第19話 家族写真
「聞いてくれるかい、この馬鹿でかいハコの中にある、奇妙な世界のことを」
トキタはまた一口コーヒーをすすって、考えるように視線を宙に浮かす。
ハルは少し離れたところに立って、迷っていた。
そんな話を聞かされたら、やっぱりトキタに協力してくれという流れになるんじゃないか? 聞くな、こいつと話すことなんかない。そう思う一方で、やはり村の子供たちが攫われてやってきたこの都市の中でどうなってどういう暮らしをしているのか、気にならないはずもない。
「この都市は、上の生活層と下の冷凍睡眠層、大きく分けて二つの層に分かれている」
チェアを正面に戻し、トキタはそんな話を切り出した。
「それぞれの層は、簡単には行き来できないよう完全に分断されている。上の層に暮らす、『避難民』が、下で眠っている者とその者たちのための備蓄品に手を出せないようにだな」
「ちょっと待って、上に今もその、『避難民』ってヤツらがいるのか?」
「いや、私が目を覚ました二十年前には、すでにだれもいなくなっていたよ。とっくの昔にそこは廃墟になっていた。そしてわれわれが今いる、ここ、冷凍睡眠層。ここは、二千五百人の人間がすべて目を覚まし、万一そのとき外に出られない状態だったとしても、全員が二十年は暮らしていけるだけのスペースと食糧をはじめとした備蓄品が用意されている。つまり――」
そう言ってトキタは、机の上で両手を組んで、わずかに身を乗り出す。
「少なくとも二十年。いや、もっとごく少人数なら数十年は、このシェルターの中に都市を築いて暮らしていけるように最初から設計されているんだよ」
ごく少人数なら――?
「実際のところ、眠っていたスリーパーたちはほとんどが死んでしまった。この都市の中では二〇六〇年代の文明が残され、あの時代の豊かな生活が送れるにも関わらず、そこに暮らすべき人間はいない」
そこで、とトキタは続ける。
「われわれ二十年前に覚醒した数人は、選択を迫られた。この都市の中に、生き残った者わずか数人で豊かに暮らしていくか。それとも外へ出て、現代の人間に交じって文明の崩壊した砂漠の村で生きるか――。何人かは冷凍睡眠計画の失敗に絶望して死に、何人かは外で暮らすことを選んで出て行った。だが一人、ここに残ること強硬にを主張する者がいた」
「一人……って、……あんたじゃないんだろ?」
その一人という響きにどことなく距離を感じて、確認する。
「ああ。ハシバ、という男だ……。私と同年配でな、彼も研究者だったが、どちらかというと経営者としての側面が強かった。冷凍睡眠技術の会社の重役だよ。妙な男だった。彼の立場にあれば、未知の要素の多い冷凍睡眠でなく起きて核シェルターに入ることも選べた。だが彼は、あえて眠ることを選んだ」
ハシバ――。ハルはその名前を記憶する。
この都市の中にいる、トキタ以外のもう一人の大人。子供たちの管理をしている、とさっき言ったか。
「彼は目覚めた者の中でただ一人、このシェルターの、この冷凍睡眠層に、二〇六〇年代の文明を踏襲した新しい社会をつくることを望んだ。だが、周囲の村にはそんな彼の野望に付き合ってくれそうな者はいない。だから、子供たちを攫ってきて育て、あの時代の都市をここに築こうと言うのさ」
「……はあ?」
気づけばハルは、思いっきり眉を寄せて首を傾げていた。
子供たちを攫ってきて、新しい社会をつくる?
