第43話 文明
「この村は、なんというのかな?」
だいぶ慣れてきた現代語で、門番に尋ねる。
「コスゲだよ。あんたたちは西のほうから来たのか? かなり遠いところかい?」
ほかの門番に土産品の麻袋を改めさせながら、気の良さそうな門番の男は逆に尋ねてきた。
「ああ。何日もジープに乗ってきたから、どのくらい遠くまで来たのか分からなくなってしまったよ。帰れるかどうか心配だ」
「ハハ。ゆっくりしてきゃいいさ。そうだ川があるんだよ。ほかの地域じゃ珍しいんだろ? 後で案内するから、見ていきなよ」
導かれて、トキタとハシバ、スギノ、モリオの四人は村の入り口に近い建物に招き入れられる。
土産品がかなり気に入ってもらえたのか、次々とごちそうが振舞われた。
酒も出て、それぞれにそれなりに飲んだ。
客が珍しい話でもすると思ったのか、いつの間にか四人の周りには多数の村人が集まり、一緒に飲んだり食べたりしながら会話を楽しんでいた。
シンジュク、という言葉がどのようなきっかけで出て来たのか分からなかったが、何かの拍子に話題に上った。
西のほうからやってきたなら、あのバカでかいハコを見たかい?
そんな質問が、だれかからあったかもしれない。
新宿から来たことは言わない。村人のほうから話が出ても、積極的に乗らない。それは探索メンバーの間では重々示し合わせてある。だが村人たちの話から、スリーパーたちが眠っている間にあの都市と村々の間に何があったのかを知ることができるかもしれないと思うと、話を遮るまではしない。
この日も、好き好きに村人たちが語るままに任せて、適当な相槌を打っていた。
「人が住んでるって言うんだぜ、あの中に、ずっと前の時代から。信じられるか?」
「どうやってあんなとこで暮らしていけるんだ」
「昔は相当迷惑なヤツらだったらしいじゃないか」
「ほう……迷惑、とは?」
そのあたりが詳しく聞きたいのだが、村の人々の口からは漠然とした悪評しか出てこない。「避難民」、あるいはその子孫は、周囲の村々に何をしたのだろう。
「さあ……詳しくは知らねえけど」
ここでもやはり、具体的な話は出てこないか――。そう思った時だった。
「略奪だな。モノも金も、人も」
宴の座に最初の頃からいた、長老格と見える高齢の男が、言った。
「わしも生まれていない相当前の話だ。子供の頃にじいさんから聞いたが、そのじいさんももっと上の世代から聞いたと言ってたな。ここより北に、ヤツカという村がかつてあった。ある夜、その村の人間が全員、シンジュクに攫われたんだ」
「うそ……全員?」
モリオが愕然と聞き返す。
「ああ。そこそこ大きな村だった。それが、取りこぼされた数人と、抵抗して返り討ちにあった二、三十人の死体を残して一夜でだ」
「どうしてそれがシンジュクのヤツらだって分かったんですか?」
スギノが首を傾げる。
「助けを求められたコスゲの村人が、襲撃には間に合わず賊の痕跡を追ってシンジュクに着いた。たくさんの車があのハコの中に入っていくのを見たと。近づこうとして殺されたモンを残して命からがら逃げ帰ってきた連中が伝えたそうだ。ヤツカの生き残りによれば、そいつらは銃も剣も通らない妙な鎧を着て、見たこともない武器を持って反抗する者は容赦なく殺したそうだ」
「連れてって、何しようってんだろなあ」
「まったく。ハコの中に飽きて、外の人間としゃべりたくなったんじゃないかい?」
村人たちが、話し出す。
「喋りたいなら出てきて話しゃいいんだ」
「それなりにもてなしてもらえるんだったら、行ってもいいけどなあ」
「だけど、ハコん中だぜ? 肉も魚もなけりゃ、こんなご馳走も出てきやしねえだろ?」
「じゃあ、あん中には何があるってんだ?」
一座が陽気な笑い声を上げたのを、
「文明だよ」
強い声が遮った。
