第5話 迷惑神助

 おれと羽月姉は年子だが、彌月姉と羽月姉は七歳も年が離れている。そして、物心ついた頃から両親が共働きしており、おのずと彌月姉が年の離れたおれたちの面倒を見るようになっていた。

 おれが小学校に上がった頃から、彌月姉指導の下、姉妹弟きょうだいで家事をローテーションで担当するようになった。掃除に洗濯に料理。小学生にしてそれら全てのノウハウを叩きこまれたお陰で、おれは主婦顔負けの家事能力を有していると思う。おれと羽月姉にとって、親以上に親を務めてくれた存在。彌月姉には本当に感謝しかない。


「うん、美味しくできたんじゃないか、これ」

 冷蔵庫に入っていた賞味期限ギリギリの牛乳を使い切るため、冷凍してあったお米と一緒にリゾットを作った。

 行李は物臭い奴なので、全く自炊をしない。器用ではあるから、レシピや基本的な知識を覚ればすぐに料理を習得できるはずである。しかし、自炊をしろと進めたところで「めんどくさいから嫌」と言われて終わりだろうな。

 現に、おれが差し入れるおかずは食べるのだが、冷凍したお米やパンに至っては解凍するのさえ面倒らしく、全然手を付けない。だから行李の主食はコンビニ弁当やデリバリーで、不健康極まりない食生活をしていた。


「ちゃんとしたもの食べろよ。三十代は決して若くないんだから、そろそろマジで身体壊すぞ」

「でもさ、最近はコンビニ弁当も時代に合わせて変わってるし。健康志向の商品だって多いでしょ。それに俺、喫煙と飲酒はしないからその分健康だと思う」

「何事もそういう慢心があるからいけないんだって」

「いいじゃん別に。料理初心者の俺が作るより、千月が作った方が美味いじゃん。俺はおいしいものが食べたい」

『作るのとか面倒だし。楽したい』

「聞こえてる聞こえてる。心の声が駄々漏れてる」

 すごい勢いで牛乳リゾットを口に運びながら行李は喋る。自分で作った方がおいしいと思うのだが、面倒くさがりに何を言っても無駄なのかもしれない。どうせおれは事務所に来るたび行李の世話を焼いて、掃除も料理もやってしまう。例え行李にまともな生活能力がついても、きっとおれは手出しと口出しをするだろうから、こういう小言は本当に意味が無いな。


「まぁいいや。乱れた食生活で行李の寿命が縮もうとおれには関係ないし。ところで行李、入っちゃった予定って何?おれにやれることある?」

「流石に‘‘まぁいいや,,の一言で見捨てられるとショックなんだけど……。いいけどさぁ……、もうちょっとなんか言葉なかったかな」

「ごちゃごちゃうるさいなぁ。で?おれがやることあるの、ないの?」

「ないよー…、俺の私用だし。今日はもう帰って大丈夫。とりあえず、その他心通もどきのことは今度ちゃんと調べようねー」

 ワクワクとした子供のような表情で、他心通に似た能力に対する好奇心が失われていないことが伺えた。人間はときめかなくなると、時間が過ぎるのが早く感じると聞いたことがあるけれど、子供心というか、子供に負けない好奇心と探求心を持つ行李は、相当人生を謳歌しているのだろう。ときめきを感じていても、一つのことに没頭し過ぎて、逆に時の流れを早く感じていそうだ。


「調べるのはいいけど、今日はまだ掃除してないから帰れない」

「掃除してくれるのは助かるけど、人来るからやんなくてもいいよ」

「人が来るからこそ綺麗にしとくもんじゃねーの」

「賓客じゃないし、気を使う必要はないかなぁ」

「えー、でもさぁ」

「いいの、別に一日くらい掃除しなくても死にゃしないんだから」

 いつもならおれがビル内で何をしていようと気にしないのに、今日はビルに居て欲しくないらしい。よっぽど会わせたくない人物なんだろうか。おれを来客に遭わせたくないのか、来客をおれに遭わせたくないのかは分からないけど。家主から遠回しに「居ちゃ駄目」と言われてしまえば仕方ないが、今は家に帰りたくないな……。


「家に住み着いちゃってる奴、今朝からなんか様子がおかしかったし、一つ屋根の下に居たくねぇ……」

「初耳なんだけど」

「言うの忘れてた」

 家の中でストーキングされた恐怖より、他心が聞こえる混乱の方が大きくてすっかり忘れていた。

「住み着いてるのって、女性型のでしょ?様子がおかしかったって言うのは気になるけど、この時間なら多分大丈夫だよ」

「?意味わからんけど…その根拠は?」

「プロの勘」

 どやっ!という効果音が付きそうな表情で、そんなことを言われても困るんだが。イマイチ信用できないし、その勘。そもそも「インチキ」呼ばわりされる№1みたいな職業なわけで、そんなプロにドヤ顔されても、ノータイムで信じることは無理である。


