第3章 奪われた子供たち
第16話 宴
隅っこの階段の中ほどに腰かけて、広場の中心で燃え盛る炎にぼんやりと目を向けていた。
炎の前では数十人の村人たちが、酒や料理を手におしゃべりに興じている。
ヤマトの村の人々は、天気の悪い日を除いてほぼ毎日、昼間のそれぞれの仕事が終わった後でここに集まって宴を開いている。みんながみんな参加するわけではなく、来たり来なかったり、少しだけ顔を出してすぐに帰ったり。
ここは村人たちの交流の場らしかった。
何人かがハルに声を掛けて通り過ぎて行った。
「中に入ってなんか食わないか?」
「向こうで一緒に話そうよ」
ちょっと疲れたから、ここで宴を見てるよ。
そう答えれば、無理強いはしない。
ここの村の人たちの距離感は、ハルには心地よかった。
そもそもハルは、どこからやってきてどうしてここにいるのか、村の人たちに話していない。軽く聞かれはするが、問い詰めて無理やり聞き出そうとする様子はない。
言葉も通じない遠い場所からやってきて、廃墟で賊に襲われて倒れていた。その時に記憶も失ってしまったらしい。
どうやらそんな風に、漠然と解釈しているようだ。まあ、それでいいや。と思っていた。
炎の前の人だかりが輪になって、楽器の演奏が始まる。
太鼓と、トライアングルやシンバルに似たいくつかの打楽器。
メロディーを奏でるのは弦楽器だけれど、見たことのない種類のものだった。形といい音色といい、バイオリンよりは東洋の楽器に似ている気がする。馬頭琴だとか、博物館や映像で見たことがあるだけで、ハルも弾いたことはない。
そういえば、この世界にはバイオリンもあるのだろうか。ピアノは地下の深い場所で崩壊を免れたようだが、他の楽器は……? きっとどこかしらに残ってはいるんだろう。あるいは、あの都市のどこかに。
目を閉じて、その音色に耳を澄ます。
西洋音楽とは少し違う音階。なんとなく、哀愁が漂う。
(あれ、ピアノで弾けるかな)
ニ短調、二分の二拍子。
十六小節で転調して、八小節。あとはその繰り返し。
メロディーは追えるけれど、あのなんとも繊細な、どことなく寂しさを持った風のような音色をピアノで表現するのはなかなか難易度が高そうだ。
左手で膝に頬杖をついたまま、右手の指が膝の上でその旋律を追っていた。
「ハル」
呼ばれて顔を上げると、大きな体の男がドサッと音を立てて隣に座った。
「グンジさん、どうしたの? 向こうで飲んでたんじゃないの?」
「ああ。あんたも一杯どうだ? 飲んでるところを見たことがないが、酒は苦手なのか?」
(おれは未成年だよ)
そう答える代わりに、あいまいに笑った。
グンジは炎のほうへと目をやって、長い息をついた。
そうして視線だけハルへ向けて、
「あんた、大丈夫か?」
「えっ、何が?」
膝についていた頬杖をはずして、ハルは背を伸ばす。
「こないだ……シンジュクに行ってきたって、話していただろう? あの日から様子がおかしいと、ルウとリサが気にしていてな」
「そうかな……」
「あんたに何か大きな悩みがありそうなのは以前からだが……最近はまたちょっと感じが違って、なにかこう、ぼんやりしていることが多いようだと」
どうやら心配させているらしい。
「いや、無理に話さなくてもいいんだ。ただ、われわれで力になれることがあれば、言ってくれ」
「うん、ありがとう。でも、特に変わったことはないよ」
ルウやリサは、やっぱり鋭かった。
あの日以来――。それまでの半年間ハルを支えていたものが、ぽっきりと折れて、そのままだった。
トキタを殺せなくて。
あいつを改めて殺しに行くか――それはいつだ? それとも、そんないつ来るか分からない日を待つよりも、一人で死んでしまおうか。その決断が付かないまま、ぼんやりと、ただ過ごしている。
「そう、か」グンジは炎に視線を戻して黙っていたが、少しして、「村の者たちが、な」
そのままぽつりと言葉を落とした。
「シンジュクに返礼の品を持っていくべきだと言うんだが」
先日ハルが持ち帰った品々。結局トキタに渡されたそれを、村まで持ち帰ってしまった。何が入っているのかと思えば、太陽充電式のペンライトが数本と、いくつかの電子工具。魚介をはじめとした食糧の缶詰――泊りがけの商売の時の携帯食にはちょうど良さそうな。
トキタは村の人々が何をもらったら喜ぶのか、知っているのだ。そう考えると一層の腹立たしさは感じるものの、たしかにヤマトの人々はこれが欲しいだろうと思えば捨てるのも村人たちに対して申し訳ないような気もして、さんざん迷った末にグンジに預けた。
