第20話 盗賊

(もう、あいつのところに行くのはやめようかな――)


 それからずっと、ぐるぐると同じことを考えている。


(やめて、どうしようか)


 畑に鍬を入れながら。

 夏は野菜の生産が活発なヤマトの村だが、冬の間は一部の自給用の作物を除いては休耕期に入る。来年のシーズンに備えて、冬の前に土の手入れをするのだとか。


 砂ばかりの土地で、土は貴重だ。まだ残っている場所もあって、そこと取引をして買い取り、懸命に手入れをしてどうにか長持ちさせる。だが限りある量の土では、耕地を広げることはできない。


 それに――。軽く周りを見やって、思う。

 やはり人手が少ない。


 ――力仕事は大変だろ、あんたのとこじゃ――


 グンジとオキの会話を思い出す。子供が都市に奪われて労働力が不足しているというのは周囲の村はどこも同じだろうが、ヤマトには特別に人手が少ないのだろうか?


 言われて気にしてみれば、比率的に男が少ないような気もする。女も重労働をこなすが、力仕事となるともう少し男手があったほうが効率がいいだろうなと思う。


 ――うちももう少し生産量を増やしたいところだが――


 手伝ったところで、ピアノを弾くしか能のないハルの非力な腕ではたいして役に立っていない。

 一生懸命畑を耕すよりも、連れ去られた子供を何人か取り返してくるほうがこの村のためになるのだろうか。


(いやいやいや、労働力不足を補うために子供を取り返すって、ダメだろそれじゃ)


 そう、子供を奪われた親の元に返すために、だ。

 だいたい、都市の中で外のことを忘れて生活している子供たちだ。ハルと同じようなひ弱そうなのがあと何人か増えたところで、食い扶持が増えるだけで役には立たないかもしれないぞ?


(うーん……)


 いつの間にか、鍬に身を持たせて考え込んでいた。

 冬に差し掛かって、日差しは強い光を投げかけるものの、暑さはそれほど感じなくなっていた。


「おはよう、ハル。精が出るねえ」


 畑の外から声を掛けられて目を上げると、別の畑から作物を収穫してきたのだろう、大荷物を抱えた女が立ち止まって笑いかけていた。


「おはよう、ニーナさん」

「見なよ、今季最後の収穫物だ。これで昼と夜の宴はごちそうを作るから、楽しみにしてな」

「重そうだね。運ぶの手伝おうか?」

「いいよいいよ」


 にかッと笑ったニーナの横を、六、七歳くらいの子供が四人ほど追いかけっこするように走り抜けていった。きゃはきゃはと言い合いながら、広場のほうへと駆けていく。


「寒くなってきたのに、元気だねえ、あの子たちは」


 笑ってはいるが、その笑顔が少し曇ったように見えるのは、ハルの先入観のせいだろうか。

 ニーナの娘も、都市に攫われたのだ。まだまともに一人で歩けるようにもならない頃だった、と言っていた。


『年上の子に任せてね、子供ばっかで遊ばせてたんだよ。みんな仕事に忙しかったから。大人が付いていりゃ、連れていかれなかったかねえ』


 大人たちは、それぞれに後悔していた。


 ――こんなことになるんだったら、ピアノなんかやらせなきゃ良かったって思ったかな――


 ハルの両親が、もしかしたらそう思ったかもしれないように。




 畑仕事をしていた男たちとともに休憩用の小屋に行くと、リサとニーナが鍋をかき混ぜていた。近くでほかの作業をしていた村人たちも集まってきて、賑やかな食事の時間になる。


 村の野菜をふんだんに使った、いつもと同じようなスープだが、においが違う。鍋をちらっと覗いてその場を去ろうとしたハルに、スープをかき混ぜながらリサが耳打ちをしてきた。


「こないだあんたがシンジュクから持ってきた、調味料。またあれで作ってみたよ。便利だし、面白い味が出るね。いいもん持って帰ってくれたよ。うん、調味料はいい。また頼むよ?」


「あ、そ、そう?」

 あいまいに笑う。


「うん。だけどニーナにはさ」

 さらに少し声を潜めて、数メートル離れた場所で皿の山を抱えているニーナに軽く視線をやって、

「あんまりこのこと言わないでやって。やっぱりシンジュクって名前を聞くのは、ちょっと辛いと思うんだ」


「うん。分かった」

「よし、じゃああんたもいっぱい食べな」

「ああ、うん……おれちょっと、向こうでまだ作業があってさ、後でいいよ」

「ええ? そうなの?」


 逃げ出すように小屋を出て、広場の階段に腰を下ろす。

 正直、食欲が湧かない。


(あの味は……)


