバキで、疲れが取れているのかわからない。


「ベッドが……ベッドが恋しいよ……!」


 もう俺の彼女はベッドでいい! と空太そらたはアホなことを考えながら、身を起こす。それから、軽く伸びをすると、背骨がポキポキと鳴った。


 チラリ、と横に目を向ける。すると、そこには金髪の少女がひとり。


「まだ寝てるのか、ひなた……」


 まあ、無理に起こすこともない。そっとしておくことにする。


「それにしても昨日の夢はいったい……?」


 はっきりと空太は例の夢のことを記憶に残していた。


「なにがなにやら……」


 とりあえず頭を整理しよう、と思った空太は音を立てないように気をつけながら、場所をうつした。


「はてさて……」


 移動を終えた空太はドカッと腰を下ろす。頭を上げれば、目の前には大きく綺麗な湖が広がっている。


「あのじいさんはあんなこといっていたけど、実際はどうなんだ……?」


 ひなたは孤独だ、とか、それを救えるのは自分だけだ、とか。


 正直、自分はこの異世界の生活だけで手一杯なのに、まったく面倒なことになってきたものだ。


 ひなたにすべてを話してみようか。そうすれば、あの老人のいったことの真偽がわかるかもしれない。


「いや、それは最終手段だな……」


 少し考えて、そう空太は結論づけた。


 もしなにかを聞き出すなら、自然な流れで。それでもひなたが話してくれなければ、それとなく夢の内容を出してみる。


 いきなり「こんなことがあった」とすべて話してから、ひなたに話すことを拒絶きょぜつされたなら、聞き出す手段がなくなるからだ。


「まあ、すべて俺がその気になったらの話なんだけど……」


 でも、もしあの老人のいっていることが本当で、ひなたが辛い思いをしているのなら──助けたい。


 ひなたには感謝している。出会ってから、まだ全然経っていないが、それでもひなたには大きな恩がある。


 それだけではないかもだが、とにかく、ひなたが困っているなら力になりたい。それが率直に思ったことだ。


「でも、まだ俺なにもわかっていないしな……」


 せめて今のひなたの気持ちが知れたなら決断がしやすいのだが。


 でも、昨日一緒に行動を共にした限りでは楽しそうに思えた。


 もし特にひなたが辛い思いをしていないのならば、あまり夢のことは気にしなくてもよくなる。


「そうしたら人間界に戻った時に……ん?」


 待てよ、と思った。人間界に戻った時、ひなたがどうなるかを考えた。


「そうだ……そうだよ……!」


 霊神れいしんが転移する時、空には虚空こくうが出る。すると、すぐにDアラートが鳴る。それはいい。


 だが、昨日わかった事実がひとつ。


「──AODが出て来る……!」


 そうだ。ひなたを殺そうとする連中が出て来るではないか。それは少なくとも──人間にとって霊神はいい存在ではない、ということを意味している。


 しかし──さらに重要な事実があった。


 逆に、どうしてそのことに気づかなかったのか自分でも不思議に思う。


 


