第3話 芸能兄妹

 橋上はしがみ朝陽あさひ橋上はしがみ唯夜いよは兄妹である。

そしてこの二人は、おれにとって幼馴染に該当する人間だった。

 母親同士の仲が良く、家が近所。唯夜はおれと、兄の方はおれの一番上の姉と同級生。そんな理由で、昔はよく一緒に遊んでいたし、今もそれなりに仲が良いと思う。

 実はこの二人、一般人ではない。所謂「芸能人」であり、兄妹揃ってかなりの売れっ子だった。兄は俳優で妹はマルチタレントとして活躍している。この兄妹の顔をテレビで見ない日は無いというほど、あらゆる番組に引っ張りだこの人気者なのだ。

 兄はカメレオンのようにどんな役でもこなすイケメン俳優で、妹は歌や踊り、演技もやってのけ、可憐な容姿から「妖精さん」と呼ばれているタレント。

 世間からは「芸能の神に愛された兄妹」と言われるほど、エンターテイメントに必要不可欠な才能を持っている奴らだった。


 そんでもって、この二人こそ突如ノックもなしにやってきた依頼人だったのだが、どうしたものだろう。家族にバイトの詳細を伏せている現在、口の軽い幼馴染(妹)にバレたということは、家族――特に唯夜と仲が良く、頻繁に連絡を取り合っている羽月姉に伝わる可能性が非常に高い。

 バレたらバレたで仕方ないが、それなりに危険を伴う仕事内容だから、何となく知られることは阻止したい。まず間違いなく心配をかけるし、もしかしたら辞めさせられるかもしれなかった。そんなことになるのはどうしても避けたい。例え危険な世界だとしても、それらの「対処法」を知っておくことが、「魔寄せ」をしてしまうおれにとっては安全なのだ。


「なんで千月がここにいるの?」

「……ここでバイトしてるからだけど」

「マジ?ここってさ、オカルト系の怪しいお店でしょ?そんなとこでバイトしてるとかウケるんだけど。千月のバイト先特定したってはーちゃんに報告しなくちゃ」

「まじでやめろ。あと、ここは一応探偵事務所だ」

 ……とりあえず、何とかして口外しないようにするしかない。ちなみに、はーちゃんとは羽月姉のことである。説得するのに骨が折れそうだ。


「久しぶりだな、千月。彌月は元気か?」

「朝陽、久しぶり。彌月姉は元気なんじゃない?淡白な性格だから滅多に連絡来ないけど」

 どうにかして唯夜を説得する方法を模索するおれに、兄の方が話しかけてきた。実家暮らしの唯夜は羽月姉と喋りによく我が家へ遊びに来るが、所属事務所の近くで一人暮らしをしているという朝陽に会うのは、大体2年ぶりだった。久々に会ったついでに揶揄ってやろう、とちょっとした悪戯心が芽生える。


「朝陽、まだ彌月姉のこと好きなの?未だに連絡先すら知らないのに」

「うるせぇ。俺が誰を好きだっていいだろ。大体、お前が彌月の連絡先教えてくれればいいのに。何でいつも頑なに拒否するんだ」

「好きな相手の連絡先くらい、自分で本人に聞けよ。惚れた女の一人自力で口説けないヘタレ野郎にうちの姉はやらん」

 こいつはかれこれ20年彌月姉に片思いしているのだ。おれからすれば朝陽はヘタレ日本代表なのだが、顔も性格も良いと世間には認識されている。そのあまりのイケメンっぷりに一部のファンはを取り、しょっちゅう事実無根の熱愛報道をされるわけだが、そんな報道のたびに「誤解だから、俺は彌月一筋だから」という言い訳じみたメールをおれに送ってくるのだ。なんでおれに言うんだよ。


「お兄ちゃんがみーちゃんを口説くには、まず弟を落とさないとだね。未来の義弟にするために頑張って攻略しよ!お兄ちゃん!」

「人を攻略対象にするんじゃねぇ。あと義弟って言うな」

 大体、朝陽はギャルゲーの主人公って言うより、乙女ゲーの攻略対象の方が似合ってるだろ。攻略しようがされようがどうでもいいから勝手にやっててくれ。おれを巻き込むな。

 何より、我が家の堅物はきっと、「恋愛してる暇があったら、たくさんの人のために活動したい」とかいう考えを持っているはずだ。朝陽に彌月姉を口説くチャンスが到来するかは分からないが、想いに応えてもらえる可能性は低いだろう。


