第9話 怨霊契約

 ××××。

 その名前を知っているのはおれと黒緒、行李と躑躅の四人だけである。

 そして、その名前を口に出して呼ぶことが出来るのは、おれ一人だった。


 つい最近、朝陽に「怨霊を躾けた」と説明したが、正確な表現は「怨霊と契約を交わした」である。だた、あの子の気質や思考が幼い子供や犬に似ているので、それの手綱を握っていることを躾けと表現するのは、ある意味間違っていないと思う。

 怨霊に名を与えたのはつい二か月前のこと。あるが原因で、××××が唯夜からはぐれてしまったのだ。そして、その時一番困ったことは、迷子になった××××が全然見つからなかった、否、全然捕まえられなかったことである。

 ××××は元来大人しい気質だったので、唯夜とはぐれてから自発的に誰かを襲ったりはしていない。しかし当人に誰かを傷つける意思がなくとも、存在自体が危険物であり、そこにいるだけで災厄を撒き散らしてしまうのだ。

 迷子になった××××はどうにかして唯夜の下へ帰ろうと頑張ったようだが、如何せん思考能力が保育園児、もしくは元気いっぱいな小型犬ほどなので、うろつけばうろつくほど余計迷ってしまったわけである。行く先々で意図せず災厄を振り撒いてしまっては、そのことにひどく落ち込んで、その場から逃げていく。それを繰り返していたらしい。

 おれと黒緒、行李と躑躅は、至る所で起こっていた怪奇現象を追い、どうにかして××××を捕まえようとしたが、怪奇現象が起きてから現場に向かっても迷子はすでにおらず、なかなか捕まえられずに苦戦した。

 詳しいことは割愛するが、どうにかこうにか××××を捕まえたおれたちは、唯夜の下に戻す前に、もしまた同じことが起こっても素早く捕まえられるよう対策を講じておくことにしたわけである。それが、名前を与えて契約を結んでおくということだった。


 契約の内容はこうだ。

 一つ、おれが名を呼んだら必ずおれの下へ来ること。

 一つ、おれが言ったことは全て守ること。

 一つ、おれが助けを求めたら、必ず助けること。尚、おれが窮地に陥っていればいるほど、××××がおれのために使える力は強くなる。

 一つ、おれはそれらの見返りに、××××へ血肉を与えること。

 それがおれと××××の間で交わされた契約の内容である。


 こうしておれは××××の手綱を握り、再び不慮の事故で迷子になったとしても、苦戦せずに連れ戻すことが出来るようになった。

 だからさっき、おれと黒緒では太刀打ちできない糸結姫を祓うため名を呼んだのである。契約内容三つ目を活かし、おれが出来る限り窮地に陥って××××の力を引き出した。唯夜の傍にいる時と、ただおれに呼ばれてやってきた時ではポテンシャルにかなりの差が出てしまうのがその理由である。××××の力を借りる場合、おれがある程度危ない状況であれば、周囲への被害は最小限、あの子の顕現は短時間で済むからだ。

 本当は、力を借りずに解決するのが一番いいのだが、行李や躑躅が傍にいない時はどうしようもない。おれに懐いてくれているあの子を便利道具扱いするのは心苦しいけれど。





**********





「あ、おかえりお二人さん、思ったより早かったね。無事でなにより」

「ただいま行李、…ってことでまぁ面貸せや」

「どういうこと?柄悪くない?」

 歩いて戻ると行李が一人で待っていた。

 時間は十二時を回っており、どうやらここを離れてから一時間と少ししか経っていなかったらしい。体感時間で二時間くらい経っていると思っていたし、何より身体に蓄積された疲労はそれ以上なのだが。