『何十年もわたしは誰かのぬくもりとは無縁むえんだったから』と。


 たしか、ひなたに出会ってすぐに空太はこんな言葉を聞いている。


 昨日の人間界でのことだ。空太はDアラートが鳴った時に、外にいるひなたを見つけた。


 その時なにも知らなかった空太はひなたを助けようとその手を取った。


 それからすぐに、ひなたはポツリとその言葉をもらしたのだ。


「何十年も……」


 それを聞いた時、結構な衝撃を受けたのを覚えている。なのに、なんで今まで覚えていなかったのか。


「まあ、あの時は襲われたりして、色々パニックになったからな……」


 けど、覚えていてよかった。


「さすが俺だな……」


 それにしても朝から頭を使って疲れた。


 だが──結論は出たようなものだ。


 それで、とりあえずはよしとしよう。


 それから、ひなたのところに戻ろうと、空太が立ち上がった時だ。


「SHAAAA……」


 突然──空太の後ろからなにかが聞こえた。


 なんだ? と思い、空太は振り返る。


「……⁉︎」


 空太は目を見開いた。


 そこにいたに対して、困惑の色を隠せなかったのだ。


 四つ足で、赤黒く──こちらに敵意をき出しの生物がいた。それも三匹。


 さながら悪魔あくまのようなその姿を空太は知っていた……というより聞いていた。


 コイツは霊神獣れいしんじゅうと呼ばれる存在だ。昨日、ひなたから聞いていた。その危険さも含めて、だ。


「なんで霊神獣がこんなところにいんだよぉおおおおお──ッ⁉︎」


 つい空太は叫んだ。それがこの生物──霊神獣を刺激した。


「SHAAAAAA──ッ‼︎」


 最も空太の近くにいた霊神獣が襲いかかって来る。


「うおッ⁉︎」


 ──まずい。本能がそう告げるのに従って、空太は横に飛び込むように逃げた。


「SHAAAA──ッ‼︎」


 直後──霊神獣の爪がさっきまで空太がいた場所の空気を切った。ただし、ものすごい音とセットで。


「バットでもそんな音出ねぇぞ……!」


 空太は立ち上がる。


 とにかく逃げなければ。そう思い、逃げ道を確認する。──が、


「多対一は卑怯ひきょうだろ……!」


 後ろと横は残る二匹の霊神獣にふさがれていた。逃げ道を塞がれたわけだ。


 湖に飛び込むのに賭けるか? と考えたが、あまり得策には思えなかった。


「どうすんだよ……⁉︎」


 そんな空太に霊神獣は時間を与えてはくれない。


「SHAAAA──ッ‼︎」


 前と後ろから同時に霊神獣がせまる、迫る。


 どうするのが正解か。生き残れる道はなにか。


 頭をフル回転させる。


「一か八か……!」


 空太の考えはさだまった。


 賭けになるが、やるしかない。


 前と後ろにいる霊神獣が同じように腕を振り上げる。


 そして──二匹の霊神獣の爪が空太を切り裂く直前、


「ここだ……!」


 空太は身をかがめた。


 直後──二匹の霊神獣の攻撃同士がぶつかった。


 結果として、どちらの攻撃も空太には届かない。


「やった……!」


 が──それですべてが終わりではない。


「SHAAAAAAAAAAA──ッ‼︎」


 横にいた別の霊神獣が空太の方に向かって、突撃を開始。


「マジかよ……ッ!」


 これは避けれそうにない。


 本当に多対一は卑怯だ。


 死んだら、どうなるのだろうか。


 まあ、考えても仕方ないことだ。


 空太はグッと力強く目を閉じ……、



「空太に手を出すなぁああああああああああ──ッ‼︎」



 目を大きく開いた。


 最初に空太の視界に飛び込んで来たのはなびく金髪。次いで、一振りの剣。


「ひなた⁉︎」


 その美しい金髪の持ち主の名前を口にする空太。


「SHA──ッ⁉︎」


 空太に突撃していた一匹の霊神獣が足をとめる。


 霊神獣たちが一様にして、首をかしげた。いきなりの乱入者に疑問をいだいているのだろう。


 しかし、


「だぁあああ──ッ‼︎」


 ひなたが剣を縦に一閃いっせん


「SHA──ッ⁉︎」


 霊神獣は疑問を解消する前に、腕を飛ばされた。


「SHAAAAAAAAAAA──ッ‼︎」


 腕を切られた霊神獣が咆哮ほうこうを上げながら、ひなたに突っ込んだ。相当、お怒りのようだ。


「SHAAAA──ッ‼︎」


 霊神獣が切られていない残りの腕を振り上げた。──さっき空太を切り裂こうとした時みたいに。


 しかし、


「隙だらけだよ……ッ‼︎」


 霊神獣の腕が振り下ろされる前に、ひなたはその腕を綺麗に、一瞬にして切り落とした。


 さらに、ひなたの攻撃は続く。


「やぁあああああ──ッ‼︎」


 袈裟けさ斬り。唐竹からたけ割り。数瞬にして、霊神獣はその原型を失った。


「SHA……」


 ドサッと霊神獣がその場に倒れ込む。すぐにピクリとも動かなくなった。


「死んだのか……?」


 唖然あぜんとしながら空太がもらすと同時、霊神獣がはいのようなものに早変わりした。それはすぐに風に乗って飛んでいった。


「死んだ霊神獣は灰になるってことか……」


 でも、今更そこまで驚かない。今いる世界がすでに信じられない世界なのだから、無理もない。


「SHAAAA……」


 そういえば、まだ霊神獣が二匹残っていた。