「とにかく、彌月姉を口説きたかったら自力で何とかしろ。おれに頼るな。それより二人とも、何か訳があるからここに来たんだろ。冷やかしで来たんならお引き取り願うけど」

「大事な依頼人にお引き取り願われちゃ困るんだけど。ほら千月、お茶を淹れて来てよ。あ、どうぞ二人は座っててくださいね」

 行李がおれたちの間に割って入り、営業スマイルで話を進めはじめた。朝陽はそんな行李に対し、丁寧に頭を下げる。

「申し遅れました、橋上朝陽と言います。こっちは妹の唯夜です。先ほどは妹がノックもせずすみません……」

「構いません。僕は出水霊能探偵事務所所長の、泉行李です。どうぞよろしく。それでは、お話を伺いましょう。あなたがどうしてここに辿り着いたのかを、僕に教えてください」





**********





 ローテーブルを挟んで置かれた二つのソファに橋上兄妹、おれと行李という形でそれぞれ座った。黒緒はおれの膝上で丸くなっている。目を瞑っているが寝てはいないようで、その耳はピクピク動いて音を拾っているようだった。


 ソファに浅く座った朝陽は一呼吸置き、

「最近、おかしな夢を見るようになってしまって」

 そう言って、静かに語り始めた。


「その夢を最初に見たのは、2週間くらい前のことです。初めて見た時は、河原をすぐそこに流れている大きな川に向かって、歩いていたんです。夜で、満月が出てて、川面はその光できらきらしてる。水の流れる音以外には何も聞こえない。

 夢は一日置きに見て、だんだん進んでいます。数え間違いじゃなければ、昨日夜――というか今朝の時点で、7回その夢を見ました。今は河原じゃなくて、川の中を歩いています。水の感触が凄くリアルで、今いるところの深さは腰の上に水が来るくらい。でもどんどん深くなってるから、川を渡り切る前に足が届かなくなると思います。そうなったら自分は死ぬんだろうな、っていう予感があって。こういうのってホラー作品では、自分で何とかしようとするほど余計酷い結果になるから、色々調べてここに辿り着きました」

 そこまで喋って、朝陽は先ほどおれが淹れて来たお茶を啜る。唯夜は兄の話を事前に知っていたのか、朝陽が話しているあいだずっと、机上に置かれた茶菓子を食べていた。

「確かに、こういった事象は素人がどうにか出来るものじゃない。君の判断は正しいよ。大丈夫、僕らなら君を助けられる。安心して」

 行李は朝陽を安心させるように微笑んでそう言い、それに朝陽はほっとしたのか、一息ついて小さく笑みを漏らす。それは、過激なファンが見たら卒倒するレベルの綺麗な笑みだった。


 川と死。その二つのワードを聞いておれが思いつくのは、「三途の川」。

 彼岸と此岸の間にあると言われているその川を、こちらからあちらへ渡ることはつまり、「死」を意味している。朝陽の夢に出てくる川が三途の川なのかは不明だが、朝陽は時期に自分が死ぬ予感があると言っていたし、このまま放っておくのは危険だろう。


