第10話

 バスケットボールのロングシュートと言うものは不思議なもので、その成功率は微妙なさじ加減で変わってくる。もちろん、練習をたくさんしなければ成功率は上がらない。しかし、それ以外の要因も結構重要に関わってくる。

 体調が良ければ上手く行くというような、単純な話ではない。むしろ、体調が良すぎて感覚が変わってしまい、ことごとくシュートを外す場合もある。練習で全く決まらなかったのに、試合が始まって一発決めた途端、その後はスパスパ決まる時もある。だからロングシュートは面白い。自分の体の状態を探りながら、微調整して行く。相変わらず僕は、ロングシュートの練習ばかりしている。

 最近、僕のロングシュートの成功率が、かなり高まっている。理由は良く分からない。

「彼女が出来たせいだろ」

と慎ちゃんが言っていた。

「それは普通、逆効果なんじゃない?」

と僕が言うと、

「スガは普通じゃないからな」

と、慎ちゃんが深く頷きながら言っていた。

 僕は自分を、けっこう普通だと思っているのだが。


 秋はデートの季節。そんなことを言うと、また慎ちゃんが暴れだしそうだが、僕と木村さんはたくさんデートをした。バスケ部の休みに合わせて、放課後や休日、どこへ行くともなしに、僕らはいつものように散歩をした。木村さんがスケッチブックを取り出して、時間をかけて絵を描いている。僕はそれを横でずっと眺めている。それだけで楽しかった。

 11月の末。今日は木村さんのお気に入り、荒川の土手沿いの道を歩いている。木枯らしが吹いて空気が冷たい。土手の風景はさみしくて、必要以上に寒さを感じる。木村さんが手袋をはずして鉛筆を握り、草の上に腰を下ろした。こんなところでスケッチしてたら、風邪を引いてしまいそうだが。まあ、木村さんはそういうのは気にしないだろう。

 木村さんは土手の風景をきれいにスケッチした。川には豪華客船が泊まっている。もちろん、実際には豪華客船なんて無いので、この部分は木村さんの創作だ。

 川べりから長い階段を伝って、豪華客船に次々と人が乗り込んでいる。船の上はぎゅうぎゅう詰めになっており、船の端っこから人が、冷たい川へこぼれ落ちている。その小さな人達を、木村さんは淀みなく、丁寧に描き続けた。まるで目の前に見えているみたいに、視線を川とスケッチブックに行き来させながら。

 ようやく鉛筆が止まって、木村さんが大きく息を吐いた。僕の体は芯から冷えている。一方木村さんは、全く寒そうにしていない。集中していたからだと思う。残酷だけど、とても面白い絵が出来上がった。 

「わたしね、菅原君と付き合ってほんとに良かった。今まで、本当にありがとう」

 スケッチブックを閉じて、木村さんが言った。

「まるで、お別れの言葉みたいだな。木村さん、僕を捨てないで」

 ふざけて僕は言った。しかし、木村さんの顔を見てギョッとした。目に涙がいっぱい溜まっている。

「ちょっと待った。どうしたの? なにか、問題があった?」

 僕が言うと、木村さんが激しく左右にかぶりを振った。頬っぺたに涙がこぼれ落ちる。

「問題は何もないの。あの、菅原君に問題は、何も」

 涙をこぼしながら、木村さんが言った。

「付き合い始めて、わたし、すごく楽しかったけど、それと同時に、だんだん怖くなってきたの。自分の世界が、外に開かれて行くでしょう。そのドキドキした感じに、慣れることが出来ると思ったのよ。でもね、今は、そのドキドキが苦しいの。わたし、人と付き合う資格なんてなかった」

 次々と溢れてくる涙も拭かず、木村さんがしゃくりあげながら必死で言った。

「それは……いつ頃から? もしかして、最初からずっとだった?」

「ごめんね……ごめんなさい。わたしね、元々、すごく調子が悪くなることがあるの。一人で引きこもってしまうのよ。わたし、デートの間はほんとに楽しかった。でもね、家に帰って一人になると、すごく心が落ち着かなくなって。最近は、本当に呼吸が苦しくなったりして。ごめんね。わたしが変なのよ。でも、どうしようもないの」

 ごめんなさい、と木村さんが繰り返して言う。そんなに辛い思いをしていたとは。どうして僕は、気が付かなかったんだろう。

「……それで、木村さんはどうしたい? 僕は木村さんのことが大好きだし、絶対に別れたくない。木村さんは、僕と……別れたい?」

「わかれたくないよぅ……」

 絞り出すように木村さんが声を出した。俯いている木村さんの頭を、僕は抱きかかえるようにした。長い間土手に座っていたせいで、体がすごく冷たくなっている。涙に濡れた木村さんの頬に、僕の頬をくっつける。体温がじんわりと温かく伝わってきた。

「僕の方こそ、ごめん。木村さんは、自分のことを変だと言ったけど、僕はその変な木村さんが好きなんだよ。だから、僕が気が付かなければならなかったと思う。たぶん、僕があせりすぎたよ。少し、ペースを落とそう。木村さんがまた落ち着いて、僕とお散歩をする準備が出来たら、またデートをしようよ。僕はいつまでも待ってるから」

 木村さんを抱き締めたまま、僕は言った。

「菅原君はそれでいいの? すごく、時間がかかるかもよ」

 くぐもった声で、木村さんが言った。

「大丈夫だよ」  

 僕は言った。

「ありがとう……ごめんなさい」

 木村さんがそう言って、また少し泣いた。その間僕は、ずっと木村さんを抱きしめていた。

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