第8話 逃亡末路
日曜日の朝八時、探偵事務所に四人と一匹が集まり、そこから約三時間かけ、行李の運転する車で心霊スポットに辿り着いた。
そこは
美帯川は川幅が広く、緩やかに流れる水は透き通っていて綺麗だった。周りには緑が生い茂っているので、今日のように天気が良いと所謂「映える」スポットである。ただ残念なことにここは映えスポットではなく心霊スポット。おれはここに着いた時からはっきりと感じていた。ヤバいのがいる、と。
「綺麗な場所!ね、ここで写真撮ったら心霊写真になるかな!?」
「テンション高っ……多分朝陽に取り憑いている奴以外いないから、心霊写真は諦めな」
「なーんだ、つまんないなぁ。ねぇねぇところでさぁ、この川がお兄ちゃんの夢に出てくる川なの?」
「切り替えが早いな妹よ。そういう以外に淡白な所がお前の魅力だな。それから、俺の夢に出てくる川はもっと広いぞ」
「そうなの?え、じゃあその川に行った方がいいんじゃないの?ここでお祓いすれば解決なの?ねぇ探偵さん」
唯夜は矢継ぎ早に行李に詰め寄る。好奇心旺盛がゆえの質問攻めなのか、それとも兄が心配で、行李が本当に兄を助けてくれるかここに来て疑っているのか。どちらにしろ面倒くさいな。万が一のための唯夜の付属品目当てだったので同行に反対しなかったが、唯夜自身が邪魔かもしれない。
「ここでいいんだよ、朝陽君が夢で見る川はこの世に存在しない物だから。解決すべきは、この美帯川に棲む怪異の方」
「ならそれのお祓いをすればいいんだね」
「まぁそうだけど、祓う前にまず見つけないといけないから」
『ってことでよろしく、千月』
心の中でそう言いながら、行李がこちらに目配せしてきた。おれに釣って来いということらしい。
この体質を活かしておれを怪異の餌にすると、どんなに息をひそめているモノでも簡単に釣れてくれる。なのでこちらから目当ての怪異を探す場合、おれが行李から離れておびき寄せるのだ。
おれの魔寄せ体質は本当に強いようで、怪異の標的となっている人物の傍におれが居た場合、怪異は獲物として狙っている相手からおれへと、標的を変更する。つまりどんなに凶悪な怪異に取り憑かれていても、おれが近くにいるとその対象から外れ、晴れて自由の身となるわけだ。しかしその代わり、おれが目を付けられて命の危機に晒されるのだが。
プライベートでこの現象が起こると対応出来ず非常に困るが、今回は仕事で黒緒もいるし、行李が居るところまで連れて来てしまえばあとは何とかしてくれる。何より、おれは運動が得意ではないが、足の速さには自信があった。
『逃げ足の速さ、だけどな』
「うるさい黒緒」
「ちょっと千月、黒緒なにも喋ってないよ?」
「…おれと黒緒は強い絆で結ばれてるから話せるんだよ」
「何それすごーい!うらやましー!」
誰にも聞こえない黒緒の声に対し、小さな声で返答したはずなのに、唯夜の地獄耳には聞こえていたようだ。咄嗟に唯夜が納得しそうな嘘を吐いたが、上手くいったらしい。馬鹿でよかった。
「あ、そうだ千月、これ見といて」
「何これ」
「ここにいる怪異の詳細を載せた資料でーす」
「なんで今から釣りするって時に……もっと早く渡せよ」
「ごめんごめん、忘れてた」
行李は全く反省の色を見せずに笑う。数枚の資料をペラペラ捲りながら、おれは溜息を吐いた。
「まぁいいや、じゃあおれ、これ読みながらその辺歩いておびき出してくるから」
「うん、頼むね。僕は二人の安全を確保した後、ここで待機してるよ」
「了解」
きっとこの川周辺に棲む怪異は、朝陽という標的が来たことに気付き、その傍にいたおれを新たな獲物に定めたことだろう。そして怪異が賢ければ賢いほど、己の天敵として行李を警戒するはずだ。だからおれは黒緒を連れ、行李から一旦距離を取る。そうすると、おれに対する食欲に負けた怪異が釣れるのだった。
「よくわかんないけど、千月も黒緒も頑張ってねー」
「はいはい、お前らは行李の指示に従えよ」
「おい千月、俺のせいでお前が怪我でもしたら彌月に恨まれるから、本当に気を付けろよ」
