第3話 屏風の部屋
『
わが家の、タブーって奴になってましたよ。
もとから家のはずれの一角で、普段はべつに入ることもなくて、
まあ、だからこそ屏風をしまう場所にしたわけですけど。
祖父も祖母も、もう絶対に入らない。父も母も、まあ、絶対ってこともないけど、あんまり入らない。
とくに暗くなってからは、何かあの部屋に入り用なものがあったときでも「取ってくるのは明日にしよう」みたいな態度で。
当然、天井には蛍光灯がついてるんだから、スイッチ入れたら明るくなるんですけど、それでも入りたくない。そんな感じなんですね。
もともと母の家の屏風なんだから、母は平気なんじゃないかって言うと、これがそうでもない感じでしたよ。
祖母、これは母のほうの、ですけど、その人から聞いた話だと、もともとそんな古い屏風を嫁入り道具にするのを、母は嫌がってたみたいでして。
そりゃそうでしょうね。嫁に来たのは、今から見りゃずいぶん若い、まだ25歳。
そんな若い娘が、今の世の中、まあ、せいぜい20なん年前、家宝だってそんな古めかしい道具を持たされて、喜ぶはずもないですよね。
あれはいつだったかな。祖母がまだ生きてた頃の話だから――そう、私がまだ幼稚園あたりのころだった。
祖父の知り合いの人がうちに来ることになりまして。
ほら、古い家ですからね。お迎えする作法やらなんやら、うるさくって。
食器とかもね、一番いいの出さなきゃいけない。あれ、あれですよ。お酒飲むやつ。そう、サカズキ。
いちばんいいサカズキがね、いくら探しても見つからない。
母と祖母と、あと家で働いてくれてた島田さんって人と、三人がかりで探して見つからない。
もう冬でしたからね。冬の夕方。うす暗くなってくるし。
そろそろ晩ごはんの支度はじめなくちゃいけないから、祖母は台所はいっちゃって。島田さんは自分ちの支度があるから帰っちゃうし。
その時にね、思い出したらしいんですよ、母が。
そのサカズキ、正月のあとに、何かの拍子であの部屋に放り込んだんだって。ずっとそのままだったって。
ええ、そうです。あの『屏風の部屋』です。
私? そのときですか。居間にいましたね。
テレビ見てたんですよ。そう、子供むけ番組。『ポギマくん』ってやつ。
あ、観てました? あれ。今にして思えば、あれも何だかブキミな番組でしたよねぇ。
こたつに入ってテレビに夢中になってると、いきなり大きな音がしたんですよ。
どたどたどたどた、ってね。
そう、廊下を走る音です。
走るってったって、大人が走る音ですよ。
しかもね、小走りなんてもんじゃない。全力で走る音。
自分とか、遊びにきた友達が廊下を走る音とは比べ物になりません。
古い
ぎょっとしましたよ。その場に凍りついた。テレビのことなんて一瞬で頭から抜けました。
背中がこう、ずっ、としてね。
本で読んだ「背すじが寒くなる」ってのはこういう意味だったんだなと、それだけが頭に浮かびました。
いやもう、なにか怖い大人の人が、その、害意といいますか、悪いことしに襲ってきたんだと、そうとしか思えなかったんです。
まあ、古い家だったからですかね。両親も、祖父も祖母も、家のなかで走るなんてこと、まずなかったですし。
少なくとも、あんなすごい勢いで走ってくるなんてことはなかった。
家族のだれかの足音であるはずがない。お客かなにかとも思えない。
夕ぐれにまぎれて、だれかがこっそり家に入ってきたに違いないと。
そりゃ当然、子供なりに、泥棒か、誘拐犯か、まあ良からぬ人間だろうと、思いますよね。
ですからね。
ふすまが、こう、ばんっ、て開いた。暗くて寒い廊下がぽっかり口を開けた。
その瞬間にもう、泣きだしちゃいまして。
母はあわてて箱を横において、どうしたの、って抱きあげて
ええ、そうだったんです。
廊下を走ってきたのは母だったんですよ。
それを知って、一層、怖くなったんだと思います。
母に抱かれても、慰められても、いっこうに泣きやむことができなかった。
母が、あんな勢いで家の中を、廊下をつっ走ってくるなんて、とても信じられなかった。
これは本当にお母さんなんだろうか、そんな気さえしてたんですね。
暗いから、ちょっと怖くなって早足になっちゃったの。
驚かせちゃって、ごめんね。
そう言われても、いえ、そう言われてなおさらですね、
母のあたたかい腕のなかに、なにか冷たい、不気味なものが忍びこんでくるような気がしてですね。
大人が怖くなる、なんて、小さな子供にしてみれば、それ自体が異様な話ですし。
大人がそんな振る舞いをすることも怖いし、そんな、大人を怖がらせるようなものが家の中にあるのか、と思うとそれも怖い。
母の足音と、私の泣き声とで、祖母まですっとんで来ましてね。
母の話を聞くと、言ったんですよ。
まあ、仕方ないわねえ。あの『屏風の部屋』じゃ。
それで終わりです。母をとがめるような様子はまったく無くって。
ああ、お祖母ちゃんも怖いんだ、って。
これだけ歳をとってて、お母さんより長く、お家の仕事をしてるお祖母ちゃんさえ怖いんだ、って。
あの『屏風の部屋』が。
そう、はっきり思いましたよ。
そんなわけでね、小学校に入るころにはすっかり染みついてました。
『屏風の部屋』への恐怖感が。
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