第6話 迷惑神助 其の弐
日本の異名の一つに、「
この名の意味は、「言霊の霊妙な働きによって幸福をもたらす国」であり、つまり日本人は古来から、言霊信仰――言語そのものに霊力が宿っていると信じて来たのである。
だから何なんだ、と思う人もいるかもしれないのでざっくり説明すると、昔の人は言葉に宿る霊力が、言語表現――口に出した「願い事」などを実現してくれると思っていたのだ。
そして、
例えば、神事のとき新刊が神前で唱えることばが祝詞、臣下から天皇に
不吉な意味や連想を持つことから、忌み
特に「死」に関連したり、「不幸なこと」を連想するものに忌み言葉をつけ、「財産をする」に通じる「すり鉢」「
さて、散々穴だらけの豆知識を披露して、結局おれが何を言いたかったのか。
つまるところ、この国には言霊という概念があり、「願い事を人に知られる(言う)と叶わない」などという人もいるが、本当に願いを叶えたいならそれを口に出した方が良いぞ、という話である。
実際に言霊の力――というか、願い事を聞いた神様の力を身をもって知っている、おれからすればどうしようもなく迷惑な、不思議体験。人によっては「奇跡」とか言われそうな現象だ。
『まぁ、本当に願いを叶えたいなら、願いを口にするより善行を積んだ方が良いだろうけどな』
「神様が見守ってる範囲内の清掃活動とかね!」
『自棄になってるな、千月』
「だってさぁ!おれは黒緒と話せたらいいなって言っただけなのに!」
あぁ神様、おれのことを見守って、評価してくださったのは嬉しいけれど、願いの叶え方が
『そんなこと喚いたってどうしようもねぇんだから、授けられたその力を使いこなせるように努力しろよ。大体、神前でそんなこと喚くな。神様も良かれと思ってやったことにとやかく言われちゃ怒るぞ。弁えろよ』
「もうすでに散々罰当たりなこと言ってるよ、おれ。この際忌憚なく言わせてもらうけど。これ手違いみたいなもんじゃん、願い事取り消しできない?このままじゃおれ、まともに日常生活送れなくなる」
『あのな、千月。神や仏の役割は、人を甘やかすことじゃねぇ。人に試練を与えることだってその役目だ。ここの神がお前に力を与えたのは、褒美でもあり試練でもあるんじゃねぇの。お前は自力で日常生活できるように努力しろ。甘えんな』
「うわぁ正論……その通りだけど……」
伊達に長生きしているわけじゃない。黒緒が言ったことは正しい。一体どこで学んだのか、黒緒の言葉も価値観も重量が違う。うちの猫、一体何者なんだろう。こんなに難しいこと考えて理解していたなんて、今まで知らなかった。
昨日呟いた小さな願いはただ、黒緒と話せたらいいのに、と思って自然と口にしていた言葉。それを「他者の心の声が聞こえる力」という形で、祠の神様が叶えてくれたのである。
今朝突然、黒緒や羽月姉の心の声が聞こえた時は戸惑ったし、外に出て沢山の人の心が聞こえて来た時は、あまりの情報量の多さや、聞きたくないこと、余計な事まで聞こえて来て辛かった。
ただでさえ余計なモノが見えるのに、これ以上おれから「普通の生活」を奪わないでくれ、そう願ったし、「どうしておればっかり」とも思った。
試練なんて言われても正直ピンとこないし、努力の仕方もよく分からない。なんでおればかり、こんなよく分からない状況に追い込まれるのか。試練なんてどうでもいいから普通に生きたい。そう思っているし、「逃げること」自体が悪いことじゃないだろう。
だけどそんな現実逃避が役に立つとは限らないことも、分かっている。
おれはずっと逃げて来た。見えること、引き寄せてしまうこと、理解しているけど、その現実から逃げている。受け入れたフリをして、心の奥底では、それらの事実を受け入れることが出来ていない。朝陽に「受け入れるために理解すること」を強要したようなものなのに、自分自身がそれを成せていない。
おれは弱虫で怖がりで、黒緒が居てくれなきゃ何も出来ないし、行李が指示してくれなきゃ人一人救うことが出来ない。
それでも、もし。おれがこの「心を聞く力」を完全に習得して、「他心通」の定義に当てはまるくらいに使いこなせるようになったら。
おれはおれのまま、誰かの心を救える自分になれるだろうか。
弱虫のままでも、怖がりのままでも。一人じゃなにも出来なくても。おれにしか出来ないことで、おれにしか出来ないやり方で、誰かのために生きられるだろうか。
『俺自身、いつ死ぬかは分からん』
「うん」
『だが、そんなのはこの世界に生きるもの全てが抱えていることだ』
「うん」
『お前のことは、怪異からなら俺が守ってやれる。が、事故や病からは不可能だ。存外それが原因で、お前の方が俺を置いて逝くかもしれない』
「……そうだね」
『俺が生きている内は傍に居てやるから、弱いまま、存分に怖がっていればいい。だから一つ約束しろ。俺が傍に居られなくなっても、ちゃんと生きて行けるように今、努力するってな』
「……うん、精一杯、ちゃんとやる」
おれの左手の小指に尻尾を絡ませ、「ゆびきりげんまん」の真似事をする。
いずれ来る「いつか」までに、黒緒が心配しないで済むくらいの努力をしよう。努力は個人の意思でするものだけど、おれの場合、黒緒が傍に居てくれた方がやる気が出るし。
『帰るか』
「うん、はやく帰って、羽月姉が帰ってくる前にカレー作らないと」
