第27話 疑い

「聞いてやろう」

 アスカの村の取りまとめ役だと言ったナギは、剣呑な色を浮かべたまなざしでハルを見据える。

 細められた瞳の奥にあるのは、激しい憎悪。

「いったい今度は、どういう取引を持ち掛けようと言うのだ? 子供たちと引き換えに、何を要求しようと?」


「違う、そうじゃなくて、おれは……」

 釈明しようとするハルだが、ナギの視線はゆるがない。


「おれはシンジュクの間者じゃない。ヤマトの客で、攫われた子供を取り戻すためにほかの村と協力をし合えないかと……」


 つたない弁明をしながらも、どうにかここを切り抜ける方法を考えている。

 きっとこの男には、信じてもらえない。一度抱かれた深い疑いを払拭する術を、ハルは持っていない。最善の策は、どうにかこの場を切り上げて帰って、この経験を反省して別の方法を模索することだ。次の交渉相手には、疑いを抱かれないように……けれど、どうしたらここから帰れる?


「ヤマトの客、と。新たな侵略のために、我らとともに苦渋を舐めた村々の名をも利用しようと言うのか? まったく、見下げ果てた性根だ……」


「だから……そうじゃないって」


「こちらが話を聞いてやろうと思えば」

 ナギが手を振り上げる。

「つらつらと下らぬ弁解を。恥を知れ!」


「じゃなくて……あんたがさっきから勝手に決めつけてるだけじゃないか!」

 思わず叫んだ直後だった。


 その手が振り下ろされたと思うや、横っ面に激しい衝撃が走った。

 ぐらりと頭が揺れる。


 一瞬で平衡感覚を失った体が、倒れる間もなくマントの襟首を押さえられたかと思うとみぞおちに痛烈な拳が入った。「ぐッ」とくぐもった呻きを上げ腰を折っていた。


「押さえろ」


 崩れ落ちようとするハルを襟首を掴んで止めて、冷たい声でナギは周囲の男に命じる。


「なっ、……え?」

 首元を締め上げられて、苦しい息を吐きだしながら、ハルはナギに向かってあいまいに視線を上げた。

「ちょっ、……待っ、……こっちの、はなし――」


 二、三人の男が直ちに駆け寄ってきて、首を解放されせき込んでいるハルの腕を両側から押さえる。そのまままた腹と胸と背中に立て続けに何発も打撃を加えられて。両腕を複数の男に取り押さえられて、ハルは正面に立つナギを睨みつけた。上手く息が入ってこない。上手く声が出ない。


「子供、たち、……取り戻したいんじゃ、ない……のか?」

 

 言った瞬間、両側からハルを制圧している男のだれかの膝がまたみぞおちに叩き込まれ、意識が遠のきかける。

 喘ぐように息を吸おうとすると、口の中に血の味が広がった。


「取り戻せるなら」ナギは押さえつけられているハルを見下ろして、「取り戻したいさ。だが、この村をさらなる混乱に陥れることはできない。村の治安を守る者としてな。貴様のような都市の者から」


「違う、おれは」


 もう弁解の余地も与えられずに、地面に蹴り倒されていた。

 腹に、背中に。憎悪のつぶてを叩き込まれる。息が詰まる。殴り殺されようとしているのだろうか、おれは今。


 そのまま後ろ手に腕を捻り上げられ、痛みに小さくうめき声を上げたところでまた、腹をだれかの膝だかつま先だかが蹴り上げた。続けてこめかみのあたりに強い衝撃を受けて、閉じたまぶたの内側に明滅するような光が走った。


「最後だ。言え。貴様は何者だ」

 ナギは冷ややかに声を落とす。

「本当の狙いを言え」


「おれは……」

 朦朧とする中で。ほとんど無意識に、ハルは言葉を発していた。

「この村の……子供を……」


「都市の手の者には騙されん。さんざん我々に苦渋を舐めさせておいて……今度は村から奪った子供を使って新たな搾取を企んでいるのだろう?」

「おれは、……シンジュクの」

「子供たちを人質にして、次は何を要求してくる? 金か? それとも村の明け渡しか? 子供らだけでなく、村を乗っ取ろうとでも言うのか?」

「間者じゃ……ない」


 逆らいながらも、遠ざかろうとする意識。

 それを必死に繋ぎとめようとして、目を強く閉じ、歯を食いしばる。

 そうする一方で、どうしてこんなことに耐えているのかと――ふと、意識の奥のほうで疑問が湧く。


 どうだって、いいじゃないか。

 この世界がどうなろうと。おれには関係ない。

 あの都市だけじゃない。人類全部、狂ってるんだ、結局。どうなったって、もう知らない。ああ、本当に、滅んでしまえば良かったんだ。みんな勝手にしろ――。


「言え。シンジュクの手の者。何を企んでいる!」


 村に子供たちが帰ってこようと来るまいと。


 地に落ちていこうとする体。髪を掴まれ引き留められた刹那、こめかみから地面に叩きつけられてまたぐらりと世界が揺れ、意識が遠ざかる。


(くそ……)


