第18話 ハコの中の社会
いなければいい、と思った。
トキタがそこにいなければ、どうにもしようがない。
仕方ない、開いているというドアの中に、村人から預かった「返礼品」を適当に投げ込んで、帰るだけだ。
やっぱり都市との商売は無理だったみたいだ。そう言ったら、グンジたちはがっかりするだろうか?
もやもやと考えながら先月と同じ場所に馬をつないで、麻袋を肩に掛け、念のため拳銃だけはマントの下に隠し地下通路を抜ける。開け放たれた都市への入り口のドアの前に――。
(なんでいるんだよ……)
こいつヒマなのか? 来るか来ないか分からないハルを一日待って? やることなくて退屈しのぎに「子供たちを開放」とかほざいてんじゃないか? さっさと殺してやろうか?
手前で立ち止まって頭をぐしゃぐしゃと掻きながら考えているハルに気づいて、トキタは満面の笑みを浮かべた。
その嬉しそうな顔がさらにシャクに触って、ハルは嫌な顔をする。
「よく来たな、チハル」
なかなか近づいてこないと見ると、トキタのほうから歩み寄ってくる。
ハルは麻袋の紐を掴むと、目の前まで来たトキタの腹めがけてそれをぼすんと投げ渡す。
「おれは……村の人たちが、こないだの返礼品を渡したいって言うから、持ってきただけだ。……それとも、殺される準備はできたのか?」
「すまん、もう少しかかる」
「やる気あんのかよ!」
「もちろんだが、いま計画を立てているところだ。ともかく今日は、座って話さないか?」
「話すことなんか、ない。帰る」
「まあ待ちなさい」
踵を返そうとしたハルの腕を、トキタが掴んで止める。
「だから触んなって!」
「おお、すまん」
振りほどかれた手を万歳の形に挙げて、トキタはたいして済まないとも思っていなそうな声を上げた。
「けれど、村の人たちにまた何か持って行った方がいいだろう? 商売をする気になったんじゃないのかね」
トキタに背を向けたまま、ハルは思いっきり嫌な顔をしていた。
ヤマトの人たちは。きっと、ハルが何か良い品物を持ち帰ってくることを期待していることには違いないのだ。
「こちらにおいで」
言いながらドアの中へと歩き出すトキタに、仕方なくハルは続く。
何か情報を得て、こいつ抜きで子供たちを奪い返す作戦を考えようか。そうしたら、こいつを殺してもヤマトの村に子供たちを帰せるかもしれないし。子供たちがどこにいるのか、妨害してくる敵がなんなのかが分かれば。次の満月の日あたりに、さっさと片付けて……。
そんなことを考えながら歩いていくハルの二、三歩前を、後ろで手を組んでトキタは悠々と歩いていく。
「チハル、きみが今いる村は、なんと言うんだ?」
「……ヤマトだ」
「ふうむ。そんな村があったかな。この数年『外』に出ていないから、あまり外の村の名前を覚えていないんだが」
「……西の方向に、ここから一番近い村だよ、百人くらい住んでて、まあまあ大きい」
「そうか。どうやら村では親切にしてもらってるようだな」
すぐには答えずに、フン、と鼻を鳴らして……。
「どっかの都市のおかげで、労働力に不足してるみたいだしね」
せいぜい皮肉でも言ってやろうと思ったハルだったが、数歩先を歩くトキタは満足げな顔で振り返る。
「ピアノがその村にあったのか?」
「はっ? なんでっ?」
思わずまともに返事をしてしまった。
「こないだきみは、私を殴らなかった。『拳を使うな』と言って止めた時に。もう二度とピアノが弾けないと思っていたら、きみは私を殴るのを躊躇わなかっただろう?」
「……」
ハルは唇を噛んだ。
いや、今に始まったことじゃない。こないだから、いろいろと見透かされているのだ、この老人に。
「ピアノ見つけてなかったら……」低い声で、「一ヶ月目で死んでた」
「……そうか」
そう言ったトキタの口調には、ほんの少し悲しそうな表情が混ざっているように感じられた。
ふと、前回聞きそびれたことを思い出す。
「あんたなんであの時、目が覚めたばっかのおれを外に放り出したんだ?」
「ふうむ」トキタは呑気な声を上げる。「その理由を理解してもらうためには、その前にいろいろと説明しなければならないことがあるのだが。ひとことで言うなら、生きてほしかったんだ」
「はあ? おれあの後すぐに廃墟でロボットに撃たれて、死にかけたぞ?」
「そうだったか……。それはすまなかったな」
(すまなかったで済むか!)
