ランドセルを池に投げたら

小林 梟鸚

***

 私は今日、同級生を死なせた。

 死んだのは、私が友達2人といつもいじめてた同じクラスの男子。4年生の時に引っ越してきて同じクラスになったんだけど、そいつはデブでグズなので、見てるだけでイライラした。だから私達3人でいじめてたんだ。私達がいじめると、そいつはいつも恨めしそうな目でこちらをにらんでくるんだけど、結局反撃も出来なくて私達にされるがまま。そのうじうじした態度がまた実に不愉快で、もっと端的に言えばキモかったので、私達のいじめはますますエスカレートしていった。3人で寄ってたかって袋叩きにした事もあった。あいつったら、女子に蹴られても全く抵抗もせずに、その場にうずくまって、ただただ「痛い、痛い」って情けない悲鳴を上げるだけで、本当にグズそのもので、やっぱり見ててイライラする。だからもっと蹴る。やっぱりあいつはうめき声を上げるだけ。そのうち私達もちょっと疲れて来たので、最後に私の友達二人があいつの両腕を掴んで無理矢理あいつを立たせて、私はあいつの腹部に思いっきり蹴りを入れてやった。脂肪が分厚くていまいちダメージが入ったような手ごたえは無かったけど、あいつは「ぶぉえっ!」なんて豚みたいな悲鳴を上げてその場にうずくまって泣き出しちゃって、その時には時間もだいぶ遅くて空も暗くなりかけてて私達もそろそろ家に帰りたかったので、そのまま解放してやった。私が死なせたのは、そんな感じのデブでグズな同級生の男子。

 死なせたと言っても、もちろん殺意があってそうした訳じゃ無い。あんな奴、わざわざ殺す理由も無い。要するにあいつが死んだのは、たまたまちょっと運が悪かっただけというか、あいつが私達が思ってた以上にグズでバカだったというだけの話。具体的に言うと、私達が通っていた小学校の通学路には、途中にそこそこの大きさのため池があって、そこであいつは溺れ死んだの。それだけよ。え、もっと詳しく話せって?仕方ないわね。

私達3人組は下校中に、ため池のそばを1人でとぼとぼ歩いてるあいつをたまたま見つけた訳。ボロボロのランドセルを背負って、背中を丸めて、ヨタヨタと歩いてたあいつを。そこでいつも通り、私達はイラつきを感じたので、まず最初に私があいつの背中に豪快なドロップキックを食らわせてやった。不意打ちを食らったあいつは受け身も取れずに地面に倒れこんで、鼻から血をたらした。でもあいつはバカなので、どうも何が起こったのかわかってないようで、倒れたまま目をひん剥いて私達の顔を順番に見つめてるだけだった。私達の顔を見つめながらあいつは服の袖で鼻をこすった。鼻血と鼻水が混じったヌルヌルした液体が袖についた。汚らしい。私は心底ゾッとした。あまりにも生理的に不快だったので、いつものように乱暴する気にもなれずに、私達3人はどうしたものかとあいつを取り巻いて見下ろしてた。そしたらあいつは、いつもみたいに襲ってこない私達を前にして、どういう訳か背負ってたランドセルを肩から降ろして、その中をあさり始めたの。ランドセルの中に救急グッズでも入っていたのかしら?あいつはいつものどんくさい手つきで、ランドセルの中をガサガサゴソゴソとさぐってた。私達の存在を忘れてしまったかのように、必死な様子で。最初は私達もその様子を眺めてたんだけど、あいつはいつまでたっても目的の物を見つけられない様子で、延々とゴソゴソやってるもんだから、だんだんこちらもじれったくなって来た。そのうち私の友達の1人が、ついに我慢が出来なくなったのか、あいつからランドセルをサッと取り上げた!実に鮮やかな手つきで。そしたらあいつは、珍しく私達のやる事に抵抗の意思を示して、ランドセルを取り返そうとしてきた。いつもあいつは私達に何をされてもジッと耐えるだけだったので、これは正直ちょっと意外だった。だけどそれならそれでからかい甲斐があるというもので、私達は絶対にあいつにランドセルを返すまいと心に決めた。難しい事じゃ無かったわ。繰り返し言うけどあいつはグズな上にバカなので、ランドセルを持ってる人の方へ真っ直ぐ突っ込んでいくしか頭に無い訳。だから私達は、バスケでボールをパスする要領で3人でランドセルを回し合って、あいつを翻弄してやった。鼻血と鼻水を垂らしながら、右へ左へとあたふたと動き回るあいつの姿は、本当に見物だった。もちろん、イライラもしたけど。そんな事を暫く続けてるうちに、私の手元にランドセルが回って来た時、ふと例のため池が目に入った。考えるより先に身体が動いて、私はあいつのランドセルをため池の方に放り投げた。ランドセルの中には教科書やら何やらが沢山入っていたのでそこそこ重たかったけど、自分でもびっくりするくらい遠くまで飛んで、ため池の真ん中位の所に落ちて、そのまま水面で浮かんだ。で、ランドセルを池に投げて、それからどうしようかなんて事は全然私は考えて無かったんだけど、あいつは予想外の行動に出た。あいつは、池に飛び込んだ。ランドセルを追って。ただ、あいつはスポーツ全般がダメで泳ぎも大の苦手。しかも服を着てる。後先考えずため池に飛び込んだものの、そのままあいつは溺れてしまった。それでもランドセルを諦めずに、暫くは水中で手足をばたつかせてゴボゴボと泡を立てながらもがいてたけど、結局ランドセルの元へはたどり着けず、やがてあいつは沈んで、辺りは静かになった。