「さっきから酷いことしか言わないね、千月」

「信用が無いからいけないんだろ。見た目からして胡散臭いし。大体さ、こんな店に客が来ること自体おかしいと思う」

「ほんっと辛辣なんだから。自分の雇い主に言うことじゃないでしょーに」

「本当のことしか言ってねーよ」

 わざとらしく頬を膨らませて不機嫌アピールするのやめてくれないか。三十過ぎがやると痛くて見ていられない。

「うちには優秀な仲介人との伝手があるし、千客万来のを掛けてるから」

「胡散臭さ百パーセントじゃん」

「善意百パーセントで仕事してます~」

 怪奇に悩まされている人は探してみると意外に多くいる。朝陽のように、藁にも縋る思いでここへ辿り着く人もいるし、少なくともおれがバイトを始めてから解決できなかった怪奇事件は一つもない。だから、出水探偵事務所は特定の人々には必要なのだと思う。


「とにかく、居候怪異ちゃんは気にしなくても大丈夫だから、今日はもう帰りな」

「はいはい、お皿洗って片づけたらね。行李がやってくれるならすぐ帰るけど」

「給料弾むから洗って下さい」

 おれは家政婦さんじゃないんだけど。





**********





 食器の片付けを終え、再びママチャリを三十分漕いで帰宅すると、羽月姉は出かけた後で、ついでに居候怪異もいなかった。あれ?今まで一度も出て行った試しがない引きこもりだったのに、なんで突然いなくなったのか。忽然と姿を消した彼女に困惑するしかない。

「えー……行李の勘が当たっちゃった?」

『そうかもな。まぁ良かったんじゃないか?不愉快な居候がいなくなって。お前が怖がる必要もない』

「そうだけど……突然過ぎて逆に怖い」

『お前は何に対してなら怖がらずに済むんだ?』

 黒緒が足元から呆れたような視線を寄越す。「見える」体質と「魔寄せ」体質さえ持って生まれなければ、おれはこんな怖がりにはならなかっただろう。「タラレバ」を言ったって仕方ないが、おれが怖がりを克服することは多分ない。これ以上怖がりが悪化しないようにすることは出来るかもしれないけれど。

「うーん、考えても仕方ないかぁ」

『そうだな』

「よし、掃除しよう」

 何も考えずに気分転換するには丁度良い。何があっても、黒緒が居てくれれば大丈夫だろうし。



 朝から色々ありすぎたせいで自分が思っていた以上に疲れていたらしい。一時間ほど掃除をしたおれは、その後夕方まで眠ってしまった。起きたら午後四時過ぎ、夕飯の買い出しに行く時間だった。

「ん、黒緒起きて。買い物に行かないと」

 ソファで眠っていたおれの腹の上に、黒緒は丸くなっていた。

「黒緒ー起きてー、お散歩行こー?」

 指先で頬を撫でたり、尻尾を優しく引っ張ったりして黒緒を起こそうと試みる。執拗に障ると、黒緒は珍しく猫らしい鳴き声を出すが、なかなか起きる気配がない。

「黒緒さーん、おーい」

『ぅうん、うるせぇ……』

 ゆっくりと瞼が持ち上がり、金と銀の瞳が姿を現す。声が不機嫌なので、頭を撫でてやりながら黒緒の覚醒を待った。


『今何時だ……?』

「四時過ぎですよー」

『寝すぎたな』

「お散歩ついでに買い物行こ」

 黒緒が腹から降りたので、「よっこいしょ」と上体を起こす。寝返りを打たずに寝ていたせいか、身体が固くなっているようだった。黒緒も同じなのか、背中をぐい~っと伸ばしている。

「今日の夕飯何にしよっかな」

 買い物用の財布とエコバッグを手に取り、夕飯と明日の朝食を考えながら家を後にする。この時間はどこのスーパーも割引シール貼ってあるだろうし、予算内で多めに買い物できるかもしれない。





 家から一番近いスーパーは、自転車で十分ほどのところにある。そこで手に入れた戦利品をママチャリの荷台に括り付け、自転車を押しながら黒緒とゆっくり歩く。今夜の献立は野菜類が安かったので野菜カレーに決定した。明日行李にも持って行ってやろう。


『あそこに寄って行くのか?』

「うん。ここまで来たから」

『今は別に、つけられてないぞ』

「いいじゃん別に。行っただけでもご利益あるだろうし、おれはあそこが好きなんだよ」

 自宅とスーパーを繋ぐ道のりの丁度間に、祠のある公園が存在する。おれは今、そこに向かって自転車を押していた。

 公園と言ってもそこまで広くはなく、青色の塗装が色褪せているベンチと、一人しか乗れないブランコだけが置いてある、本当にちいさな遊び場だ。その公園の入り口と呼べる部分に石造りの鳥居があり、祠はそこから直線で十五メートルほどの場所に鎮座している。

