第40話 内と外

「まず、きみは……」と、トキタはその時――それからまだ一年も経っていない――を思い出すように宙を見つめて目を細めて。「きみは起きて最初に、『コンサートはどうなったのか』と尋ねた」


「ああ、そりゃ……だって。楽しみにしてたし、練習してたから……」


「そういう時はだいたいみんな、『ここはどこ?』とか『わたしはだれ?』とか言うもんだろう?」

 トキタの口調がわずかに色を帯びる。

「それはこういうシチュエーションでこういうタイミングで目を覚ました者の、常套句だ。私は幾人かの人間を起こしてきたがね、だいたいみんなそんなようなことを言ったよ。『コンサートがどうした』なんて最初に口走った者は、きみが初めてだった」


「……そう?」


 トキタの剣幕に押されて、少し引く。


「ああ。それにきみは、私の導きを経ずに自分で立ち上がって動き出した」

「えっと……そうだっけ」

「そうだ。おかげで辛いものを見せてしまうことにはなったが……」


 トキタはそこで、わずかに声を落とし、視線を落とした。


「だが……長期間の冷凍睡眠から覚めた者は、たいがいしばらくの間は動けずに、目覚めても少しずつ……足を地面につけるところから、リハビリが必要だった。それなのにきみは、気づいたら自分の足で立って動いていた」


 そう、だったかな。

 思い出すと少し心が痛んだが、勝手に動いたのはその通りだったかもしれない。


「だから私は、きみには酷だとは思ったが、目覚めてすぐのきみを『外』に出す決意ができたんだ。それでなければ、無理を承知してでももう少しこの中に留めたよ。ああ。少なくともそれまでの者はみな、子細は語らずに十分に動けるようになるまでここで様態を見守った。だがきみだけが違って……それは私の誤算だったが……それはやはり、良い誤算だったようだ」


 組み合わせた手に顎を載せた姿勢で上目遣いにハルを見て、トキタはきらりと目を光らせた。


「きみは、眠る前の時代にも、努力して成功を掴んでいたんだものなあ」


 その言葉に不快感を感じる一方で、同調もしていた。


「まぁそれだけに――先月きみが姿を見せなかったのは、本当に心配していたんだよ。どこでどうしているのかとな。その間に、これだけのことをやってくれていたのだな」


「ああ、それさ」

 ちょっと視線を外してそっぽを向いて、ちょっと考えて。ハルはトキタを横目で見た。


「十五日の月の日にしか西の通路が開かないって聞いたんだけど。それちょっと、不便過ぎない? その日を逃したら一ヶ月連絡取れないし。それに、火薬の運び込みも西側の通路からじゃなくてほかの三方向からもできたほうがいいと思うんだけど」


「そうだなあ」

 わずかに目を伏せるようにして、トキタは声を落とす。

「東と南北の入り口……それは、西と同じように月に一度開くよ。東は西と同じで満月の日、南北は新月の日だ。同じように、地下通路を通って内部に達することができる。中の構造は西とほぼ同じだ。……それに……検討してみようか。つまり――」


 同じ体勢のまま横目遣いにハルへと視線を送る。


「ハシバに勘付かれず、ロボットたちの警戒網にも触れない、都市への侵入ルートと、連絡方法を」


「あるの? そういうの」


「それぞれの入り口は、商売でやってくる外部の者向けには月に一度しか開かないということになっているが、都市の人間用にいつでも出入りする方法はあるよ。ただ、しばらくその方法で出入りしていた『都市の人間』というのがいないからな。まだその方法が生きているかどうか、検証してみなきゃならん。これが有効ならドアを開けて都市に入ること自体はいつでも可能だが、哨戒ロボットに攻撃されないようにするには、きみを都市の人間として登録する必要がある。それをすれば、それはさすがにハシバにバレる。だから、ドアを開けることは可能になっても、警護のロボットに会ったら倒さなければならないがね」


 説明するトキタに目を向けて、ハルは首を捻った。


「それ……哨戒ロボットを毎回倒したりさ、好きな時にドアを開けてシェルターに侵入したりっっていうのは、ハシバに見つかる心配ないの? っていうか、あんたと一緒に毎月ここに入ってくるのだって、バレたりしないの?」


「うむ……」

 トキタは立ち上がると、マグカップを持ってキッチンに向かいながら、

「そのあたりが、ハシバのことを気が違ってしまったんじゃないかと思った原因のひとつでもあるのだが……ああ、コーヒーのお代わりはいらんかね?」


「……。いい。まだある」


 そう言って、目の前のカップを手に取った。コーヒーの濃い香りが鼻をくすぐる。そういえば、毎回トキタはコーヒーを勧めてくるが、飲んだことはなかった。初めて口に付けて、その苦さにこっそり顔をしかめた。思わず砂糖とミルクを目で探すが、冷めてしまったコーヒーでは溶けないかと思い諦めてもう一口すする。


「ハシバは、『中』の子供たちの『教育』には恐るべき熱心さで取り組んでいるのだが、それ以外のことや『外』の状況には驚くほど無関心なのだよ。村の人間が子供たちを取り返しに来るかもしれないんだぞ? 少しは警戒するのが普通じゃないかと思うのだが、攫ってきて以来ほとんどそこに関心を持った様子がない」


 新しい湯気を立てているマグカップを手に持って、トキタはキッチンから出てきた。


「たしかに中の人間が眠っている間も、勝手にずっと外からの敵を排除し中の環境を維持し続けたシステムだからな。放っておいてもどうにかやってくれるとは思うのだが、それにしたって少しも注意を払わないのは不自然じゃないか?」


