世界を救うためのたった一つの方法

大河

唯一の方法は

「……嬉しい。俺も君のことが好きだ。付き合おう」


 とある高等学校。夕暮れの屋上にて生徒の影が二つ観測された。

 うち一人は女子生徒。さらさらと流れるような長髪が特徴的で、可愛いというよりも美しいという表現が似合う女の子。口元を押さえて、今すぐにでも泣きそうに目元に涙を溜めている。

 もう一人は男子生徒。元気さを表すように日に焼けた肌、細身だが貧相ではない筋肉質な身体。普段は快活な笑みを見せる表情は、しかし現在、普段とは異なり恥ずかしげに頬を染めている。

 少女は少年に告白した。内に秘めていた想いを告げ、答えを待っていた。そして少年は少女の告白に応じ、二人は無事付き合うことになったのである。




 ……から、遡ること五分。

 高校屋上から遥か上空三千メートル地点、怪しげに浮かぶ飛行船。内部にはさらに怪しい風貌の男たち。すなわち彼らこそ、未来観測機関と呼ばれる組織の上層メンバーだ。

 高い技術力を誇る某国政府はネットワーク上のあらゆる情報を収集、解析することで五年以内の高精度未来予測を実現していた。そうなれば不都合な展開を排したいと考えるのは人の性であり、結果として未来観測機関が発足された。つまり機関の目的は、政府にとって不都合な未来を形作る原因を調査・排除することとなる。

 そんな組織のトップ連中が一堂に会している。これほどの異常事態が他にあろうか、いや、ないはずだ。

 未来形成の原因は数多く存在している。通常、機関は原因ごとにチームを分け、各々に動き、対処している。それがこうして一か所に集まっている、否、集まらざるを得なくなっている理由は一つ。悪しき未来を確定させてしまう根本原因がこれから発生しようとしているからだ。

 五分後に起きる事象を解決に導かなければ、あらゆる行動が意味を成さない。すべては悪しき未来に沈んでいってしまう。

 もう少し具体的に言うと、


「もっと早く気付けなかったのか――という反省は後だ」


 未来観測機関の長、ライエが重苦しい雰囲気を破るように声をあげた。


「目的を確認する! トリーマ!」

「はい」


 トリーマと呼ばれた男が応じ、立ち上がりながら要項を述べていく。


「我々の目的は『嵐野奏あらしの かなで』十七歳女性の告白を成功させることとなります。彼女の告白対象者である『古賀直二こが なおじ』の脳神経系にアクセス、嗜好を制御し、嵐野奏が彼の好みどストライク女子であると錯覚させることで告白を受け入れさせます」


 飛行船内のモニターに二人の高校生が映し出される。

 屋上で佇む長髪の女子高生が嵐野奏。

 廊下を歩く快活そうな男子高生が古賀直二である。

 政府によれば、地球人類は三年以内に最少存続可能個体数を割るとの未来が予測された。急激に個体数が減ってしまう原因を調査すると、嵐野奏という人間が影響しているとの結論が導出された。未来の彼女は類まれなるカリスマを発揮し、各国で人々を扇動、テロを引き起こすことになるのだ。

 だが、だからといって嵐野奏を捕らえることを機関は許されてはいない。あくまで予測は予測でしかない。現時点の嵐野奏は何の罪もない一般的な女子高生だ。未来で罪を犯すことを前提にした拘束は、現行法に従う限り不可能だった。

 故に、機関ができることは、更なる原因を辿ること。一介の女子高生であったはずの嵐野奏がテロリストとしての活動を開始するに至る根本原因を探り、探り、探った末にようやく特定した。

 嵐野奏は、好きな相手から振られたストレスで凶行に走る。

 つまり、これから五分後、高等学校の屋上で。嵐野奏は古賀直二に告白し――恋人関係となることを断られるのである。


「行動準備! ジュン! ジッコ!」

「問題なしっすよ~」

「いつでもいけます~」


 命令された二人が気の抜けた声で答える。異常なパラメータはない、すべての用意はできている、と自信たっぷりに。


「後はライエさんがボタン押すだけっす~」

「よし! では予定通り、古賀直二が屋上に来た時点で作戦を実行する」


 嗜好の制御は時間と共に効果が減少してしまう。できるだけ直前に嗜好制御を実行することが告白成功の鍵だ。

 機関メンバーはモニターで高校生たちの様子を見守る。

 古賀直二は最上階の廊下を移動し終え、階段を上り始めたところだった。屋上到達の時が迫る。

 ライエはボタンを持つ手が震えていることに気付く。ほんの僅かに、ではあるが緊張しているのだ。彼はこれまでも多くの危機的状況に立たされながら、なんとかそれらを処理し、切り抜けてきた。未来観測機関の長として、様々な局面で辛うじて立ち回ってきた。そんな彼でさえ、この時を迎えるにあたっては酷く緊張している。

