第4話 怨霊不離

「……それ、本当か?」

「うん、残念ながら」


 行李が三階の書斎で、朝陽が友人と行ってしまった心霊スポットについて調べている間、黒緒に唯夜の相手をして意識を逸らしてもらい、おれは事務所の台所に朝陽を連れて来た。

 唯夜に取り憑いているモノを祓うのは不可能であると伝えると、朝陽は呆然として何と言えばいいのか迷っているようだった。

 まぁそうだろう。妹に取り憑いていているのは明らかにヤバイ存在で、ソレの「お祓い」が容易ではないことは、本格ホラーを題材にした映画の出演経験がある朝陽のことだ。なんとなく感じていたに違いない。それでも、「きっと専門家に頼ればなんとかなる」という希望を持つのは当たり前のことであり、「祓えない」とはっきり言われて、はいそうですか、とすんなり受け入れることは出来ないだろう。


「朝陽は知らないだろうけど、あの怨霊は、10年前に神隠しに遭った時からずっと唯夜に憑いてるんだ。普通の人間ならとっくに死んでるレベルの、ホントにヤバイ怨霊だよ」

「……そんな危険なのを、放っておくしかないっていうのか?それにアイツ、ここに来てからは姿を見せてねぇけど」

「ここは魔除けが施されているから、今は引っ込んでるだけ。アレは異界から連れ帰ってきたモノで、普通の――こっちの世界で発生した怨霊とは違うんだ。詳しいことはおれにも分かんないけど、此岸で生まれたモノじゃないから、普段使う正攻法が通用しない」

「じゃあ、正攻法以外のやり方を探せばいいだろうが」

「確信が持てない手探りのままで、下手なことできないんだよ」

 朝陽の話す声が段々大きくなってくるのは、湧き上がる激情を抑えて怒鳴らないようにしているからだろう。それでもおれははっきりと現実を伝える言葉を紡ぐ。

 朝陽は内心酷く狼狽しているだろう。その気持ちは分かるが、現時点で「お祓い」が不可能なことに変わりはない。現状と現実を今すぐ受け入れろとは言えないが、理解はしてほしかった。


「あの怨霊、取り憑いてることに変わりはないし、唯夜の周りでポルターガイストは起こっているけど、唯夜自身に霊障は出てない。むしろ普段からあいつを守るような行動を見せる。

 害がないなら、無闇に刺激せず現状維持をした方が安全だし、祓えるかも分からない方法を試してアレの逆鱗に触れたら、それこそどうなるか分からない。唯夜だけじゃなく周囲にも被害が及ぶ可能性がある」

「……でも、今は安全っていうだけで、万が一あれが唯夜に牙をむいたらどうするんだよ」

「そうならないように出来る限りの対策はしてる。だから唯夜が傷つくことはないよ、約束する」

「対策って、何してんだよ」

「詳しくは言えないけど……躾け、みたいな?」

「はぁ?」

 イケメンは素っ頓狂な表情をしても崩れないんだな、と関係ないことに関心しながら、朝陽がおれの言葉を咀嚼して飲み込むのを待った。

 おれが未だに「心の声が聞こえる」事実を受け入れられていないように、大切な妹が完全に安全ではない現実を受け入れる必要はない。それでも事実を頭で分かっていなければ、前に進むことすら出来ないのだ。



『納得できない……だけど、アレが唯夜に危害を加えていなかったのは事実。千月の言う躾けの意味が分かんねぇけど、今のとこ頼れるのも、同じものが見えてるのも千月と泉さんだけ』

 思ったことをそのまま口に出した場合、心の声は聞こえなくなるのかもしれない。感情的だった朝陽の心の声は聞こえて来なかったが、今は少し冷静になったらしく、考えている心が聞こえてくる。

