幕間 月の居ぬ間に

 時は少し遡り、千月と黒緒が帰った後の、出水霊能探偵事務所にて。


 行李の書斎となっているのは事務所の最上階、五階である。そこには社長のような机と椅子が置いと、幾つもの本の山が置いてあり、南の窓からレースカーテンを通って入る陽に照らされていた。そんな山積みの本と机には、千月による定期的な掃除のお陰で埃一つ乗っていない。


 そして今、その広い書斎には二人の人間が居た。

 一人は、自身の椅子に深く腰掛けた行李。そしてもう一人は、行李の視線の先にある本の山に座っている少年――赤染躑躅。

 互いに鋭い視線を向ける二人の間には、恐ろしく冷たい空気が流れていた。


「あのさぁ、本の上に乗るとか行儀悪くない?っていうか本が汚れるから降りろ」

「だったら客に椅子の一つでも出したらどうだ、屑探偵」

「悪いけど、ウチには招かれざる客に出すモンなんざ一つもねぇんだわ」

 平生へいぜいの穏やかな口調と雰囲気とは打って変わり、行李は冷徹な雰囲気を醸し出す。それに相対する躑躅は、わざと挑発するような言動を取っている。

「あぁ、アンタ千月が居ないと何も出来ないんだっけ。悪い悪い、俺の配慮が足りなかったわ」

「あぁん?何だと糞餓鬼」

「その本性、絶対千月に見せんなよ、優しさの出涸らし野郎」

「……うるせぇな。見せねーよ、千月にだけは」

 行李のその台詞は、千月の前では猫を被っているということを白状したようなものだった。躑躅はそんな行李を本の上から冷めた目で見降ろし、自分が嫌っている男に全幅の信頼を置く、己の親友を思う。


「まぁいいや。っていうか、千月に会いに来たのになんでいないの。今日バイトだって言ってたはずなんだけど」

「お前がここに来るって分かってたから、さっさと家に帰したんだよ」

「なーんだ、残念。もし会えたら、アンタの本性とか過去何から何までバラして、千月のアンタに対する評価、ガタ落ちさせるつもりだったのに」

「ほんとイイ性格してんなぁ、お前。でもま、悪いがそっちの情報は全部流れてきてんだよ。お前こそ千月に正体バレて愛想つかされないようにしろよ」

 二人とも表情筋は笑顔を作っているのに、目は全く笑っていない。絶対零度と言っても過言ではないほどの雑言が、二人の間を行き交っていた。


「分かってはいたけど、やっぱりアンタの内通者いるんだな」

「いるけど、お前だって実質こっちについてるだろ」

「俺はただ千月と黒緒を守りたいだけで、アンタについてるわけじゃない。勘違いすんな。俺はアンタが嫌いだし、過去のことを許したわけじゃない」

 躑躅は鋭く睨みつけるが、行李はヘラヘラとした笑みを浮かべて、向けられる敵意を全く意に介していない。それどころか、

「つまり、あの二人の安全をこっちが守っている内は、お前は正面から敵対出来ないってことね」

 とさらに煽るような発言をする。躑躅はそんな見え透いた挑発に乗らないように自分を落ち着けた。

「……だから何だよ。言っとくけど俺がこっち側なのバレた瞬間、あいつらに刺客が送られる。内通者がいるアンタに俺という情報源は不要かもしれないけど、切り捨てるのはやめた方がいい」

「ウチのパイプは内通者って呼べるほど深く探りこめない。分かるのはせいぜい、いつどこで定例会議が行われているかくらいだ。だから会議の内容はお前から聞くしかない。お前には、自分で思っている以上に価値がある。つーわけで、安心しろ。切り捨てなんてもったいないことしねぇよ」

「あっそ。俺は有用な駒ってことか」

「よーく分かってんじゃーん。ってことで、今日の会議内容教えて」

 躑躅は自分が、掴めない男の掌の上で踊らされている気がしてならなかった。しかし親友とその飼い猫のために、今はその怒りを無理矢理抑え込む。人の神経を逆撫でする笑顔で情報を催促する男に、いずれ己の手で制裁を下そう、と決意を新たにしながら。


「千月の魔寄せの力が強まっていること、それによって黒緒の魔除けが効き辛くなっていることが問題視されてる。これ以上強まって、また橋上妹に憑いてるレベルのを呼び込む前に、さっさと処分してしまえ、だと」

「はー、なるほどねぇ困った困った」

 困ったと言う言葉とは裏腹に、楽しそうに笑う行李。それを見た躑躅は怪訝な表情をする。

「碌なこと考えてないだろ」

「いや~、あっはっは。千月がさぁ、ちょっと面白いことになっててね?」

「なんだよ」

「あの子ねぇ、他者の心の声が聞こえるようになっちゃったんだよ」

「は?」

「疑ってる?残念だけどホントの話。今朝突然そうなったんだって、助けを求めて来たよ。何が原因かは不明だけど、千月の持つ力が強まっているのは事実。このことを面倒な奴らに知られたらどうなることやら」

「……」

 行李の話を聞き、躑躅は深く考え込んでいるようだった。

 これからどう動けば親友にとって最善の状況に持っていけるのか、どうすれば安全を保障出来るのか、必死に脳を稼働させる。


「……今分かっている千月の力の詳細は」

「心の声を聞くこと、それだけ。人間以外にも通用するっぽいけど、今のところ黒緒以外は会話不可能。ただまぁ、力が強まっていく可能性もあるし、今出来ないことが出来るようになるのも時間の問題かもしれない」

「このことを知られたら……千月の処分について二分する可能性も」

「あるねぇ。ただ、そうなった場合千月は不幸になる。確実に」

「……クソッ」

 躑躅は吐き捨てるようにそう言った。対する行李も今までのつかみどころのない表情とは打って変わって、ひどく真剣な顔をしている。

 互いに反りが合わないと分かっているても、こうして結託しているのは偏に、千月を生かすためだった。


「……とりあえず、こっちは千月の力の詳細を探る。お前はこのことを隠し通せ。いずれバレるだろうが、それを少しでも遅らせることが大事だ」

「分かった。処分を推されていることについては」

「処分云々に関しては考えがある。とりあえず大丈夫だ」

「……なんか癪だが、信じる」

「それでいい。ま、心配するなって」

 不敵な笑みを浮かべる行李と、自身が行李に及ばないことを痛感して、悔しそうに口を引き結ぶ躑躅。そんな躑躅を見て、行李は小さく呟いた。


「監視のために近づいたのに、千月の性質にあっさり絆されちゃって……。忠犬をあっという間に心変わりさせるあの子は、本当に恐ろしいね」

 恐ろしいと言いながら、酷く優しい笑みを浮かべて、行李は己の弟子を思うのだった。


「後で会いに行って来れば。ただ、今常時発動状態だから、変なこと考えてボロ出さないようにね」

「余計なお世話だってーの」

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