「どうする? まだ続ける?」


 ひなたが二匹の霊神獣に剣を向ける。二匹の霊神獣は数秒ひなたと見つめ合う。


「SHA……」


 二匹はおとなしく去っていった。どうやら、ひなたの方が強いと理解したようだ。


 とりあえず危険は去ったといえる。


 空太はクルリとひなたの方を向いた。


「ひなた……その……ありがとう。助かった」


 空太が礼を述べると同時、ひなたが剣をしまった。


「…………」


 ひなたはなにもいわなかった。代わりに、ただ空太を見つめていた。


「い、いやぁ……それにしても、本当にいたんだな、霊神獣」


「…………」


 どうして、なにもいわないのだろうか。


「まあ、霊神界だし、当然といえば、当然なんだけどな」


 とりあえず、なんでもいいから、言葉をつむいだ。


「……空太」


 ギリギリ聞こえるくらいの声量で、ひなたがいった。


「は、はい?」


 空太の返事は少し上った。


「きみは……なにを考えているの?」


 ひなたの声はピリピリしていた。


「なにを考えている、というと?」


「なんで、ひとりでこんなところに来たの?」


 なんで? と問われれば、もちろん理由はある。


「えーと……それは、考えごとをしたかったからで」


 正直に答える。それが最善だと思った。


「それは……命より大事だったの?」


 即座に、ひなたにそう返された。


「え……? い、いや」


 もし『考えごと』と『命』、どちらが大切か? と問われれば、それは間違いなく後者だ。


「ならどうして⁉︎ 昨日説明したよね⁉︎ 霊神界の危険さについては!」


 声を荒げるひなた。


「あ、ああ」


 たしかに説明は受けた。が、どこか危機感を覚えていなかった事実はある。


 野営地とは少ししか離れていないから、ひとりでも問題はない。たしかに、そう思ってはいた。


「わたしの近くなら、きみを守れるけど、遠くにいたら無理だよ! ここはきみにとってすごい危険な場所なんだよ!」


 そんなことは小学生でもわかる。実際、空太は霊神獣に殺されそうになっている。


「朝、目を覚ましてすぐに、きみがいないことに気づいて……わたし、すごく怖かったんだよ! きみにもしものことがあったら、って!」


 耳が痛い。説教とは違って、純粋なひなたの心配。だからこそ、余計に耳が痛い。


 数秒の沈黙が訪れる。その間、言い訳のひとつも思いつかなかった。


 空太はポリポリと後頭部をいた。


「……ごめん」


 空太は素直に謝罪を口にした。


「──わたしはきみに死んでほしくない」


 言葉をにごすわけでなく、真っ直ぐにひなたはいい切った。


 真剣な目だ。それは今のひなたの言葉が本心なのだと確信するには十分だった。


「それは……」


 ポツリと言葉がもれる。


「ん?」


「それは──ひなたがひとりになるからか?」


 気づけば、そう空太は聞いていた……聞かずにはいられなかった。


「ッ!」


 ひなたが息をむ。それから待つこと数秒。


「………………うん、そうだね」


 長い間を置いて、ひなたがうなずいた。ひなたが続ける。


「事実なんだけど、なんか人からいわれると、あれだね……」


 うまい言葉をひなたは見つけられないようだ。が、それを他所よそに空太は話を次のステップに進めることにした。


「なぁ、ひなた?」


「……なに?」


「教えてほしい、君について。そして、もし君が困っているのなら──力になりたい」


 グッと力を込めて言葉にする。このことを聞くなら、今だと思った。


 元々、このたぐいの質問はぶつけるつもりだった。それが少し早くなっただけのことだ。問題はない。


 数秒しても、ひなたは黙っていた。空太は続ける。


「ダメか? 迷惑か? もしそうなら──」


「違うよ」


 言葉が遮られる。ひなたが続けた。


「嬉しかったんだ。昨日、空太にたくさん話を聞かせてもらって……でも、それだけじゃなくて、今度はわたしの話を聞いてもらえる。そういう相手がひとりでもいるって思ったら、ね」


「そういうことか」


「うん。……ねぇ空太?」


「なんだ?」


「わたしって変かな?」


「……? なんでだ?」


「だ、だって……話ができるってだけで、実は内心かなり喜んでいたりして」


 たしかに現代では、学校があって、空太は今では、誰かと話せる環境が当たり前になってきている。


 だが、空太は知っているのだ。相手にしてもらえない辛さというものを。


「大丈夫。それが普通だ」


 だから、率直にそう返す。


「俺も昔は君と似たようなものだった」


「そう、なんだ」


「だからな、ひなたは変でもなんでもない。誰かと話したいんだったら、俺がいつでもその相手になってやる」


「……あ、ありがとう。そんなこといわれたのは初めてだよ」


 ひなたはどこか嬉しそうに見えた。


「空太」


「なんだ?」


「……わたしの話を聞いて、くれる?」


 そう聞かれれば、空太の答えは決まり切っている。


「ああ」


 それからひなたはおもむろに口を開いた。



「わたしは──霊神界の追放者なんだ」

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