『羽月は腹減ってるとうるさいからな』
お参りしていないのを思い出し、祠に手を合わせ、心の中で決意した抱負を伝えた。神様はきっとこれからも、おれたちを見守ってくれるだろう。
黒緒をママチャリの籠に入れ、買った物と合わせて重たくなった自転車を力一杯漕ぎ出す。陽が落ち始め薄暗くなった帰り道を、夏の風に当たりながら走った。
**********
「羽月姉帰ってこないんかい!」
怪異に目を付けられることなく無事家に帰り着き、買った商品を「冷蔵庫にしまう物」と「今から使う物」に仕分けていた時のこと。ダイニングテーブルの上に置いてあったスマホが、メッセージの受信音を発した。そのメッセージは羽月姉からで、内容は
『今日(友人名)ちゃんの家に泊まるねー!』
というもの。
『なんだ、あの馬鹿はまた外泊か』
「そーみたい」
羽月姉が帰ってこなかったり、朝帰りすることは、我が家ではよくあることだ。そして、こう何度も羽月姉から外泊の連絡を受けていると、何となく分かってくることがある。
「今日は友達の家に泊まるってさ」
『なるほど。つまり、男か』
「男だ」
こんな感じで。
羽月姉が女友達の名前を出した場合、それは十中八九「男の家」に泊まっている。今朝「彼氏と別れちゃった」と(心の中で)言っていたのに、あっという間に新たな男を捕まえたらしい。羽月姉は馬鹿なので、こんな風に女友達の名前を出せば怪しまれないと思っているのだ。
そもそも羽月姉がこんな馬鹿な細工をする理由は、我が家一の堅物が原因である。彌月姉は頭が固いので、十代の「不純異性交遊」とか、男女が一つ屋根の下でお泊りすることを認めていない。羽月姉が男の家に泊まっていることをおれが知ると、その話が彌月姉の耳に入るので、馬鹿はこうして見え透いた小細工を加えて連絡を寄越してくるのだった。
『彌月はあの馬鹿が男に騙されて傷つかないか、心配しているだけなんだがな』
「奔放な馬鹿にその親心は伝わらないよ」
『ま、羽月は馬鹿だが悪い男に引っかかるほど能無しじゃない。心配しなくても、あいつは自分で幸せを掴むさ』
「確かに、そんなタイプだわ」
黒緒の言葉に納得する。ああいうタイプは、人を見る目のある馬鹿、といったところか。
彌月姉の親心ゆえの心配も分かるが、羽月姉は大丈夫そうなので、お泊りのことをチクるのはやめておこう。
「とりあえず、羽月姉が帰って来なくてもカレーは作らないと。急ぐ必要なくなったし、ゆっくり作るとしますか」
エプロンを着けて、キッチンに立ったその時――
「ピンポーン」
と、玄関の呼び鈴が鳴った。
「あれ、宅配便でも頼んでたっけ?」
『待て千月』
「え」
ピンポーン、ピンポーン、ピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポン!
「ちょ、なになになになに!?」
誰かが呼び鈴を連打している……誰だ一体。新手の嫌がらせか?どう考えて異常事態。やってる奴はまともじゃない。
うるさく鳴り響く音の中、黒緒が駆けだし、それを追いかけて動転しながら玄関に向かう。
『千月、開けるなよ』
「でも、」
『どうせまた、変なのに目ぇ付けられたんだろ。構わなければその内どっか行く。だから絶対開けるな』
「わ、分かった」
黒緒はじっと玄関の向こうを睨んだまま動かない。どうしよう、流石にこのままキッチンに戻るのは憚られる。どうにかして追い払えないだろうか。
そんなことを考えている間も、呼び鈴は物凄い勢いで鳴り続ける。しかも外にいる何かは、ドン!ドン!とドアまで叩き始めた。
「うわぁ、なんか激しくなった……どうしよ」
『開けなきゃ大丈夫だろ。人を襲うのに何かしらの条件がある怪異は面倒だが、条件を満たさなければどうってことはない』
「ああああ、なんか叩くリズムが速くなってる!」
音で恐怖心を煽られる。おれは床にへたり込み、落ち着きを取り戻すために黒緒を抱きしめた。
「どうしよう、このままいなくならなかったら……母さん帰ってくる前に何とかしないと鉢合わせになる……」
『祓える奴ら、どっちか呼びつければいいだろ』
黒緒に宥められても一向に落ち着かず、おろおろしてしまう。
黒緒の言う通り、本当にどうしようもなくなったら、最終手段として頼れる人を呼べばいい。絶対助けてくれる、という自信はあるが、事あるごとにそんなことになっているせいで、酷く申し訳なさを感じてしまう。本人たちは負担に感じていないらしいので、おれがもだもだしたって仕方ないのだけど。
ピンポンピンポンピンポンピンポン!ドンドン!ドンドン!
外にいるモノは扉を開けろと音で催促し続ける。
『いい加減助けを呼べよ。これじゃいつまで経っても料理に取り掛かれねぇぞ』
「うーん、そうするか……」
この状況を打開してくれるヒーローを呼ぶために、スマホをエプロンのポケットから取り出し、電話帳で目当ての連絡先を見つける。しかし通話ボタンを押そうとした指は結局、スマホ画面に触れることはなかったのである。
ドスッ!という鈍い音が外から聞こえ、それと同時に呼び鈴とノックの連打はぱったり止み、
「おーい千月、無事か?」
「……
『流石ヒーロー。呼び出す前に登場か』
代わりに聞こえて来たのはおれの親友――
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