第17話 砂漠の村

 この世界ではどの村も、ヤマトと同じように周囲を柵に囲われて大きな門を持ち、門番の人間が入り口に立っている。

 ヤマトは百人近い人口がいるが、小さな村は五、六十人のところから大きいところは二、三百人の人間が住んでいるといい、門番や入り口に詰める警護の人数、村に入る時のルールの厳しさも、村の大きさ――人口や面積に比例しているように思われた。


 ネリマの村――ヤマトの北に位置するそこは、ヤマトよりも少し規模の大きな村だそうで、門を固める人数もヤマトのそれよりやや多い。


 商売の用で訪れる者は、村の入り口までやってきたら、馬を降りて背につけていた護身用の小銃を馬具に取り付ける。

 武器を持った人間は村に入れない。これはこの世界の鉄則。


 銃を置いて、ハルは大きな麻袋を肩に掛けグンジに従って入り口まで歩く。


「ヤマトのグンジだ。商売に来た」


 張りのある低い声で門番の男に告げると、男が頷いて門を開ける。別の男が二頭の馬の綱を引いて、どこかへと連れて行った。


 商売の基本は、近隣の村との物々交換。

 通貨というものもこの世界にあることはあるが、物々交換で間に合わない特殊な取引をする時や、市場のような場所で買い物をする時にしか使わないそうで、たとえばルウなどは本物のお金を目にしたこともほとんどないと言っていた。


 交換する量が多ければ、それに応じて大人数で行く。遠征となれば、隊商を組むこともあるが、日常的ではない。

 近隣の村との商売へは、一人二人で少量ずつ、こまめに行き来する。そしてそれはイコール、ヤマトから比較的近く、親密な付き合いをしている村、ということだ。

 たとえばこの、ネリマの村のように。


 荷物の量と往来の頻度でも親密度が判断できるが、相手の対応もしかり。あまり親しい付き合いのない村では入り口でちょっとしたボディ・チェックのようなものがあるが、ネリマはヤマトとかなり親密な間柄らしい。


 現に。


 グンジに負けず劣らず――いやそれよりも縦にも横にも大きく見える屈強そうな男が、村の入り口まで出迎えにきて親し気に手を上げる。


「おお、グンジ。よく来たな。茶でも飲んでいけ」


 少量ずつこまめに運ぶことには、純粋な商売だけでなく、親交を深め情報交換をする目的もあるようだった。ちょうど友人の家に遊びに行くように。

 物々交換をして軽く会話を交わしただけで素っ気なく帰る村もあるが、この様子だと、グンジはこのネリマの人間と個人的にも親しいらしい。


「ああ、オキ。冷え込むようになったなあ」

 砂に覆われた道を歩きながら、グンジはネリマの男に笑顔を見せた。


「まったくなあ。冬までにやらんとなんねえことが多いんだが、今度の冬はなんだか冷えてくるのが早えぇよなあ……っと、そっちは。見ねえ顔だけど、ネリマは初めてかい?」


 オキと呼ばれた男が、グンジの半歩後ろを歩くハルに視線を向ける。


「ああ」

 グンジが同じように軽く振り返って、

「こいつは、ハル。うちの客だよ。前に話したことがあっただろ? 村にも慣れてきたし、中だけってのにも飽きた頃かと思って、外との商売に付き合ってもらうことにしたんだ」


 どうも、と軽く頭を下げると、オキは「ああ」と何かに思い当った声を上げた。


「そういや言ってたな。うん、話は聞いてるよ。へえ、ホントにまだ子供じゃねえか。その歳で、なんで『客』なんかやってんだ?」

「あ、と。それは……」


「あ、覚えてないんだっけっか?」


「そうなんだ」

 返事に困るハルに、グンジが助け船を出してくれた。

「東の廃墟で倒れているとこを見つけてな。賊かなんかに襲われたんじゃないか。雨季の前からうちにいてもらってるが、よく働いてくれるし助かってるよ」


「はあぁ。あんたくらいの年頃の客だったら、うちも大歓迎なんだがなあ。子供らはまだ小さくて労働力にゃならねえし、男どもはあちこち商売に飛び回ってんだろ? 年寄りと女じゃそんなに重労働はできねえから、商売もなかなか大きくできねえってよ」