「橋上兄妹は?」

「妹ちゃんは車の中で寝てる。朝陽くんは散策しに行ったよ」

 十メートルほど離れたところに駐車している黒のボックスカーを指さして、行李はそう教えてくれた。芸能兄妹、自由人過ぎる。

「一番狙われてた癖に、呑気だなぁ。そもそも一人にして大丈夫なわけ?糸結姫はどうにかなったけど、本丸は……」

「あ、やっぱり気付いちゃった?ま、どうせ黒緒が千月に教えたんだろうけど」

「うるさいな。大体、黒緒が気付くって分かってたんなら、先に教えたほうが話が早いじゃん」

「絶対黒緒が反対すると思って。説得できる自信がなかったから、あとで怒られるの覚悟で言わなかったの。ごめんね」

 行李にしては珍しく、本気で申し訳なさそうな表情をしていた。何だろう、嫌な予感がする。槍でも降ってくるのだろうか?

 そんな行李の珍しい姿を見ながら、おれに抱きかかえられていた黒緒は「フンッ」と鼻を鳴らした。どうやら少し怒っているらしい。


「黒緒、ムカついてるなら行李を思いっきり引っ掻いちゃえば?怒られるの覚悟してたんなら、別にいいんじゃない?」

『あぁ、そうだな』

「そうだなって言ってるよ。乗り気だね」

「え、ちょっと待って、黒緒に引っ掻かれるのほんとに痛いから嫌なんだけど」

「おれもちょっと怒ってるし、このくらい我慢しろって。自業自得なんだから」

「それは本当にごめんね!?もう分かったから!甘んじて罰を受けるから!せめて帰ってからにして欲しいな!」

 爪を出す黒緒を見て、行李は情けない声で妥協案を主張した。その姿に興覚めしたのか、黒緒は『つまらん』と呟いて一つ欠伸をする。おれは柔らかい毛並みを撫でながら、疑問を行李にぶつけた。


「あのさ行李、本丸の怪異って朝陽の夢の奴で合ってる?」

「うん、合ってる合ってる」

「じゃあこれからそっちを何とかするの?原因が別だから、糸結姫祓っただけじゃ朝陽の状態は改善されないし」

「いや、千月のお陰でもう目的は果たしたから帰るよ。朝陽くんの方も大丈夫。安全だよ」

「おれのお陰…って言っても、おれも黒緒も本丸の姿見てねぇよ?釣れたのは糸結姫だけで、他には収穫なし」

「それでいいの。二人が見てなくても、向こうさんは千月を見つけた。朝陽くんから興味を失ったので、問題ありませーん」

 行李はおちゃらけながら宣言する。こういう、真剣な話でふざけたりする所が、どうにも信用し辛いんだよな。

 自分は今、随分冷めた目をしているだろう。しかし行李は視線の温度を気にする様子もなく、快活に笑う。


「それはつまり、朝陽に憑いてた奴は祓わなくていいってこと?」

「今は、ね。近いうちに祓うけど、今日の目的は朝陽くんから目移りさせることだから、もう撤収するよ。千月も疲れてるでしょ」

「ふーん、なるほど?」

「納得してないねぇ」

「だって嘘つき探偵前科あるし。それがあって信じろっていうのは無理だろーよ」

「うぐっ…」

 だってぇ、仕方ないじゃんか……。

 親に叱られた子供のように、ブツブツと小声で言い訳を並べる成人男性に呆れかえる。なんて面倒な大人なんだろうか。ぜひ反面教師にしたいと思う。良い子の皆はマネしないでね、という台詞の良い見本になりそうだ。


「うぅっ、心読めなくても、千月が酷いこと考えてるって僕には分かるよ……だって思いっきり顔に書いてあるから…」

「わー、流石探偵さん」

「すっごい棒読み……ねぇ、僕ってそんな駄目人間かな?」

「まぁ……生活能力皆無な時点で結構駄目な大人だと思うけど」

「…人にはそれぞれ、得意不得意があるんだよ」

「行李の言い分は当たり前のことだけど、生活能力に関しちゃお前は出来ないことの方が多いじゃん」

「出来ないもんは出来ないんだよ、仕方ないでしょ。だから千月、これからもよろしくね?千月がいないと僕、あっさり餓死しちゃうと思うから」

「開き直ったな」

 そうならないための努力はしないのか。

 と、ヘラヘラ笑う行李に心の底から思ったが、我慢して口には出さず、腹の奥に押し込んだ。言ったところで余計面倒くさいことになるだけなのが目に見えている。おれの仕事は、デカい子供の御守りをすることじゃないのだが。