 それはハルに同意を求めるというよりも、自分の中の考えを整理してでもいるかのように。トキタは椅子に座ることも忘れたように、本棚に寄りかかってコーヒーをすすった。


「子供たちの教育――新しい社会を作るということに、取り付かれたように夢中になっていて、ほかのことに興味を示さないんだ」


「おれや村の人間が何をしてても、ハシバには気づかれないってこと?」


「まあ……」視線を外したまま、トキタは、


「あまりにも普段と違うことがあれば、さすがに警備システムが反応を示すだろう。たとえば哨戒ロボットは、自然故障や何かの事故で破損することもあるから、一、二体ずつ消えるなら勝手に自動補充される。が、一度に数十体も破損すれば、何か異変が起きたとシステムが感知するだろうな。内部に関しても、人が動き回っていて不自然でない空間を歩いている分には、警戒はされないよ。もともと大勢の人間が歩き回るのを前提にしているのだからな。ただ、人数だとか行動だとかが極端に変化することがあれば引っかかる。システムに違和感を持たれないルートを検証して細心の注意を払う必要はあるが……」


 完全に何をしていても自由というわけではないのか――。

 ハルはカップを手に持ったまま、考えていた。


 けれど、システムにとって大事なのは「いつもと大きく違うこと」に注意を払うことであって、内部の人間の動きまで細かくチェックしているわけではない――ということか。それどころか、中に所属する人間を個別に識別しているわけでもなさそうだ。

 ハルが外の人間であっても、一人で、大幅に道を外れずに子供たちの生活エリアで内部の人間に成りすましていれば、チェックされることはないのだ。


 生活するとなると、おそらくあのマーケットで使われていたように、食事や生活用品を支給されるためのIDなりなんなりが必要となるが――いや、待てよ? マーケットは裏からなら入り放題なのだ。ならば紛れ込んで必要なものを盗んで暮らしていくことだって、可能なのではないのか?


 意外と杜撰なんだな。

 少しばかり呆れるが、これまでのところそれで問題なかったのだろう。


(それができるんだったら、サヤが新宿に住むこともできるんだろうか)


 少なくとも計画実行までの一年かそこらは、ここでハシバに隠れて暮らすことも可能なのではないか? 暮らしてみればそのうちこの不自然さや不自由さや孤独に辟易して、ここに住み続けることを諦めてくれるかもしれない。


「あのさ」

 思いついて、目を上げる。

「その、交渉に行ったアスカって村でさ、横浜のシェルターで目覚めたっていうスリーパーと会ったんだよ」


「なんと?」


 トキタも意外な話を聞いたというように、目を丸くしてコーヒーから視線を上げる。


「両親が医者で、その両親と一緒に九歳の時に眠って、七年くらい前に目が覚めたって女の子。見た感じはおれと変わらないくらいの歳の。両親と三人一緒に目覚めることができたみたいだよ」


「ふうむ。横浜はここよりは少しはマシな状況なのかね」

「たくさん死んだって言ってたけど、ここよりは大勢目を覚ましたのかもな。一応その人たちで都市の中で何年も暮らしてたっていうし」

「ならばどうしてまた、外に出て来たんだ? その女の子一人でか?」


 問われて、ハルはサヤから聞いた話をトキタにする。トキタは難しそうな顔で、ひとつ唸った。


「向こうでも、ここと似たような問題で内部分裂が起きているのかもしれんなあ。そうだとすると、こちらはハシバ一人だからまだいいが、なまじ大勢が目を覚ますのも考え物ということか……その対策ができていなかった時点で、この計画は破綻していたと言わざるを得ないだろうな。……それで、その子は?」


「今は、アスカで暮らしてて。だけどどうしてもシェルターの暮らしが忘れられないみたいで、新宿に来たがってる。ダメだって言ったんだけど、でも……もしかしてここに住める? 連れてきたらどうなる?」


 そう聞いて、先ほどの仮説を披露してみると、トキタは軽く首を捻った。


「たしかにきみの言う通り、マーケットからものを盗むというのはできなくはないよ。だから、そう、ちょっといるだけなら可能だが……だが、食堂はIDがないと食事を提供されないし、居室も与えられないから生活に必要な水も電気もない。そうだなあ、暮らすとなったら……生徒たちのだれかを殺すか砂漠に追い出すかでもして、入れ替わるぐらいしか方法はないだろうなあ……」


 思考に夢中になっている様子でしれっと物騒なことを言う老人に、一度嫌な顔をして、ハルは軽くため息をついた。

 それはさすがに、却下だ。


「ま、アスカの村じゃ『客』として大事にしてもらってるんだろうからさ、諦めてくれればいいんだけど」

「ふむ、私もそれが一番良いと思うな。村じゃ本当に『客』を大切にもてなしてくれるからなあ」


 そう言うトキタは、外の世界をはっきりと頭に思い浮かべているように見えて。

 またふと思い立って、ハルは訊いていた。


「あんたさ、外の村のこと詳しいの?」


 そういや、外の村のこと「よく覚えてない」って言ってたっけ?

 村の暮らしの様子とか、村の人たちが欲しがるものとか、そういうのも知ってるみたいだし。


「外で暮らしたことはないんだろ?」


 すると、トキタはあいまいな顔を作る。


「目覚めてしばらくの間は……そうだな、一、二年の間かな、外に出て周囲の村を見て回ったりしたよ。状況が知りたかったからね。『客』として、ほんの少しずつあちこちの村を訪れてな。それを見て外で暮らすことを決めた者もいたが、ハシバはそこに文明はないと思い込んでますます頑なになっていったんだ。すべての村を回ったわけではないし、ここ数年はずっと外に出ていないから、記憶はおぼろげではあるがね。そうさな、辛うじて今の時代の言葉を話せるようになるくらいには、外もめぐったな」


 そう言ったトキタはどこか遠い目をしていて。


「いま……きみになら、聞いてもらえるかな。あの頃の話を」

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