第7話 前途恐怖

 赤染あかぞめ躑躅つつじは、おれと同じく「見える」人間であり、おれとは違って「祓える」人間である。

 本人曰く、赤染家はらしい。

 陰陽師に呪術師、霊能力者。おれはその違いをあまり把握していないが、赤染家の祖先は陰陽師だったのだと言う。しかし、時代や当主によって名乗り方を変えていたため、これと言って正しく表現できる言葉はないらしかった。


 躑躅との出会いは、去年のこと。高校に入学して同じクラスになり、女子より男子の方が多かったため、最初の席替えでたまたま隣の席になった。それが切っ掛けで話をするようになり、次第に打ち解けていったのである。

 おれは最初、自分の特殊体質について躑躅に話すつもりはなかったのだが、運悪く黒緒もお守りも何もない、そんな最悪のタイミングで怪異に遭ってしまったのだが。偶然通りがかった躑躅が助けてくれたことで互いに「見える」体質だと分かり、おれは魔寄せ体質だということ、躑躅は祓える家系だということを明かした。

 そんなことがあり、黒緒がいない学校生活におけるおれの安全は、躑躅が保証してくれるようになったのである。



「ほんっとお前、よくまぁこんな頻繁に引き寄せるよなぁ」

「いや、好きでこんなことになってるわけじゃないよ」

「分かってるって。何となく千月がまた面倒なことになってる気がして来てみれば、案の定変なのくっついてて笑っちゃった」

「こっちは笑い事じゃねーの!」

「ごめんて、ちゃんと祓っただろ」

「それには毎回感謝してるけども」

 今までも、こういう風に立ち往生した時や、死にそうなほどの窮地に追い込まれた時も、躑躅は毎回助けてくれた。

 黒緒の存在は魔除けだが、祓うことはできない。弱っちい怪異なら黒緒に威嚇されれば姿を消すが、ある程度力を持つ怪異の場合、触れられないようにするのが精一杯なのである。だから、躑躅や行李のように「祓う力」がある人間が近くにいてくれるのは、本当にありがたいことだった。


「なんか、毎回助けてもらってるのに何も返せないの申し訳ないな」

「別にいいよ、俺が勝手にやってることだし」

「でもこういうのって普通、お金かかるだろ」

「まーそうだけど、千月の場合回数が多すぎてなー。金なんか取ったらあっという間に貯金が底を尽きるぞ」

「うっ、それは困るけど……そうだ、今からカレー作るから食べてかない?お礼って言えるほどすごいもんじゃないけど」

「マジ?やった、ごちになりまーす」

 嬉しそうに笑う躑躅を見てほっとする。おれに出来ることなら、どんなに小さなものでも少しずつ恩を返していこう。毎度毎度命を助けられていることに比べれば、料理を振舞うことなど安いもんだけど。

 おれはキッチンに立ち、怪異のせいで途中になってしまった準備を進める。リビングで待っていていいのに、なぜかついてきた躑躅はおれの横に立ち、こちらの顔を除き込んできた。そしてふと思う。そう言えば、躑躅の心の声聞こえて来ないな、と。何か言いたそうな顔しているのに。


「……なぁ千月、なんかあっただろ」

「ん?なんかって?ついさっきおかしなこと起こってたけど」

「あぁいうのはお前に取っちゃ日常茶飯事だろ。そうじゃなくて、もっとこう……

いつもと違うこと」

「日常茶飯事って……いや確かにそうかもだけど……なんで分かったんだよ」

「勘。で?何があったわけ」

 躑躅は「話すまで逃がさない」とでも言うように(実際そういう心の声が聞こえた)、こっちに詰め寄ってくる。あまりに真っ直ぐ見つめてくる躑躅に少し驚いて、おれはその視線から逃れるように調理を始めながら、話し出した。黒緒はそんなおれたちをソファの上から眺めている。その視線を、躑躅には話しておけ、という意味だと解釈した。


