第29話 父親
二人はわずかの間、そのまま考えるような間を取って。
「よし」
唐突に大声で言って、オキは組んでいた腕をほどき両手で膝を叩いた。
「ネリマはその計画に、乗るぜ。村に持って帰って頭のモンらと相談してみるが、異を唱えるヤツはいねえだろう。おう、アスカはどうする」
「うむ……」ナギも少し考えて、「こちらも数人に相談しなければならないが、……できれば協力させて欲しい。……少し待て、いま話してくる」
「今かよ!」とオキに苦笑されながら、ナギは部屋から出て行った。
「ハハハ、そりゃ、こんな話が転がってきたらじっとしちゃいらんねえな」
ナギの後姿を見送って、オキは笑った。
「ま、アスカが味方に付きゃデカいぜ。期待してな」
「痛い思いした甲斐があった」
「ハハ。あれでもやりすぎたって思って、だいぶ反省してんだ。まだまだ思いっきり苛めていいが、最後は許してやってくれよ、おれに免じてさ。信じられないかもしれねえが、ああ見えてちゃんと筋は通すヤツだし、話の分からねえヤツでもないんだぜ? シンジュクって聞いて、ちょっと頭に血が上っちまったのさ」
「うん。オキさん、ありがとう」
「おう。いいって。グンジがてめえの息子みてえに可愛がってるあんたに死なれちゃ、おれも困る」
「息子? それはさすがに……」
苦笑するが、オキは「ほんとだぜ?」と肘を膝の上についてまた身を乗り出してきた。
「あいつは娘のルウを可愛がっちゃいるが、ほんとは息子も欲しかったヤツでね。前は男の子ができるまで何人でもこさえるんだって張り切ってやがったんだけどよ。シンジュクのアレで、村ン中で自分の娘だけが助かっちまっただろ? だから村の連中に遠慮して、諦めちまったんだ」
「そうなのか……」
奪われた者だけでなく、奪われなかった者にも、大きな傷跡を残して。
「おお、子供なんざいっぱいいるに越したこたねえんだから、遠慮なんかしやがるなって言ってやったんだけどよ。あいつは村の首領格だし、責任感じてんだろうなあ。妙に生真面目なとこがあんだろ、あいつは。周囲の村から一目置かれるヤマトのグンジさまってのに、肝っ玉が小せえとこがあんだよな」
「あ、それ……ヤマトって、そんなに影響力のある村なの? それともグンジさんが?」
聞くと、オキは「ああ……」と深いため息を落とした。
「ま、両方かな。ヤマトってのは、西のほうじゃかなり大きな勢力を持つ村だった。村の規模はアスカあたりほどでかくはないが、力があったんだな」
だった、なのか……。
「あそこの連中は……なんて言うか、義侠心が強くてな。男気のある連中よ。村から離れたとこに毒虫が出たっつっちゃ、積極的に退治しに行く。どっかの村で助けが必要なら、自分らのことを置いても駆けつける。あそこらの村じゃ、頼れる存在だったよ」
そう言ってオキは、遠くを見つめるように視線を宙に上げた。
「あれは……シンジュクの事件がある、一つか二つ前の冬だったかな。ヤマトの南のほうに、ヤヨイって小さな村があってな。ある時、もっと南から村ごと移ろうしてやってきたヤツらが、そのヤヨイの村を乗っ取ろうとしたんだ。こいつらがまた、妙に強い兵器をたんと持っててな。ヤヨイから助けを求められたヤマトの連中が、援軍として戦った。
結果、敵を蹴散らしてヤヨイの村の連中の多くは命は助かったが、最終的には村は解体して生き残りもあちこちに移り住むことになって、ヤマトの男たちも結構な戦死者を出した」
「そんなことが……全然知らなかった」
「ああ。ヤマトは勇猛果敢な一族として、改めて周りから一目置かれることにゃなったが、犠牲はでかかったな。あれがなけりゃ、ヤマトあたりはシンジュクからの略奪者に勝てたかもしれねえ」
それで、ヤマトにはいまだに男手が少ないのか。
考えていると、
「だからよ」
とオキは念を押すように声を強めた。
「あんた、ちょっと無茶したとは思うが、最初にグンジたちに相談を持ち掛けなかったのは賢い選択だったと思うぜ。あんたもさっき言ったが、グンジやヤマトの連中は、きっとほかの村の協力がなくても突っ走ろうとするだろう。自分らが犠牲になってでもな」