 昔、当たり前に食べていた、前時代の合成調味料の味。あれは中途半端に記憶を刺激して、味に付随してほかのいろんなことが思い出されて、ダメだ。たとえば父と母との食卓だとか。

 そうして、自分は「過去」に対して、後から思い返してただ懐かしいと感じるようなキレイな別れ方をしていないのだ、という現実を突きつけられる。


(うじうじしてるなぁ、おれ)


 もっと図太くなれたらいいのに。

 ……早く、こんなの終わらないかな。


「はー」っと大きく息を吐きだして、前のめりになる。


(腹減った……)


「おい、食べ盛り」


 後ろから声を掛けられて、ビクッと背を起こし振り返ると、ニーナが大きな皿を持って笑っていた。


「ほら、食べよ」


 そう言って隣に腰かけたニーナ。二人の間に置いた皿の上には、さっきリサたちと作っていたのとは全然別の、饅頭のようなものが載せられていた。


「あの味キライ仲間だよ。これなら食べるでしょ」

「え……」

「こないだも、ほとんど食べてなかっただろ? ほら、ちゃんと腹に入れとかないと、午後の作業ができないよ」


 にっこり笑って饅頭を取り上げると、ニーナはハルの口に一つ押し込んだ。


「むっぐっ……あ、ありが……」


 息が詰まりそうになりながら、ニーナの気遣いに感謝した。自分はいつまでもめそめそとして、この村の人たちに心配ばかりかけているらしい。


「あたしも、さあ」自分も饅頭を頬張りながら、「あれはあんまり口に入れる気が起きなくてね。シンジュクのことは、やっぱり憎ったらしいし」


 けどさ――と、欠けた饅頭を見つめて。


「あの子らあの味のモン食べてんのかなって思うと、ちょっと興味はあるけどもね。あたしらと全然違う生活してるんだろうか、とか、向こうのほうがいい生活なんだろうか、とか。いや、いい生活しててくれてたらそりゃいいよ……帰ってきて欲しいけど……ガキだったからねえ。この村のことなんか覚えちゃいないよね。向こうに慣れちまったんだったら、そのまま向こうにいるのが幸せなのかねえ」


「あの……ごめん」


「ああ、誤解しないでよ。あんたに抗議したいわけじゃない。あたし個人的にはこうだけど、村にとって良いもんを持ち帰ってもらってるのは、感謝してるよ。あの調味料だって」


 饅頭を片手に広場のほうに目をやって、ニーナは続ける。


「いつもの味に飽きてる連中のためにさ、ちょっと変わったもんを作ろうと思うけど、味付けの材料は多くはないし、凝った料理をするには時間が掛かる。あれを使えばその分の時間が浮く。浮いた時間を別の生産作業に充てられる。食べモンの味に楽しみがあれば、やる気も起きる。結果として、それは良いことなんだよ」


「前向きだね」


「ま、そうでも思わないことにはさ。――あのさ、前ってのは、自分で向くもんだろ? だれかが向かせてくれたりなんか、しないんだ」

「……うん」

「でも、それにかかる時間には違いがあるよ。あんた、無理はしなさんな」


 優しく笑って、ニーナは三つ目の饅頭を頬張る。


「そら、もっと食べなよ」


「うん。ありがとう」


 小さく笑って差し出されたそれを手に取ると、ニーナも満足そうに笑って、それから少し困った顔をした。


「しっかし……もしもあの子らがこの村に帰ってきたら、あたしらあれを作ってやらなきゃならないんだろうか……」






「ハル、もううちに帰るの?」


 村の入り口に近い厩舎から出たところで、ルウが声を掛けてきた。


「うん」


 馬にエサをやりブラシをかけ終えて、いつも通りに地下室でピアノを弾こうと建物に戻りかけたところだ。


「今夜もピアノを弾くでしょ。後で聞きにいくからな!」

「ルウこそ、まだ帰らないのか? もう暗いよ?」


 それに寒くなってきたし。


「遊んでないで、早く帰れば?」


 ブラシを厩舎の入り口に置いて、畑から持ってきた農具やなんかを抱えると、ルウの背後のドアから四、五人の子供が賑やかな声を立てながら表に出てきた。


「今日はこの子らの親が遅くまで仕事してるから、面倒みてるんだ。それが終わったら帰るよ」


 遊んでいるように見えて、ルウも仕事をしているのか。


「ルウー、次は? 羊と毒虫ごっこ? それとも――」

「木登りは?」

「もう暗いからムリだよ」

「棒倒ししようよ!」

「ダメダメ。ルウがいつもムキになるから、全然楽しくないんだもん」


(やっぱり遊んでるのか……)


