第2話 霊能探偵

 出水いずみ霊能探偵事務所。それが、おれのアルバイト先の名前だ。

 従業員はおれ一人。いずみ行李こうりという所長の下、ほぼ任意で出勤している。

 基本、依頼が入った時以外は呼び出されないが、如何せん行李は生活能力が皆無と言っても過言ではないので、呼び出されずとも週に三日は事務所に行き、掃除洗濯炊事を代行していた。


 この探偵事務所は名前に「霊能」なんてインチキ臭い単語が入っているにも関わらず、不思議なことに閑古鳥は鳴かずお客さんは結構やって来るし、給料も世の高校生が貰うバイト代の平均より多くもらえていたりする。正し、仕事内容は危険を伴い、向き不向きが極端な職業のため就業者は少ない。

 おれがバイトをしている出水霊能探偵事務所はその名の通り、「霊能」絡みの事件を解決するのが仕事である。

 魑魅魍魎や妖怪変化などと呼ばれる、奇々怪々な現象や存在。科学では真相を暴けない事件や事故、身の回りで起こる不可解な事象。それらに真実を与え、人を救うことがこの探偵事務所の主要業務だった。


 そして今日は午前中に依頼人の来訪予定があり、おれと黒緒は予定より早めに出勤して、今朝から続くこの訳の分からない状況を相談しようと考えた。こういった現象は、素人が自力でどうにか解決出来るものじゃない。専門家に相談するのが正しい判断なのである。



 七月に入ったばかりのこの季節、まだ早い時間とはいえ、肌を刺す日差しは暑く痛い。土曜日の、平日より幾許いくばくか多い交通量の中、前籠にクッションと黒緒が入っているママチャリを三十分ほど漕いでいく。

 自宅の最寄り駅から二駅隣、その駅前の寂れた商店街から裏路地に入った、人通りが殆どない所。そこに築三五年の五階建てビル、「竜胆りんどうビルディング」はあった。行李が所有しているこの建物は魔除けを施されているため、日頃怪異に気を張っているおれにとっては安息の地である。

 事務所として使用しているのは竜胆ビルディングの二階。行李の私物で埋もれた他のフロアと違い、おれが頻繁に掃除をしている二階だけは人に見せられるくらいの綺麗さを保っている。


「無精探偵!ヘルプ!」

「うるさいし訳わかんないんし何事?」

 どうせまだ寝ているだろうな、と思い、目を覚まさせるためにわざと大きな音を立てて事務所のドアを開けた。

 泉行李、三二歳。実年齢より若く見られがちな容姿だが、中身はおっさんそのものである。

 座り心地の良さそうなソファで、Yシャツをだらしなく着崩して寝そべっていたその男は、大きな音を立てて登場したおれに驚くでもなく、ただ胡乱気な顔を向けてきた。

『なんで子供は朝からこんなに元気なんだろ?あー、腹減ったし、依頼人来る前になんか食べとかないとな……』

「あとでなんか作ってあげるから!今は余計な事考えずにおれの話聞け!」

「……うん?」





**********





「つまり、突然心が読めるようになった原因を調べて、常に聞こえる状態何とかしたいってこと?」

「いやまぁ読めるっていうか、声として聞こえてるんだけど」

 おれは今朝からの異常を洗いざらい行李に語って聞かせた。

 時々腹の虫が鳴っている行李だが、おれの話を興味深そうに聞いている。この男は好奇心を刺激されると、寝食を忘れて物思いに耽ってしまう癖がある。ついさっきまで頭の中は食べ物のことが多く占めている状態だったというのに、今はおれが目覚めた(?)不思議な力について考察しているようだった。自分のことだと言うのに、行李の考えていることがおれには一つも理解できない。


「胸の内っていうか、頭の中って言うか。とりあえず人の心がまるわかりってことに変わりないんだし、表現の仕方は何でもいいでしょ。ところで、黒緒と話せるってことは、他の猫とか動物とも会話できるってこと?」

「いやそれが、声みたいなのは聞こえるけど、何言ってるかは分からん。野良猫とか散歩中の犬とか、鳥も虫も試したけど」

「なーるほどねぇ」


 ここに来るまでに、何となく耳(?)を澄ませてみた。黒緒と会話が出来るなら他の動物も離せるのでは……と思ったが、結局会話は出来ていない。その時に動物が感じていたことは何となく察せたが、彼らは言葉を持っていないようで、黒緒のように会話が成立することはなく、虫に至っては感情すら分からなかった。その代わり、すれ違う人の心の声は良く聞こえてきて、なんだか罪悪感で一杯になった。

 人でなくても心の声がはっきり理解できる黒緒と、言葉として聞こえない他の犬猫の差異は何なのだろう……年齢か?