「欲望に忠実で正直にもほどがある……絶対お前だけは義兄になって欲しくない」
怖がりなのに体張ってるおれをもっと気遣えよ。餌役は何度もこなしていたって、怖いことに変わりはない。
朝陽を恨めしさを込めた視線で睨みつけ、おれは黒緒と共に移動を始めた。
**********
【美帯川の怪異、
行李から渡された資料には、そう書いてあった。「姫」ということは、もとは人間の女性だったのだろうか。
様々な大きさの丸石がゴロゴロ転がっている河原を黒緒の先導で歩きながら、転ばないように気を付けつつ資料に目を通す。途中黒緒が『俺にも教えろ』と言ってきたので、おれは資料を音読することにした。
「糸結姫は約七百年前にこの地域を統べていた大名の娘である。姫は厩の
姫はその想いを断ち切り、父が選んだ男の下へ嫁ぐことになった。しかし青年は姫を諦めることが出来ず、彼は姫に駆け落ちを提案する。
姫が嫁ぐ前夜に駆け落ちし城から逃げ出したが、それを大名に勘付かれ、二人は美帯川まで逃げたところで追い詰められてしまう。
大名は青年が娘を
しかし自決したことと、二人の逃避行の顛末が尾ひれ付きの噂で広まったことが災いし、糸結姫は成仏できずに怪異と成り果てた。怪異と成った彼女は美しい青年を見ると己の恋人と勘違いし、共にあの世へ往こうと川に引きずり込んで殺すようになった」
そこまで読み上げて理解した。朝陽は芸能人であり、その肩書の一つはイケメン俳優。要するに美青年である。性格はともかく、容姿は糸結姫の獲物となる条件に当てはまるわけだ。だから朝陽がこの地にやってきた時、イケメンだったがために糸結姫に見初められてしまったのだろう。おれからすれば、朝陽は「顔の良さと性格の良さは比例しない」といういい例で、中身に惚れる要素なんて一つもないと思う。まぁ好みは人それぞれなので別に関係ないが。決して顔が良いことを
とりあえず、今一番気にかかるのは、おれの体質が条件付きの怪異にも有効なのかどうかである。もしもこの魔寄せ体質が通用しなかった場合、釣り作戦は何の意味も成さないのだが。
「ねぇ黒緒、どう思う?」
『どうもこうも、怪異の条件を行李が把握してない訳がないだろう。千月の体質が無効になると分かっていて、わざわざ別行動を取らせるか?』
「確かに。なら行李が別行動を促した時点で、お姫様に魔寄せが有効ってほぼ確定したことに?」
『なるな。あの面倒くさがりが勝算の低い方法を選ぶはずがない』
「それもそうだ。流石黒緒、馬鹿なおれと違って行李の思考を理解してるなぁ」
おれより一メートルほど先を歩く黒緒を追いながら、改めてその賢さに感服する。
昔から黒緒は賢い猫だと思っていたが、心の声が聞こえるようになってその思考を聞き取るようになってから、より一層そう思う。他の動物と違い人の言葉を解すだけあって、やっぱり黒緒は異常で特別な猫なのだろう。しかし黒緒はそんな風に関心するおれを見て、『やれやれ』と呆れていた。
『普通に考えれば分かるだろうが。それから千月。資料の続きを読め。まだ重要な部分の詳細が分かってないぞ』
「ん?糸結姫については今ので全てじゃん」
『そうじゃねぇよ、なんで気付かないんだ。今読んだ部分に書いてあったのは、糸結姫は獲物の男を川に引きずり込んで殺すってこと。つまり、糸結姫が起こす怪奇現象は現実で起きているわけだ。だが朝陽は違う。夢の中で川に入っているのであって、現実で川に引きずり込まれてはいない。おかしいと思わないか?』
「え…っと……糸結姫は朝陽を狙ってない、ってことか?じゃあ朝陽が見てた夢は何なんだ…?」
『糸結姫じゃない、別の怪異による現象かもな。まだ分からないが、朝陽に起きた怪奇が糸結姫に起因するものじゃないのは確かだ。何より行李は、夢の川がこの世に存在しないと断言していた。あいつは何かを掴んでいて、意図的にその情報を俺たちに話さなかったんだろう』
黒緒の話を聞いて、おれはひどく混乱した。
行李がおれたちに、この件に関する重要な情報を伏せている。その現状は理解できたが、理由がさっぱり分からなかったからだ。