「あ、千月。戻ってたのか」

 おれが行李の面倒臭さに溜息を吐いたその時、自由人兄妹の兄、朝陽が戻ってきてそう言った。

「おかえり…って。おいこら、人がせっかく体張ったのに、なんでまた別のくっつけて帰ってくんだよ!」

「は?」

「あらら、この兄妹も面倒な体質してるなぁ」

 思わず声を上げて突っ込んでしまったおれは悪くないと思う。なぜなら、散策から帰ってきた朝陽の肩には怪異が乗っかっていたのだ。なんでだよ、一つ引っぺがしたと思ったらすぐ違うのを連れてきやがって。


「ってか朝陽お前、くっついてる奴見えてないのか?」

「なんの話だ?」

「良かったね朝陽くん。見えるようになってた元凶が君から興味を失ったお陰で、見えちゃってたの治ったみたいだ」

 行李は苦笑しながら、朝陽の肩に居た怪異を摘まみ上げた。その怪異の体長は三十センチくらいで、爬虫類に似た見た目をしている。

「え、あ、もしかして俺、取り憑かれてた……?」

「そういうこと。うん、本当に見えてないんだね」

「そうみたいですね。自分にくっついてたの全く気付かなかったです……良かった、見えなくなって」

「千月が君を狙ってた怪異の興味を逸らしてくれたお陰だよ。これでもう、君は川の夢を見ないから安心して」

「ありがとうございました、行李さん。千月も、ありがとな」

「うん。でも元凶取り除いても別のに取り憑かれてちゃ、意味ない気がするけど」

「まぁまぁ、命の危機は脱したんだし、これくらいならほぼ無害だから大丈夫だよ」

 そう言って、背後に怪異を放り捨てる行李。どうやら祓わなくてもいいモノだと判断したらしい。地面に落ちた怪異はそそくさと逃げて行った。


「ねーちょっと、みんなして何話してるの?仲間外れにしないでよ」

「あ、唯夜」

 車から降りて来た唯夜は覚醒しきらない表情で目をこすっているが、その声音には不満が一杯に含まれている。

「眠いならまだ寝ていてもいいのに」

「んー…だって、気になったから……お兄ちゃんのこと、解決したの?」

「千月が解決してくれたみたいだよ」

「そっかぁ、すごいね千月。じゃあもうお兄ちゃんは危険じゃないんだ。よかったねぇ、ありがと千月」

「いやまぁ、おれが直接どうこうしたわけじゃないんだけど…どういたしまして?」

 おれが身体を張ったことに変わりはないが、直接手を下してはいないので、疑問形になってしまった。

 唯夜は不思議そうにしていたが、突然大きな腹の虫が鳴り、キョトンとした顔から一転、驚いた表情になる。


「わぁびっくりした。恥ずかしい、お腹鳴っちゃった……ねぇ、もう解決したんでしょ?お腹すいたからどこかでご飯食べよ?」

「うん、僕もお腹空いたな。みんな何食べたい?」

「なに行李、奢ってくれんの?なんでも食べれそうなくらい腹減ってるけど、黒緒がいるからテイクアウトできるファストフードがいい」

「ファストフードか……俺、芸能界入ってから食べてないな。最後に食べたのは十年くらい前か?」

「お兄ちゃんってば、それは人生損してるよ。どんどん進化してるハンバーガーやポテトのおいしさを知らないなんて」

「この高給取りめ。どうせ高いもんばっか食べてるんだろ。学生にとってのファストフードのありがたみを知らないんだ」

「こら、二人とも落ち着いて。それじゃあ朝陽くんのためにファストフード食べに行こっか」


 腹が減っては戦が出来ぬ。

 おれには、先ほどの行李との会話で引っかかるところがあった。具体的に何が引っかかっているのか自分でも分からない。ただ、このことを放っておくのは駄目だと、本能的に感じている。

