第6話 霊神

 身体からだがあやふやで、目の前は真っ暗だった。


 けど、夢を見ている時とは違って、意識はしっかりとあった。気を失ったわけではないということだ。


 自分はどうしてこんなところにいるのか。


 見当はついている。たぶん、あの美しい金髪の少女との出来事が関係している。それ以上のことはわからないが……。


 まあ、それはともかく、とりあえずは身体を動かすことが先決だ。


 そう思った矢先のことだった。


 ──パッと視界が開けた。暗闇くらやみしかうつさなかった視界が一気に色彩しきさいびる。


 同時に、あやふやだった身体の感覚がはっきりとする。


「……?」


 そして、すぐに違和感に気づいた。


 どうやらここはさっきまでいたところとは別の場所みたいだ。


 だが、そんなことは二の次だった。


 一番違和感を覚えたことは、今自分がことだ。空太そらたは「まさかな……」とあわい希望を持って、下を見る。


「……ッ⁉︎」


 結果は案の定だった。


「なんで俺また空にいるんだよぉおおおおおおおおおお──ッ⁉︎」


 叫ばずにはいられなかった。


 地上に見える景色にものすごいスピードで近づいていく。身体に吹きつける風も痛い。


「いや今度こそ死ぬって‼︎ 本当に死ぬ‼︎ 神様仏様‼︎ ここに迷える子羊がひとりいますよ‼︎ 助けてくださぁい‼︎」


 空太の叫びはむなしく空に消えていった──ように思われた。


「もう大丈夫だよ」


 空太の身体をなにかが包み込む。


 ──知っている感覚だった。ついさっきも同じ感覚を味わっている。


 そう。お姫様抱っこ、だ。


 空太は顔を上げる。


「君は……」


 目の前には金髪の少女がいた。


「ごめんね、こわい思いをさせて」


 まったくだ……なんて大きい態度は取れない。


「あ、いや、大丈夫だ……その、助かった。あ、ありがとう」


 地面がすぐ下にあったなら、同時に頭をこすりつけていたかもしれない。


「いいんだ。わたしがきみに気づけたのだって、きみが叫んだおかげだし」


 あの「迷える子羊」なのに「仏様」に頼んでいたやつか。「俺は聖書せいしょも読んだことねぇし、十字架じゅうじかだって持ってねぇぞ」と今更いまさらながら思う。


 だがまあ、


「さっきの俺ナイス……」


 と、自分にいっておいた。


 少し経って、地面まで残り数メートルのところまで空太たちは来ていた。


 そして──ストン、と少女が軽い様子で地に足をつける。


「こういう奴が物理苦手なんだよなぁ……」


 そっとつぶやく空太。ちなみに空太は物理が大がつくほど苦手だ。


「ん? なにかいった?」


「なんでも」


 少女が教科としての物理を知っているのかは気になったが、とりあえずはそう答えておいた。


「そう。……さ、もう降りて大丈夫だよ」


「お、おう」


 おとなしく空太は従う。


「っとと……」


 恐怖で腰が抜けていたのか、少しよろける。


「大丈夫?」


「ああ、問題ない」


 さすがに、この少女にはかっこ悪いところを見せすぎたので、少し意地を張っておく。


「さて、そんなことより」


 空太は辺りを見渡す。


「ここはなんなんだ?」


 この辺りは空からも見えていたが、地上から見ると、一層おかしく感じた。


 今いる場所を端的たんてきにいい換えるなら、そう──なのだ。


 見たこともない植物。空高く伸びるキノコ。綺麗な星形をした果物。


 見たこともない生物。空を飛んでいるのは、鳥というより竜に近いように思える。


 どれも本来なら現実には存在しないだろうものばかりだ。


「さすがに説明しないわけにもいかないよね?」


 これはただの確認だろう。


「教えてもらえると助かる」


 空太は丁寧ていねいに頼み込む。


 それから少しして、少女がおもむろに口を開いた。


「さっき、わたしがいったこと覚えてる?」


「さっき? なんだっけか?」


 思い当たることはいくつかある。


「わたしがきみのいる世界でなんて呼ばれているか、だよ」


「ああ……それか」


 それならば、覚えている。


魔王まおう、だったな」


「うん。でも、それは勝手にそう呼ばれているだけ」


「まあ、そうだよな」


 この少女が自分で魔王を名乗っていたなら、それは変な話だ。


「ということは、他の呼び方があるんだよな?」


「お、するどいね」


「だろ」


「うん。……じゃあ、それついでにさ、呼び方……当ててみてよ」


 なんか、さらっと無茶なことをいわれた。この流れは知っている。なんと答えるべきなのか、も。


「無理だな」


「早いよ⁉︎ ……っていうか、さっきもこのやりとりしたよ!」


 それはわかっている。わかっていて、したのだ。


かぶせ、ってやつだな。……まあ、それはともかく、ちょっと真面目に答えるなら、そうだな……精霊せいれいとかか?」


 わりと本気で正解を狙いにいった。