それまで一切の話題に乗らず、聞いているのかいないのかも分からない面持ちで杯を傾けていたハシバだった。
ひやりとして、スギノやモリオと顔を見合わせる。
二人とも同じように眉を寄せ視線を合わせると、それから不安げにハシバへと目をやった。
「あのバカでかいハコの中にはな、文明があるんだよ。世界が一番美しく、人類が一番優れていた時代のな」
「ちょっと……ハシバさん?」
スギノが戸惑い気味に声を掛けるが、ハシバはそれを無視して、
「現代の人間には、想像もつかないであろう、成熟した社会だよ」
「は、なんだ、そりゃ」
村人の一人が、ハシバの低く強い声にやや気圧されたように声を上げた。
「文明を、知らんのか。この時代の人間どもは」
「は……そりゃ、言葉は知ってるけどよ」
声を上げた村人が、引きつった笑いを浮かべながら周囲の村人たちと顔を見合わせ、
「どういうモンかって聞いてるんだよ。はあ? 成熟した、社会?」
「説明しても、理解できまい。しかし、見たければ連れて行ってもいいぞ」
「おい、ハシバくん」
止めに入ったトキタの手を払って、ハシバは村人たちを眺め渡していた。
「魚も肉もない? あるさ。だが、そんなものを必死に獲ったり育てたりしなくていいんだよ。何もかもが整えられ、不足するものはない。きみたちが必要だと思っているすべてのものは、汗水垂らして働きなどしなくとも当たり前に賄われる。――それが、文明だ」
両の手を広げ、教え諭すように。
「米や野菜や牛を育てる? そんなことに時間と労力を割かなくても。代わりにもっと、想像もつかないものに価値が置かれる。文明の上に立つものだよ。人間として生まれたからには、単純な農作業などよりそれを――」
「ちょっと待てよ」
また互いに顔を見合わせている村人の中の、一人が険悪な声を上げた。
「おれたちの労働をバカにするのかい? そんなことだって?」
「そうだよ、人間がそれをやらんで、だれがやるって言うんだ?」
「言うなれば、それは――」
ハシバは村人たちを見渡して、目を細める。
「仕組み、だ」
「ああ?」
「人間は、その仕組みの一部ではない。それを創り出し、操り、利用する立場のものだ。言っているだろう、そんなものは当たり前に賄われるのだと。もっと豊かに、快適に、便利に暮らすことができるというのに、それを考えないのは無能者の証だ」
これまでの一年。数十回にも及ぼうという探索の間。村人たちとは一切の会話を拒絶しているかのようだったにもかかわらず、初めて、それも唐突に、雄弁に語りだした男。
スギノとモリオはその異様な気配に呑まれ、しばし言葉を失っている様子だった。
止めなくては、とトキタが声を掛けるも、ハシバはやめようとしなかった。
「その素晴らしい暮らしが、あんたがたにもできるかもしれないと言っているんだ。あの『都市』の中でならな」
「都市だって? そりゃ、シンジュクのことかい?」
わずかに脅えたような声で、村人が尋ねる。
「あんたたちは……つまり、シンジュクからやってきたのか?」
ざっと音を立てて、村人たちが動いた。ある者はトキタたちから距離を取り、ある者は立ち上がり。
「だとしたら、どうだね? 一緒に来て、試してみるか?」
「じょ、冗談じゃないよ! あんなハコの中に、『素晴らしい』ものなんかあるもんか」
「そうだ、周囲の村々にさんざん迷惑をかけておいて……あんたの言うような良い場所に住んでるヤツらだったら、おれらの村から略奪なんかするはずないだろ?」
「ならば、低俗で不自由な暮らしの中で、無駄に生きて死んでいくつもりか?」
「おれたちを侮辱する気か!」
いきり立つ村人たちに、ハシバは呆れたような、侮蔑するような鼻息を漏らした。
「フン。物わかりの悪い野蛮人が、自尊心だけは一人前と見える」
「よせ、ハシバ」
トキタは立ち上がり、
「コスゲのみな、すまない。この男は酔い過ぎたようだ。酒の席での戯言だ、許してくれ」