 しかし困ったことに、生理現象の一つである空腹感が邪魔をして、考えがまとまらない。このままでは大事なことに何も気づけなさそうである。三大欲求を我慢できるほど忍耐強い人間ではないので、先に腹を満たしてから頭を働かせることにした。





**********





「現在確認できた糸結姫による被害者の数は、七百年の間で十二人。しかし正確な資料は残されていないため、未確認の被害者がいる可能性は高い。

 糸結姫の獲物には美しい容姿の青年という条件が存在するため、怪異発生から七百年が経っているが、被害者数は少ないと思われる。

 しかし、糸結姫によって川に引きずり込まれた被害者の遺体は誰一人として見つかっておらず、被害に遭った者がどうなるのかは現状不明となっている。

 五年前に存在を確認された、糸結姫の付属的に現れる怪異については、現在調査中である。糸結姫の被害者との関係を疑われているが、真偽のほどは分かっていない。

 被害の確認ができた三例は、どちらも糸結姫に目を付けられていた少年である。川を渡る夢を見る、という怪奇現象に見舞われており、三例の内二例の被害者は、現象を解決できずに死亡している。」





 結局、美帯川から一番近いファストフード店まで一時間半掛かって、昼食にありつけたのは午後二時である。

 昼時の混雑のピークを過ぎた頃だったので、ドライブスルーも店内も空いており、おれたちは一度店に入り、各々好きなものをテイクアウトし車内で食べた。


 そして帰りの道中、おれは自分の太腿に陣取る黒緒と共に、行李から渡された報告書の続きを改めていた。糸結姫による被害状況、そして朝陽に死の淵を見せた怪異の詳細。

 詳細と言っても、分かっていることが少ない、ということが分かっただけで、怪異の全貌は何も見えていない。確認できた三人の被害者の一人は朝陽だろう。過去五年の間に二人が死亡しているが、その死因は記載されておらず、情報の収穫は無いに等しかった。


杜撰ずさんな報告書だな。行李じゃないだろうし、一体誰が作ったんだ』

 黒緒は文字列を眺めながら、憤慨したようにつぶやく。おれは黙って黒緒の背を撫で、落ち着かせた。

 橋上兄妹は車に揺られて熟睡しているので、別に黒緒と喋っても不審に思われたりしないだろうが、毎日テレビや何やらに引っ張りだこな兄妹を休ませるため、一応静かにしておく。

『必要な情報が欠落している報告書は白紙同然。無価値だ、まったく』

 黒緒は随分ご立腹なようで、ここには居ない報告書の製作者へ罵詈雑言を投げかけている。語彙力が達者な黒猫は、罵詈雑言の攻撃力がえらく高い。人には聞かせられないものなので書き起こさないが、自分に向けられているわけじゃないのに、おれにしか聞こえないせいで精神がとても抉られた。知恵者の悪口による精神攻撃は聞くに堪えないので、お願いだから少し落ち着いて欲しい。


『千月、眠いなら寝ろ。着いたら起こしてやるから』

「ん……」

 腹が満たされて体温が上がったことと、黒緒のフカフカな毛並みと温もりで、眠気が襲ってきた。おれは黒緒を撫でながら、意識がうつらうつらとしてハッキリしなくなってきたのを感じる。

「…うん、ちょっと寝ることにする。おやすみ……」

『今日は午前中だけで結構大変だったからな、無理もない。ゆっくり休め』

「はぁい…」


 黒緒の穏やかな声と温もりを感じながら、おれは静かに意識を手放したのだった。


 この時、車を運転する行李が申し訳なさそうな顔をしていたことも、自分がしばらく目覚められないことも、おれは全く知らなかった。

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