第41話 覚醒者たち
「ユタカが死んだ」
静かに落とされたトキタの言葉に、食堂に集まって夕食を取っていた一同は一斉に動きを止めた。
全員が、食堂の入り口で後ろ手に手を組んで立っている小柄な男に注目する。
「なんで……自殺か?」
愕然と声を上げたのは、スギノ。三十代半ば、トキタよりも一回り近く年若い男。
「いまモリオくんが調べているが――」
トキタは軽く廊下の向こうのほうへと目をやって、それから沈痛な面持ちで、
「おそらく……」
「おそらくだって? 自殺だよ! 自殺に決まってる! 目覚めてからずっとおかしな雰囲気だったんだよ」
震えるような声で叫びだしたのは、スギノよりもさらに若い三十前後の、眼鏡をかけた細い体をした男。ムロイ。
「ああ! 何人目だ? ――ハハハ。おれも死ぬ。おれも死ぬんだぁ!」
喚きながら、頭を抱えてテーブルに伏す。
食べかけのレトルト・シチューに再び手を付けだす者はいなかった。一人を除いて……。
「おい、ハシバさん……」
スギノがおずおずとした口調で声を掛けた。快活な彼としては、かなり大人しめな物言いだ。
「よくあんた、食べ続けていられるな……数少ない仲間が死んだってのに?」
「仲間? フン……」
ハシバと呼ばれた、トキタよりもいくつか年上の男は、つまらなそうに鼻を鳴らすと、スプーンを動かしながら目だけスギノに向け答えた。
「新たな時代に適正のない者は、死ぬ。仕方のないことだ」
「あんた……なんだよ、その言い方は!」
再び喚きだしたのは、ムロイだった。
「おれたち、知ってるんだぞ? あんた、冷凍睡眠の最大手の会社の重役なんだって? 冷凍睡眠計画の推進者の一人なんだろ? なに他人事みたいに言ってるんだよ。あんたのせいで、どれだけの人間が死んだと思ってるんだ!」
「私を憎むのはお門違いだ。それならそこのトキタくんにでも文句を言ったらどうだ?」
ハシバは静かに言って、小さくトキタを顎でしゃくる。
「彼が冷凍睡眠技術を確立しなかったら、われわれはみんな、こうはなっていなかったんだからな。彼がいたから計画が実行に移されたんだ」
トキタは食堂に入っていくこともできずに、俯いた。
「ああ。どっちもどっちだよ、まったく!」
ムロイは再び両手で頭を抱えて、
「ムロイくん。あなたは自分で選択して眠ったんでしょう」
教師のような落ち着いた声で、四十前後の女が言う。
「二人を責めるのは、それこそお門違いじゃないの? 計画の決定者は彼らじゃないんだし」
「まあまあ、ナツキさん」
スギノがやはり遠慮がちに、
「正論だけど、ムロイをあんまり追い詰めないでやってくれよ」
「ああああ、トキタさん! あんた、冷凍睡眠の技術は完璧だって言ったよな。ああ、自分で選択したんだよ、あんたがそう言うから。なのに――」
ムロイは立ち上がって、入り口のトキタを振り返った。
「なんでユミコは目覚められなかったんだよ! こうなるって分かってりゃ、眠ったりなんかしなかったさ! 核爆弾で世界が滅んだってな。ユミコと一緒に死ぬんだったよ……」
言いながら、力が抜けたように椅子に腰を落とし、そのままテーブルに突っ伏したムロイ。
一同が沈痛に黙り込んだ食堂の中。ムロイの小さな呻き声と、ハシバが食事を進める、そのスプーンと皿が触れる小さな音だけが聞こえていた。
と。
「ねえ、大騒ぎしてる声が廊下のずっと向こうのほうまで聞こえてるんだけど」
冷たい口調で言いながら、モリオがやってきてトキタに並ぶ。
医師として眠りについた、三十前の若い女だった。
「ムロイ。またあんた? よくまあ飽きもせずに喚き散らすね。もうあとこれだけしかいなくなっちゃったんだからさ、少しはみんなと仲良くやったらどうなのよ」
「モリオ先生……彼はちょっと、情緒不安定で……そりゃ、こんなことがあったら――」
スギノが声を上げたのを遮って、モリオは、
「原因は、睡眠薬の多量服用。死んだのは、今日未明。眠る前に大量に飲んだのね。まったく、何百年も眠ってたってのに、まだ薬を飲んで眠る気になるなんて、ほんとどうかしてる」
「そういう言い方はないだろう! あんた、医者ならこの中のだれも死なないように、どうにかしたらどうなんだよ!」
「落ち着け、ムロイ」
「そうよ。それに……自殺だったのかどうか、分からないでしょ? もしかしたら……事故、かもしれないし……」
全員がハッとして、モリオに視線をやった。
モリオは数秒ほど黙って一同を眺め渡したのちに、
「ま、この中に殺したヤツがいるんでなければ、自殺か事故でしょうね。それはどっちだって大して変わらないと思うけど」
「殺したりするヤツがいるわけないだろう! たったこれだけしか残ってないってのに! あああ……おれだ……次は、おれだ……」
両手に抱えた頭をゆるゆると振りながら気が違ったようにブツブツ言いだしたムロイを無視して、モリオは食堂の中に足を進め、
「ああ、お腹空いた。何? 今日はシチュー? トキタさん、食べちゃおう」
悄然とする一同の間をすり抜けて、皿を取った。
「……どうする、その……ユタカの。……遺体は」
