第5話 夏休み

 中学生になって初めての夏休みが始まった。学校に行かないのと、レスリング教室が平日も午後1時からになったこと以外は、とくに変わったことはないんだけど。

 そういやガッくんは期末試験の成績が悪くて、夏休みの宿題とは別に親から渡されたドリルをひぃひぃ言いながらやってる。なぜか家庭教師は僕。ガッくん母さんからの命令だ。

「ナオが勉強すっから俺がとばっちりを食うんじゃねぇか。もう勉強すんな!」

 なんてワケのわかんない愚痴をこぼしながら、一応は従順に勉強している。理数系はまあまあなんだけど現国や社会、とくに英語は壊滅状態。

「ガッくんなんてさ、国際試合とかで外国に行くかもじゃん。英語ぐらい喋れないと恥ずかしいぜ」

 ってやる気を起こさせようとしても、

「ナオに通訳してもらうからいい」

 マジ僕は嫁か!? もうガッくんにつける薬はないかも。

 夏休みになってから一週間が経つけど、やることは同じことの繰り返し。どっちかの家(最近はもっぱら「基地」)で午前中に勉強をして、早めのお昼を食べてからレスリング教室へ。終わると帰宅し、シャワーを浴びてから一緒に遊ぶ。こんな毎日だ。

 何をして遊んでるかだって? ここは田舎だから、カラオケに行ったりショッピングセンターをうろついたりなんてムリ。スポーツやってるのに意外かもだけど、二人でゲームをやったりDVDを観たりすることが多いかな。カウチポテトのアスリートです、はい。

 あ、そうだ。夏休みの目標で、裏山にふたつ目の基地を作ってるんだった。ホントはテレビで観たツリー・ハウスが作りたかったんだけど、ガッくん母さんに、

「危ないからダメよ!」

 って禁止されちゃった。

 仕方ないので、山の中腹にある椎茸小屋を古材で改造している。10畳ぐらいの広さはあるし屋根もしっかりしているから、あとは透け透けの壁をどうにかすればキャンプができるぐらいにはなるはず。でも材料を下の納屋から運び上げるのが重労働なんだよな。筋トレにはなるんだけど、片道15分の急坂を行き来するのはちょっとキツすぎ。

 疲れ果てて、日の落ちた母屋の縁側でうたた寝をするのが大好きだ。軒先では柴の老犬クロが長々と寝そべっていて、いびきをかきながら眠っている。じきに三毛猫のダンゴと茶トラのジンベエがやってきて僕らに寄り添って寝転ぶ。畑を渡る夕方の風に乗って聞こえるニイニイゼミの鳴き声は、昼間の暑苦しさとは違って耳に心地いい。そのうちガッくん母さんが、

「ご飯よ、起きなさい」

 って起こしてくれる。

 ガッくん母さんの食事はボリューム満点で美味い。僕の母さんの料理も美味しいんだけど、職業柄なのか食材やら栄養やらにうるさくて時々、なんだか物足りないときがある。その点、ガッくん母さんのはアスリート向けの肉中心なのが嬉しい。メインは、ほぼ鶏肉料理。ご近所の養鶏場から格安で美味しい鶏肉が手に入るからだ。

「高タンパクで低脂肪な鶏肉は、レスラーには最高の食材なんだぞ」

 ってコーチも言ってたっけ。クエン酸の入った飲み物を一緒に摂ると激しい運動の疲れを軽減できるって知ってた? ガッくん母さんはそれを知ってから、お茶の代わりにはちみつレモンにクエン酸を加えた特製ドリンクを添えてくれるようになった。初めはスゴく酸っぱく感じたんだけど、今ではこれがないと物足りないぐらい気に入っている。

 食事が済むとお風呂に入る。家族風呂みたいな大きさなので2人で入る。ガッくん兄ちゃんが帰省してるときは3人で入る。そのぐらい風呂場が大きいんだ。

 風呂から上がると、居間でゴロゴロしながらテレビを観たり、ガッくん母さんとお喋りしたり、ガッくん父さんの将棋の相手をしたりして過ごす。そして「おやすみなさい」を言って9時ぐらいに基地に引き上げる。

 普段なら寝るまでは勉強タイムなんだけど、夏休みは自由時間。初めは浮かれて遊んで過ごしたんだけど、数日したら手持ち無沙汰になっちゃった。そしたらガッくんが、

「ナオ、寝る前に一勝負しようぜ」

 なんてことを言い出した。

「なに言ってんの。せっかく風呂に入ったたのに汗だくになるのなんてイヤだよ」

 と、呆れて拒否ると、

「川に入ればいいじゃん」

 って、ケロっと言うんだ。

「ガッくん母さんたちに叱られちゃうよ。夜はマムシが出るから遊ぶなって言われたじゃん」

「マムシなんて草むらのない開けた場所には出ねぇよ。俺、ここに移ってからしょっちゅう夜中に水浴びしてんだ」

 たしかに基地にはエアコンがない。窓が開いていても風が止まれば、やっぱり暑い。水浴びしたあとで寝たら気持ちよく眠れるかも。

 ガッくんの指導を受けると本当に強くなれるし。それに、なんかいつもよりもガッくんがしつこいし。面倒くさくなったこともあって僕はOKした。

 ニンマリしたガッくんは

「ちょっと待って」

 と言って布団と衣装ダンスの積まれた暗がりに消え、しばらくガサゴソして戻ってくると、手に持っていたものをポンと僕に投げてよこした。

 それは大小2着のシングレットだった。広げてみると年季が入ったローカットのもので、胸のところに教室で通っている高校の名前が入っている。

 シングレットは昔は吊りパンって呼ばれていたそうなんだけど、こうして本物を見ると確かに吊りパンだよね。ローカットというのはシングレットの昔の形で、短パンにズボン吊りをつけたみたいな露出度の高いデザインだ。

 よく覚えてないんだけど、写真を見ると僕も小1ぐらいまではローカットを使っていたんだよね。今では、中学生以上の大会だと規則で使えない。イスラム教の国の人たちが肌を晒すのを嫌がって今のになったってコーチから聞いたような気がするんだけど、ホントかどうかは分からない。たしかに今のシングレットだって十分ダサいのに、ローカットは昭和っぽくてもっとダサいと思う。

「これ、どうしたの?」

「兄ちゃんのだよ。兄ちゃんがこれ着てたの、ナオは覚えてない?」

 ガッくん兄ちゃんはインハイで5位入賞を果たした僕らの大先輩だ。

「試合の応援に行ったのは覚えてるけど、なにを着ていたかまでは…」

「俺、あの姿に憧れてレスリングを始めたようなもんだから、これ着てみたかったんだ」

 と、もうTシャツとハーパンを脱ぎ捨ててシングレットを穿き始めている。ガッくんは、とにかく行動が早い。つられて僕も着替える。

 吊りの部分はゆるゆるで脱げそうだけど、腰の辺りはちゃんとフィットしている。本当の試合じゃなければ問題ない程度…。なことないな、たぶんずり落ちちゃう。でも、ぜんぶ脱げちゃうようなことはあり得ない。シングレットは伸び縮みするから、ワンサイズぐらいならどうにか使えるもんなんだ。

「あはは、やっぱナオにはちょっと大きいのな。なんかスゲぇ可愛い」

 そう言われて急に耳の先まで火照るのが分かる。太腿の付け根まで丸見えで恥ずかしくなっていたのに、おまけにそんなことを言われるなんて。

「やっぱイヤだ。これ着んの、ガッくんだけにすれば?」

 そう言って脱ごうとしたときだった。ガッくんが両足タックルをかけてきて、僕はカーペットに倒れ込んだ。

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