文月七葉の決意
「はぁ…」
ただいま体育の時間。
今俺達は高校体育ではおなじみの体力測定をしている。
今日は22度、春にしては高い気温の中でグラウンドに出てきている。
風は吹いているので涼しいのは涼しいが、いかんせん暑い。
あまりの暑さにため息も出るってもんだ。
それなのに…
「よっしゃあああ!卯月に勝ったあああ!」
「なんで僕に勝って喜んでるのさ…」
相も変わらず霜月は騒がしい。
どうやらさっきの
卯月も苦笑いしている。
「どんなことでも人に勝てれば嬉しいに決まってんだろ!」
「僕は運動が苦手なんだから勝てて当たり前だよ」
ちなみに今は50m走で勝負していたらしい。
霜月は7秒8とまあまあの戦績、対する卯月は9秒3。
苦手というよりは別の要因がありそうだが今は気にすることでもないだろう。
正直なところ、霜月の言わんとしていることは分からなくもないのだがこんな50m走でそこまで喜ぶことなのだろうか。
「まあ、睦月と葉月と長月は論外として、後は皐月に勝てればいいかな!」
前言撤回。
こんな安い挑発に乗るとは俺もバカだと思う。
だがこのままバカにされるほど黙ってもいない。
なので、
「葉月、長月、ちょっといいか?」
俺は、俺達は、自分の実力を持ってこのバカを潰すことにした。
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「お待たせしました。私は7秒7でしたよ霜月くん」
「僕は7秒6だったよ。残念だったね霜月くん」
「なんでだよおおおおおおおおおおお!?この裏切り者ぉ!」
葉月と長月が戻ってきてタイムを伝えると絶望する霜月。
ざまぁ。
長月はまだしも葉月がこんなに早いとは思わなかったが、この出来事には大変満足なので何もいうまい。
後で長月には返礼をしてやらないといけない。
「うおおおおおお!スッゲェ速ぇ!」
「あの皐月が負けた!?」
そんな歓声が聞こえてきたので見てみるとどうやら皐月が走ってたみたいだ。
一緒に走っていた相手はなんと、女子だった。
「ふっふーん!あたしの勝ちだね!」
「ま、まさか俺が負けるとは…」
皐月がうなだれている。
そんな皐月を横目にガッツポーズをして見せたのは
この騒ぎの中心たる人物にしてうちらのグループにいるメンバーの一人だ。
そして50mのタイムは皐月が7秒ジャストに対して文月が6秒8。
え、早過ぎない?
「俺は朝のポーカーに負けて50m走でも負ける、なんで俺はこんなに弱いのか…」
「いや、朝のポーカーは霜月のズルだし、気にするなよ」
うなだれる皐月にそっと肩を置いて慰めてあげた。
こいつ、ネガティブ思考になるとめんどくさいのよね。
「お、睦月だ。やっほー」
「よう文月、お疲れさん」
「ねね、今の走り見てた見てた?」
褒めて欲しそうな目でこちらを見ている。
キラキラした目でこっちをみるんじゃない。
文月は俺たちと同い年なのにどこか甘やかしたくなるような人懐っこさがある。
「いや、すまん。霜月をシバいてたからそっち見れてなかった」
「なんでやのん!?ってかまた霜月がなんかやらかしたの?あたしがシバいておこうか?」
「もう解決したから大丈夫だ。さっきも手伝ってもらったのにすまないな」
「いいのいいの!でも霜月のせいで色々と気分悪いからやっぱりあいつシバく」
「…俺が言うのもなんだけど、ほどほどにな?」
その言葉を皮切りに走り出す文月。
走ったばっかだと言うのに元気だなあいつ。
向こうでなんか悲鳴聞こえているけど気にしない気にしない。
「おい一夜、次の走者は私達だぞ」
「マジか。それなら行くか」
三空に呼ばれて準備する。
そういえば昔から何をするにしても三空と一緒だったな。
まさか今回は走るのも一緒だとは…。
「位置についてー」
この瞬間はいつも緊張する。
過去に陸上をしていたわけでもなし、これを言うのもおかしな話かもしれない。
でもこの緊張こそがとても心地いい。
これから自分が何かに挑戦する、形容し難い気持ちが溢れてくる。
「よーい、どん!」
ピストルが鳴り、走り出す。
ただひたすら前に。
隣に三空がいることも忘れて走る。
一歩、また一歩と踏み締める。
速く、もっと速くと脳が刺激する。
目の前のゴールに向かってー
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「ふぅ…」
グラウンドの端の日陰がある場所に涼みにきていた。
何この暑さ。
たった50m走っただけでめっちゃ疲れたんだけど何これ。
体力レベルおじいちゃんになっちゃったのかなって錯覚するくらいには疲れた。
ピトッ、
「うひゃ!?冷た!?」
「あははははは!変な声!」
首筋に冷たいスポドリを当てられる。
こんな青春の一ページみたいなシーン、う、嬉しくなんかないんだからねっ!
