第44話 決別

 スギノを失った覚醒者たちの絶望は深く、その事件はもはや「コミュニティ」などは成り立たないレベルの混沌をもたらしていた。

 協調性が高く前向きで闊達な彼は、覚醒者たちの精神的な柱だったと言っていい。

 そして――。


「すまなかった……すまなかった……」

 部屋にその遺体を安置し、トキタは繰り返す。

 スギノに向けて。それから、まだ目覚めていないスリーパーたちに向けて。

 もう、この状況で彼らを覚醒させることはできない――。


 食堂のほうから、数人の悲鳴が聞こえた。

 すぐにモリオが走ってきて、


「トキタさん、来て! ハシバとムロイが!」


 駆けつけると、ムロイが食堂の真ん中で、ハシバに向かい合ってその額に拳銃を突きつけていた。


「もうだめだ! スギノが死んだなんて……とても……こんなとこじゃやっていけない。ハシバ、あんたなんてことをしてくれたんだ! ああ、もうだめだ! ああ……」


 同じことを繰り返し喚きながら、震える手でハシバに銃口を向けるムロイ。


「ムロイくん、やめて。落ち着いて。ハシバさんたちの話も聞きましょう」

 数メートル離れた場所からナツキが宥めるように声を掛ける。


 その後ろで、後から目覚めた数人は息を詰めて成り行きを見守っている。


「聞いているだろう!」

 ムロイは叫びながら、今度はナツキへと拳銃を向けた。


 背後の者を庇うように、ナツキはゆっくりと手を上げた。

「ムロイくん……だめよ、話を……」


「もう十分に聞いた。聞いた上で、こうなってるんだ。ああ。狂ってるんだからな。納得のいく説明なんか出てきやしないさ。ないんだ、そんなもん……ただ狂ってるだけで!」


「ああ」

 ハシバは静かに冷たい声を落とす。

「スギノが死んだのは、私も悲しい。彼は良い男だった」


 その顔には、不敵な笑みさえ浮かんでいて、その場にいる数人の覚醒者たちを凍り付かせていた。


「なにを……言ってるんだ! あんたが死ねば良かったんだ!」

「そう――スギノよりも――」


 銃声が室内に響く。

 倒れたのは、ムロイだった。


「喚き散らすしか能のない、きみが死ぬべきだった。スギノはまだ、使えた」

 ゆっくりと首を振りながら、ハシバは拳銃を上着の内ポケットにしまう。


 一瞬静まり返った覚醒者たちだったが、モリオが我に返ったように素早く駆けつけ、ムロイの脈を改める。


「……ダメ……死んでる……なんで?」

 その声が、弱々しく震えていた。


「ハシバ! ……貴様、なんということを――!」


 トキタも倒れているムロイに駆け寄ってその手に握られたままの拳銃を奪い、ハシバに向けた。

 そのまま、トキタとハシバは対峙して動きを止める。


「ほう――」

 銃口を向けられたハシバは、可笑しそうに口元に笑みを浮かべて目を細めた。

「きみが、私を殺すのか? トキタ」


 両手に拳銃を構え、トキタは引き金に指を掛ける。


「本当に狂ったのか、ハシバ……村の人々と諍いを起こし……それだけでなく、仲間まで……」

「仲間だと? そのヒステリーの能無しがか? 笑わせる」

「貴様……」


「撃って!」

 鋭い声を上げたのは、モリオ。

 ムロイの脇に屈みこんで、顔を上げずに。


「トキタさん、そいつを早く撃って! スギノはそいつに殺されたんだ!」


 じわりと、引き金に掛けた指に力をこめる。


「撃てばいい」

 愉悦に歪んだ薄気味の悪い顔で、ハシバが言う。

「トキタ。お前が殺した何万人の犠牲者の中に、私を加えろ」


「……ハシバ……」


 汗が目に入り、滲んだ視界の中で、ハシバは不気味に笑っていた。


「スギノを殺したのも、ムロイを殺したのも、村人たちを殺したのも、お前だ。すべてはお前が、われわれをこの時代に送り込んだからだ。せいぜい楽しんでやろうと思ったが――いいだろう、お前が終わりにしようと言うのなら」


「トキタさん! 撃って!」

「やめて、殺し合いは!」


 モリオとナツキが同時に叫ぶ。


「あああああ!」

 覚醒者のだれかが、絶望的な叫び声を上げた。

「やめてくれ……もう!」


「どうした。撃たんのか?」


「くッ……」


「フン」

 興が覚めたように息をついて、ハシバは室内の覚醒者たちに背を向ける。

 そうして、悠々と――とでも言っていい足取りで、部屋を後にする。


 銃口を向ける先を失って、トキタは拳銃を落とした。


「トキタさん! どうして殺さないの? あいつが――スギノを殺して、……そうしてあたしたちを……」


 モリオの声に、涙が混ざった。

 ナツキがモリオの背中にそっと手を置く。


「すまない……」

 トキタはその場に、うなだれる。


「殺せない。私には……彼もまた、この計画に狂わされた人間の一人なんだ」


 悔しさに。喪失感に。絶望に。トキタは奥歯を噛みしめた。






「ねえ、一緒に行こう」


 保管室の備品や食料を手当たり次第にザックに詰め込みながら、モリオが切実な声を上げた。


「あたしたち、もうここにはいられないんだよ? 絶望しかない。ハシバなんかと一緒にいたら、本当に死ぬ。殺されるか、自分で死んじゃうか……分からないけど、もうダメ。無理」


「ああ。そうだな。そのほうがいい」


「だから! 一緒に行こう。ナツキさんも行く。ほかのみんなも連れていく。トキタさんも一緒に――」


「私は、まだここを出られない」

「どうして!」

「残されたスリーパーたちを放って出られると思うか?」


「だったら……ねえ、トキタさんの息子だけでも起こして……ねえ、今すぐは無理? 何日もは待てない」


「息子だけじゃない。まだいる」

「だけど……じゃあ、それもみんな起こして――たしかに起こし時じゃないかもしれないけど、死んじゃうことはないでしょ? 連れて行こう」


「駄目だ。それでは安全に覚醒させることはできない。分かっているだろう?」


「安全なんて、もうない! どれだけ待ったって、この中には!」


「ああ。そうかもしれんが――私にできるだけのことはするよ」


 モリオは手を止めて、唇を噛み顔を歪めた。


「ここに、残るの? 本当に?」

「ああ」

「あたしたち、みんな行っちゃうんだよ? いいの?」

「ああ。それがいい。きみたちは、行け」

「だけど……」

「私一人で、できるよ。なに、あと数人だ。それが済んだら、私もここを出る」


 俯くモリオの肩に手を置いて、


「元気でやっていけよ。ナツキさんやみんなのことを頼んだ」


「ごめん。先に行くね」


「ああ。私のほうこそ、すまなかったな……スギノくんのことは……」


 彼らは、外の世界で二人で暮らしていこうと思っていたかもしれない。トキタはそう想像していた。

 そうして、新しい世界で、新しい命を繋いでくれれば――と。

 けれど、それは叶わない。もう。


 モリオはゆっくりと首を横に振った。

「トキタさんのせいじゃない」


 顔を上げると、その頬を涙が伝った。モリオはそれを、手のひらで拭って、


「じゃあね」


「ああ。気をつけてな。またどこかで会おう。砂漠の、どこかの村で」


 同じ時代に生まれ、長い時間を越えてまた同じ時代に目を覚ました覚醒者たち。

 彼らがこの時代に根を張ってくれることを切に祈って。


 トキタは一人、彼らを見送った。

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