2 界隈で熱い場所 #75
ふと気がつくと大会が翌日まで迫っていた。普通テストであれば実施日が近づくにつれ緊張も高まるのに全く感じない。自信から来る余裕とはまた違った気持ち。
出発当日の朝、私たちは八王子駅に集合した。先生は急用で見送りに来れなくなってしまったそう。もしかすると、今真横を通って——、いや、これ以上考えるのはやめよう。
「さてと、着替えと、洗面用品、カメラと充電器、それからSDカード十枚と予備のバッテリー。うーん、今回はパソコン一台でいいか、いやでも――」
「SDカード十枚なんてどうする? 盗撮でもするのかよ」
――パソコン一台でいいってどういうこと?
「盗撮なんて滅相もない。あ、あたしはただ飛んでいる機体を撮って、今後の訓練に活かしたいと思っているんだよ」
「よしよし、だったら荷物持ちは華雲で決定だな。ほらみんな、華雲に持たせる荷物を今のうちに別けておけよ」
雲が流れるようにして悠喜菜は華雲を荷物持ちとして決めてしまった……。
「どういう理屈なんだ? ここは小分けにして皆で持ってあげる流れだろ……」
「リキ君……、この二人はそれでいいの」
「なるほどあずなぎが言うなら……って大丈夫かこのチーム」
華雲のお母さんが両手を腰に当てながら口を開く。
「はいはい、そんなに荷物いらないでしょ? 花奈が預かります。それに忘れたり、盗まれたりしたらどうするの?」
「うにゃ? そうなったら花奈が新しく――」
「買いません、あげません、与えません」
「無駄にキレのいい三段活用……。今までに聞いたことない。あずなぎ、女子ってみんなこんなもんなのか?」
「そう、特に私たちは訳ありだよ」
連日の訓練と、コースしか浮かばなくなった脳内では自分でも驚くような適当さになっていた。
「そ、そうか。これ以上はタブーに触れそうだからやめておく」
「——それに華雲は皆の荷物持ちをするんでしょ?」
「まて、俺がやるならともかく華奢な今泉に任せるだなんて……」
「なら、リキが荷物持ちで決定ってことだな?」
相変わらずここぞとばかりに悠喜菜が言葉を発した。
「やったー!」
「あっ、え? もしかして俺にコレを言わせるために……。別にいいが、実に巧妙だ。精神的にうかうかしていられない」
「リキ君……、ようこそ私たちのテリトリーへ」
「さっきからあずなぎはどんな立場なんだよ? 上手くまとめなくてもいいんだぞ。はぁー、すこぶる不安だなこのチーム」
「大丈夫、私たち訳ありだから」
「それはさっきも聞いた。大事なことは二回言っておくってか。ほらそろそろ時間だから行くぞ。荷物はこれで全部?」
「うん! これで大丈夫……」
「じゃあ、みんな気をつけて行ってきてね。お土産はいらないからね。あと華雲みんなに迷惑をかけるんじゃないよ」
「分かってるって、花奈は心配しすぎ! じゃあ行ってきます」
改札を通り駅のホームへ降りるとびっしりと人が列を成して並んでいる。華雲たちにとっては当たり前の光景なのだろう。人と人との間を縫って進んで行くあとを頑張って追う。
「これから長旅だから飲み物買ってくるね」
開けた場所で鞄を降ろし、華雲がスマホを取り出し残高を確認しているのが視界に映る。
以前にこの流れを経験したことがある。とするとこの後は……。
「じゃあ私は……仕方無いけどマンゴージュースで。愛寿羽と力はどうする?」
「え、そしてこの流れはやっぱあたしが払うの?」
「華雲さんよ、私は今金欠でなー、今度こそ奢ってあげるから」
「金欠なんて絶対ウソだよー。本当はチョーお金持ちじゃないの?」
いや、金欠は本当だよ……、でも今は口を噤んでおこう。
三分程経ったあと華雲は飲み物を重そうに両手で抱えながらやって来た。
『間もなく二番線に中央特快東京行きが参ります。危ないですから黄色い線まで下がってお待ちください。この電車は途中、立川までの各駅と国分寺、三鷹、中野、新宿——』
「さて電車に乗ったら航空無線通信士の勉強をするから、くれぐれも邪魔をしないように」
「悠喜菜ちゃん相変わらず勤勉ね、でも試験は八月末じゃなかったっけ? それに私たちは一段階下の航空特殊無線技士でもいいのに」
以前から無線免許については説明を受けていて、一人で空を飛ぶには必ず必要になってくる。私の場合は中学生のころに講習を受け、自家用や小型飛行機での無線が可能な航空特殊無線技士を持っている。事業用や航空機全般の無線を操作するのに必要。悠喜菜の場合はその上位の資格を取るようだ。
「できるうちにやっておかないと……。あとに『なってやってなかった』って後悔するのはイヤだからな。そうだ愛寿羽も今は間に合わないけど半年後の二月に受けるのはどうだ?」
「そうだね悠喜菜ちゃんの言うとおり早めに行動しておこうかな。航空通だと難易度高そう」
「ふっ。私と一緒に勉強するか? 知らないこと色々教えてあげるから」
「今は忙しいから半年後の二月に受ける予定にしておくよ」
電車に乗り込むと各々荷物を上の棚に入れた。ホームで並んでいた人もほとんどが空席を見つけると腰を下ろし、すぐさまスマホを弄り始める。
隣に座っている悠喜菜は本を片手に足を組んだ。
朝が早かったのか、それとも日頃の疲れが祟ったのか、電車の席についてからはすぐに眠ってしまった。
『間もなく終点東京、東京。お出口は――』