「それもあるかもしれないね。黒緒は猫の平均寿命をとっくに超えているし、人間の年齢に換算すると一七〇歳以上じゃん。長年使い込まれた道具に魂が宿るのと同じで、実質百年以上生きた動物に、人間と遜色ない知性が芽生えてもおかしくはないよ」

「だから他の動物たちと違って、黒緒は人の言葉を持ってるってこと?」

「そゆこと。ちなみに黒緒、自分が他の犬猫と違うところって何だと思う?」

『あ?』

 突然話を振られ、黒緒は寝そべっていたフカフカのソファから顔だけを上げ、金と銀の瞳を行李に向ける。

『……そういや、二十年くらい前に、突然文字が読めるようになったな』

 興味なさそうに寝ていた割に、おれと行李の会話はしっかり聞いていたようで、黒緒は尻尾でソファを叩きながらそう言った。っていうか黒緒、字が読めたの?おれが宿題してる時やたら手元を覗き込んでくるのは、おれの勉強内容を知ろうとしているからだったのか。


「黒緒は何て?」

「……文字が読めるって言ってる。二十年くらい前から」

「そりゃ凄い、ギネスに認定されそうだね」

「今ギネスに載ってる長寿猫よりも長生きだし」

「黒緒が異常な猫で良かったねぇ、千月。もし普通の猫だったら、お前は高校生になることなく死んでるよ」

「なんで突然、本当にあったら怖い話するんだよ!おれが怖がりなの知ってるだろ!

……黒緒、お願いだから、おれが死ぬまで死なないで」

『……約束は出来ないな』

 何とも素気無い返事。こういう時は、嘘でもいいから「分かった」とか「仕方ないな」とか言って欲しい。おれが母の胎内にいる時からの付き合いなんだから、おれの性格は誰よりも理解して甘やかす癖に。この猫は時々、おれを突き放すような言動を取って、わざと不安を煽るのだ。さっきのおれの言葉が冗談ではないことも分かっているはずなのに。

 不満気なおれと知らんふりをする黒緒。それを眺めながら行李は苦笑していた。


「あんまり黒緒を困らせないの」

「うるさいな無精探偵。で、これホントにどうにかなんない?このまま心の声聞き続けるとか絶対無理」

「ま、確かにそれじゃぁ学校にも行けないよね。……うーん。能力が突然覚醒するとか、きっと何か切っ掛けがあったはずだし、そういうの心当たり無い?」

「そんなこと急に言われても……」

「じゃあ、昨日は何してた?朝起きたとこから順に思い出してみて」

「んー?」

 昨日は何をしたっけ?思い出そうと試みながらソファに腰を下ろし、隣にいる黒緒の尻尾を指で弄ぶ。


 昨日は金曜日。おれの住んでいる地区は燃えるゴミの回収日で、おれは登校前にゴミ捨て場に家のゴミを持って行った。

 それから黒緒を伴って登校。出来る限り外に出たくないおれは、家から徒歩一五分の私立高校へ進学して、毎日黒緒に送り迎えをしてもらっている。我が校では「スパダリ猫」と呼ばれ、ちょっとした名物になっているが、おれが安全に登下校するためなので気にしない。

 学校は普通だった。いつも通り、霊を見て見ぬふりしながら、それなりに楽しく過ごした。

 それから迎えに来た黒緒と一緒に帰宅して、午後六時頃にコンビニまで羽月姉のパシリをしたのだ。それで一日は終了。特別変わったことは無い、おれにとってはよくある一日だった。


「きっかけになりそうなこと、何一つ起こってないんだけど」

「ほんとに?見落としてることない?」

「無い……と、思う。ねぇ黒緒?」

『さぁ?』

「……機嫌悪いの?」

『別に』

 さっきおれが願ったことが原因だろうか。

 怒っている時の黒緒は触らせてくれないので、多分怒ってはいないのだろうが、不機嫌なことは確かである。正直、黒緒に辛辣な態度を取られると、おれはめちゃくちゃ落ち込む。家に帰ったら黒緒の好きなおやつで機嫌を取ろう。あのお願いを言ってしまったのはこと自体は悪いとは思っていないので、謝らないけど。


「まぁいいや。何か思い出したら言って」

「ん」

「んじゃ、切っ掛けは後回しにして、何が出来るのか調べてみようか」

「何がって、心の声が聞こえるだけだけど」

「うん。だから、その声が聞こえる範囲とか、心の声以外に感知できることがないか探ってみたりしよう」

「なるほど?」

 出来ることを把握できれば、制御も可能になるかもしれないよ。

 行李はそう言って爽やかに笑った。この男は、面倒ごとをおれに押し付けてきた莉と、無精な部分や怠け癖がある。それでも、本当に困っている時はとても頼りになるから、嫌いになれないというか、責められないというか。


「千月のその力はさ、神通力って感じだよね」

「神通力?それって、仙人とかが使うやつ?」

「それもあるけど、仏教の方。六神通って言われる力」

「あぁ、千里眼……天眼通てんげんつうとかの?」

「そうそれ」

 神足通じんそくつう、天眼通、天耳通てんにつう他心通たしんつう宿命通しゅくみょうつう漏尽通ろじんつう。完全な精神統一を行って得られる、六種の超自然的な力。それが六神通という、仏教用語である。