スギノが、トキタとナツキを見比べるようにしながら訊く。
「あとで、運び出そう」
やはり沈痛に、トキタは答えた。
「冷凍睡眠室にでも入れておけばいいだろう……どうせあそこは死体だらけなんだ……」
自失したような奇妙な笑みを口元に浮かべて言うムロイに、ハシバが目を上げた。
「そう……死ぬ前に、あの部屋の遺体を処理するのを手伝ってもらいたかったな。数が多すぎて、われわれだけじゃどうにもできないってのに、また一人減った」
もはやだれも、その言葉に抗議する元気のある者はいなかった。
「あの広い空間に、いつまでも死体があるのもジャマだ。まだ眠っている者を全員覚醒させたら、取り掛かろう。それまで人数が残っていればだが」
「いやだよお!」
ムロイが静かに、それでも強い口調で、
「あそこには、もう入りたくない……あの部屋は……地獄だ……」
朝食にも昼食にも姿を現さなかった男は、自室のベッドの中で一人、静かに死んでいた。
まだ二十歳そこそこの若さだった。
自分の意志で眠りについた専門職の者たちやその家族と違い、高校生、大学生たちは何も知らずに眠った。そのくらいの年頃のスリーパーが必要だった。
体力があり健康で、そして目覚めてからの時間が長い。それより若い、知能や記憶が未発達の子供たちは、それはそれで冷凍睡眠には適さない。
家族同伴で眠った者の子供たちが十数名ほどいたが、みな死んだ。
ともに眠った親も死んだのだ。目を覚まさなくて幸いだったのかもしれない。
(この子を除いて……)
静かな冷凍睡眠室の一画。すべて一律で大人用のサイズに作られたカプセルの中では、その体は本来よりずっと小さく見えた。
(ユウキ――)
カプセルのガラスに手を載せて、トキタは心の中で息子に話しかける。
おまえを起こさなければならない時が来るが……この時代に目覚めたおまえを、どう育てるのが良いのだろうな。なんと説明しようか、この状況を。
五歳。おそらく眠る前の記憶を持続してはいない。父親のことも、一緒に眠って目覚めることのなかった母親のことも、覚えていないだろう。
「その子は、よく眠っているね」
数ブロック先のカプセルを改めていたモリオが、声を掛けてきた。
「いつ起こすの?」
「うむ――」
「スギノやナツキさんは知ってるみたいだけど、ムロイには言ってないから安心しなよ。またヒス起こされると面倒だからね。あいつが冷凍睡眠室に寄り付かなくて、ラッキーだったわね。……あ。ねえ、この人、そろそろ起こしても良さそうだよ」
「そうか……?」
トキタは息子のカプセルを離れ、重い足取りでモリオの示すカプセルに向かう。
覗き込んだカプセルの中で眠っているのは、まだ顔に少年の面影を残した若い男だった。
蓋に書かれた名前と番号、そしてカプセルに取り付けられたカードで、その人物を確認する。
オカ・シゲル。十八歳。
プログラミングの大会で賞を取っている、コンピュータ技術者の卵……か。
「あの……高校の生徒か……」
大学生は、その年齢だけでも冷凍睡眠に最適だとしてランダムに選ばれた者も多いが、高校生は、この新宿のシェルターに関して言えば、すべてひとつの学校の生徒たち。それぞれの分野での英才教育のため、才能に恵まれた、国内屈指の優秀な少年少女を集めていた、あの高校――。
「未来に送るべき人材、かあ」
モリオが眠っている少年の顔を見つめながら、それまでよりもわずかに落とした声で呟くように言った。
「あたしたち自分で眠った大人たちはまあいいけど、高校生は……知らなかったんでしょ? 目覚めたらショックだよね。せめて、友達もみんな一緒に目覚めることができれば良かったんだけどね……」
そう言って、モリオは周囲のカプセルを眺め渡すように首を動かした。
地獄。ムロイはそう言ったが、実際その通りだ。腐りかけた数千の死体が、埋葬もできずに並べられた部屋だった。
彼らを未来に生かすためのものだったはずの冷凍睡眠装置が、死者を眠らせたままの棺へと、役割を取って代わって。
死体の数に比べて生き残った者の数は少なすぎて。この生者のために設計されたシェルターには、死者を葬るための空間も、乏しくて。
どうすることもできずに、そのままになっている。
生きて眠っている、あとほんの数人の者たちが、その中に入り混じって。
「どうするの? 起こす?」
「いや――」
短い思考の後、トキタは首を横に振った。
「もう少し、外の様子の探索が進んでからでいいだろう。いま起こしても、おそらく……」
「そうね。またユタカみたいになっちゃうね。彼とは歳も近いし」
腰をかがめてカプセルを覗き込みながらそう言うと、モリオは背を起こした。
「明日また、外の探索に行くの?」
「ああ、そうだな。南のほうを少し回ってみようか」
「きっとハシバも行くんでしょうね。面白くなさそうな顔して。イヤならよせばいいのに。あー、こっちまで気分悪くなるんだよねえ」
うんざりしたよう言うモリオ。
並んで冷凍睡眠室を出て、翌朝の待ち合わせを確認して居室に戻った。
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