 私達は、その様子を並んで眺めてた。あいつが水中に消えて、周囲が静寂に包まれても、暫くはため池に浮かぶランドセルを3人で眺めてた。でもいつまでもそうしてる訳にもいかないので、私達は誰ともなく歩き出し、ため池から離れ、各々の家への帰途に就いた。あいつが死んだと聞かされたのは、翌朝の学校での臨時集会だった。昨日あいつは家に帰らず、家族が通学路を探しに行ったところ、ため池に浮かんでいるあいつを見つけたとの事だった。流石に私達も、あの時の目撃者でもいたら大変だ、この年で警察の世話になるなんて嫌だ!と肝を冷やしたものだが、どうやら事件を目撃した人はいなかったようだ。今回の件はただの不幸な事故として扱われ、私達3人は何らかの質問を受ける事すら無かった。あいつがいた席に飾られた花も、次の席替えの後には片付けられた。あんな奴、初めからいなかったかの様に、日常が帰って来た。私達も、あいつの事など、あっという間に忘れてしまった。




 その後、私の友達2人はどちらも転校してしまって、暫くはSNSでのやり取りとかもしてたんだけど、それもいつまでも続かずだんだん疎遠になっていった。私は6年生になり、その年度の冬に県外の進学校を受験し、合格した。私の小学校では中学受験をする生徒はほとんどおらず、私と同じ中学校に行く知り合いは誰もいなかった。でも私は、その事はあんまり心配していなかった。自分は社交的で明るい性格なので、新しい環境でもすぐに友達を作れるだろうと思っていた。自惚れとかでは無く、客観的に自分を評価して、そう確信してた。どちらかと言えば、新しい出会いが楽しみなくらいだった。

 そうこうしているうちに、小学生としての最期の1日が終わった。真冬の寒さはわずかに和らぎ、春が少しづつ近づいてきているのが感じられた。とは言ってもまだまだ寒い事には変わり無かったけど。そんな3学期の最終日。私は要領の良い子なので、荷物は数日前から計画的に自宅に持ち帰っていた。今日の私の荷物は、教科書の他には体操着だけ。それもランドセルに入れてしまえば、いつもの通学スタイルと何も変わらない。最終日に山みたいに荷物を抱えてヒイヒイ言いながら下校する様な無様は晒さない。小学生生活は最後までスマートに、つつがなく終わった。

 そういえば……。大量の荷物に押し潰されそうになってるまわりのグズな同級生を見て、私は突然過去の事を思い出した。そういえば昔、とびきりのグズがいたな。グズでデブで、見ているだけでイライラするあいつ。あの時以来、その存在すら忘れてたあいつ。でも、ひとたび思い出すと、次から次へとあいつの記憶が心の中に思い出されてきた。当時は私と友達2人とで、さんざんあいつをいじめたんだっけ。色々な事をしたなぁ。殴ったり蹴ったり、上履きを隠したり、遠足の時はあいつのお弁当の中身を地面にぶちまけてやった事もあったかしら。まぁ、あの時は私もまだ子供だった。中学生になったら、そんな子供みたいないじめはやめよう。また相手に死なれでもしたら、あの時は誰も見て無かったから良かったものの、一歩間違えれば私達が大変な事になってたかもしれないと思うとゾッとする。

 そんな事を考えながら、今、私はため池を通り過ぎた。そのため池こそが、あいつが死んだ場所だった。泳げもしないくせに池の中に飛び込んで、そのまま溺死したあいつ。何となく、軽い気持ちで、私は足を止めてため池の方を振り返った。