「うーん……惜しい! 霊はあっているんだけど」


「マジかよ!」


 一文字だが、合っているとは思わなかった。


 それから一拍いっぱく置いて、少女が告げる。


「──霊神れいしん。それが、わたしたちを指す言葉」


 少女のいった『霊神』というのは、あまり聞き慣れない単語だった。それ自体は別にいいのだが、空太は少女の言葉に引っかかりを覚えた。


「たち? 君以外にも今の……霊神とやらはいるってことか?」


「そりゃもちろん。だから、きみたちのいる世界を人間界とすると、わたしたちのいる……つまり、今いるこの世界は──霊神界になるわけだ」


「なるほどな。霊神云々うんぬんについてはまだよくわからないが、とりあえず、ここは異世界ってことだな」


「あれま……? 意外と冷静だね」


「そうか? ……まあ、最近は誰でも異世界に行っちゃうからな。あまり新鮮さがないせいじゃないか?」


 最近では、トラックの運転手に同情を覚えるほどだ。


「そうなの⁉︎ 異世界ってそんな誰でも行けるものなの⁉︎」


 少女が食いついてきた。どうやら、空太の発言を本気で受けとめたらしい。


 しまった、と今更ながら思う。


「あー……いや、今のは言葉のあやってやつだ。忘れてくれ」


「そ、そっか……」


 少女は残念そうにもらす。悪いことをしてしまっただろうか。


「ま、まあ! そんなことより!」


 少し強めに空太は言葉を入れる。


「これからどうするんだ?」


「うーん……どうしよ。うーん……」


 真剣に悩む少女の姿を見て、空太はふと思った。


「──いや、やっぱり大丈夫だ」


 元々、自分はどうしてこんなところに来たのか。


 たぶん、さっき少女に謎の転移現象が起こった時、空太が少女に触れていたからだろう。


 なら、この結果は自業自得なのかもしれない。


 そう考えたら、この少女に悪い気がしてきたのだ。


「俺はひとりで動こうと思う」


「え……?」


 少女がポカンとする。当然といえば、当然だ。


「もう決めたんだ。これ以上、君に迷惑をかけたくない」


 空太は振り返ると、足早に前に進んだ。


「ちょ、ちょっと!」


 背中に声がかかったが、ここで振り向いたらダメだと思った。自分へのけじめも必要だと思った。


 だから、振り返らない。


 さらに背中にかかる声は続く。


「──人間が霊神界でひとりだと、たぶん死ぬよ!」


「え……?」


 今度は空太がポカンとした。その足が自然ととまる。


 それから、ゆっくりと振り返った。さっきの自分の決意はどこに行ったのか。


「マジすか? それ」


「大マジ、だよ」


「マジかよ……」


 いかん。かっこ悪いにもほどがある。空太は頭を抱えた。


「霊神界……あまく見すぎていたな」


 でも、本当に死ぬ前でよかった。異世界に行って、すぐに死んだなんていったら、モブもいいところだ。


「俺、どうしたらいいんだ……?」


 少女の元に戻りながら、そっと呟く空太。


「さっきのきみの話だけどさ」


「ん?」


「わたしに迷惑ってやつ」


「それがなにか?」


 どうして今その話が出てくるのだろうか。


「いや、そもそもだよ。きみが霊神界に来たのだって、わたしのせいなわけだし、迷惑とかじゃなくてだね」


「いや、別に君のせいじゃないと思うけど」


「細かいことは今はいいの」


 細かくねぇよ! と思ったことは内緒にしておく。


「まあ、だから少なからずわたしにも責任があるわけだし……とりあえずはわたしについてくる、じゃダメかな?」


 少女の提案は願ってもないことだ。


「……そうしてくれるなら、非常に助かります」


「なら決定だね」


 うん、と少女がうなずく。


「でもまあ、それが決まったところで、どうするべきかは、なにひとつ決まっていないんだけどな……」


「ゆっくり考えたらいいと思うよ」


「それもそうだな」


 本当に、この少女はすごいと思う。見た目こそ、空太と同じくらいの歳に見えるのに、こんなに考えがしっかりしているのだから。


「俺は結城ゆうき空太。君は?」


 ふと空太は互いの名前もまだ知らないことに気づいたので、名乗った。いつまでかはわからないが、行動を共にすることになったのだ。互いの名前くらいは知っておいた方がいい。


「ひなた、だ」


 名字みょうじはどうしたのか? とも思ったが、相手は霊神と呼ばれる存在だ。あまり深く気にすることでもない。


「そっか。よろしくな、ひなた」


「こちらこそ。よろしく頼むよ、結城空太」


 少女──ひなたが空太をフルネームで呼んだのは、わざとだろうか。たぶん、そうではないだろうが、これは訂正ていせいしておいた方がいい。


「空太だけでいいよ」


「そ、そっか……なんとも締まらないな」


 まったくだ、と空太は笑った。

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