「うん……」
「おれが、ネリマに持って帰って、まあ十中八九了解は取れると思うが、そしたら目ぼしい村に根回しをしてみる。ナギもアスカの繋がりで、いくつか声を掛けられるだろう。協力する村が出てきたら、そん時に話せ。そんなに時間はかからねえ」
「そうだね」
答えて、ため息が漏れた。そうだ。根回し。それができれば、こんなに痛い目に合わなくて済んだのに。
「はあ。オキさんのところに最初に話を持っていけば良かった」
すると、オキは少々気まずい顔であいまいに笑った。
「おれならまあ、いいが、ネリマの村でも対応はあんまり変わらなかったかもしれないぜ? 要はさ……怖いんだよ、みんなシンジュクが。――あんたはヤマトの客だから、ピンと来ねえかもしれねぇが」
そう前置きして、オキは渋面を作る。
「ヤマトってのは、後からあの場所に移り住んできた村だからよ、シンジュクの被害にあったっつったら、例のあの事件だけだが」
軽く息をついて、
「もっともっと昔、おれもナギもまだ生まれちゃいねえ頃のことよ? ここら辺の村は、長いことだいぶシンジュクに痛めつけられてきたんだよ」
(もっともっと、昔――?)
ハルは内心で首を捻る。
最初の覚醒者であるトキタが目を覚ましたのは、二十年ほど前のことと言っていた。それより前――とすると、核シェルターに起きたまま入った「避難者」という人々だろうか。彼らもまた、周りの村といざこざを起こしていたのか?
「あんまり詳しいことは、おれも知らねえ。具体的に何があったのかはな。略奪、乱闘、搾取。いろいろと、ふわっとした話は伝わってるけどよ、長いことあそこと周りの村には確執があってな。それも、一方的にやられっぱなしだったようだよ。おかげでじい様のじい様よりもっと前の代から、シンジュクは怖えって話が伝わっててな。そうは言っても最近じゃなんにもねえなって思ってたとこに、あの人攫いの事件だ。周りの村は、シンジュクにゃ敵いっこねえって腹の底に植え付けられてるから、ほとんど抵抗らしいこともできずに持っていかれたよ」
膝の上で拳を握りしめるオキ。悔しさが滲み出る。
「ここらの村の連中がシンジュクに抱いてるのは、ただただ、恐怖よ。おれはあんたのことを前に知ってたからいいが、知らなきゃ『シンジュク』って名前を聞いただけで大の大人が縮み上がって我を忘れちまう。情けねえなあ」
ああ――。ハルは目を閉じた。
(おんなじだ……また)
暴力が恐怖を生み、恐怖が次の暴力を生む。
ハルがいま痛い思いをしているのも。
核戦争が起きて世界が滅んだのも。
要は、同じ。
恐怖。そうだ、自分だって、村に乗り込んできた盗賊を話も聞かずに殴り殺したじゃないか。
銃を突き付けてきたツルミの隊商に、銃口を向け返したこともあった。互いに相手がなんだか知れないから。疑うに足る理由があったのではない。信用するに足る材料がないから。ただ、それだけの理由で。
同じことだ、それと。アスカの村にやってきて受けた暴力も。これまで自分がほかの存在に対して振るってきたものと。
何度でも、繰り返す。
時代が変わっても、暮らしが変わっても、人間が変わっても。
どんなに崇高な理念を持ち高度な文明を築いた人間でも、等しくそこから逃れることができなかったのだ。
(ほんとに要るのか? こんな世界……)
目を閉じたまま、長いため息をついて。
「ああ。悪いな。すっかり長話しちまってよ。辛いかい?」
「いや……」
薄っすらと目を開けて、中空を見つめながら、
「オキさん、おれは本当は、分からないんだ」
「ん?」
「ここに来てから。廃墟で襲われて撃たれたし、毒虫に刺されて片腕を切り落とした人も見て、困ってる人に銃を向けられたり。盗賊が村にやってきて、そいつを殴り殺したりして。今また、知らない場所で目を覚ました」
オキがかすかに首を傾げるのが、ぼんやりと見えた。
「村の子供たちは――」
「うん?」
