第47話 不和

「ごめん……」


 ハルはテーブルに額をつけて、意気消沈した体で謝罪の声を上げていた。

「ごめん。おれ、失敗した」


 会合の席に残ったグンジとオキ、ナギに向けて。


「みんなが周到に、慎重に根回しして、あの人たちの協力を取り付けてくれたのに……ぶち壊しだね」


 散会の時のあの雰囲気を思い出して。

 あの場にいたのは、子供たちの奪還以外の「戦果」を期待していた代表者たちばかりではない。全面的に協力の体制を取ってくれていた村の代表者たちに対しても。ハルは一度、計画中止の可能性を――敵対する者がいるなら、すべてを白紙に戻すという意志を――見せつけてしまったのだ。

 「やめる」などと、思い余ってでも口にするべきではなかった。

 彼らは持てる限りの力を割いて、ハルの持ってきた「計画」に賛同してくれる意思を見せていたのだから。


「……ほんと、ごめん」


「そんなに気にするな」

 と。突っ伏したハルの上に、温かい声が落ちてくる。グンジの大きな手が頭に載せられた。


「あんたは間違ったことは言ってない。みなも、一応は納得したのじゃないか? ハルがどうしたって、子供らを村に取り戻そうとしてくれているんだってことを」


「おお、そうよ」

 テーブルに向かって腕を組んで、オキも頷く。


「これでまだああだこうだって言ってくるヤツがいるんだったら、そいつを切ったほうがいいと思うぜ? 危ねえヤツに釘を刺しとく、いい機会になったさ」


「ああ。言っただろう? 村々への根回しは任せろと」

 対面に座ったナギが、椅子に踏ん反りかえって腕を組んで頷いた。


「きみは村の人間の顔色など気にせずに、都市の主導者との間を取り次いでくれればいい。いや、むしろそれがきみにしかできないのだから。村側の意見がきみたちの意に添わなければ、そこから軌道修正を考えるのは私たちの仕事だ。われわれは、きみたちの計画に乗っからせてもらっている立場なのだからな。今回は、いい牽制になった」


「おうよ。あの……ユシマの若けえヤツがどうにも突っかかってきたな」

 オキが勢いづいたように体を起こして言う。


「ヤツぁ自分の子供を取られた身でもねえし、村の全部の考えを一身に背負ってるヤツでもねえ。だから子供らのことよりも、目先の利益を考えるんだろうぜ?」


「ああ。だが――」

 グンジが低く唸りながら、

「そういう連中が出てくるのは止められないだろうな」


「実際、『そんなこと言うならもうやめる』ってのが一番効くんだろうけどなあ。なかなか使いどころの難しい切り札だよな」

 オキは苦笑いをした。

「ま、今回はミッコが上手く収めてくれたから良かったんじゃねえの?」


 ミッコ……というのは、あのオオイの女性だろうか?

 オオイの代表者は、前回まではグンジたちよりもいくぶん歳上と思える年配の男だったと思うのだが、今回初めてあの三十過ぎと見える女性を出してきた。若く見えるのに貫禄があるというか……言葉そのものだけでなく、存在自体になんだか説得力のある人だったなあ、と思う。その説得力に、助けられた。


「おおい、ナギさん」

 とそこへ、帰ったと思っていたミノワの若い男が声を上げながら入ってきた。


「まだいたのか、サク。どうした?」


「ああ、オキさんにグンジさんもまだいるか。ちょうど良かった。帰りがけに、ほかの連中と話し合ってさ」


 軽く振り返るようにしながら、親指で背後を示す。


「ちょっと雰囲気悪かっただろ、今日。こういう機会に村どうしの連携も大事だなって話になって。ひとつ固めの宴でもやっちゃどうかって話になってさ。そこのハルのこと接待したいってヤツもいるし」