『こないだここに来たツルミの人たちから、シンジュクと商売の取引をしてるって話を聞いてさ、どんなもんかと思ってちょっと行ってみたんだ。そこで、もらったんだけど――』
自分でもちょっとどうかと思うくらい怪しい言い訳だったが、村人たちは素直に信じたらしい。
返礼の品を――というよりこれは。
(あれは、商売品のサンプルだったのか。嘘から出た真って、これのことだな)
自嘲する。シンジュクと商売がしたいから、知りたいと。ツルミの男たちに言い出したのは自分だった。あの時は、シンジュクから何かを持ち帰るなんて考えていなかったし、そもそもシンジュクから帰ってくるつもりもなく、完全な方便だったのだが。
だが、トキタはおそらく商売の品を持ってハルがまた会いに来ることを期待しているのだろう。
(ほんっと腹立つな、あのジジイ)
ため息をひとつ落として。前髪をくしゃりとかき上げたまま、額を手に載せる。
「シンジュクと、商売をするつもり?」
「うむ……そのことは……」
グンジは炎のほうに顔を向けたまま、腕組みをした。
「村の者たちの中でも、賛否両論といったところだ」
そうしてわずかに暗い夜空を仰いで、
「シンジュクに対してわだかまりのある者は多い。特にあの都市に子供を奪われた者たちは、あの都市から手に入れたものなど見たくもないし使う気にもなれない、関わるべきでないと主張するが、それはそうとして、これだけの品が手に入るのであれば割り切って商売をするのも手かと言う意見も強い」
「そうだろうね」
「一方で」
グンジは腕組みのまま、顔をハルに向けた。
「これもシンジュクに子供を持ってかれた者たちの中にだな、あそこと取引を重ねていれば、そのうち村から連れていかれた子供たちに到達できるかもしれないと言う者もいる。本人たちに会えれば言うことはないが、例えば情報だとか、何かの手がかりだけでもあるのではと」
(あ……)
グンジと視線を合わせて、胸がどきりと鳴るのを感じた。じわじわと締め付けられるような胸の痛みを隠すように、ハルは視線を逸らす。
ハルがトキタから持ち掛けられて拒絶したあの話は、ヤマトの村の人々の悲願を叶えるものでもあった。
(だけど、あいつに協力するなんて、絶対にできない)
「子供たちが……戻ってきたら、嬉しい、よね?」
目を合わせられずに聞くハルに、
「当然だ」グンジは大きく頷いた。「いつだって、取り戻したいと思っている。なんとか奪い返しに行くことはできないかと何度も考えたが、どうにもあのデカい建物には付け入る隙が見つからない。周りを守っているヤツら。あいつらが邪魔で、近づくことすらできない」
そうだ。それに仮にツルミの男たちから教えてもらった方法で内部に達したところで、ハルだってトキタが出迎えなければどこに行くこともできなかっただろう。満月の日は入り口が開いていると言っていたが、奥に入るにはいくつものドアを通った。
あの広い都市のどこに子供たちがいるのかも分からないのだし。
たとえ首尾よく見つけられたとして。攫われたのは小さな子供たちというから、彼らが村での暮らしを覚えているのかどうか怪しい。
「さあ、外へ出よう」なんて言われたって、素直について来やしないだろう。
そして、あの物騒なロボット。あれは中にもいるのだろうか。
ハルはトキタに「さっさと子供たちを連れ出せ」と言ったが、実際にやろうとすれば相当の妨害があるのだろう。ならば、村人が侵入して奪い返すなど無理だ。あの都市の中には、現代の村人たちが想像もしていないような文明があるのだ。
乱闘になれば、村人や子供たちに犠牲者が出るかもしれない。
(あの時おれ、本当にそんなもんどうでもいいって思ったな……)
思い返すと、苦いものが込み上げてきた。
「連れ去られた子供たちの親は無論のことだが、これは村全体の問題だ。彼らを取り戻せるなら、なんでもする。それに――」
少しだけ弱い声になって、グンジは息をついた。
「あの時。うちのルウはどうにか難を逃れたが、その仲良く遊んでいた友達はみんな持っていかれた。村の連中は村でたった一人残った子供だと言って、ルウを可愛がってはくれるが」
少しのためらいの間があって、
「うちだけが助かったのだという負い目は、ずっと消えない。ルウも無邪気に振舞ってはいるが、子を攫われた親たちの複雑な視線を感じない日はないだろう」
ハルはまた、息苦しさを感じていた。
(おんなじだ……)
――どうして、おれだけ?