 この村の子供たちも、シンジュクに連れていかれたんだな、と思う。


「おいおい。客をこき使おうってのか?」

「はあ? あんたさっき、よく働いて助かるって言ったじゃねえか」

「そりゃ、自分から働いてくれているから。なあ」

「あ、うん。世話になってるしね。でも、そんなにできることはないよ」

「いい客がいて、良かったもんだ」


 ハッハッハッと陽気に笑うオキに続いて、門から数軒先の建物の中に招き入れられた。

 村の中の家並みも、建物も、その内部も、ヤマトの村とさほどの違いはない。

 全体として建物が少しばかり低いような気はするが、砂だらけの土地に建つ色味のないひび割れた外壁を見れば、目に見えた違いは見当たらなかった。

 ここ数日グンジについていくつか回ってきた村々の中では、わりと裕福な方に見える。目につくモノの数が多いのだろう。


「うちの特産のイチゴ茶と、大根の餅よ。食ってみな、美味いから」


 応接室――と言っても、飾り気のないコンクリむき出しの部屋に椅子とテーブルが置かれているだけだが――でグンジとオキが交換品の確認を始めた横で、エプロン姿の女性がテーブルにお茶と菓子の載った皿を並べていた。それを横目で見て、オキがハルに向かってニッと笑う。


 と、エプロンの女の後ろに隠れるようにして、五歳くらいの女の子がこちらを覗いているのが目に入った。

 ハルと目が合うと、さっと女の後ろに隠れてしまう。


「ほら、ミサ、お客さんに挨拶なさいな」

 女に言われ、肩を押されてミサと呼ばれた女の子がまた姿を見せたが、すぐに逃げるように走って行ってしまった。


「おれの娘のミサよ。かーわいいだろ?」


 オキがまたにやりと笑う。


「あんたぐらいの年頃のもんを見たことがないから、びっくりしてんのさ。兄貴がいるんだがね、シンジュクに攫われちまったから会ったこともなくて――よし、じゃ確かに、品物受け取ったよ」


「ああ、こちらも確かに」

「こっちはもうすぐ大根の季節だけど、あんたのとこへはいつもと同じくらいの量でいいかい?」

「ああ。うちの方は……」


 そのまま商談に入る。

 聞くともなく聞いていると、またミサが顔を出した。ドアの陰から覗いている。


(怖がられてるのかな……)


 小さく手を振ってみる。

 パッと一瞬嬉しそうな顔をして、そのままドアに引っ込んだ。


 ヤマトにも、ハルやルウと同じくらいの年頃の子供はいないがミサくらいの子はたくさんいる。ヤマトではルウが遊び相手に――というかガキ大将みたいになってまとめているが、この村には本当に誰も残った子供がいなかったのだろうか。


 よちよち歩きから、計算ができるようになったくらいの子供――。


 この世界の人々は、正確に歳を数えるということをしないらしい。だからよく分からないが、一、二歳から七歳くらいといったところだろうか?


 『ハーメルンの笛吹き男』みたいだな。子供の頃に読んだ本を思い出した。


 そういえば、この世界に笛はあるんだろうか。フルートか? トランペットか、クラリネットか? それともホルン?

 ハルが眠る前に住んでいた家には、ピアノのほかに、父の使っていたというバイオリンと母のものだというフルートがあった。ピアノ以外の楽器もやった方がいいというのでどちらも挑戦するだけはして、バイオリンは一応弾けると言っていいくらいにはなったが、フルートは難しかった。


 考えていると、


「でよ、大丈夫なのか、あんたのとこは」

 それまでより少しだけ声を潜めるようにして、オキが問いかけるのが耳に入った。


「力仕事は大変だろ、あんたのとこじゃ」

「ああ、まあな……うちももう少し生産量を増やしたいところだが、女や年寄りにも無理をさせる」

「こっちもあんまり満足な状態じゃないが、少しくらいだったら人手を融通できるぜ?」

「有り難いが、そっちはこれから収穫期だろう? 大根もキャベツも」

「おお。だからその隙を見ながらちょっとだがな。あんたのとこで迷惑でなきゃ、周りの村に声を掛けてみたっていいし」

「そうだなあ、必要が出たら頼むかもしれん」

「ああ。気軽に相談してくれよ。応えられるかどうかは、そん時の状況次第だ」

「そうさせてもらうよ」

「……さてと、そんじゃ、茶にすっか」






 村に帰ってピアノのある地下室に戻ると、ハルはピアノの譜面立てに畳んで置いてあった目の粗い大判の紙を手に取る。床に広げてペン――と呼ばれているが、粗末な鉛筆のようなものだ――を取り出し、「ヤマト」と書いた文字の上の方に「ネリマ」と書き込んだ。