苛立ちの絶頂に達しているハルをよそに、トキタは先に立っていくつかのドアを抜けて長い廊下を歩いていく。
目を覚ました最初の日に見たのと同じような、やはり無機質で飾り気のない通路。ひびだらけの砂漠の建物よりはずっと清潔そうで頑丈そうで隙がないが、砂漠の建物のほうが「生きている」ように思えるのはなぜだろう、と頭の片隅で考えた。
「チハル。普遍のものだと信じていた日常を失って、愛する家族も信頼する友人も亡くし夢も希望も奪われた人間を、最後に生かすものは、なんだと思う?」
それまでよりも一回り大きなドアを開けて、少し進んでエレベータに乗り込みながらトキタは小さく後ろを振り返った。
「……は?」
「私はな、『怒り』だと思ったんだよ」
何を言い出したんだ、こいつ。
怪訝に眉を顰めたハルのことをもう振り返らずに。トキタはエレベータの上昇ボタンに視線をやっていた。
「どれだけ手厚くフォローをしようとしてもね、死を選んでしまった人たちがいたんだ。みんなが死んだ中で、奇跡的に生き残ったのにな」
エレベータを降りると、後ろ手に手を組んだまま、トキタは軽くため息を落として、歩いていく。
「生きていれば希望があると言ったって、信じられないだろう、きみだって? 目先の楽しみがあったって。たいしてよく知りもしない人間が一般論で『生きること自体が素晴らしいのだ』と言ったって、無駄だろう? 死を選ぶなんて、簡単なことじゃないはずだ。なのに――」
またひとつ、ドアを開ける。その先は通路の両側に、それまでよりも幾分狭い間隔で、個室らしいドアが並んでいた。
「なのにな、百人に一人の確率で奇跡的に生き残った人間が、絶望を理由に簡単に死んでしまうんだ。やり切れなかったよ」
そのドアの間の通路を進みながら、トキタは前を向いたまま、
「それで考えた。人とのつながり、社会的地位、物欲、夢や希望、喜び、楽しみ。それらの中で、一番確実に人間を立たせておくものは、怒りや憎しみではないか? ――そう考えたんだが」
言いながらひとつのドアの前で立ち止まって、ドアノブに手を掛けハルを振り返る。
「だが、一面ではそれは正しく、もう一面では間違っていた。そのことが、分かったよ――さあ、着いたよ、ここだ」
そう言って、ドアを開けハルを招く。
渋々とそのドアの前まで行って室内を目にし、ハルは目を見張った。
二〇六五年に当たり前に見ていた、だれかの部屋。
半年間、色も模様もほとんどない砂漠の村を見続けていたハルには、それは色の大洪水に見えた。視界に流れ込んでくる、色彩。帰ってきたような懐かしさと、再び踏み入ってはいけない禁断の場所を前にしたような恐れを同時に抱いていた。
それは、失われたはずのもの。それが存在するなどまやかしに過ぎない。ここに取り込まれてはならない。
言葉を失って立ち竦んだハルの背を、トキタが軽く押す。
その手を振り払うことも忘れて、ハルは室内に入っていた。頭のどこかで入るべきではないと思いながら、背を向けることはできずに。
(……っていうか)
「臭せえ!」
室内に充満しているたばこの臭いに、思わず抗議の視線で後ろから入ってきたトキタを振り返る。
「あー、すまんすまん。きみが来てくれるかもしれないと思って今朝から我慢してたんだがね、なにぶん長年染みついた臭いは」
「今朝からくらいで取れるかよ!」
「ハハハ、まあ好きなところに座ってくれ」
そう言われても、椅子らしいものが見当たらない。乱雑に積み上げられた本や床に無造作に置かれたいろんな機械。両側の壁面には全面に本棚が設えられていて、上から下までびっしりと本が並んでいた。
「コーヒーでいいかね?」
ドアを閉めてまっすぐにキッチンスペースに向かったトキタの声が、ケトルに水を注ぐ音とともに聞こえてくる。
「何も要らない。すぐ帰る」
「まあ、そう言わんで。少しばかり相手をしてくれ」
そんなのんびりしたことを言うトキタに抗議をすることも忘れて、室内を見回していた。色とりどりの本の背表紙に、漢字のタイトル。
記憶の中では半年前まで当たり前のように見ていたそれらが、妙に遠く感じた。
医学、工学、科学系の専門書が多い中に、ちらほらと歴史書や小説が混ざっている。きちんと種類別に整理されている気配はなく、それらはテーマも形もバラバラに乱雑に詰め込まれていた。
「あんた、音楽はやらないの?」
本棚に目を奪われながら、思わず聞いていた。
「ん?」
キッチンスペースからトキタが顔だけ出す。
