第20話

 待合室に入って、木村さんが診察券を受付の女性に渡した。相変わらず殺風景な診療所だ。今日は病院デート三回目。初めてこの持田クリニックに来てから、今日でほぼ一ヶ月ぐらいになる。木村さんは薬との相性が良かったのか、かなり安定してきた。睡眠薬がよかったのよ、と木村さんが言った。

「猛烈に眠くなると、もう、何も考える余裕が無くなるの。頭のスイッチを切るみたいな感じ。パチン、ってスイッチを切ったら、いつの間にか朝になっているわけよ」

 恐くはないのか、と僕は聞いてみた。スイッチを切って眠るなんて、まるでロボットになったように、感じてしまわないだろうか。

「薬を飲んだら、思いのほか簡単に苦しみが取り除かれたでしょう。それは脅威よね。例えそれが一時的にだとしてもよ。だから薬はすごく恐いと思う」

 真面目な顔をして、木村さんが言った。

「でもね、薬のおかげで、すぐに絶望的になる自分の心が、好きになれそうな気もするのよ。これ、変かな? 薬に押さえつけられてる、不安定な私の心を応援するような気持ちがあるの。薬に負けないで! わたしの絶望的な心! って思ったりして。救いが無いわよね、私」

 木村さんが笑った。その笑顔を見て僕は、とても幸せな気持ちになった。


 僕らは、とりあえずは乗り越えたのかもしれない。木村さんは薬をうまく調整して飲むようになり、自分の生活のペースを取り戻しつつある。授業中に時々、頭がフラフラしていることがあるけれど、眠ってしまわないようにがんばっているみたいだ。深夜に時々電話がかかってきて、僕と長電話をしている。春休みになったら、デートを再開しようと二人で話した。病院デートじゃない、ちゃんとした普通のデートだ。

 三年生が卒業して行き、学校が少し静かになった。終業式を明日に控えて、今日は学年集会が予定されている。春休みに生徒たちが問題を起こさないように、生活指導の先生から、色々お達しがあるのだろう。

 視聴覚室に、二年生の六クラス、全員が集められた。座る場所は自由ということで、僕は最前列に座った。みんな後ろの方に座りたがるので、前の方が空いているのだ。そうしたら木村さんが、僕の横に腰掛けた。相変わらず僕らはうわさの二人なのに。僕はかまわないけれど、木村さんは大丈夫なのか。

 最初にプリントが配られた。「ドラッグには手をださない!」と大きく書いてある。まあ、当たり前のことだ。

「ドラッグに、手を出してしまいました……」

 木村さんが悲しそうに、つぶやくように言った。僕は吹き出してしまった。それが最前列だから目立つ。生活指導の川田先生に睨まれてしまった。

 生徒会からの連絡、と言うものもあり、聡美ちゃんが壇上に立って、少し話をした。春休みの間も学生の本分を忘れずに、勉学、スポーツに励みましょうみたいな、これも当たり前の話だ。恐らく聡美ちゃんは、来年度も生徒会に入るだろう。成績もトップクラスだし、学年の代表のような立場だ。僕の幼馴染はなぜこんなに優秀なのだろう。そしてなぜ僕は……まあいいか。

 来年度は慎ちゃんと聡美ちゃん、どちらが生徒会長になるのだろうか。他に対抗馬が来たとしても、ほぼこの二人の戦いになると思われる。慎ちゃんは聡美ちゃんと戦うことに、抵抗は無いのだろうか。そもそも二人は、結ばれることがあるのだろうか……。

 無駄な事を考えていたら、いつの間にか生活指導の川田先生が、壇上でなにか、ヒステリックに話をしている。小柄な女性の先生だが、怒りのオーラが発揮されていて、かなり迫力がある。しかも時々、僕の方にチラチラ視線を向けてくる。どうやら、学生間の恋愛について先生は話しているようだった。

 わたしは決して恋愛を否定しません、と言いながら、その後に全面否定するようなことを並べている。高校生の時代には、その時にしか出来ない、大切なことがあるのですよ、と声を荒げて川田先生は言う。それもそうだな、と僕も思った。

 最近、恋愛に夢中になって、学生本来のやるべきことを忘れてしまっている生徒がいます、と先生が僕の顔を見ながら言った。ここまであからさまだと、もう喜劇のようだ。木村さんにキスでもしてやろうか。そう思って横を見たら、木村さんは小さく頷きながら、熱心に川田先生の話を聞いている。自分が槍玉に上げられているとは、夢にも思っていないようだ。

 そして川田先生の熱弁が終わった。聞いていたみんなは、やれやれと言った感じだが、話が終わった瞬間に木村さんが一人、盛大に拍手をした。これは見ようによっては、ものすごい皮肉だ。もちろん木村さんに悪意は無い。しかし川田先生が怒りで爆発しそうになっている。後で呼び出しを食らうかな、と僕は思った。先生の誤解を解くのがものすごく大変そうだ。今から頭が痛くなってきた。横では拍手を終えた木村さんがニコニコしている。……美しいな。

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