 あんな……老人の頼みを聞いて、行動を取ろうと思ったが。

 こんな目にあってまで、助けてやる価値のある世界か? もう、どうだっていいだろ。ここでこのまま死んだって。


 冷たい衝撃。

 体に水を掛けられたのだと知る。


「我々の村に、何をしようとしている?」


 都市に囲われた子供たちがどうなったって。

 こんな世界の人間がどうなろうと。


「すべて吐け。そうすれば、楽にしてやる」


 体に叩きつけられる、ナギとアスカの村の者たちの憎悪。

 それをひたすら受け続けながら。


(おれは――)


 息を吸おうとして、咳き込んだ。駄目だ、空気が体に入ってこない。


(今ここで、死ぬんだ――)


 自分の体がどうなっているのか、分からなかった。すべての感覚が失われようとしていた。

 分からないまま、地面に吸い込まれようとしている意識にふと。


「おいおいおいおい! なにやってんだよテメエら!」


 どこか聞いたことのあるような男の声が、引っかかって。


「おい、ナギ! こいつは一体どういうことだ!」


 だれかの腕に体を抱き起こされるのを認識した。


「オキ……来ていたのか」

 ぼんやりと聞こえてくる、歯切れの悪い、ナギの声。


「おうよ。今さっき着いて、門で騒ぎを聞いて来たところよ。――おい、あんた――ハルって言ったな」


 朦朧としている意識のどこか遠くから、声を掛けられたようだ。

 その声の主に返事を返すのも億劫で。ようやくのことで、薄く目を開ける。


「大丈夫か? しっかりしろよ、おい」

 心配そうな声。軽く頬をたたかれる。

「覚えてるか? ネリマの、オキだよ。前に一度、グンジと一緒に来ただろ?」


 かすんだ視界に、眉を寄せて覗き込んでいる男の顔。けれど反応できずに。もう何もかもが億劫で、ゆっくりまた目を閉じる。


「オキ、そいつは――」


 後ろから、ナギが戸惑い気味に声を掛ける。が、オキはその声を遮って、


「ああ、こいつはたしかにヤマトの大事な客だ。そう名乗ったんじゃねえのかよ」

「しかし――その者は、シンジュクの間者の疑いがある」


「あぁあぁ、門で軽く事情は聞いたよ。疑いだと? そりゃ何か根拠があって抱くモンだ。てめえはそんな根拠もなく、勝手にそう勘違いしただけだろうが? 話がしたいって丸腰でやってきた客を、都市の間者って決めつけてろくに話も聞かずに叩きのめしてるってな。よお、これがこの村の礼儀か? 武器を持った人間は村に入れない。武器を持ってなくても、ぶちのめす……ってか?」


「銃や剣を持っていなくても、その者は諍いの話を持ち込んだ。この村にとっては、それは十分な脅威だ! 武器と変わりはない!」


「脅威だと? アスカぐれぇのでっけえ村の大の大人が、礼を弁えて話に来た丸腰の子供一人ぽっちにビビりやがって、恥ずかしくねえのかよ!」

 オキは声を張りあげた。


「ああ、ほら。子供じゃねえかよ、まだ」

 そこでオキは、一度声を静める。その声がまともに顔の上に落ちてきて。顔についた泥だか血だかを拭うように、指でそっと頬を撫でられる。


「子供であろうと、村の脅威となる者は――」

「ああぁ、うるせえよ!」


 また音量を上げて、オキは低い声で怒鳴りつけるように、


「シンジュクの連中がこぞって大挙してきた時は、大事な村の子供らをどうぞとばかりに大人しく差し出してよ。相手が子供一人って見りゃ遠慮なく寄ってたかってなぶり殺しか? 随分と威勢がいいことじゃねえか、おい」


 言って、オキはナギに険しい視線を向けた。


「こいつはヤマトのグンジがてめえの息子みてえに可愛がってる客だ。これが知れりゃ、ヤマトは黙っちゃいねえぞ。シンジュクに怯えるあまりに周りの村と悶着を起こすって、そりゃナギ、あんたのやることたあ思えねえほどの愚行だぜ?」


 クッと、ナギは言葉を失ったように黙る。


 ヤマトが、なんだって?

 また、そうやって――。どいつもこいつも。人のことをなんだと思ってやがる。


「おい、ハル。しっかりしろ。あぁあ、……ったく……本当に、殺しちまうつもりかよ」


 薄っすらと、あいまいな意識の中で、ハルは目を開ける。

 もう――トキタの計画なんかどうだっていい。この世界がどうなろうが、この世界の人間の勝手だ。力を貸してやる義理はない。


「殺せ」


 ようやくのことで吐きだした息とともに、かすかに声を上げる。


「あ?」

 眉を寄せてのぞき込むオキの顔。


「いい、よ。殺せよ」

「おい……?」


「それで……。シンジュクの……トキタってヤツに、伝えて。……ハルは、死んだって」


 最後まで言ったかどうか、もう分からない。

 オキの腕に抱えられたまま意識は混濁し、すっと消えていった。

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