第3話 謎の不在

「慌てないで避難してください!」


 天笠あまがさ高校の地下シェルター前では、教師のひとりが声を張っていた。


「押さないで! 順番に入ってください!」


 落ち着いた口調で教師は続ける。


 まだ慌てる必要はないからだ。


 Dアラートが鳴ってからの避難はたしかに早い方がいいが、時間がないわけじゃない。


 だから空太そらたは急いで地下シェルターに入ろうとはしていなかった。


 変に我先われさきにと押し合って、逆に避難が遅れるよりは、この方がずっといい。


「ほら、君も入って!」


 ほとんどの人が地下シェルターに避難したところで、空太に気づいた教師がそう呼びかけた。


「はい」


 おとなしく指示に従って、空太は地下シェルターに入った。


 もう何度か来たことがあるため知っていたが、地下シェルターはわりと広い空間だった。


 何人も人が入っているのに、まだスペースに余裕がある。


 ちなみに、天笠高校の生徒以外の人もいる。この近くに住む人たちだ。平日の昼間なので、多くは主婦や老人となっている。


 あとはここで時がすぎるのを待つだけだ。


 虚空こくうのせいで、爆発こそ起きるが、最近の技術は進んでいて、すぐに町は復元できる。


 そうすれば、またいつも通りになる。


 