「なんだそれ」
「馬鹿な話だと思うだろう?」
「冷凍睡眠作戦の次にバカらしいな。どうなってんの、二〇六〇年代の大人って」
「ああ、まったくな。割りを食うことになったきみたちや村の人たちには、本当に謝っても謝り切れない」
だから、と大きく息をついて、
「どうにかしなくては――と、今、思っているところなんだ」
「どうにかって……そりゃ、ハシバってヤツをどうにかすればいいんじゃないの? こないだも言ったけどさ。敵がそいつ一人なら、別に――」
「いや」思いがけず強い口調で、トキタは遮る。「ハシバの野望をくじいて子供たちを村に帰してもな、おそらくそれで終わりはしないんだよ。それこそこの間も言ったと思うが、それじゃまた同じことの繰り返しになるんだ。何度だって、こういうことが起きる。もっと根本的な問題を解決しないと」
「……根本的な解決って、なんだよ」
「それは……」ため息交じりにそう言って、トキタは額に手を当てる。
そのまま言葉を切ったトキタ。ため息をつきたいのは、こっちだ。ハルは「フン」と鼻を鳴らした。
こんな調子で、問題の解決まで待てるか? 一刻も早く、こいつを殺しておれも死んで。さっさと終わらせたいのに。
黙り込んでしまったトキタから目を逸らしたところで、トキタの背後の棚に置かれている、写真立てに飾られた一枚の写真が目に入った。
「それ、あんたの家族?」
写真立ての中の写真には、トキタに面影が似た壮年の男と妻らしい女性、そして四、五歳と見える男の子が写っていた。何かの記念日に撮ったのか、三人ともめかし込んで。若いころのトキタ――と思しき男が手を掛ける椅子には、髪の長い優しそうな女性。その膝に抱かれた小さな男の子は、楽しそうに笑っている。
(家族写真、か……?)
「ああ……眠る前のな。妻と息子だよ」
「ふうん」
椅子をわずかに回して写真に目をやり、少し歯切れの悪い口調で答えたトキタ。それをちらりと一瞥し、ハルはまた写真を見て、
「死んだの?」
聞くと、トキタはほんの束の間、考えるような沈黙を置いて。
「妻は、死んだ。われわれ研究者や技術者など仕事として眠りにつく者は、所帯持ちなら家族とともに眠ることが許されたんだ。一緒に眠ったが、きみの友達と同じように覚醒には失敗したよ」
「……つくづくバカだね、あんた」
同情なんかしてやるものか。
小さく毒づくと、トキタは分厚い手で顔をぺろりと撫でた。
「本当だ。だが……置いてもいけなかったんだよ」
「息子は?」
「息子は……」
そこで老人――写真に写る「父親」よりも、二十歳は老けている――は、先ほどよりも長い沈黙の間を取って。言うかどうするか迷っているようで、ハルは黙ったままトキタの言葉を待つ。
「生きている」
ようやく出てきた答えは、それだった。
「この都市の中で、村から攫われてきた子供たちと一緒に暮らしているよ」
「村の子たちと一緒に?」
「ああ。七年ほど前になるかな。覚醒してすぐに子供たちの社会に混ぜてからは、一度も会っていない。五歳だった。その歳では長い冷凍睡眠の後まで記憶を保つのは無理なんだ。何も覚えちゃいないよ。自分もほかの子供たちとまったく同じ境遇だと信じて、同じように暮らしているだろう。私も父親だと名乗り出るつもりはないし、会ったとしてもこの老人が父親だとはとても考えられんだろうなあ」
自嘲するように唇の端を上げる。
「息子に何も言わないまま、殺されるつもり?」
「ああ。それでいい。あの子は私のことをまったく知らないのだからな」
ハルはまた写真へと目をやって、
「……名前は?」
「ん?」
「息子の」
「うむ……」どこかうつろな様子で頷いて、トキタは少し黙る。
「息子まで殺したりはしないから、安心しなよ」
「ハハ、ありがたいね。……ユウキだよ」
「ふうん」
ハルは背後にあった壁面の本棚に、トンと背中を持たせて寄りかかった。
少し考えて、
「なあ、おれの父さんと母さんがどうなったか、本当に分からないの?」
腕を組み、上目遣いにトキタをちらりと見やる。
少し待ったが、トキタは答えなかった。
「やっぱり核戦争で死んだのかな」
「……きみのお父さんとお母さんの職業は、なんだ?」
「普通の勤め人だよ、音楽の好きな。父さんは食品会社の会社員で、母さんは幼稚園の先生やってた」
「……そうか。冷凍睡眠に入ったのはごく一部の専門職の者だが、避難民として核シェルターに入った可能性は……ある」