 当然ではある。

 人類の滅亡が自分の手に掛かっている状況など、誰だって未経験だ。

 未来観測機関に配属されてからこれまで、ライエが対処してきた不都合な未来はそこまで壮大なものではなかった。たとえば政府の抱える不祥事が残らず明るみに出てしまうとか、新たな病気に対する初動が遅れて国内全域に病が蔓延してしまうとか、確かに規模は大きくとも自国に収まる程度の問題でしかなかった。

 それが、今回は人類の滅亡である。担当案件の影響がいきなり人類全体にまで膨れ上がってしまった。緊張しない方がおかしい。


「…………。ハァ、ッ……」


 呼吸が乱れる。集中力が乱れている。ボタンを押す、という誰でもできるような行動なのに、自信が失われていく。それでもボタンは手放さない。告白の成功を確認するまで、ライエは不安も安心もしていられないのだ。

 モニターを注視する。

 古賀直二が屋上への階段を上り切った。鉄製の重い扉を開く。少年の前には、待ちわびたような表情の嵐野奏が立っている。


「今だ――!」


 ライエはボタンを押す。

 震える手で、確かに押した。押した感触があった。間違いなく押下した。きちんと押せたことに安心する間もなく、ジュンが「ライエさん!」と叫ぶ。


「どうした!」

「古賀直二の脳にアクセスできません! 何者かの妨害を受けてるっす!」

「……ッ! ジンボ!」


 ライエの判断は早かった。

 今まで会話に参加していなかった大柄の男――ジンボはライエに呼ばれるや否や、無言で飛行船から飛び降りた。パラシュートも付けずに空中を落ちていく彼の速度は一瞬で時速三百キロメートルに達し、一分も経たないうち地表に迫る。

 機関メンバーは祈るようにしてモニターを注目する。

 嵐野奏は古賀直二の目をまっすぐに見つめて自分の想いを吐露していた。今まで何を考えていたか、何が切欠だったのか。過去を振り返り、思い出を振り返り、告白という青春の一ページを丁寧に演出していた。

 そんな演出も終わりを迎え、嵐野奏が自分の胸に手を当てる。


「つまり。私は――」


 次の瞬間。

 轟音、暴風。校庭で土煙が上がる。


 校庭にジンボが到達したのだ。両足できちんと着地できているかは定かでないが、とりあえず地面に着いたのは間違いない。蓄積されたエネルギーが衝撃へと変換され、落下地点である校庭はまるで爆撃でも受けたかのような惨状だ。

 告白が中断され、屋上の高校生二人は何が起きたのかと校庭に視線を向ける。しばらく眺めていると教師や生徒、近隣住人まで土煙の晴れない校庭に集まり始めた。


「……こほん」


 咳払いでリセット。嵐野奏は告白を再開しようとする。


「ッ……ジッコ! ジュン! まだ嗜好制御はできないのか!」

「まだですね~」

「妨害原因物の座標は送ってあるので、後はジンボさん次第っす」


 校庭の映像にはいまだ動きが見られない。「ジンボ……! 頼む……!」というライエの声はすっかり震えてしまっていた。

 直後、まるでその声に呼応したかのように、猛烈な風が巻き起こった。土煙を吹き飛ばして現れたジンボは、転移でもしたかのような速度で校庭を駆け抜け、校内を疾駆すると妨害電波を発している機械を殴って破壊した。


「今だ!」

「古賀直二の脳にアクセス……オーケー。嗜好を変化させます~」


 嗜好制御を行うと同時、


「君のことが好きです。私と、付き合って下さい!」


 嵐野奏が告白した。






 …………。

 結果は、皆さんもご存知のように。

 緊張の糸が切れたライエは涙を零し、トリーマは眼鏡を外して汗を拭う。ジュンとジッコはにへらと気の抜けた顔で微笑み、ジンボは生徒たちに見つからないよう逃走を開始した。

 これにて世界は救われた。

 嵐野奏がテロリストとなって人類を滅亡させる未来は回避された――とりあえず。


 ……とりあえず、である。

 こちらも先に説明した通り、嗜好制御は一時的なものだ。時間と共に効果は薄れていく。時間が経つほどに、嵐野奏は古賀直二のタイプではなくなっていく。

 つまり、今後幾度となく破局の危機が訪れ、その度に未来観測機関は必死に二人の関係を維持しなければならなくなるのだが――それはまた別のお話。



 ――これは、世界を救う為に奮闘する男たちと、それをまったく気にも留めず青春する少年少女の物語――。

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