唯夜を馬鹿だと思っているが、おれも大概頭は良くない。唯夜に比べてマシというだけで、行李や黒緒のような頭脳は持っていないのである。今までの付き合いの中で行李という人物の性格は理解できていても、その思考を汲み取ることは、おれには出来ないのだ。
「行李は何を知っていて、おれたちに何を求めているんだろう。おれたちに言わなかったことで、行李の望む結果につながるから話さなかったのか……?」
『そんなとこだろうな。まぁいいさ、今気にしたってどうにもならん。後で問い詰めればいい。その前に、アレをどうにかしないといけないが』
「アレ?」
『振り返るなよ千月。どうやら無事に釣れたらしい。十メートル後方についてきてるぞ』
「え、いつの間に……糸結姫?別の奴?っていうか黒緒、行李のところに戻る?」
『釣れたのは多分糸結姫だな。顔は見えないけど着物姿の女』
おれの先を歩いていた黒緒は、そう言いながら静かにおれの隣に移動してきた。魔除けの効果範囲内のほぼ中心におれを置いて、守ろうとしてくれている。
振り返るなと言われたので前を向いているが、そう言われるとどうしても気になってしまうのが人間の性。背後から追われる恐怖をはっきり感じて、見てはいけないと分かっているのに、自分の目で確かめたくなってしまうのはなぜなのだろう。
『千月、行李が俺たちに隠し事をしているのはほぼ確実だが、それでもお前はアイツを信用するか』
「え?あー……うん」
『なんでそんなに歯切れが悪いんだよ。ハッキリしろ』
「信じてるよ、行李のこと。行李が何考えてるかなんて分かんないけど、きっとこの状況を行李は望んでいたんじゃねーの。今回の仕事の最終目標は糸結姫じゃなくて、朝陽に取り憑いてる奴を祓うこと。それを達成するには、おれたちに話さない方がいいって判断したってことだろ。行李の隠し事は、れたちを信用してくれてるからだと思ってる」
『俺も同意見だ。だからこのまま、糸結姫はこっちでなんとかするぞ』
「え、マジで?信じてるから戻ろうって話じゃねーのっ!?」
『残念ながら、お姫様想像以上にデカい。それになんか、触れるのはマズイ気がする。だから後戻りができない』
「林の中抜ければ良くない?それに黒緒がいれば触ってこられないじゃん」
『駄目だ、糸結姫は俺たちに自分が見えていると気付いていないからこの距離を保っていられる。もし逃げるような素振りを見せたら、あっという間に距離を詰められるし、俺の魔除けより向こうの力の方が強いから、お前を守れるかも分からん』
黒緒の言葉に歩調が速くなりそうだったが、その衝動を何とか押しとどめる。背後に感じる怪異の気配に恐怖心が煽られ、怖がりなおれの心臓は痛いくらいに跳ねていた。身体を巡る血液が沸騰しているかのように熱く、嫌な汗が滴り落ちていく。
「詰みじゃん…どうすんの、もう怖いのやだぁ」
『情けない声を出さない。それに、この状況を打開する策が一つだけある』
「何……?」
『なんのために唯夜を連れて来たんだよ。こういう万が一の時に、アレを呼ぶためだろうが』
「そうだけど……え、ここで呼んで大丈夫?」
『俺ら以外に誰も居ない。アイツが存分に暴れても被害は小さくて済む』
「黒緒がそう言うなら信じるけどさ……結局おれ、窮地に追い込まれなきゃいけないじゃん……黒緒の魔除けも無効される可能性あるのに」
『大丈夫だ、俺が死なせない。ま、掠り傷程度は負うかもしれないから、覚悟はしておけよ』
「あー!もういいや、なるようになれ!」
恐怖で強張る身体を叱咤して無理やり動かし、勢いよく振り向いた。
瞬間、目が合ったと本能で理解する。
黒緒が言っていた通り顔は見えない。しかし糸結姫がおれに視認されたと気づき、同時におれを標的と定めたのは分かった。
色鮮やかな着物に悍ましい雰囲気を身に纏った異質な存在。それは目の前の美味な獲物——おれを捕らえようと襲い掛かる。
『動け千月!逃げろ!』
「っ!!」
黒緒の声が聞こえたと同時に回れ右をして走り出した。
足がもつれて転びそうになったがどうにか立て直し、我武者羅に足を動かす。
「ぅわっ…!?」
『千月!!』