 祠とは、神様を祀った小さな社――つまり、そこには神様が住んでいるのだ。入り口に鳥居があるということは、公園内は神様の領域――神域だということ。だからここに怪異たちが侵入することは不可能で、出水探偵事務所と並ぶ、おれにとっての安息の地だった。

 おれが通う高校は自宅を挟んで、公園とは反対方向にあるのだが、帰宅途中怪異にストーキングされると、家を一度素通りしてここまで逃げてくる。そして、怪異がどこかへ行くまで神域に隠れるのだ。


「そのうちまた公園内清掃しないと。この間から次期に一カ月経つし」

『お前がやらなくても、ここらの治自体が綺麗にするだろうに』

「でも、おれが一番お世話になってる自信あるし、ちゃんとお礼はしないと」

『変な自信を持つんじゃねぇ』

 ここの神様には昔から守ってもらっているので、そのお礼として一カ月に一回は園内の掃除をしている。昔から色々なモノを見てきたが、そういえば「神様」という存在は一度も見たことが無い。もし神様に直接会えたなら、ちゃんとお礼の言葉を伝えたいと思う。今まで一度も逢えていないということは、神様が人に姿を見せることはないのかもしれないが。

「今日はあのおじいさんいないね」

『あの人も毎日通ってるわけじゃないだろ。それに、今日はいつもより時間が遅い』

「それもそっか。……あ、ていうか昨日もここに来たじゃん、おれ。行李に昨日のこと聞かれた時はすっかり忘れてた」

『今気づいたのか?馬鹿だろ』

「気付いてたんなら教えろって!年甲斐もなく意地悪するから!」

『あ?んだとこの餓鬼』

 黒緒は不良のような凄み方をしておれを睨んだ。年甲斐もなくご機嫌斜めだったのは事実だろうに。そういう感情を込めて、おれは黒緒を睨み返した。



 おじいさんというのは、学校帰りにここへ避難すると高確率で遭遇する人のことである。この近所に住んでいるのかは聞いていないが、杖をついていることから公園周辺に住んでいるのだろう。

 そのおじいさんはいつもベンチに座って、鳩や雀に餌を撒くのだ。お米やパン屑、おせんべいの欠片などを撒いて、飛んできた鳥たちを穏やかに微笑みながら眺めている。可愛い鳥たちを眺めるのが趣味なのだと、昔言っていた。

 昨日も学校帰りにストーキングされここに避難して来た時も、おじいさんはベンチで鳥を眺めていたのである。鳥たちはおじいさんがくれる物を食べたり、おじいさんを止まり木にして、楽しそうに囀っていた。おれはよくあるその光景を眺めて、ふと今まで気になっていたことをおじいさんに訊いたのだ。

「おじいさんって、鳥たちと話せるの?」

 と。

 おじいさんはよく、鳥たちと会話をしていて、その内容が何だか本当に鳥と話せているかのようで。おれの問いにおじいさんは、

「あぁ、話せるよ。種が違くとも同じ命を持っているからね。心と心を通わせれば、話をすることなんて簡単だよ」

 と、笑いながら答えてくれた。

「おれも黒緒と話せたらいいのに」

 その時おれは祠にお参りをした直後で、丁度祠の真正面にいたのだが。神様の御前で、おれはそんなことを口走ったのである。



 そこまで回想して、ふと気づく。

 あれ、もしかして、おれの呟きを神様が聞き届けてくれたのか?

 行李に訊かれた、心の声が聞こえるようになった切っ掛け。もうこれしか思い当たることがない。

「黒緒、もしかして全部分かってた?」

『むしろなんでお前が思い出せなかったのか分からん』

「言えよ!あの時に!……っていうか、なんでなの神様!」

『思い出せよ、あの時に。…どうせ、今まで積み重ねてきた清掃っていう名の善行を見てた神様が、その労働に報いて叶えてくれたんだろ』

「なんでそんな突然に!?」

 訳が分からずに喚くおれに、黒緒が鬱陶しそうな目線を送って来るが構ってられるか。おれは話せたらいいのに、と言っただけなのに。いくらおじいさんが「心と心を通わせる」って教えてくれたとはいえ、他人の心まで勝手に聞こえてくる力を与えられても困るんだが。

 きっと神様は、今まで清掃活動に身を入れてきたおれの願いを、良かれと思って叶えて下さったのだろう。とは言え、行き過ぎた力や身に余る力は自らを滅ぼすことになるのはこの世の常。相手が神様だろうが正直に言おう。勝手にこういう力を与えられるのは、流石にちょっと迷惑だ。

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