第19話

 驚いたことに次の日、僕が予鈴ギリギリで教室に入ると、木村さんが自分の席に座っていた。昨日貰った薬が効いて、いきなり症状が良くなったなんていうことは無いだろう。しかし現に木村さんは出席して来ている。

 一時限目は国語だった。木村さんは授業中、机につっぷしてずっと寝ていた。これはかなり珍しい、というかありえない事だった。たしかに木村さんは、学校を気まぐれに休んだりはするものの、基本的には真面目な生徒なのだ。授業中は背筋を伸ばしてノートを取り、先生の質問にはしっかりと答える。成績だって悪くない。僕は無遅刻無欠席だが、情けないことにテストの成績は、ほとんど木村さんに負けている。

 一番前の席で木村さんは堂々と睡眠を取っていた。久しぶりに登校してきた木村さんに気兼ねもあるのだろう。国語の先生は大目に見てくれたようで、何も言わなかった。

 一時限目が終わって、僕は木村さんの席に近づく。授業中から引き続き、身動きもせずに寝息を立てている。ゆさぶって起こすわけにもいかない。あきらめて僕は自分の席に戻った。

 二時限目、三時限目、そしてついに四時限目まで。木村さんはずっと寝ていた。その間ほとんど体勢も変えず、よっぽど熟睡しているようだった。それぞれの教科の先生が、揃いも揃って木村さんの事をスルーするのが面白かった。今の彼女を起こすべきではない。それは誰の目にもあきらかだった。

「木村さん、木村さん? もうお昼休みだよ」

 いい加減このまま放って置くわけにも行かない。そして、声をかけるとしたらその役は当然僕だろう。肩をゆさぶって木村さんを起こした。

 目を半開きにして、極めて不快そうに木村さんが顔を上げた。

「……菅原君、今は寝かせて。あとで大事な話があるから。放課後にあの公園で待ってて」

 手短に話すと、木村さんはまた机につっぷして眠ってしまった。これはいったい……どういうことなのか。

 約束どおり僕は、放課後にまたバスケ部をさぼって、待ち合わせの公園に向かった。教室を出る時に、木村さんは自分の机でまだ寝ていた。恐ろしいことに五、六時限目も寝ていたのだ。せっかく久しぶりに学校に来たのに、ほとんど寝ていたという。学校に来ないよりは、いいことなのかもしれないが。

 無駄に僕が考えを巡らせていたら、ようやく木村さんの姿が公園に現れた。なんだか少し、フラフラして歩いている。お昼休みの時の、不快そうな表情とうって変わって、穏やかな表情だ。まだ少し眠そうではあるが。

 公園のベンチの、僕の横に座って、木村さんが大きく息を吐いた。

「ようやく目が覚めた? それとも、まだ眠い?」

 僕は言った。

「うん。もう大丈夫。気分爽快よ」

 木村さんが言った。

「昨日ね、家に帰った後、やっぱりすごい落ち込みが来たの。それで、今こそトンプクだ! って思って飲んでみたらね。……効いたよ」

 木村さんが言った。

「それは……本当によかったよ。どんな感じだったの?」

「あのね、心の中に、堤防みたいな物ができる感じ。絶望的な気持ちが、それ以上溢れないように、せき止めてくれるの。どこから出てくるのか、それがすごい力なの。わたしは目をつむって、堤防が流れをせき止める感触を、ずっと味わっていて。すごく幸せな気持ちだった。ああこれで、わたし生きていけるかも、って思った」

 そう言って、木村さんが僕の肩に頭をのせた。

「その事と、今日の学校での睡眠はなにか関係があるの? まあ、間違いなく関係ありそうだけど」

 僕は言った。

「そうなの。わたし、寝る前に睡眠薬も飲んでみたんだけど。ほら、トンプクの効果があまりに素晴らしくて嬉しかったから。つい、睡眠薬も多めに飲んじゃったの。どれだけぐっすり眠れるのか、心をトキメかせながらね。そしたらすごいのよ。布団に横になって、気がついたら朝になってました。起き上がろうとしても、体が布団に吸い付いているみたいなの。お前を離さない! みたいな感じで」

 木村さんが可笑しそうに笑った。

「危ないなあ。しかしまあ、よくそれで学校に来る気になったね」

 僕は言った。

「わたしが今まで感じていた、冷たい石のような絶望感に比べたら、そんな眠気なんて天国みたいなものよ。眠いから体を動かしたくないんだけど、嬉しい気持ちの方が断然大きかった。絶対に学校に行ってやろうって思ったの。菅原君に報告したかったし」

「学校では、全部寝てたけどね」

 僕が言って、二人で大笑いした。

「わたし分かるんだけど、これはある意味ぬか喜びなのよ。苦しみが消えたわけじゃないの。でも薬のおかげで、希望が持てたわ。これから、また落ち込むことは何度もあると思うけど、楽しいこともやる気が出てきました」

「例えば、デートとかね」

 僕は言った。

「うん。デートとかね」

 笑って、木村さんが言った。

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