二十メートルほど走ったところで、突然おれの目の前に何かが落ちて来た。止まることが出来ないと判断し、ぶつかることを避けるため咄嗟に真横へ飛ぶ。おれは受け身を取れず、思いっきり身体を打ってしまった。滅茶苦茶痛い。
痛む体に鞭打って上体を起し目に入ったのは、地面に突き刺さった腕だった。
その腕は細くて青白い不健康そうなもので、非常に長い。
目線で辿って行けば、それが糸結姫のものだということが分かった。糸結姫は、おれがさっきまで立っていた辺りに留まって、右腕だけを伸ばしていたのである。
『大丈夫か、千月!』
「超痛い……しかもあの腕気持ち悪いし……」
『そのくらい喋れんなら大丈夫だな。ほら立て。あのお姫様、こっちに左腕伸ばしてきそうだぞ』
「うわっっと!」
黒緒の言葉通り、糸結姫が左腕をこちらに伸ばしてきたので、その場から転がってギリギリで避けた。転がった勢いを使って立ち上がり、視界の隅で長い腕がこちらに向かってくるのを捉える。おれは大きく息を吸い、
「お願い助けて、××××——!!」
その名前を、呼んだ。
『———―――――――!!!!!』
耳をつんざく、言葉にならない悲鳴。
林の中で羽を休めていた鳥たちが一斉に飛び立ち、その羽ばたく音がこだました。
おれは身体を思いっきり打ち付けたせいか、ぐらりと眩暈が起きてへたり込んでしまう。
そんなおれの耳に、バキバキ、ボリボリという何かを砕く音が聞こえて来た。音のする方を見れば、そこには糸結姫と思われる着物を纏う異形、その成れの果てと、大口を開けてそれを貪り食う化け物がいた。
糸結姫の鮮やかな着物は血に染まり、それを纏う身と一緒くたに化け物の胃に収められていく。
『千月』
「…黒緒。あはは、上手くいったね。これで糸結姫の方は一件落着?」
『あぁ。…お前は大丈夫か』
「だいじょーぶ。ちょっと眩暈がしただけ。すぐ治まるよ」
『そうか、なら……アレに報酬を渡さないと、だな』
「うん、そういう約束だから」
次に視線を向けた時、化け物――唯夜に取り憑く異界の存在は、糸結姫を欠片も残さず食べ切ったていた。
現在の体長は三メートルほどで、糸結姫を喰らった大きな口には無数の牙が生えている。足は六本あるが、その形は非常に筋肉が発達した人の腕の形をしており、足と言えばいいのか、腕と言えばいいのか分からない。目は、某アニメ映画に出てくるダンゴムシに似た巨大生物のようで、丸い目が顔面部分に無数についている。
そんな化け物は大人しく座りながら、じっとこちらを見ていた。おれは視線の意図を汲み取り、
「おいで××××、助けてくれてありがとう」
と言って手招きする。
すると化け物はのそのそと歩み寄ってきておれの傍らに座ると、身体のサイズを変えた。約三メートルの巨躯から、大型犬くらいの大きさになったので、おれはその身体を優しく撫でる。そうすると化け物はどこか嬉しそうに、
『———―』
というよく分からない言葉を発した。
「××××、報酬分の血、飲んでいいよ」
『——』
ガブリ、と。
糸結姫を嚙み砕いた牙がおれの右腕に食い込み、痛みを感じて血が流れていく。ジュルジュルと血を啜る音を聞きながら、血が抜けていく感覚を感じていた。
××××がどれ程の時間血を飲んでいたのかは分からない。やがて満足したのか、おれについた歯形と流れた血を舐め取って、空気に溶けるように姿を消した。唯夜の下に戻ったのだろう。
右腕の傷は消え、流れた血は一滴たりとも残っていなかった。
「あ、他の怪我も治してくれたんだ。身体全然痛くない」
『そりゃよかった。俺はお前が手綱を握れているのを確認出来て安心したよ。呼び出したのはこれで二回目、なんの問題もなさそうだな』
「うん。じゃあ黒緒、戻ろっか。どんくらい時間経ったのか分かんないけどお腹すいたし」
『そうだな、とりあえず行李問い詰めて真実を聞きだすぞ』
「はーい」
痛みの消えた身体を伸ばしながら立ち上がり、黒緒を伴って来た道を引き返す。
さて、行李は隠した真実を教えてくれるだろうか。
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