『俺のことも唯夜のことも、俺一人じゃどうにもならない。だから俺に残された選択は、千月を信じて唯夜の現状を納得すること』

 おれを真っ直ぐに見つめてきた朝陽は、覚悟が決まったようで随分と凛々しい表情をしていた。惚れた女を自力で口説けないヘタレの癖に、思考だけは一丁前に男らしいのが気に食わない。こういう内面的な格好良さを彌月姉の前で出せたら、もしかするとあの堅物を落とせるかもしれない、と思った。多分こういうタイプの人、好きだろうし。癪に障るので朝陽の恋路を応援する気はないけど。


「お前を信じることにする。唯夜の無事を約束できるなら、だけど。それに、唯夜が現状安全だとしても、夢の中で死期が近づいてる俺の状況は、手を貸してもらわないとどうにもできないし」

「まぁそうだね。お前が言った通りなら今夜は夢を見ないだろうけど、多分行李は、次に夢を見る前に何とかしたいって考えてるはず」

「……いや、あと一回くらいなら無事に起きられると思うけど」

「だからって油断は出来ないだろーが。万が一が起きてからじゃ遅いんだよ。永眠したいのか」

「したくねぇよ。まだ彌月口説いてねぇし」

「ならまずは連絡先を聞かないとな」

「うっ、うるせぇ」

 先ほどまでの男らしい表情はどこへやら。あっという間にヘタレ部分が顔を出す残念イケメンは、すっとおれから視線を逸らした。こんな男に姉を任せるのは嫌だな。


 とりあえず行李の言いつけ通り、朝陽に唯夜と怨霊の状態は理解してもらった。唯夜の相手を任せた黒緒は無事だろうか。黒緒は文字通り猫可愛がりをされるのがとても嫌いだから、しつこく構ってくる唯夜のことをあまり好きじゃないのだ。撫で繰り回されて機嫌を損ねてないといいけど。





**********





 おれの心配は的中して、唯夜に構い倒された黒緒の機嫌は、見事にどん底まで落ちていた。

 人に牙を向いて威嚇することはあっても、人を引っかいたりしたことはなかったのに、堪忍袋の緒が切れたらしい。唯夜の右腕には黒緒の爪痕がくっきりついていた。ギネス級の高齢猫である黒緒は、子供の行動にはかなり寛容なのだが、本当に嫌だったのだろう。ごめん、1匹にとんでもない重労働を任せて。

 おれの膝上まで避難してきた黒緒に、事務所に常備してあった黒緒お気に入りのおやつで機嫌を取る。逆立ったままの毛並みをそっと撫で続ければ、段々リラックスしてきたらしい。

『ん』

 とだけ言って、腹を見せた。機嫌が直ったようでなにより。黒緒の要求を汲み、掌で腹をモフモフする。


「もう、なんで千月は良くて私はダメのさ」

「別に唯夜のことが嫌いなんじゃなくて、黒緒は構い倒されるのが好きじゃないんだよ」

 仰向けになってリラックスする黒緒を見て、唯夜が不満そうに声を漏らす。そんな唯夜の声は聞こえないとばかりに、身体を伸ばしながら欠伸をする黒緒。小さい頃はあまり気にしていなかったが、黒緒と唯夜は性格の噛み合わせが悪いのかもしれなかった。


「小さい頃は今みたいに構っても怒らなかったじゃん」

「子供を傷つけるのは嫌だから、黒緒も我慢してたんだろ」

「今も子供ですけど」

「幼児と高校生とじゃ、全くの別物だろーが」

「でも、千月のことは昔から変わらず甘やかしてんでしょ。不公平じゃん」

「そこは家族と他人の違い」

「ずるい~!」

 そんなの、生まれた時から勝敗が決まっちゃってるじゃん!