「聞くのはそれなりに好きだが、演奏するほうはやったことがないな。どうしてそんなことを?」
「……なんかの楽譜がないかと思って」
「ふうむ……そう、か……」
トキタの方が少々気落ちしたような声を上げたのに、はっと我に返る。
(何聞いてんだ、おれ)
「いや、なんでもない。帰る」
「まあちょっと待ちなさい。すぐコーヒーが入るから」
「だから要らないって。てかなんでここまで連れてきたんだよ。コーヒー飲むしか用がないなら帰る」
「まあまあ。ほら、今からヤマトの村への品物を出すから」
カップの音が鳴って、コーヒーの香りが漂ってきた。
「ここは私の居室兼書斎だよ」
トキタは湯気の立っているマグカップを両手に持ってキッチンから出てくると、部屋の正面に置いてある大きな机のところまでやってきて、置いた。
「この都市の中じゃ、ここが一番落ち着いて話ができる。さ、コーヒーが入ったよ。砂糖はそこ。ミルクはこれ。粉しかないんだが――ああ、そこに座れ」
トキタがそこらに積んであった本をどさどさと動かしコンピューターをどかすと、椅子が出てきた。
「座らないし、コーヒー要らないし、話すこともない。さっさと商売の品を寄越せ」
「きみはせっかちだな」
言いながら自分は机の向こう側の大きなデスクチェアに腰かけて、トキタはコーヒーを一口すすった。
「私だって、生の人間と話すのは久しぶりなんだよ。殺される前に少しくらいおしゃべりに付き合ってもらってもいいと思うがね」
「……って、この都市には子供たちがいるんだろ?」
トキタの意外な言葉に、ハルはわずかに目を見開く。
「あんたは会わないのか?」
「子供たちは、子供たちだけの社会で暮らしている。彼らは、学校や子供の世話をする一部の関係者以外の大人は、別の階層で暮らしていると思っている。だが実際には、彼らのほかにこのシェルターの中にいる人間は私ともう一人、子供たちの管理をしている者の二人だけ。彼らが『人間の大人』だと思っているのは、ロボットだ」
「……は? ちょっと待って」
あまりのことに、ハルは理解が追い付かない。
「ここには、あんたともう一人の大人と、あと子供たちしかいない?」
「そうだ」
「それに、ロボットを大人だと思ってる……って?」
「きみが眠る前の時代にも、あっただろう。人間の形をして、人間みたいな動きをするロボットが」
「そりゃ……あったけど」
思い返す。家事や育児や、工場作業、受付、警備、医療などの仕事をする、ほとんど人間と同じ大きさで同じような四肢を持つ、二足歩行型ロボット。業務用はだいぶ流通していたが、家庭用はまだ発売されて間もなく、一部の金持ちの家にしかなかったと思う。
仕事をさせるだけなら仕方ないとしても、家に置いておくには中途半端に人間に似ていて不気味だったし、少なくともハルの周りで欲しいと言っている人間は見たことがない。
「そんな、人と間違えるほど似ちゃいないだろ」
廉価版でも簡易的な人工知能を搭載しているが、見たことのある範囲では、決まった動作をちょっとぎこちない動きでこなし、決まった文句を機械音で出すだけのロボット。人間と区別がつかないなど、考えられない。
「そうなのだが、そういうロボットが存在することを知らなければ、『変な感じの人間』と思うかもしれないな」
「あ……」
そういえば村の人々も、子供を攫いに来たヤツや都市の周辺を哨戒しているヤツを人間だと思っているフシがあった。遠目に見ただけで区別が付かなかったのかと思っていたが、ロボットだという可能性に気づいていないのか。
「それに、物心つく前からアレが『人間の大人』だと認識して育ってきた子供たちだからね。そういうものだと思っているのさ。ほかにもおかしなところはいっぱいある。この都市にはね」
チェアを回転させて横を向くと、トキタはフーっと長い息を吐きだす。
「まず、都市の外に人間はいないと信じている。外は核戦争で汚染されて、人間の住めるところじゃないと。自分たちが外から攫われてきたことも、もちろん知らない。本当の父や母のことも忘れているし、そういった一般の大人は別の階層で暮らしていると思っている」
嘘だろ。なんだそれ。
言い知れない不快感に思わず眉を顰めたハルをちらりと見て、トキタは言った。
「そう、この都市の中には、本当にいびつで薄気味の悪い社会が出来上がってしまっているんだよ」
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