自分一人だけ助かったって、辛いだけなのに。
「だから、もしも子供たちを取り戻せるのなら――私は命を賭してでも、率先して行動する覚悟がある」
言い切ったグンジ。その言葉に、ハルは心臓を掴まれたような痛みを感じた。
「そういうことだから、シンジュクと商売を始めるのも悪くはないと思うんだが、ただなあ」
わずかに言いにくそうに、グンジはそこで言葉を切って、
「なにぶん、長いこと睨み合っていたあの都市に、近づきたがるヤツがいない」
「ああ……」
「子供たちを取り戻すのだと勇ましいことを言っておきながら、腰抜けと笑ってくれ。やはりみな、あの都市を恐れているんだ」
「うん……」
ハルは手を額に当てたまま、息苦しさを断ち切るように大きく息を吐く。
「いいよ、おれ行っても。シンジュクに」
「そうか?」
グンジがまたこちらを見た視線を感じたが、目を合わせることができなかった。
「うん、そもそもおれが言い出したんだし。こないだ持ってきたくらいの量だったら、一人で運べる。もしも多くなるようだったら、その時にだれか一緒に来てもらえばさ」
「行ってもらえれば助かるが、こないだシンジュクに行ってからあんたの様子がおかしいと言うから、行かせていいものかどうかと。無理なら遠慮せずに言ってくれ。事情は聞かん。あるいは、私が一緒に行っても」
「ありがとう。だけど、大丈夫だよ」
薄く笑って見せると、グンジはほんの少し安堵したように息をついた。
「あんた――」
そして、少しばかり遠慮気味に口調を変える。
「もしかしたらと思ったんだが」
「うん?」
「あのシンジュクからやってきたんじゃないかね?」
「え……」
またどきりと心臓が跳ね上がったが、グンジは続けて、
「いや、あんたくらいの歳の者が、たくさんシンジュクに連れていかれたんだよ。周りの村からな。うん、順調に育ってりゃ、あんたくらいの大きさになってるだろう。もしかしたら、あんたはその時に連れていかれたどこかの村の子供ってことはないかと思ったんだ」
(あ、そうか……)
思いつきもしなかったが、たしかにそう考えればすべてに納得が行きそうだ。
「いや……それはどうかな……」
どう答えたらいいのか分からずに、あいまいにする。
「やっぱり、思い出さんか?」
「……うん」
「シンジュクに行って知り合いに会ったりして、それで様子がおかしいんじゃないかと考えたんだが」
「いやあ、そういうことは、特には」
「そうか」
グンジはそれ以上の追及をやめた――と思うと、
「そうだ、ハル」
「えっ」
「周囲の村との商売に、今後あんたを一緒に連れて行こうと思うが、どうだ?」
「えっ……と?」
「もしもあんたがどこかの村から連れ去られた子供の一人なら、もしかしたら覚えがある村があったり、そこの村の人間があんたのことを覚えていたりするかもしれない」
「あ、そうか……」
「よし。あんたが嫌でなけりゃ、そうしよう。最初は明日、メグロの村だ」
周囲の村人がハルのことを知っている可能性も、ハルが村を見て何かを思い出す可能性も、万に一つもないのだが――けれど、周りの村を見てみるのはいいかもしれない。
そう思って、ハルは頷いた。
「うん、行くよ。連れてって」
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