「そうなった切っ掛けに心当たりある?」

「……初めて夢を見た日に、友人たちと心霊スポットだっていう川に行きました」

「なるほど。ならその川になにかいたんだろうね。自殺者の霊か、それとも川に棲むナニかか。まぁそれは後で調べるとして、ちょっと聞きたいんだけど」

「なんですか?」

 ニコニコと、いっそ不気味なくらい楽しそうに爽やかな笑みを浮かべた行李は、


「もしかして朝陽くん、幽霊とか見えるようになっちゃったんじゃない?」

 と言った。

 全然気づかなかった。流石俳優、見えないフリがおれより上手い。聞こえてくる心の声にさえも恐怖心を出さないから、察することが出来なかった。





**********





 橋上唯夜は、いまから10年前、小学1年生のときに神隠しに遭った。

 それはおれの巻き添えで、怪異がおれを攫おうとした時にたまたま唯夜が一緒にいたので、ついでに連れて行かれたのである。

 神隠しの詳細は省くが、おれたちはへ攫われた。その時黒緒は傍におらず、絶体絶命の危機に瀕していたおれたちを行李が助けてくれたのである。

 行李のお陰で無事に帰れたおれたちだったが、その異界――彼岸と此岸の間から戻ってくる際に、を持ってきてしまったのだった。


 それ――所謂「怨霊」は、10年もの間、ずっと唯夜に取り憑いている。


 そして唯夜は、取り憑かれたが最後、祓うことが出来ずに命を奪われてしまうようなレベルの怨霊をくっつけたまま、しぶとく生きている。普段はその異形の一部を晒しているが、今は魔除けを施されているビルの中にいるからか、唯夜のに隠れているらしかった。

 ちなみに怪異は、その力が強ければ強いほど、そこに存在するだけで周囲に異常や超常を巻き起こしてしまう。だから怨霊の影響で、唯夜の周囲でもそういうことが起こっているのだが、呪われている本人が人一倍鈍いせいで、異常に全く気付いていないのである。気付かない方が幸せだとは思うが、鈍すぎるのも逆に不安を感じるので困りものだった。





 先ほどの朝陽の話を聞きながら、どうして関係のない妹を連れて来たのか疑問に思っていたのだが……。

 ヘタレだから妹に付き添ってもらったのかと一瞬考えたが、もしも川の夢を切っ掛けに、朝陽が「見える体質」になってしまったのだとしたら。見るからに凶悪で脅威的なモノをくっつけている妹を心配して、霊能探偵事務所などという妙なところを頼ってきたのも頷ける。

 きっと朝陽は、夢の中で死期の迫る自分と、悍ましいモノ取り憑かれている妹を助けて欲しくて、藁にも縋る思いでここに辿り着いたのだろう。


「見える……って、もしかしてお兄ちゃん、幽霊見えるの?」

「夢を見るようになってからだけどな。初めて見えた時は腰抜かしたよ。頭がおかしくなったのかと思った」

 そりゃそうだ。おれは物心ついた頃から見えていたので、見えることが正常だが、突然心の声が聞こえるようになって同じことを思った。


「ねぇ、こういう所で働いてるってことは、千月も見えるの?幽霊」

「見えるよ。おれは生まれつきこういうタチだったけど。っていうかさ、朝陽が見えるようになったのは、死期が近づいて朝陽の存在自体が霊に近づいてるせいなんじゃ?」

「そうだねぇ」

「え、なら夢を見なくなれば、あいつらは見えなくなりますか?」

 行李の答えを聞いた朝陽は、ソファから身を乗り出してそう問うた。奴らが見えてしまうことが、相当堪えているらしい。まぁその気持ちは分かるけども。


「うーん、何とも言えないなぁ。見えなくなる可能性はあるけど、そのまま戻らないかもしれない。だからあまり期待はしないでいて」

「そうですか……」

「私は幽霊見てみたい!」

「見えない方が幸せだと思うぞ、お兄ちゃんは」

「えー」

『唯夜に見せるわけにはいかない。コレもどうにかしてもらいたいけど』

 心底羨ましそうに兄を見る唯夜とは正反対に、朝陽の脳内は妹への心配で染まっていた。現状、危険なのは圧倒的に朝陽の方なんだが。シスコンか?

 この世には、何も知らない方がいいということもあるわけで、見える方から言わせてもらえば、唯夜ほど「見えないこと」が幸せな奴もいないだろう。


「で、行李。これからどうすんの?」

「とりあえず、朝陽くんの心当たりがある川に行こう。十中八九、そこにいるモノが原因だろうし」

『それから千月、朝陽くんに唯夜ちゃんの現状を教えてあげて。この子が死ぬまでアレは離れないし、そもそも僕たちにはえるモノじゃない』

「了解」

 顔に貼り付けた笑顔に反して、行李の心の声は酷く真剣なものだった。おれは、行李の心が聞こえていない二人が不自然に感じない返しをして、空になった4つの湯飲みと、唯夜が食い散らかしたお菓子の包装紙を片づけるために立ち上がった。食べ過ぎじゃないか、こいつ。芸能人って糖質とかカロリーとか気にしてるイメージが強いんだけど、こんなに食べていいのだろうか。

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