「──おい‼︎ 一条いちじょう‼︎ 一条雪音ゆきねはいないか⁉︎」


 鉄二てつじの声だった。


「え……?」


 身体からだこおりついた。


 鉄二は今なんといったのだろうか。


「一条‼︎ いたら返事をしてくれ‼︎」


 今度は重彦しげひこの声だった。


 ふたりの教師が真剣に空太のクラスメイトの名前を口にしていた。


「ちょっと通ります‼︎」


 空太は足を動かしていた。人混ひとごみを破りながら、重彦の元に急ぐ。


 ぶつかった相手が「押してくんな!」だとか、「じっとしてろ!」だとかいっていたが──そんなことは関係ない。


「せ、先生‼︎ 今の話は⁉︎」


 なんとか重彦の元にたどり着いた空太は率直にたずねた。


結城ゆうきか。一条を知らないか? 今、全員が避難したか確認していたんだが、一条の姿が見えないんだ」


 どうしていないのだろうか。


「おい‼︎ 一条‼︎」


 試しに雪音の名前を呼んでみる。が、当然ながら返事はなかった。


「どこいったんだよ、あいつ……!」


 他の地下シェルターに移動した……というのは普通に考えてありえない。


 どうして雪音はいないのか。


 天笠市のどこにいたってDアラートは聞こえる。


 わざと避難していないのだろうか。


 答えがわからないまま時間だけがすぎていく。


「…………」


 まずい。このままでは、本当にまずい。


 スッと思考力がなくなっていく。


 このままでは最悪の事態に──。


「あ……」


 そうだ。ひとつだけ。たったひとつだけだが、もしかしたら雪音がいるかもしれない場所がわかった。わずかに残っていた脳の冷静れいせいな部分が答えをみちびき出した。


「先生! 俺ちょっと行ってきます!」


 すぐさま空太は駆け出していた。


「あ、おい結城! 待て!」


 重彦の制止を振り切る。


 異変を感じた周囲の人たちが、重彦の方に視線を向けるが、今更いまさらだ。


 地下シェルターを駆け上がって、雪音のいる可能性のある場所──屋上に急ぐ。


 今朝、雪音とはひとつの約束をしていた。


 それは昼休みに屋上に来い、というものだった。


 でも、Dアラートが鳴っても約束は守るというのは普通に考えておかしい。


「すっぽかすな、とはいってたけどよ……」


 死んだら元も子もないというのに。


 迷わない足取りで廊下を走り抜ける。


 階段は数段飛ばしで駆け上がった。


 全力で走ったおかげか、すぐに屋上に通じる扉の前に到着した。


「はぁ、はぁ……」


 息を切らしながらも、屋上の扉に手をかけ、無雑作むぞうさに開け放つ。


「い、一条‼︎」


 腹から声を絞り出した。


 これで雪音の返事があれば、すべて解決だ。


「…………」


 少し待ってみた。


 だが──返事は来なかった。


「くそ……!」


 ガン! と空太は屋上の転落防止用のフェンスを叩いた。


 それから顔を上げる。天笠市が遠くまで見渡せた。


「……⁉︎」


 そして──空太はとある少女を視界に入れた。


 遠目からでは細かいところまで見えないが、少女が長い金髪を持っていることはわかった。


「な、なんで避難してないんだ……⁉︎ あの子は……」


 いや待て、と空太は自分にいい聞かせた。


 さっきもそうだが、焦るとまともな思考ができない。


 空太は一度、大きく息を吸って、吐き出した。


「金髪ってことは外国人だよな……? ってことは……もしかして、Dアラートのことがわからないのか……⁉︎」


 あり得ない話ではなかった。


 虚空こくうのほとんどは日本で観測かんそくされている。


 つまり、海外がほとんどDアラートを導入どうにゅうしていなくても不思議ではない。


「くそ……! 次から次に……!」


 空太は再び走り出していた。


 ここに雪音はいないし、なによりあの少女を放っておくわけにはいかないだろう。


 来た道を途中まで引き返し、学校を出る。地下シェルターには向かわない。


 それから空太は自転車小屋に向かった。


 さっきの金髪の少女のところまで、遠くはないが、決して近くもない。自転車を使うのは妥当だとうといえた。


 ポケットから鍵を取り出して、素早く自分の自転車を使用可能な状態にする。


 自転車にまたがり、ペダルを全力でこぐ。


 朝に閉められた校門だが、今は開いていた。好都合だ。


「たしか向こうだったな……」


 あの少女の位置はだいたい把握はあくしている。


 急げ、と空太は自分を鼓舞こぶした。


 このままでは、あの少女が危険なことはもちろんだが、空太自身にも被害が及ぶ。それに雪音のことも気になる。


 とにかく、一秒でも早く、ことを済ませるべきなのだ。


「あとはここを曲がれば……!」


 豪快ごうかいにハンドルを切る。それからすぐに急ブレーキ。


「いた……!」


 見つけた。例の少女だ。


 彼女はなにをするでもなく、ただそこにたたずんでいた。


 空太は自転車をとめて、少女に近づく。


「ねぇ! 君!」


 いってから気づいた。日本語で大丈夫だろうか。場合によっては英語で話さなくてはならない。


 目の前の少女がという事実に反応してか、空太の方に振り向く。


「──ッ──!」


 空太は驚きを隠せなかった。


 今が緊急事態なのは百も承知だ。


 けれど、その事実を無視することはできなかった。



 ──あまりにも目の前の少女が美しいのだ。



 目を奪われる、とはこういうことをいうのだろう。


 人形にんぎょうのような端正たんせいな顔立ち。腰まで流れるのは、黄昏時たそがれどきえそうな金髪。どこまでも透き通るひとみ


 背丈せたけは空太と同じくらいだろうか。


 服装は奇妙きみょうだった。よろいなのかよくわからないものに身を包んでいる。それから、透明度の高い羽衣はごろもとでもいうべきか、それがフリルのように少女を装飾そうしょくしている。とにかく、まともな服装ではなかった。