 そしたら、そこにあいつが立っていた。

 流石にこれには私も、心臓が喉から飛び出るかと思うほどビックリした。死人が立ってる!幽霊?!そんなバカな!だけどたしかにあいつが目の前にいる。見間違いなんかじゃない。私は非科学的なものは信じない。だけど、こうもハッキリと目に見えてしまっている以上、その存在を否定する事は出来なかった。しかし、これが幽霊だとして、私はどうしたらいい?逃げればいいのか、お経でも唱えればいいのか、それとも十字を切って神に祈る?心臓をバクバク言わせながら、私はあいつを凝視した。あの日とおんなじ姿だ。同じ服、袖に付いた鼻血、しかしランドセルは背負って無い。私が池に放り投げたから。そして生前と同じ様に、私の事を例の恨めしそうな目でにらんでいる。すっかり忘れてたあの目。でも、にらむだけでそれ以上何かをしてくるそぶりは無かった。私をにらみつけながら、猫背でその場に突っ立って動こうともしない。そうやって相手を観察しているうちに、私の方はだんだんと心臓の鼓動もゆっくりになって来て、最初の恐怖と驚愕が引いて来るのを感じた。改めて観察してみると、あいつにはどうにも幽霊っぽさが足りない。普通、幽霊と言えば、痩せこけた姿をしてるものだ。しかしあいつは、幽霊になっても相変わらずデブのまま。マンガや映画に出て来るような不気味な幽霊とは似ても似つかない。何と言うか、ぶっちゃけ全然怖くない!デブのグズは、幽霊になってもデブのグズでしかないのかしら?そう思うと、最初にあいつの姿を見てビックリしてしまった事がちょっと悔しい気すらしてきた。そこで私は、ため池の脇にバカみたいに突っ立ってるあいつに言ってやった。

「何よ?何か文句でもあるの?」

 あいつは何も答えなかった。やっぱり黙って、恨めしそうな目で私を睨んでくるだけ。幽霊になったからと言って、都合よく他人を呪い殺したりするような力が使えるようになるとは限らないのだろう、と私は思った。あいつはこの世に無念を残して、私達に恨みを抱いて死んだ。それであいつは幽霊になった。でも、それだけの事。結局あいつは、私達に復讐する力も根性も無いのよ。生前と同様に。それなら何も恐れる事は無い。私はちょっと変なものが見えてしまっただけで、その事は私の今後の人生に何ら影響を与えたりはしない。それに中学生になれば、電車通学なので、もうこのため池沿いの道を通る事も無いのだ。あいつはこれからもずっと、このため池のそばで、現世への恨みつらみを抱えたまま、でくの坊みたいに突っ立ってるのかしら?実にバカバカしい。いや本当に。だから私は、最後に一言、大声であいつに向かって言ってやった。

「バァーーーカ!!!」

 思いっきり罵ってやると、私の気持ちもスカッとした。幽霊なんてくだらない。そんなものがいようがいまいが、私には関係ない。私は今日で小学校を卒業して、来年度からは中学生。新しい生活、新しい友達。それに中学生になったら、制服を着れるんだ。制服って、何となく大人っぽくて憧れだった。新生活の事を考えると、今からウキウキしてくる。私には無限の未来がある。これこそ生者の特権ね。あいつとは違う。もうこれ以上あいつに構ってやる義理も無い。私は家へ帰ろうと振り向いた。すると、私の目の前に、巨大なトラックが猛スピードで突っ込んできた……。




 その日私は家に帰らず、家族が通学路を探しに行ったところ、ため池に浮かんでいる私を見つけたとの事だった。すぐに救急車が呼ばれ病院に搬送されたが、既に心拍も呼吸も止まっており、搬送先の病院で死亡が確認された。検死の結果、外傷はあるがそれは致命的では無く、肺に大量の水が溜まっていた事から、溺死が直接の死因であると判断された。私の葬式には、私の家族や小学校の友達がたくさん来てくれた。突然の不幸に、みんなが泣いていた。母親は、私の亡骸が入った棺に、私が着るはずだった中学校の制服を入れてくれた。なかなかにくい事をしてくれるな、と思った。やっぱり、制服を着てみたかったな、と、正直思う。こうなっては全ては虚しい願望だ。今回の事は、あいつが意図して引き起こしたのだろうか?それとも偶然なのだろうか?出来れば後者であって欲しい。人生の最期の最期で、あいつに一本取られたなんて事だけは、死んでも認めたくない。私は、そんなグズでは無いのだから。

 現場に散乱していた私の遺品は、集められて家族の元に届けられた。ただ、何故か私のランドセルだけは、どんなに探しても見つからなかったらしい。その代わりに、私が死んだため池では、誰の物かもわからないボロボロのランドセルが浮かんでいたらしい。え、そのランドセルに心当たりがあるんじゃないかって?私は知らないわよ。断じて、知らない。

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