「みんなじゃないんだろ?」
「……当時の計画では、人口の五パーセント程度だな」
じゃあ、普通の勤め人なんかにはとても無理だろうなあ。
本棚に寄りかかったまま、ハルはため息をついて宙を仰いだ。
「核爆弾が落ちたんだろ? 一瞬で消えたよな。きっと……痛かったり、苦しかったりするヒマもなかったよな?」
だけどその前の数年は、どうだっただろう。
「おれが――おれたちが家に帰ってこないこと、家族にはなんて説明したの?」
トキタはまた机の上で両手を組み合わせ、そこに顎を置いた。そうして宙を見つめ、
「私はその担当ではないが、ありのままを話したと思うよ。『お子さんは大変優秀なので、未来に残す優れた人材として冷凍睡眠者に選ばれました。今後世界の状況がいかに悪くなろうとも、確実に守られ未来の世界に安全に送られます』」
「ハハハッ」
今度は本当に笑いが漏れた。
何かが可笑しくて笑ったのは、目が覚めてから初めてかもしれない。
「何それ、最高のギャグだね。喜んだ親はいたのかな」
トキタは同じ姿勢のまま視線だけをハルに投げて寄越したが、答えはない。
「コンクール優勝するたびに、すっごい大喜びしてたんだ、うちの親。毎回初めてみたいにはしゃいで」
床に目をやって、呟くように言う。思い出すのは苦しくて、それなのに少しだけ温かくて、知らず知らずに小さな笑みが浮かんでいた。
「無理してちょっといいレストランで祝賀会なんてやってくれちゃってさ。音楽で中学に受かった時もさ。どっちも音楽かじった程度で演奏家じゃなかったから、まさかうちの子が音楽で選ばれるなんてってビックリしてたけど、めちゃくちゃ喜んでた。そのうち家を改築して、防音室作ってグランドピアノ買うとか言い出して。そんな金どこにあんのって聞いたら、母さんが幼稚園の先生に復帰したから大丈夫、任せろって――それがなんと、今度は人類代表? どんだけスゴイんだよ」
「チハル……」
「自慢の息子だろ。これで核戦争が起こっても息子は助かるって、安心した親いたかな。こんな――それとも」
わずかに声が震えた。
「こんなことになるんだったら、ピアノなんかやらせなきゃ良かったって思ったかな」
あーあ。とハルは大きくため息をついた。
「おれ、喜んでもらいたかったのに……。普通の会社員が子供に音楽やらせんのって、結構大変なんだよ? 金もかかるし、自分らの仕事もあんのに生活みんな子供に合わせて」
息子をピアニストにするために、音楽家でもないごく普通の両親が犠牲にしたものは少なくはなかったはずだ。
「その結果が、これかあ」
額に手を当てる。
と――。
トキタは背後の棚から写真立てを取り上げ、ふたを開けだした。そこから写真を取り出す。
何をするのかと見ていると、机に置いてあったライターを右手に持って――。
「はっ……? なにするんだよっ」
かちりと小さな音が鳴って、ライターが火を点す。
「おいっ」
「きみの前で家族の話をしたことは、配慮に欠けていた。すまん。家族のことは忘れよう。これで許してくれるか」
「はあ? って、おれが聞いたんだろ? おいやめろよ」
思わず床を蹴っていた。火が燃え移るギリギリのところで、ハルは机に片手を付きトキタの手から写真を奪う。
「やめろって!」
端がほんの少し焦げている写真をパタパタと振るハルに、トキタが不思議そうな目を向けていた。
「なぜ止める?」
「……なぜって……」
そうだ、なぜ止めた? 殺したいほど憎い男が家族の写真を燃やすくらい、黙って見ていればいいじゃないか。そもそもどうせ、そこらに置いてあるコンピュータやなんかの中に、データが残ってるだろ。
きっとこんなのは、反抗的な態度ばかり取っているハルを手懐けるためのパフォーマンスだ、そうに違いない。
けれど――。
「あんたは……だって」
言いかけて、上手く説明なんかできずに。
「ずるいよ」
悄然と、ひとことだけ落とす。
いや、結局――何を言っても八つ当たりにしかならないのだ。
トキタはただ拗ねて攻撃的になっているハルを、あやしているだけで。――自分の「計画」とやらに、協力させるために。
「……もう帰る」
写真を机の上に置いてくるりと身を翻すと、背後でトキタが立ち上がる音が聞こえた。
「そうか……おしゃべりに付き合ってもらって、悪かったね。出口まで送るよ」
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