 一体なんの勝負をしているのか知らないが、唯夜は心の底から悔しそうに叫んだ。おれは黒緒に生まれた時から甘やかさしれてた、生まれる前から守られていたけれども。

 しかし、心の声が聞こえるようになって分かったが、唯夜は本音と建て前が同じ、良く言えば素直、悪く言えば深く考えていない人間らしい。朝陽と違って唯夜の心の声は殆ど聞こえて来なかった。本能の

まま生きている幼児と同類なのだろうか。


「ごめんね、お待たせしました~」

『朝陽くんにちゃんと話してくれた?』

「なんでこんなに時間掛かったんだよ」

 小言を言いながら、行李の心の声に小さく頷き返した。

「あはは、あっさり調べ終わったんだけど、電話掛かってきちゃってさ。ちょっと長く話し過ぎた」

「行李に長電話するような相手いたのか」

「失礼が過ぎるだろ、千月。給料減らされたいの?」

「パワハラ上司か。訴えて給料以上の慰謝料ぶん取るぞ」

「うわぁ、今どきの若者は怖いなぁ」

 やだやだ、口だけ達者になっちゃって。と、久しぶりにあった親戚のおばさんみたいな口調で言う行李を白い目で見る。


「で、すぐにでもその心霊スポットに向かうつもり?」

「ごめんね、本当はそうしたかったんだけど、ちょっと予定入っちゃったから明日でもいいかな?夢も今日は見ない可能性が高いし。どうしても今日中に解決してしまいたいなら、千月たちに無茶してもらうけど」

「大丈夫です。三日休みもらったんで時間もあるし、今日は夢を見ないって確信もあります」

「じゃあ悪いけど、明日朝イチで心霊スポットに行って何とかしよう。どちらにせよ千月と黒緒には働いてもらうけど」

「その分給料弾むんなら」

 雇われの身だからもちろん労働はするし、お金目当てで働いてはいないけど、仕事量に見合った報酬は当然貰う。大体、黒緒は無給で動いているわけだし、少しくらい黒緒分の色を付けてくれてもいいと思う。


「私も明日は休みなんだけど、一緒に行ってもいい?」

「来たいならどうぞ。君には危害及ばないだろうし」

「?よく分かんないけど、行ってもいいってことだね!楽しみ!」

 唯夜は心底嬉しそうな顔をして飛び跳ねた。心と身体が連動し過ぎだろう。感情表現が幼稚園児みたいだし、心の声が全然聞こえてこない。言動がフワフワしているところも、唯夜が「妖精さん」と呼ばれる所以なのかもしれなかった。

 ちなみに、この唯夜の一連の言動を見たシスコン兄貴の心は、

『あ゛ー、うちの妹最っ高にカワイイ』

 という感情で満たされていた。うちの姉は、外面が良くても内面が煩い男に口説き落とされるほど乙女じゃないな、と改めて思う。


「あぁそうだこれ、お守り渡しておくね」

「ありがとうございます」

「気休めだけど、一応効果はある代物だから持っていて」

 そう言って行李が朝陽に渡したのは、行李が手作りした白色のお守り。神社とかで売っているものと違い、中身はお札ではなく黒緒の毛と爪だった。お守り袋の口は縫い付けられていて、中身を見ることはできない。抜群の魔除け効果が得られるからと言って、猫の毛や爪が入っているお守りを貰うのは、猫好きならともかくあまり嬉しくないだろうし、中は見ない方が良い。わざわざお守りの中身を取り出す人なんていないだろうけど。


「今日はせっかく来てくれたのにごめんね」

「いえ、相談できて安心しました。明日はよろしくお願いします」

「気を付けて帰ってね」

「千月ー黒緒ー、また明日ー」

「はいはい」

『俺はもう小娘には会いたくない』

 朝陽は一礼し、唯夜はぶんぶん手を振りながら事務所を後にする。二人を見送った後、黒緒は嫌そうに呟いて尻尾を揺らした。金銀の綺麗な双眸には疲れの色が浮かんでいる。あの自由人と二人きりの時、一体何をされたんだろうか……。


「あーお腹すいたー。千月ー」

「うっわ、すっごい腹の虫」

『腹に化け物でも飼ってるのか、こいつは』

 今まで忘れていた空腹感が一気に押し寄せてきたのか、行李の腹が、巨大な化け物のいびきみたいな音を立てる。おれのせいで朝食を食べ損ねたようなものだし、空腹の胃に優しくて、腹が満たされるものを作ってあげよう。十一時過ぎ、朝食というには遅すぎる時間だから、自分の昼食の兼ねて作ろうか。

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