「都市の中で、安全に暮らしてるよ。親もいないし、楽しみもほとんどなさそうだし、何かに感動したり楽しんだり夢や希望を持ったり、そういうことはなさそうだけど、少なくとも襲われたり奪われたり殺し合ったりすることもない」
「あんたは……」
オキは、それまでとは打って変わった弱々しい声を上げた。
「会ったのかい? おれらの子供たちに」
「見たんだ。彼らには、おれは見えていなかった。知らないものには興味を持たないんだって。あんまり――刺激のない毎日を送っているんだ。好奇心とか、冒険心とか、そういうのとは無縁のね」
「そう、か……だけど」
やはり、それは弱い声で。おずおずと、訊く。
「安全な場所で、無事に暮らしてるんだな」
「そう――外よりもずっと平和だよ」
ハルは、オキに視線を向けて。
「あんたたちは、本当に子供たちを取り戻したいのか? 奪い合ったり、殴り合ったり、殺し合ったりしてる、この村に?」
「おれは……」
言いかけて、オキは膝に両肘を付き顔の前で手を組み合わせた。
「取り戻してえ。親の勝手だって言われるかもしれんが」
弱々しい笑いで、ハルへと目を向ける。そうして話し出した声は、少し震えるようだった。
「あいつが――息子がいなくなってな。おれたちの暮らしは一変しちまったよ。今じゃ娘がいるが、あの子がちょっとずつ大きくなるたんびに、おれの中で大きくなるのをやめちまった息子が頭に浮かぶ。あいつの成長が楽しみで仕方なかったんだ、それまでは。それが、消えて――顔が見らんなくなって。人生が丸ごとなくなっちまったみたいに思った。いつもあいつがどこでどうやって暮らしてるのか、そればっか考えてなあ」
フッと、オキは情けない笑顔になった。
「女房と二人の食事は、味もしなかったよ。美味いんだよ? けど美味けりゃ美味いほど、あいつに食わしてやりたいなあ、ちゃんと食ってるのかなあ、もしかしておれだけ食ってるんだったら、申し訳ねえなあってな。わざと、味も感じねえようにしてた。見えるんだよ、三つ目の椅子に、あいつが。大好きなもん頬張って、はしゃいでるのが。なのに、いねえ。ずっと時間が止まったまんまだ」
ハルは、切なげな笑いを浮かべるオキの顔をじっと見ていた。
脈絡もなく、弱々しい口調で紡ぎだされるそれは、父親の言葉だった。
(父さん……)
「なんで、守ってやれなかったかなあ。後悔しても、し切れねえ。もしももう一度あいつを取り戻すことができたら、絶対に手放さねえよ。どんなことしたって」
(父さん――ごめんね。いなくなって)
シンドウ・チハルの父親は、オキやグンジみたいに大きくて力強そうな男じゃなかった。彼らに比べると、細くて軟弱そうだ。でも、一人息子の夢を全力で応援してくれる、いい父親だった。
ハルがいなくなった後で、父はこんな顔をしたんだろうか。
悲しんだり、何かを後悔したり、した?
(ごめん。突然だったよね)
「だから、もういっぺん、……あ? なんであんたが泣いてんだ?」
唐突に聞かれてハッとして、そっぽを向いた。額に載せていたタオルがずれて、まぶたを覆う。
「泣いてないよ」
「……ハル、あんた、親は?」
「死んだよ。……分からないんだ。どこで、どうやって死んだのか。最期はどうだったのか。けど、死んだ」
「ああ、覚えてないって言ってたっけ。あんたも大変な人生送ってんだな。――たしかにあんたの言う通りだよ。この世界には大変なことも危険なことも、いっぱいある。けどな、そんな危険な、だけど楽しくって美しい世の中でさ、生きてく方法を、ちっとは教えてやれるかもしれねえ。一緒にいりゃ。――辛い目にあって泣いてたら、頭撫でて、背中をさすって、慰めてやるよ」
ふわりと、頭に大きな手が載せられるのを感じた。
「一人で泣いてなくてもいいんだぜ? てさ」
「……泣いて、ない、って」
そう言ったけれど、オキの手はしばらくの間、ハルの頭を優しく撫で続けていた。
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