アナウンスが耳に入りパッと目が覚ます。一〇分ぐらいしか寝ていなかったようにも思えたが実際は一時間近く経っている。私たちは荷物を手に持ち電車を降りた。
『東京、東京、ご乗車ありがとうございました』
しばらくぶりに東京駅へとやってきた。初めて通った通路を何となく思い出していくが、人の多さでそんなに余裕がない。華雲が先頭に立ち、私たちはぐれないようついて行く。
やがて七番線と八番線に上がる階段の柱に高崎線の表記が目に入った。
「ここだね、前にゲームの大会で埼玉まで行ったことあるから。何となく覚えてる」
「高碕……本当に合っているか? 間違えて小田原へ行くのだけは勘弁だぞ」
「落ち着け、心配するな。あの華雲を誰だと思っているんだ?」
「方向音痴で松本まで行った……」
「あの人気ゲーム実況者MyIsMe本人だぞ」
「はーーーーーー!? うそだろ? そういえばどっかで聞いたことある声だとは思っていたが……」
「な、安心だろ?」
「方向音痴と関係ないだろうが。でも、えーーーーーー!」
「えっへん。崇め奉ってもらっていいんだよ」
「いやーそりゃ崇め奉ってしまいそうだ」
崇め奉るって何? 確かに尊いけど……。
「じゃあこれからはマネージャーとして、荷物持ちから電球交換、動画編集と宿題を頼もうかな」
「どさくさに紛れて事を頼もうとするな! 俺を雇うとなると月給三〇万円は欲しいところだ。もちろん支払い通貨は米・ドルで」
「面倒くさいからジンバブエ・ドルでいい?」
「いや、絶対そっちの方が面倒くさいから」
「華雲ちゃん私はスウェーデン・クローナがいいかも」
「なら私は三〇万クェート・ディナールでよろしく」
「もう! 全員解雇!」
『まもなく上野東京ライン高崎線直通、普通高崎行きが参ります。この電車は一五両です。前より五両は途中の籠原で——』
さすが都会の電車はとんでもなく長い。石北線は長い特急でも四両だったのに……。
「そういえば高崎と高碕って似てない? もしかして気のせい?」
「変なところ、鋭くなくて良いんだよ。ガキみたく」
「ゆきなちゃんも十分”くそがき”だと思うよ」
「そうか、クソガキか。ハハハ」
怒ると思いきや、不敵に笑い始める悠喜菜が怖い。
「あとで確実に締め上げてやる」
オレンジと緑色の電車がやってきた。全面のパネルにもしっかり『高崎線』と表示されている。乗客と入れ替わるように私たちも乗り込む。ちょうど四人掛けのボックス席が空いたのでさっと確保した。
「それじゃあ、私は寝る」
「あれ勉強はもういいの?」
「やっぱ電車で勉強なんて無理だ。人が多い場所は集中出来ない」
「私の場合はすぐ酔っちゃうから本を読むぐらいしかできないよ」
「着いたら起こして」
悠喜菜は腕を組むとすぐに目を閉じてしまった。
眠気も吹き飛んだ私はただただボーッと外の景色を眺めている。途中で何本か水色帯の電車を抜かして行くのは意外と壮観。向こうに乗っている人々に対してなんとも言えない優越感に浸れる。時々青空へ目を向けると、点のようになった飛行機が飛んでいる。そんな飛行機からすると更なる優越感を感じているのだろうか。
隣り合って座る華雲とリキ君は頭をくっつけながら寝ている。時折華雲のイヤホンからシャカシャカと音がなっていたので、彼女の聞いている音量を小さくしておいた。
まだ来たことも無い場所。北へ向かうごとに段々と建物の高さが低くなっていく。北見の様に市街地から緑の風景を挟み、再び市街地に入るような変わり方ではなく、ずっと何かしらの人工物続く。その一つ一つに人が居ることを考えると、地球上の人の多さを改めて実感できる気がする。
『まもなく熊谷、熊谷、お出口は右側です。新幹線と秩父鉄道線はお乗り換えです』
私は悠喜菜を起こそうと肩に触れると、今までにないぐらいシャキッと目を覚ました。
続けて「華雲ちゃんそろそろ着くよ」と肩を揺らす。
「もう少しだけ寝かせて。昨日はオールしたから」
私はため息をつきながら華雲の荷物も棚から下ろした。いつの間にか起きていた悠喜菜は華雲が聞いている音楽プレイヤーを手に取ると横ボタンの音量を上げた。
「うわ! なななに?」
あたふたしながらイヤホンを外した。
「起床だよ、起床。これ以上寝てたら置いていくぞ」
「え、ゆきなちゃん? もう着いたの? あずちゃんどうして起こしてくれなかったの?」
「何回も起こしました。でも昨日は徹夜してたって……」
「そんな事言っていないよー、何ウソ言ってるのさ?」
「あとで締め上げる……と愛寿羽の心が叫んでいる」
「思ったけど、言ってないって!」
「……でも思ったんだ」
熊谷はとにかく暑い。電車を降りた途端モワッと熱気が体に纏わり付く。改札を過ぎ出口のロータリーにあった温度計を見つけ確認すると、三八度と表示されていた。歩いている人は皆袖を捲り、日陰の下ではタオルで顔を拭っているスーツ姿の男性もいた。八王子ほど人が多くないもののそれなりに活気がある印象。
「妻沼行きのバスは、あっちかー」
「華雲ちゃんバスはこっち」
「うにゃー、そうなの?」
何だか入学式の日にも同じような事があったような……。
しばらくバスに揺られていると目的地である妻沼に到着した。
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