「じゃあ、隠れんぼ!」

 小さな女の子がそう言ったのを合図みたいにして、子供たちが一斉に言葉を切った。


 静かになったその場に、

「あ、隠れんぼは……あたしは……」


 そう言ったルウの声がいつもと違う調子で、立ち去ろうとしていたハルは思わず子供たちを振り返る。


(……ルウ?)


 ルウの口からは聞いたことのない、歯切れの悪い、弱々しい声。子供たちに向ける笑顔も、どこか引きつっている。

 けれどそれは、ほんの一瞬のこと。


「ダメだよー」

 声を上げたのは、子供たちの中では一番大きな男の子だった。

「ルウは隠れんぼはしないんだよ! な!」


「うん」

「じゃあやっぱり、羊と毒虫ごっこにしようよ」


「そうだなあー」

 そう言ったルウの声と表情は、もういつものものだった。

「じゃああたしが毒虫だ! そら逃げろー!」


「きゃー!」


(さっきの反応は、なんだったんだろう……)


 走っていく子供たちの声を背後に聞きながら、角を曲がって寝起きしている建物に続く道を歩きだす。本当に、冷えてきた。

 この世界の冬は、どのくらい寒いのだろう。考えながら、真っ暗になった空を見上げた時だった。


 唐突に、背後で銃声が鳴った。


 続けて女たちの叫び声と、男たちが何かを言い争う声。村の入り口のほうからだ。


(――え?)


 緊迫した争いの声は、さらに大きさを増す。


 何事かと、農具を携えたまま騒ぎの方向に目をやっていると、建物の角から村の男が飛び出してきてそこで立ち止まり、


「盗賊だ! 逃げろ!」

 叫ぶ。


「……えっ」

「早く! 女と子供を隠せ! 村の奥へ逃げろ!」


 ところどころにいた村人たちが、声を上げながら一斉に動き出した。男たちは門のほうへ。女たちは、子供の手を取って奥へと駆け出す。


(まさか、また都市のヤツらが――?)


 そう思って、はっとする。


(ルウたちが、門の近くでまだ遊んでるんじゃ?)


 駆けだそうとしたところで、大きな喚き声と銃声が立て続けに何発か聞こえて、ハルは建物の陰に身を隠した。

 

 銃声――。聞いたことのない種類の銃の音だ。村のものじゃない。


 それに続き、


「われわれの目的は、殺戮ではない!」


 知らない男の、野太い声。

 ――人間の声だ。ロボットじゃない。


「大人しく、食糧と金目のものと女を差し出せ。抵抗しなければ殺しはしない!」


 大声で言いながら、盗賊はこちらに近づいてくる。

 どこか少し離れた場所で、同じような大声と銃声が聞こえた。賊は複数いるらしい。


 じりじりと、建物の陰に引っ込んで男が通り過ぎるのを待つ。ルウたちが逃げたかどうか、確認しなくては。


 遠くで銃声が聞こえ、男の声、続いて女の悲鳴。

 建物の向こう側の通りからだ。


(何が起こってるんだ……?)


 立て続けに何発か、また銃が放たれる。


(四人はいるかな……)


 バクバクと心臓を鳴らしながら、頭のどこか冷静な部分で考える。村の銃は、拳銃のほかには二種類ほどの小銃しかない。そのどちらでもない聞いたことのない種類の銃の音が、いくつも聞こえる。

 相手は盗賊だ。あちこちで盗んだバラバラの銃を使っているのか?


 そっと陰から身を乗り出して、通りをうかがう。通り過ぎていった男が、まだ近くにいる。


 あちこちから銃声も聞こえてくる。

 耳を澄ませて、ハルはその音を懸命に聞く。

 Cシャープと、E、Fフラット、それから……。


 四種類? いや、あの男の持っているのを入れて、五種類か?


(……くそッ、分かんないよ!)


 男の背中が数軒先の建物の向こうに消えたのを確認し、門の方向へ走り出した。

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