 それに当て嵌めるのなら、おれのこれは「他心通」だろう。他人の心の中を全て知る力……だったはずだ。


「いやでもおれ、流石に心の中全て分かるわけじゃないと思うんだけど」

「だから、それをこれから実験しよう!」

 盛大に腹の虫を鳴らしながら、ワクワクした表情でこちらを見る行李。面倒ごとの予感がする。

『じきに依頼人が来るんじゃないのか』

 黒緒は呆れたように鼻を鳴らして、おれは行李が昼までなにも食べられないことを理解した。

 依頼人との約束の時間は十時。あと三十分くらいで依頼人来ると思うけど……まぁいっか。





「黒緒みたいな特殊な存在でも試してみたいことあるけど、それはまた今度にして、今は僕の心を読んでみて」

 好奇心を刺激された行李を止める術はない。この男の言動に一々目くじら立てるのは賢くないので、とりあえず言うとおりにやろう。そう決めた。

『僕の声聞こえる?』

「うん」

『心の声が聞こえるなら、頭の中のイメージ図とか、映像――記憶とかを読み取ることは出来ないかな』

「今のところ声しか聞こえたことないけど」

『やってみようよ。僕が何をイメージしたのか読み取って』

「…わかった」


 行李と目線を合わせ、集中する。何というか、眉間に力が集まっている感覚があるが、こんなんでいいのだろうか。

 おれが出来る、心を――考えていることをことと、記憶や想像している図をことは、似て非なるものに感じる。


 おれの勘が当たったのか、集中したまま三分ほど経過しても、行李がイメージしたものを読み取ることは全く出来なかった。行李はイメージすることに集中しているのか、うるさかった心の声も聞こえてこない。

「……無理っぽい」

『そっか』

「行李が何をイメージしたのかさっぱり分かんない。っていうか、六神通って完全な精神統一を行わないと得られない力なんじゃないの?おれ、精神統一とかやったことないし」

『うーん。今のところは他心通に含まれる力の一部、って感じかな。その力が何なのかは、やっぱり原因とか切っ掛けが分からない限り、答えは出ないよ』

「心の中じゃなくて、そろそろ口で喋ってくれない?」

「はいはい」


 ただ座って意識を集中させていただけなのに、ひどく疲れた。

 おれはソファに倒れこみ、黒緒のモフモフな毛並みに顔を埋めて癒される。黒緒は特に何も言わず、おれの好きなようにさせてくれた。あぁ、至福。


「お寺とかでちゃんと修業すれば、他心通が覚醒するのかなぁ」

「いや別におれ、そういう高みに辿り着きたいわけじゃないから」

「えー、面白そうじゃない?」

「そうやって、他人事だと思って好き勝手言う……。余計なことが聞こえるだけで良いことないからな、これ」

 ケラケラ笑う行李にイラっとしながら訴える。そんなに興味津々なら代わってくれよ、ホント。

 黒緒と話せるようになったことは良かったと思えるが、他人の心の声を聞きたい訳ではないのだ。


「でもさ、その力をモノにしたら便利じゃない?人心掌握とかお手の物だよ?上手く使えば人を意のままに出来るし」

「いや、意のままに操って何するのさ」

「え?自分を信仰対象にした宗教を作れる、とか?」

「どんな野望だよ、怖いわ」

「冗談冗談。でも、他心通が使えれば宗教を興すのは容易いだろうね。その力に目覚めたのが千月じゃなくて、利口な悪人だったなら――国はおろか、世界さえ、支配されていたかもね。あはっ」

「だから、なんで本当にあったら怖い話して怖がらせるんだよ!お前には人の心がないのか!?」

 怖い怖い怖い怖い怖い!思わず黒緒を力一杯抱きしめる。黒緒は苦しかったのか滅茶苦茶に暴れ出し、

『絞め殺す気か馬鹿!』

 と怒鳴った。

 怖がりを脅した行李が一番悪いというのに、おれだけが怒られるのは解せない。

 というか、そういったヤバイ考えを思いつく時点で、行李も結構危険人物なのではないだろうか。と、おれが嫌なことに気付きかけたその時――


「あれ、ここで合ってる?出水霊能探偵事務所ってここ?」

 そう言ってノックもなしに、誰かが事務所に侵入してきた。入り口のドアは、おれが座るソファの丁度真後ろにあるので、侵入者の姿は見えない。

 大方依頼人だろうが、ノックをしないのはいかがなものだろう。常識というものを知らないのだろうか?相手にして大丈夫な人物か?という考えが頭をよぎる。


「あれ?もしかして千月?」

「はい?」

 後ろから聞こえた、おれの名前を呼ぶ声は、なんだか聞き覚えのあるものだった。

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