「はあ? いいよ、そんなの……」

 思い切り眉を寄せて言うが、「雰囲気を悪くした」張本人であるハルには、宴自体を反対する権利はない。


「宴を開くのは、まあ構わんが……」

 ナギもやや戸惑い気味に、けれど承諾する。


「じゃあ、次の会合の後でどうだい?」

「分かった。準備をしておこう」

「ありがと。アスカにばっか負担させても悪いからさ、酒や食いモン持ち寄れってみんなに伝えとくよ」

「いや、うちは構わんぞ、このくらいの人数であれば……」


 最後まで聞かずに、ミノワの男は去っていった。

 残された四人は顔を見合わせる。


「まあ……久々にあんたらと飲んで食ってってのも、悪かねえなあ」

「うぅむ、そうだなあ」

「ああ、そうだな。では、準備しよう」

「ハル、あんた酒は好きかい?」

「いや、おれは……」

「こいつは全然飲まんのだ」


 少々戸惑い気味にしながらも、三人は宴を楽しみにしているようだった。




 せせらぎの冷たい水に指を浸して、ハルは「うぅぅ、寒っ」と思わず声を上げていた。片手でマントの胸元を掻き合わせながらも、水が指の間を流れていく感触が心地よくて、少しの間そのままじっとしている。


 村の者と商談をしていくというグンジを待つ間に、またあの小川を見にやってきた。

 一緒に商談に加わらないかと誘うグンジに謝ってここへ来たのには、小川が見たい以外の思惑も、多少はあって。


 砂を踏みしめる軽い音が聞こえて、わずかに胸が高鳴った。肩越しに振り返り、


「久しぶり」

 歩み寄ってくる少女に声を掛ける。

「心配してたんだ。全然姿が見えないから」


 サヤはハルの背後で立ち止まって、いささか不機嫌そうな顔で見下ろす。


「心配なんか、してないくせに」

「そんなことないよ。どうして?」

「あなたは私を受け入れてくれない」

「それは……」


 返答に困って。ハルは水の流れから手を上げると、軽く指に残った水滴を振り払いながらサヤと向かい合うよう岩に腰かけた。


「だけど、一人で村を出ていってしまったんじゃないかとか……砂漠には危険が多いし。そりゃ、心配するよ」


 苦笑気味に視線を向けるけれど、サヤの表情は晴れない。


「言葉を覚えてるんだって? ここで暮らすことにしたのか?」


 サヤは、ハルから目を逸らしてハルの隣の岩を見つめるようにしながら、

「違う。シンジュクに行くために、情報を得ようと思ったの」


(そういえば、おれもそうだったな)


 自嘲する。

 さっさと死ぬために言葉を覚えたはずなのに、だいぶ遠回りをしている。


「何がおかしいの?」

「えっ、何も」

「笑ってるんでしょ」

「笑ってないよ」


「シンジュクなんかに行ったって、無駄なのにって思った?」

「いや、……それは。でも、笑ってはないよ」


 困って口を歪めたハルをまた見下ろして。サヤの表情と口調は、冷たかった。


「あの都市を、あなたは破壊するんだもんね」

「……え?」

「その話し合いで集まっているんでしょ?」


 中途半端な笑みを浮かべたまま、ハルは固まる。

「えっと……聞いてたの?」


「安心して。私のほかに聞き耳を立てていた人はいないから。私は、見張り」


 ハルは額に手を当てて、大きくため息をついた。

(ナギさんも、甘いなあ……というか……)


「きみは言葉が分からないと思ってるんだ、ナギさんは。最近ちょっと覚え始めたって言ってたど、実はそれ以上に理解してるの?」


「一年もここにいるんだもの。積極的に覚えだしたのは最近だけど、まったく聞き取れないことはない。詳しい内容までは理解できないけど、なんの話なのかぐらいは分かったわ」