ハシバを止めるのは諦めて、撤収しようとスギノとモリオに目配せをする。
「そ、そう。ハシバさん、もう行こう」
モリオがハシバの腕を掴んで、立ち上がった。
「フン」
また鼻を鳴らして、ハシバはその腕を振り払う。
「わたしは砂漠の村々の、頭の固い低俗な連中に、豊かな暮らしを与えようと言っているのだ。人間らしい文化的な生活を分けてやろうと言うのだぞ。なぜ拒絶する。どこに問題がある?」
村人と覚醒者たちを交互に見ながら言うハシバを、トキタとスギノは両側から押さえつけ腕を取った。
わずかに抵抗を見せるハシバを引きずるようにして、そのまま出口に向かい、呆気にとられる村人たちを後に残して立ち去ろうとしていた時だった。
「待てよ! シンジュクの悪党ども!」
すぐ近くに立ち上がっていた村人の一人が、引き連れられて行こうとするハシバに向かって手を伸ばす。
ハシバが両腕を取られた状態でその右腕を動かして懐から取り出したものに気づきながら、トキタにはその動きを止める間がなかった。
二〇六〇年代にあった、超小型化された熱光線銃だった。
軍隊を持つ国で諜報員の護身目的として作られたものとして存在は知られていたが、この日本の核シェルターにそれが保管されていたなどトキタも聞いたことがない。眠りにつく前から個人的に持ち込んでいたものだろう。
「この文明に逆らおうというのか!」
ハシバが叫ぶ。
銃口が村の男の額を捉えるや、男が声を上げる間もなくその首から上が消えた。
ほんの一瞬の、水を打ったような静寂。
男の体がやけにゆっくりとした動きで床に倒れる、その音の直後。
弾けだした悲鳴と叫び声。名を呼ぶ声。わけの分からない罵声と怒号。
それらを背後にして、トキタとスギノはハシバを担ぐようにして走り出す。モリオが続く。
「なんてことを……ハシバ」
「ああ、大変なことに……急ごう、とにかくジープへ」
遅れて正気づいたらしい村人の数人が、建物の外に飛び出してきて口々に喚く声が背後から聞こえてきた。
振り返る間もなく門を抜け、ジープへと走りつくと後部座席にハシバを押し入れる。
「おれが押さえてるから。トキタさん、出して!」
スギノが言って、本当にハシバを押さえこむようにして隣に乗り込んだ。
考える間もなくトキタは運転席に乗り込みジープを走り出させていた。
「追ってくるよ!」
助手席のモリオが切迫した叫びを上げる。
あまりに異様で残酷な出来事に、一瞬動きを失った村人たちだったが、動きの早い者はいた。数人が馬に乗ってジープを追ってくる。砂の地面では、ジープも馬もさほど速度に変わりはなく、一頭の馬が車の横に並びその背に乗った村人が銃をこちらに向けているのが目に入った直後には、すでに銃声が砂漠に鳴り響いていた。
「きゃあああ! スギノぉ!」
銃弾は、スギノの頭を撃ち抜いていた。
すぐにハシバがもたれ掛かってきたスギノを押しのけて体を起こし、ジープに置いてあった散弾銃を馬の乗り手に向けて放つ。
村人は馬から落ちて、視界から消えた。
ハシバが後部を向き、銃を構える。
「やめろ、ハシバ! よせ!」
アクセルを目いっぱい踏みながら、トキタは叫んでいた。
もはや村人から逃れるためではない。悪魔を村人たちから遠ざけるために、全力で速度を上げようとする。
助手席から後ろへ身を乗り出して、モリオがハシバの腕を掴む。
「やめて! 殺さないで!」
ハシバはそれを振り払い、矢継ぎ早に引き金を引く。込めてあっただけの弾を使い果たし、ハシバが大きな息を吐きながら後部座席に腰を下ろしたころには、追手はいなくなっていた。
砂の丘の尾根でジープを止めて、互いを確認しあう。
スギノはすでに、息をしていなかった。
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