 書いてある言葉――ヤマトを中心とした村の名前は、シンジュクを含めて六つになった。

 メグロ、イズミ、イグサ、タナシ。

 ハルやルウと同じ年頃の子を何人か見かけたタナシは、括弧書きだ。


 広げた紙の前に胡坐をかいて、しばらく見つめる。

 村の名前は、だいたいのところ昔の地名を踏襲しているように思える。と言っても、昔は毎日ピアノに明け暮れていたハルは当時の東京の地理にそれほど詳しくはないし、今はグンジに案内されてあちこち回っているだけだから、方角だとか距離だとかを正しく把握できている自信はないが。


 ならばヤマトは何なのかというと、どうやらこの村は、過去には別の場所にあって村ごと今のこの地に移転してきたらしい。ルウは、水が出なくなって村ごと引っ越したのだと話していた。そう言うルウ自身もまだ生まれていない、ずっとずっと前の話だ。


 そんな例もあるから昔の地名と今の村はまったく同じとは言えないが、グンジについて村々を回って――それから村人たちから少しずつ話を聞いてこの地図を書く作業を続けていけば、今の世界のことが少しずつ分かってくるかもしれないと思った。


(……今の世界を分かって、どうしようって言うんだ、おれは)


 大きなため息が漏れる。胡坐のまま、ハルは頭を抱えた。


(あいつに協力するのか? 冗談じゃないぞ……)


 それはフジタたちに対する裏切りのような気がした。一方で、トキタの頼みを突っぱねれば、ヤマトへの恩を仇で返すような罪悪感を感じる。

 ヤマトや周囲の村の悲願を、ハルは叶えられるかもしれないのだ。


(ダメだダメだ。あいつの頼みを聞いてやるなんて。やっぱりあいつは殺さないと。そうしておれも)

(子供たちを村に戻せば、あいつも殺せておれも死ねるのか?)


 もう一度大きくため息をついたところに。


「ハルー!」

 大きな声と足音がして、ルウが駆け込んできた。


 ルウはピアノの前までやってくると、ハルが目の前に広げている紙を覗き込んで、「なに? これ」と聞く。


「……ルウが文字を読めるようになれば、分かるよ」

 軽くまたため息をついて、紙を折りたたみながら、

「何?」


「ああ、ピアノ弾くのかと思って、聞きに来た」


 目を輝かせて言うルウに、ハルは少し苦笑する。


「ねえ、あの雨の音のヤツ、弾いて」

「『雨だれ』かな。いいよ」


 紙とペンを元に戻すと、軽く手を握ったり開いたりしながら椅子に座った。




「うーん、やっぱりいいね、この曲」

 コンクリの床に寝転んで、ルウがうっとりと言う。


「雨季に聞いたらもういいよーってなりそうだけど、雨じゃない季節に聞くと『あー雨いいなー』って思うよ。……いや、寒くなったらやっぱり濡れるのはイヤだよ、けどぽつぽつ降る音は嫌いじゃないし」


「わがままだなあ」

 妙な感想にちょっと笑った。


 そのまま「あんなヤツ」、「こういうヤツ」という所望に応えて四、五曲続けて弾いたところで、

(あんまり楽しくないな……)

 と、思う。


「そうだ」


 思い立って、先日の宴の時に広場で聞いた曲を弾いてみた。

 左手で、なんとなくあの時の打楽器を思い出しながら適当な和音を弾いて伴奏をつける。


「ルウ、こういう曲、知ってる?」


「あ! これ!」

 驚いた顔で目を見張るルウ。

「サンタたちが弾いてるヤツだよね! ハル弾けるの! すごい!」


「適当だけどな。この曲、なんて名前?」

「はあ? 曲に名前なんてあるの?」

「えっ、ないの?」


 聞き返したが、新しい曲を弾いて、ルウの驚きと絶賛の顔を見て、ほんの少しだけ気持ちが浮上する。

 もっと、違う曲が弾きたかった。

 ハルがきちんと覚えている曲だけでなく、もっと。


 細かい音符や記号ががうろ覚えの曲だとか、おおよその記憶とカンで弾けば弾けないこともない曲。そういうのはたくさんあるが、間違って弾いているうちに、手と耳が間違った曲を覚えてしまうのは嫌だった。


(なに気にしてんだろな)


 間違ったって、だれにも分かりやしないのに。小さな音符や休符を一個間違えただけで怒るピアノ教師もいないし、ミスを指摘されて笑われることもない。間違えて覚えてそのまま弾き続けても、ハルが弾けばそれがこの世界での「正しい譜面」になる。


 ……それが、たまらなく嫌だった。

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