「そうか……」

 そのまま額をこすって、それからサヤへと視線を戻す。

「それで。それはやめてくれって言いにきたの?」


 問いかけるとサヤは少しの間、唇を噛むようにして黙っていたが、やがて、


「それはやめて」

 淡々とした口調。

「――あの都市を、破壊しないで」


 真剣な瞳でハルを見下ろすサヤを、ハルも真っすぐに見つめ返していた。


「ごめん。計画を中止することは、できない」


 しばし、そのまま見つめ合う。

 小川のせせらぎの音だけが、背後を通り過ぎていく。


 サヤが、また唇を噛むように顔を歪めた。茶色がかった瞳が潤んでいた。


 泣かせてしまうんだろうか、また――。

 そう思うけれど、次の言葉が掛けられずにその潤んでいく美しい瞳を見つめていた。

 涙をこぼすまいと唇を噛む少女の顔は、見とれるほど綺麗だった。


 少しの間そうして対峙していたが、先に視線を逸らしたのはサヤのほう。


「分からない」


 ハルの正面に突っ立ったまま、地面に何か憎らしいものが落ちてでもいるかのような視線を向けて、両手をぎゅっと握る。


「どうしてあなたは、都市を破壊したいの?」


「……サヤ。頼むから、アスカここで暮らして」

「どうして、この砂だらけの村にいたいの?」

「一年もいたら、そこまで不自由じゃないって分かっただろ? 都市の中に一人で暮らすほうがいいはずないじゃないか」

「分からない」

「冷凍睡眠は失敗だったんだ。あの都市は、その失敗を何百年もずっと引きずってるんだよ?」

「分からない」

「もう、終わりにしようよ」


「分からない、分からない、分からない!」


 それは、叫びに近かった。


「何百年もずっとあったなら、これから先までずっとあったっていいじゃない。どうして今、わざわざ破壊する必要があるの?」


 ハルはまた、ため息をつく。

 ……もう、隠していても仕方ないか。


「あの都市の文明は、ずっとこの時代の人たちに干渉をし続けているんだ。村人から奪って、殺して……村の人たちから恐れられているし、これからもまた現代の人たちの暮らしに危害を加えるかもしれない。サヤ、このアスカや砂漠の村の子供たちが新宿に奪われたことは、知ってる?」


 サヤは、答えずに眉根を寄せる。


「あの都市にはもうスリーパーはほとんど残っていなくて、そのうちの一人が村から子供たちを攫って新しい社会を作ろうと考えた。子供たちを扱いやすいように洗脳して、自分の好きなように社会を作ろうとしてるんだ。別の一人が、それを止めるために都市を破壊しようとして、おれに協力を依頼してきた。おれはその頼みを聞いて、そいつと村を取り次いでいる」


 そう言うと、サヤはかすかに目を見開いた。


「作ったら、いいじゃない」

「……え?」

「どうして止めるの? 都市の中に、文明のある社会を作り直すんでしょう?」

「本気でそう思ってるの?」

「何がいけないの?」


「だって……」

 少女の強い視線に戸惑いながら、ハルは言葉を取り出す。

「村から攫われた子供たちだよ? 親と離れ離れにさせられちゃったんだよ? しかも、洗脳とかされて……そんなことをするようなヤツに、好き勝手させていいと思ってるのか?」


「でも子供たちは、都市の中でいい暮らしをしているんでしょ?」

「そういう問題じゃないだろ」


 今度はハルのほうが眉を寄せる番だった。


「親たちはずっと子供を取り返せる日を待ってるんだよ? 子供たちだって、そいつの扱いやすいように記憶も考えもコントロールされて、無表情で、無感動で……ものすごく不自然な生活をしてて……あんな狭いハコの中で子供たちだけの変な社会で暮らすより、村に戻ってちゃんと空の下で親と一緒に暮らすほうがずっといいよ」


「そんなのは、ただのあなた個人の考えじゃない。都市の中の人たちにとって本当にどっちがいいかは、分からないでしょ」

 わずかに声を荒げるサヤ。


「そうだけど」

 負じとハルの口調もいくぶん険しくなる。

「でも、おれはあの都市の中を見たんだ。ものすごく……気分が悪くなるくらいに、変なところだった。あんな場所が人間にとっていいなんて思えない。少なくともおれは、あそこでは暮らしたくはない。きみはあの都市を見ていないから――」


「見せてくれないじゃない!」

 サヤはさらに語調を強めた。両手を握りしめ、肩をそびやかして。


「あなたは、――私をそこへ連れて行ってくれないじゃない!」


「おれは……」

 思わず立ち上がり、


「あんな場所におれは、きみを行かせたくないんだ!」


 ハルも声を張り上げていた。


 サヤが怯んだようにその大きな瞳を見張ったので、気まずくなってハルは視線を外す。


「きみには……この青い空の下で。川のせせらぎとか、夕焼けとか、星空とか、……そういう綺麗なものがいっぱいあるところで」


 言葉を探して、


「できたら、そこで……笑っていて欲しいんだ」


 そうしたら――この世界はきっと、もっと美しい。


 サヤが真顔で見つめ返してくるその視線を感じながら、ハルは目を上げられなかった。

 やがて、ぽつりと言葉が落ちた。


「そんなのは……ただの、あなた個人の考えじゃない」


「……そうだね。ごめん」


 薄く笑って、ハルは岩に飛び乗るとサヤに背を向け小川の流れを見下ろした。

 サヤが小走りに去っていく音を、背中で聞きながら。

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