 だが──奇妙だろうが、やはり美しい。


 一生でも見ていられる。


 そう思ったが、実際そんなことをしていたら命を落とす。


 名残惜なごりおしさを感じながら、空太は口を開いた。


「キャ、キャンユースピーク──」


「きみは……いつもの人たちじゃないね」


 少女が空太の言葉をさえぎった。


「うお……? に、日本語で大丈夫なのか?」


「ん……まあ、話すくらいなら」


 くらい、とはいっても、よくここまで流暢りゅうちょうに話せるものだ。違和感がほとんど感じられない。


「そ、そうなのか……って、そんなことより、なんで君は避難してないんだ?」


「避難?」


「そうだよ。Dアラートが鳴っただろ?」


「Dアラート? それはなんだい?」


 空太の予想通りだった。この少女はDアラートのことを知らなかったのだ。


「説明はあとでする。とりあえず俺について来て」


 空太は自転車の方に駆け出した。が、途中で少女がついて来ていないのに気づいた。


 たしかにいきなり知らない男に「ついて来て」なんていわれても、素直にしたがいはしない。


 けれど、今は一刻いっこくあらそう。


 空太は少女の近くに引き返した。


 それから自分の手を少女の手に伸ばす。


「ちょっとごめん」


 少女の手を取る。


「!」


 少女はわずかに驚いたものの、抵抗ていこうはしなかった。


 そのままもう一度自転車のところに向かう。ふたり乗りで一気に地下シェルターに向かう作戦だ。


 その途中。


「暖かいな、きみの手は……」


 少女がそっとなにかを呟いた。


「なんかいった?」


「……きみは優しいんだろうなって」


「そうか?」


 避難の件なら、ただ放っておけなかっただけなのだが……。


「何十年もわたしは誰かのぬくもりとは無縁むえんだったから」


 空太は自分の耳をうたがった。


「は……? それってどういう──」


 その時だ。


「危ない!」


 少女が空太の手をグンと引っ張った。どこにそんな力があるのかわからないが、かなりの強さだった。


「うお……⁉︎」


 それから少女はり気味の空太の肩をおおうようにして抱いた。


 ──瞬間。


 ズガァン‼︎‼︎ と嫌な音が辺りに響いた。


「な、なんだ⁉︎」


 顔を上げる。辺りのコンクリートがげ、くだけていた。


「なっ……⁉︎」


 空太は絶句した。


「来たか……」


 少女は至極落ち着いていた。そんな少女の視線は、少し上を向いていた。空太も同じ方向に視線をやる。


「ん……?」


 そこには何人も人がいた。が、ただの人ではなかった。


「な、なんで人が浮いているんだ……⁉︎」


 おかしな点はそれだけではない。


 彼らは全員、武器のようなものを持っている。大小様々なじゅうや剣。


 現代の日本では、普通に生活していれば、まず出会わないようなものばかりだ。


 さっきの攻撃は彼らによるものだろうか。


「なんだよ? あれ」


 空太は率直に少女に問いかける。この少女はなにか知っている様子だったからだ。


「さっきのきみと一緒だ。今は説明してる暇がない」


 少女がいうと同時、空に浮かぶ武装集団が何人か空太たちの方に向かって来た。その手には剣が握られている。


「きみはちょっとわたしの後ろにいてくれ」


 少女が空太の前に一歩おどり出る。


 それから、高らかと声を響かせた。


「──霊神具顕現れいしんぐけんげん! 出て来い! 【サクリファイス】!」


 タン! と少女が地面を踏みつける。


 瞬間──少女の前に一振りの剣が姿を現した。


「いったいどこから……?」


 そんな空太の疑問を余所よそに少女が剣を手に取る。


 そして、


「はぁああああああああああ──ッ‼︎」


 剣を横にいだ。


 こちらに向かって来ていた武装集団が後方に吹き飛ぶ。


 いささかオーバーキルがすぎるのではないだろうか。


「ちょちょ! な、なにやってんの⁉︎ めっちゃ今あいつら飛んだぞ⁉︎」


「大丈夫だ。あれくらいで彼らは死なない」


 さも当然、といわんばかりに少女がいい切る。


「なーんだ! つまりじゃないってことか! ……じゃねぇよ!」


 こんなノリツッコミをしている場合ではない。


いそがしいな、きみは」


 チラッと空太が吹き飛んだ武装集団に目を向けると、彼らが目線をキッとこちらに向けてきた。


「生きてはいるみたいだな……」


 なるほど息はあるようだ。空太が驚きつつも、死人が出なかったことを内心安堵あんどしていると、彼らがムクッと起き上がった。


 どうやら、息はあるというより、ピンピンしているといった方が正しいみたいだ。かなり吹き飛んだはずなのだが……。


「そろっと俺の頭パンクしそう……」


 非現実なことが起こりすぎているのだ。


 空太が「これは夢なんじゃないか?」と思い始めていると、今度は空に浮いたままだった別の人たちがなにやら物騒ぶっそうなものをこちらに向けてきた。たしかじゅうと呼ばれているものだ。そう、あの銃だ。


「え……? 嘘だろ……⁉︎」


 空太は目を点にした。


「お構いなしか……」


 少女がそっと呟いた。


 そして──パァン‼︎ と弾けるような音が響く。その狙いの先は少女だ。


 またも少女が剣を薙ぐ……と思ったが、そんなことはなかった。


「ちょっと失礼するよ」


 いいながら、少女が空太を抱える。俗にいう『お姫様抱っこ』というやつだ。まさか男である自分がとは思わなかったが。


「どういう──」


 視界が一変した。さっきまでは爆発で崩壊こそしてたが、近くには建物……大袈裟おおげさにいうならが確かにあった。


 でも、今はどうだろうか。


 陸がはるか下にあるのだ。さらに、目の前には空が広がっている。


 ひょっとして自分は今、とんでもないところにいるのではないだろうか。


 そうは思ったが、「まあ待てよ」と空太は自分にいい聞かせた。


 これでも自分は『空太』という名前を持っているのだ。空にいるというだけで、うろたえるというのはどうなのだろうか。


 そうだ。男……いや、漢として、ここで悲鳴を上げるわけにはいかない。


「あぁああああああああああ──ッ‼︎ なにがどうなってんだぁああああああああああ──ッ⁉︎」


 無理だった。いや、どう考えても悲鳴を上げないなんてのは無理がある。


「死ぬ‼︎ 落ちてペシャンコなって死ぬ‼︎」


 今いるところはあまりにも高い。心なしか叫んだあとに空気を吸うのが辛かった。


「落ち着け、きみは死なない」


 その声で空太は幾分いくぶん冷静さを取り戻した。もちろん、まだ半分以上はパニックになっているが。


「な、なにがどうなっているんだ⁉︎ もうなにがなんだか……」


 空太は頭に疑問符を浮かべる。


「知りたい?」


「あ、当たり前だろ!」


「まあ、そっか……。じゃあ、とりあえず静かなところに行こうか」


「静かなところってのは……まあ、普通に考えて、あいつらがいないところか……」


 こうして、空太は少女に抱えられたまま、遠くに向かうことになったのだった。



     ◇ ◇ ◇


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