第2話 Dアラート

 永遠に続くかのように思われた鉄二てつじの説教が終わり、自分の教室である二年四組に顔を出す。


 ホームルームはすでに終わっていて、教室は少しさわがしかった。


「ん……? 結城ゆうき? 今来たとこか?」


 担任である藤堂重彦とうどうしげひこ空太そらたに気づく。


「いえ、ちょっと用があって職員室に寄ってました」


「そうか」


 重彦は短く返すと、出席簿しゅっせきぼを開いた。


 たぶん、空太を遅刻扱いにしていたのを訂正ていせいするのだろう。


 まあ、現に遅刻はしていないのだ。問題はあるまい。


 空太は一時限目の準備を急いでしなくてはならないので、足早に後ろの方にある自分の席を目指した。


「ハロー結城くん」


 自分の席に座ると同時、空太は隣人りんじんである少女に声をかけられた。


「ああ、おはよう一条いちじょう


 少女──一条雪音ゆきねに手短に挨拶あいさつを返す。


 そんなやりとりをしただけで、一部の生徒からの視線がグサグサとさるのを空太は感じた。


 当然だ。雪音の容姿ようしが女優といわれても納得せざるを得ないほどのものなのだから。


 りんとした顔立ち。肩をくすぐるくらいの髪。


 雪音に好意をいだく男子は多い。


「今日は遅かったね結城くん。寝坊でもした?」


「まあ、そんなところだ」


「そっか。珍しいこともあるんだね」


「そう、なのか?」


 寝坊なんて男子高校生にいわせれば、日常の一部だ。別に珍しくもなんともない。まあ、今後は気をつけるようにするが。


「ところで一条」


「なに?」


「今日って体育あったか?」


「体育? 今日は確かあったと思うけど」


「うげぇ……」


 露骨ろこつに嫌がる空太。


「どうかしたの?」


 怪訝けげんそうに問いかける雪音。


 空太がこう語る原因は単純だ。


「今日はゴーレムに会いたくないんだよ」


北原きたはら先生に?」


「ああ。朝めちゃくちゃ怒られてな。ゴーレム……怖すぎるよ」


「なるほどね、それで遅れたってことか。でも、普段は北原先生は優しいと思うけどね、わたしは」


「それはそうなんだけど」


 その点について否定する気はない。鉄二は普通に優しさもそなえている。そのため、鉄二はどこかにくめないタイプの人なのだ。


「まあ、それがわかったら、今後は遅刻しないようにね」


「気をつけるよ」


 朝から他愛のない会話を交わす。


 それからすぐに一時限目の始まりを告げるチャイムが鳴った。


 一時限目は数学。空太の嫌いな教科だ。というか、空太は勉強そのものが嫌いだ。


 だが、やらないわけにもいかない。


 空太は面倒だと思いながらも、教科書を机に広げた。






 ふと時計を見る。数学の授業は後半に差しかかっていた。


 数学の教科担任が数列について解説していたが、さっきからその解説は耳を左から右に抜けている。


 勉強も理解さえできれば、面白くなるのだろうか。……まあ、そんな日は来ないと思うが。


 ボーッとしていると「ふあ……」と大きな欠伸あくびが出た。


 空太が眠気との戦いを始めようとしていると、急に雪音に脇腹わきばらをつつかれた。


「ひゃッ⁉︎」


 つい、おかしな声がもれる。数人の生徒が空太の方を向いた。が、彼らはすぐに前に向き直った。


 眠気が薄くなった空太は、イスごと雪音にこっそりと近づいた。


「な、なんだよ? 一条」


 教師に聞こえないくらいの声量でたずねる。


「結城くん。……実は、今日、大事な話があるんだけど」


 唐突とうとつに雪音にそう告げられた。


「は……? 大事な話?」


 大事な話とはなんのことだろうか。


「それって、今じゃダメなのか?」


「う、うん」


 要するに、ここでは話せないような内容だということだ。


「昼休み……ちょっとだけ、時間いいかな?」


「ああ、別に構わないけど」


 別に断る理由もない。空太はあっさりと承諾しょうだくした。


「ありがとう。じゃあ、屋上で待ってるから。すっぽかしたりしないでね?」


 雪音はそれだけいうと、数学の授業に意識をうつした。


 しかし、大事な話とは本当になんのことだろうか。


 もしかして……告白ではないのだろうか。


 告白とは、いわずもがな。異性に「好きです」と気持ちを伝えるあのイベントのことだ。


 まあ、それはあり得ないか。


 自分はそれほどいい男ってわけでもない。なのに異性から好かれるなど考えにくい。雪音クラスが相手となると、特に、だ。


 彼女のひとりふたりほしいと感じたことはあるが、残念ながらそれが実現したことはない。