「えーっとですね……ざっくり言うと、人の心の声が聞こえるようになっちゃった…って感じ?」

「……なるほど、それで?」

「それで?って、なんか軽くない?結構重大なカミングアウトなのに……」

「いや驚いてはいるけどさ、千月のことだし、別に何があってもおかしくはないんだよなぁ。それで?あのいけ好かない探偵野郎には話した?」

 躑躅は顔をしかめながらそう聞いてきた。この親友、行李とは一応同業者なのだが、性格が合わず非常に不仲である。名前を言うことも憚られるのか、「探偵野郎」とか「屑探偵」などと呼び、おれが行李の名前を出すと不快に顔を歪ませるのだ。

「行李には話したけど、切っ掛けが思い当たらなくて、結局詳細の究明は後日に持ち越し……ってなったけど、実はさっき、切っ掛けになったこと思い出したんだ」

「へー、なになに?」

「すっごい興味津々じゃん…大したことじゃないんだけど、昨日公園の祠の前でさ、黒緒と話せたらいいのにって呟いたんだよね。多分それが切っ掛けだと思う。黒緒も言ってたし」

「黒緒も?」

「人だけじゃなくて、黒緒の心も聞こえるんだ。だから会話できるようになった」

「え、それすげえ力じゃん」

 躑躅は羨ましそうに「いいなー、便利そう」と言う。なんだろうな、躑躅からは時々、行李に近いものを感じる……本人に言ったら凄い拒絶反応をされそうだけど。そんな躑躅の隣で、おれはどんどん野菜を切っていく。玉ねぎが目に沁みて出て来た涙を上手く拭えず、少し視界が悪くなった。


「そんな便利じゃないって。普段より多く情報が入ってくるせいで頭が疲れるし」

「じゃ、今も俺の心聞こえてんの?」

「いや、なんていうか、考えたことそのまま口に出してるときは心の声として聞こえてこないから、今は聞こえてない」

「ん?それ、俺が深く考えてないってことにならねえ?」

「そんなことないって。おれとしては、この方が楽だし」

 切り終わった野菜と肉を炒めていく。まだなにも調味していないが、野菜を炒めている音と匂いだけで空腹を刺激される。


『…腹減ったな』

 と、躑躅の心の声が聞こえた。

「なんか手伝うことある?」

「大丈夫。座ってていいから、しばらく空腹我慢してて」

「…心の声聞こえちゃいました?」

「聞こえちゃいましたね」

 躑躅は手持無沙汰が落ち着かないようで、しばらくおれの傍をウロウロしていたが、おれが何も頼んでこないと分かると、大人しく黒緒の隣に移動した。黒緒は気を利かせたのかテレビのリモコンの電源を押して、ニュース番組が流れ出す。それから一人と一匹は、大人しくソファに座っていた。





 カレーが完成したのは、それから一時間近く経ってからだった。

 部屋に満ちるカレーの香りに空腹を刺激され、午後七時半、ようやくおれたちは夕飯を食べ始めた。

「ん!美味い!」

「良かった。おかわりあるから好きなだけどうぞ」

 空腹は最高のスパイスとは言ったもので、おれも躑躅もカレーをかき込む。二人とも無言で食べ続け、互いに二杯目を食べ終わり一息吐いた頃に、ふと躑躅が話しかけて来た。


「今日のバイト、依頼人が来たんだろ。どんな内容だったんだ?」

「…あぁ、それがさ、依頼人は橋上兄妹で。朝陽の方が、何かに魅入られた?って感じで、段々死に近づいてる。そのせいか見えるようになってて、唯夜のアレを見て心配になったのか、わざわざ妹まで連れて来た」