「ってなんだ文月か…」
「なんだはないでしょー。はいこれっ」
「おう、サンキュー」
首に当てられたスポドリをそのまま受け取る。
今授業中なのだが、先生が「水分補給はこまめにしろよー」と言ってくれているので飲み物を買いに行っても御構い無しなのだ。
「睦月、足早かったんだね」
「まあ、それなりに鍛えてるからな」
先ほどの50m走のタイム、三空は7秒ジャストで俺は6秒8、文月と同じタイムだった。
自分でもこんなタイムが出るとは思わなかったし、周りは「なんでお前まで!」「俺は今日から山に篭る…」「弥生さんにも負けるとは…」「睦月さんすごいですー」と色々言われた。
ちなみに山に篭ると言ったのは皐月だが、今時山籠りは古いぜ?
「いやいや、それなりでそんなタイムは出ないでしょ。陸上とかやってた?」
「それがやってないんだな。本当にただ鍛えてるだけだって」
鍛えていると言うより鍛えられてる。
俺の幼なじみの三空さんは鬼コーチなのだ。
そしてその鬼コーチが後ろにいたら嫌でも早くなる。
「それ言ったら文月だって早いだろ。正直びっくりした」
「あはは、まあそうだよね。あたし、これでも中学は陸上部だったからさ!」
なんかかんかスポーツはやっていたんだろうが、予想通りだった。
一瞬文月が暗い顔をしたのは気のせいだろうか。
「でも部活なんて練習辛いばかりで面白くないしね。高校はやらないでもいいかなぁなんて」
「それもそうだな。俺も普通に遊ぶくらいがちょうどいいと思ってるし」
そう、何事も程々がいいのだ。
鬼コーチの三空にそう進言したら次の日のトレーニングメニューが倍になった。
あれは本気で死ぬかと思った。
「さっきはつい本気で走っちゃったけど、もういいかな。疲れちゃうし」
「そっか」
こんなに実力があるのに勿体無いと思ってしまったが文月にも何かあるのだろう。
ここは触れないでおこうとしたが先ほどの馬鹿の言葉を思い出す。
『どんなことでも人に勝てれば嬉しいに決まってんだろ!』
ああ、確かにそうだ。
どんな事情かまでは知らないが、過去に部活で何かあった。
先ほどの暗い顔したのも気のせいではなく、昔を思い出したのだろう。
それがきっかけで、文月は走るのが嫌になったんだろう。
これを言うのは無責任もいいところだが、言わずにはいられない。
「それは、勿体無いな」
「え?」
俺の言葉に文月が驚く。
そんな顏せんでも…
「勿体無いって言ったんだよ。せっかくそんな早く走れるのに」
「それはそうかもしれないけど…でもいいんだよ。あたしはこれで」
苦笑いする文月。
大丈夫、俺はそこまで踏み込むつもりもないしその資格もない。
だけど、これだけは言っておかなきゃな。
「次は負けないからな」
「へ?今なんて…」
「次は負けないって言ったんだよ。次走る時は俺が勝つ。だから…」
一呼吸おいて、
「また勝負しよう。だから次も全力で走ってくれ」
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『また勝負しよう。だから次も全力で走ってくれ』
この言葉を言われた時、あたしは返事ができないでいた。
頭の中がグルグル回ってる最中、彼は弥生ちゃんに呼ばれたのでここを去っていった。
彼がいなくなってからあたしは落ち着きを取り戻す。
それと同時に先ほど言われた言葉を思い出し、心拍数が上がっていくのがわかる
「はぁ…」
興奮が冷め止まない。
心臓がドキドキしてる。
あんなことを言われたのは初めてだ。
告白されたわけでもないのだが、今のあたしには好きの二文字よりもよっぽど響く。
「なんでこんな…」
あたしは中学時代好きな人がいた。
同じ陸上部の人でとてもカッコ良くて優しく、足も早くて女子たちの間でもとびきり人気の人だった。
当時は誰かと付き合っているという噂もなかったし、同じ部活で話すことが多い分チャンスだとも思った。
友達にも相談したところ、応援もしてくれたので自信も持てた。