「彼女ほしいな……」


 空太は決して誰にも聞こえないような声量でもらす。


 それから数学の授業に意識をうつした。






 数学の授業が終わり、続く授業も何事もなく終えた。これで、今日の午前の授業はすべて終了だ。


 そして昼休みがやって来た。


 毎日のことだが、昼休みの教室は騒がしい。大半の生徒が弁当や購買で購入したパンなどを食べながら、話に花を咲かせているのだ。


 いつもなら、空太も弁当を食べるのだが、今日はいつもと少し違う。


 雪音に昼休みに屋上に来るよういわれているのだ。なんでも、大事な話があるらしい。


 チラッと横を見る。


 雪音は既にいない。きっと、今頃は屋上にいるはずだ。


 あまり待たせるのも悪いので、空太は早速教室を出た。


「屋上は向こうだったな……」


 迷いの感じられない足取りで空太は屋上を目指す。


 空太が天笠あまがさ高校に入学して、既に一年ほどが経過している。今更いまさら迷子になる空太ではない。


 廊下を右に曲がる。すると、


「お、結城か。ちょうどよかった」


 重彦に出会った。重彦は両手に紙のたばかかえていた。


 重彦が続ける。


「いきなりで悪いんだが、ちょっと手伝ってくれないか?」


「本当にいきなりですね」


「ああ。少しばかり骨の折れる作業でな」


「そうですね……すぐに終わるなら、いいですよ」


 雪音との約束もあるため、そういう条件の元、力を貸すことにした。


 雪音の元に行くのが遅くはなるが、人助けってことなら、雪音も許容きょようしてくれるだろう。


「おお、そうか。助かる」


「じゃあ、俺はなにすればいいんですか?」


「とりあえず俺について来てくれ」


「わかりました」


 空太は重彦と一緒に歩き出した。


 ちなみに重彦が頼みたいことというのは、書類の整理だった。重彦が抱えている紙はかなりの枚数があるが、それらをすべて職員室で分類する作業らしい。


 たしかにこれはひとりだと骨が折れる。


 できるだけ早めに終わらせよう、と空太は決意した。


 それからすぐに職員室に着いた。


「じゃあ、そっちを頼むな、結城」


「わかりました」


 空太が承諾し、黙々もくもくと作業にうつろうとした……その時だった。



 ウゥウウウウウ────────‼︎‼︎



 耳をつんざく音が辺りに響いた。


「『Dアラート』⁉︎」


 重彦が驚き、今の音の正体を口にする。


 Dアラートとは、人々にとある危険を知らせる警報けいほうの一種だ。


 では、とある危険とはなんなのか。


 空太が考え事をしていると、重彦が職員室を急いで出て行った。


「あ! 先生!」


 自然と空太もそのあとを追う。


 重彦の向かった先は外。


 そして外に出るやいなや重彦は視線を上に向けた。空太も続けて、上を見る。


 ──空にはいびつな空間が存在していた。


 小さくはあるが、空の一部だけ、はっきりと色が違うのがわかる。


 あれは『虚空こくう』と呼ばれるものだ。『虚像の空』とか、意味はそんなところだろう。


 虚空が初めて観測かんそくされたのは三十年ほど前。空太はまだ生まれていない。


 虚空は不定期で現れ、それが観測されるとすぐに、Dアラートが鳴る。


 そして──虚空こそが『とある危険』のことなのだ。


 初めて虚空が観測された日。


 その日──信じられない規模の大爆発が起こっている……らしい。


 人は大勢死に、辺り一帯いったい崩壊ほうかいしたそうだ。


 虚空を表すのに『危険』の二文字以外はいらない。


 だから人間はDアラートを作った。もう二度と悲劇ひげきを繰り返さないために。


 そして、Dアラートが鳴った時、どうするかを空太たちは知っている。


「結城! 急いで地下シェルターに!」


 重彦は空太に素早く指示を出す。


「は、はい!」


 天笠市は一定数以上の人間の集まる公共の場には、地下シェルターを設けている。そのため、人々はDアラートが鳴った時、最も近くにある地下シェルターに逃げ込む。今の空太の場合だとそれが天笠高校にあたる。


「最近は平和だったんだけどな……」


 どうでもいいことを気にしつつ、空太は走り出した。目指す場所はもちろん地下シェルター。たぶん、既に他の生徒たちも地下シェルターを目指しているはずだ。


 大丈夫だ。やること自体は避難訓練と変わらない。


 大切なのはあせらないこと。


 空太は存外ぞんがい落ち着いていた。

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