「うわ、可哀そうに。怖えモン見ちゃったな。大丈夫だったか」

「うんまぁ。アレは祓えないってことに納得してもらえたみたいだし、とりあえず唯夜の安全は保障するって約束した」

「そっか。まぁ、アレに関しては分かってもらうしかないしな。誰も手だし出来ないから祓えないんだし」

 その内祓う方法見つかるといいけど。そう言いながら、躑躅は天井を見上げて両腕を上に伸ばした。

 躑躅と唯夜は二、三回顔を合わせたことがある。おれと違ってある程度怪異に慣れている躑躅は、奴らを見ても怯えたりしない。むしろ、スルースキルがカンストしているお陰か、向こうに気付かれずに一瞬で祓ってしまう。そんな躑躅でも、唯夜——もとい異界の怪異に遭った時、今までで一番死を身近に感じた、と言っていたのを思いだした。


「兄の方の依頼内容は?」

「最近見るおかしな夢の解決」

「おかしな夢?」

「川を歩いて渡っている夢。見るたびに進んで行って、時期に溺れるくらい深い所に到達するらしい。なんでも、友達と心霊スポットに行った日から夢を見始めたみたいで」

「じゃ、その心霊スポットまで原因探りに行くのか」

「明日行くことになってる」

「探偵野郎と黒緒がいるなら心配する必要ないかもしれねぇけど、気を付けろよ。お前はホント、すぐ狙われるから。何かあったら俺に連絡しろ」

 そう言う躑躅の顔はとても真剣である。この親友はおれに対して結構過保護だ。この体質も関係あるかもしれないが、躑躅は一日二回、生存確認の連絡をしてくる。おれはそんなあっさり死ぬように見えるのだろうか。


「お前はおれの親かよ。心配しなくても大丈夫だって。確かに体質のせいでよく狙われるけど、明日は唯夜のアレもいるし」

「だから心配なんだろ。いくら千月が手綱を握れていたって、万が一が起きない保証はないんだ」

「向こうがおれを殺す気なら、おれも黒緒もとっくに死んでるよ。なんだかんだで十年上手くやってきたんだから、大丈夫だって」

 心配を顔に出す躑躅を安心させるように笑ってみせる。

 怪異を思いのままに操ることは決して出来ないと分かっているし、自分なら大丈夫という慢心も無い。大体、おれは人一倍怖がりなのだから、躑躅が心配している以上に警戒心は持っている。


「そんなにおれが心配なら一緒に来たら?」

「は?あの屑と一緒に行動するとか何の拷問だ」

「だよね。ま、心配しないでよ。行李と黒緒でもどうにもならないような事態が起きたら、真っ先に躑躅に助けを求めるし」

「……分かった。でも無理するなよ。お前の体質も性格も厄介なんだから」

「ウッ……失礼だな。本当のことだけども」

 躑躅の言葉が刺さって心が痛い。親友に正面から言われるとさらに痛かった。黒緒と躑躅は元々口が悪いので、人一倍言葉の棘が鋭いのだ。


「ところで躑躅、もう八時過ぎてるけど、泊ってく?」

「いや、嫌な予感ついでにお前の生存確認しに来ただけだから、今日は手伝ったら帰るよ」

「親友の生存確認するためだけにわざわざ家まで来るなんて、よく考えると不思議な話だよ。今回はナイスタイミングだったけど」

「頻繁に生存確認しなきゃいけない奴なんて、世界中探しても千月だけだろうね」

「おれに祓う才能があったらよかったのに」

「ないものは仕方ないだろ。黒緒の方は、もう少し長生きすれば出来るようになるか

もしれないけど」

「え、何それ初耳」

 躑躅の言葉に驚いて、黒緒に視線を移す。

 黒緒はというと、食事が終わってからおれたちが話しているあいだ、ずっと聞き耳を立てながら膝上で丸くなっていた。


「黒緒、話聞いてたろ。何か言えよ。自分で分かってたの?」

『知らん』

 話しかけたが黒緒は一言喋ったきり、何も言ってくれなかった。どうやら満腹になったせいで眠気が襲ってきたようである。

「いいや、後にしよ」

「そうしな。黒緒だって疲れてるだろうし」

 流石に黒緒を乗せたままでは片付けが出来ないので、おれは黒緒をそっと抱き上げてソファの上に移動させた。普段は頼りになる存在だが、眠っている黒緒はめちゃくちゃ可愛い。黒緒をひと撫でし、おれたちは片づけをするためと動き始めた。