そして次の大会で1位を取ったら告白しようと思い、一層練習に励んだ。
振り向いてもらうために、隣にいても恥ずかしくないような存在になるために必死だった。
でもその努力が、全部無駄にした。
コンディションを万全に整え、挑んだ大会。
圧勝だった。
一位を取れたのはもちろん、その大会でも新記録となるほどのすごい結果を残した。
ただ、その新記録というのが、男子の記録をも抜いたものだったのだ。
同じ女子部員はもちろん、あたしの好きな人をも上回った記録で一瞬何が起こったのかわからなかった。
周りの女子たちはすごいと褒めてくれたのだが、男子はそうでもなかった。
それどころかなんだあいつ…とか、バケモノ…と言われた。
その中には、彼もいた。
それを言われた瞬間、あたしの中で冷めた感情が芽生えた。
『そんなものか』と。
思うような結果が出せなかったのはお前たちが努力をしてこなかったからだろう。
最善を尽くしたからこそ私はこの結果が出せている。
それなのに言うに事欠いてバケモノだと?
自分達の実力不足なのに人の努力を踏みにじるような言葉を吐くな!
ああ反吐が出る。
私はこんな奴を好きになっていたのか。
それからというもの、走るのが楽しくなくなっていた。
ちょっと本気を出せば男子の連中からバケモノと言われ、ちょっと手を抜けば先生に調子が悪いのかと言われ、女子たちからは同情の目を向けられたりと正直もううんざりだった。
その場にいることがいたたまれなくなり、あたしは部活を辞めた。
ただ走っていないと落ち着かないので、毎日朝方と夕方に走ることは欠かさなかった。
高校はあたしを知ってる人が誰もいないとこを選んだ。
自宅からは少し遠いが、お母さんはなにも言わずに受け止めてくれた。
元々おしゃべりだった私は友達作りに悩むことはなかったし、高校で一番最初になったお友達の水無月みなづき六海むつみちゃんに関しては知り合いのいない高校を選んだという話を聞き、親近感も持てた。
そしてその高校でも気になる人ができた。
睦月一夜。
先ほどまでこの場にいた、あたしをドキドキさせてくれた男子だ。
出会いは入学式後の自己紹介の時、関わるようになったのはいきなり出来上がったグループに属すようになってからだ。
あのグループは不思議だ。
個性的すぎる人物の集まりでなぜあたしがこの場にいることがわからなかった。
彼も否定はしつつもかなり個性的だと思う。
めんどくさそうにしながらも人の頼み事は大体断らないし、聞き上手なのかみんな彼に相談を持ちかけるし、師走ちゃんに至っては膝に乗っているくらいだ。
ついでに言えば私も相談に乗ってもらう一人だったりする。
中学のことから男子に対して偏見を持っていたことは否めない。
それでも彼の優しさは今までに感じたものとは違うと本能が訴えていた。
それもあるからさっきは口が滑りかけた。
中学時代のテンションが下がるだけの話をしようとした。
その時のあたしの態度に彼は絶対気付いていたが、素知らぬふりをしていた。
それに加えてさっきのあの言葉だ。
ああ、思い出すだけで口がにやける
ただ単純に嬉しかった。
男勝りな女でもいいんだって思えてしまった。
彼はただ純粋な気持ちで勿体無いと、次も全力でって言ってくれた。
彼の言葉があたしを救ってくれた。
彼といる空間が心地よかった。
そんな彼をあたしは…
「好き、なんだなぁ、もう…」
顔がにやけるので思わず手で顔を隠してしまう。
誰もいないのに何をやっているんだか。
でも、好きになってしまったんなら仕方ない
「負けない。走りも恋も負けないんだから…」
ライバルはいっぱいいる。
特に弥生ちゃん、あれは強敵だ。
時間はかかってもあたしに振り向いてくれるよう、あたしにできることをやるまでだ。
そう決意を固め、この場を移動することにした。
後悔しないためにもー
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