**********





「じゃ、明日気を付けろよ」

「はいはい。気を付けて帰れよ。おれの生存確認するために来たのに、お前に何かあったら意味ないからな」

「おう、分かってるよ。おやすみ千月」

「おやすみ」


 玄関前から自転車で帰っていく躑躅を見送った。

 それから、起きた黒緒を風呂場で洗い、おれはその後風呂に入る。猫は水が好きじゃないとよく聞くが、うちの黒緒はシャンプーされるのが好きらしく、大人しく洗われてくれるため楽でいいな、と思う。

 風呂から上がると残業終わりの母が帰ってきたので、カレーを温め直しながら羽月姉はに泊まっていると伝えた。

 その後宿題に取り掛かるが、テレビを見ながらやっていたせいか、すべて消化するのに二時間以上かかったのだった。


「母さんおやすみ」

「おやすみー」

 日付が変わる一時間前、パソコンに向かう母に声を掛け、黒緒と共に自室に引っ込んだ。


「黒緒、首輪外すからおいで」

『ん』

 黒緒の首輪についている鈴は大きいので、夜は外して寝ている。黒緒が子猫だった頃に祖母が与えたものなので、結構古い品のはずだが、綺麗な金色のまま劣化せず、今も涼やかな音色を奏でる。

「ほんとこの鈴、綺麗だね」

『俺が死んだらくれてやるよ』

「だから、そういうこと言わない」

『はいはい』

 余計なことを言う黒緒を捕まえようとしたが、するりと逃げられてしまう。逃げた黒緒はベッドに乗り、『早く寝ろ』と言って布団を尻尾で叩くので、おれは電気を消し、ベッド脇のサイドテーブルに置かれたスタンドライトを点け、そそくさと布団に潜り込んだ。


「黒緒、さっきの躑躅の話聞いてた?」

『俺がもう少し長生きしたらナントカ…ってヤツだろ』

「長生きしたら祓えるようになるって言ってたじゃん」

『そうだな、だからどうした』

「だからどうしたって……」

 自分に関する重要情報のはずだが、黒緒は興味がないようで、おれの言葉にそっけなく答える。

 おれは黒緒のオッドアイと視線を合わせ、

「なんでそんなどうでも良さそうなの?」

 と問うた。


『あのな、千月。躑躅の言う通り俺が祓えるようになっても、特に意味ないんだよ』

「…なんで」

『俺が猫で、お前が人間だから』

「?もうちょっとおれが分かるように言って欲しいんだけど」

『つまり、今更俺が祓えるようになったって、お前より先に死ぬことに変わりはないんだから意味ないだろ』

 少し苛立ったような声音で、馬鹿馬鹿しそうに黒緒が言う。おれはというと、黒緒に説明されてもよく分からないままだ。


『残りの寿命で言ったら、どう考えてもお前の方が長く生きる。だから俺が今更祓う力を身に着けても、俺の死後のことは全部お前次第なんだよ。言ったよな、俺が居なくても生きて行けるように努力しろって。

 今のままでも生きてる内はお前を守れる。だから祓う力は別に要らん。もし俺が不死身だったらその力を欲したかもしれないが』

「黒緒」

『不安になるなよ千月。別に死ぬ予感があるわけじゃねぇよ』

 自分が今、黒緒に心配される顔をしていることが分かる。黒緒がそんなおれを宥めるようにすり寄ってきたので、腕を伸ばして抱きしめた。


『まだ居なくなったりしねぇよ。だから安心して寝ろ』

「……うん。おやすみ黒緒」

『おやすみ、千月』

 腕の中の温もりに縋りながら、眠るために目を閉じる。

 いつか必然に訪れる別れがこんなにも恐ろしく、永遠に来ないでくれと願わずにはいられなかった。

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