7 忘失された過去からの知らせ #72

「……どうして幡ヶ谷君がその名前を?」


「あの日俺もいたから。どうしても助けたかったんや……、でも結局何も出来なくて」


 両腕を組みながら、何かを納得した様子の悠喜菜は言葉を発した。


「なるほど、だからお前、関西出身の割には方言がカタコトなんだな」


 ただ本当にそうであれば顔の輪郭を覚えていると思ったが、そもそもあの日の記憶も朧げ。


「私、どうしても思い出せない、幡ヶ谷君は本当にあの場にいたの?」


「そうだ、嘘は言ってないつもりだ」


「そうなの……。で、中学以来の雪辱を果たしにまた私を殺しに来たって訳ね」


「だからちゃうって! あの当時の二稲木だったなんて、薄々気付いていただが……。でもそうあっては欲しくなくって」


 空に関わると、まるで磁石に引かれるような縁に恵まれる。ただ決して素敵なものばかりだと限らない、それはこの人も例外ではなかった。


「仮に幡ヶ谷君の話が正しかったとしても、どうしてもっと早く助けてくれなかったの? ちょっとでも早ければ死にかける事だってなかったのに……」


 私から目線を逸らし独り言のように呟く。


「『死にたい』って言ってたクセに『早く助けて』かー、どっちが本音やねん」


「苦痛から逃れたいし、でも死にたくはないし……だから両方合っているかもね。最もあなたには何もかも理解できないでしょうけど」


 他にも確信を突きたい箇所はいっぱいあるが、少しずつ紐解いていくことに徹する。私自身どこまで耐えられるかが勝負。


「……分かるだろ、江邊川に逆らえなくて」


「よーく分かってるよ、この私が誰よりも。でもそれは単なる口実でしかない。だって信じられないもの」


「ただお前を助けたかっただけなのに……、俺までもその時共犯だと認知され七〇〇〇万の慰謝料を払う片棒を担ぐ羽目になったんや」


「……それはどういう意味?」


 今思えばお金回りの良さに不可解な点がある。当時はお父さんとお母さんの遺産がそこそこあったと聞かされていたものの、金銭管理はおじいちゃんに任せていたので実際に見たわけではなかった。……でも、だとすれば東京に住むための資金繰りにも合点が行く。


「これから俺が分かる可能な限りの情報を二稲木に話す……」


 幡ヶ谷君は静かに、私の欠落していた記憶を語ってくれた。


                    ◆


 辻褄が合わなかったパーツを補い、ほとんどの出来事を理解した私は思わず言葉を失い、彼に返す言葉も探せずにいた。それと同時に脈打つような頭痛に襲われる。右眉のやや上を押さえながら耳に入った情報を懸命に整理していくが追いつかない。ようやく数本の糸が集まるものの、ほどけないように束ねることが出来ないでいる。


「カネを返せとは言わない。それはある意味戒めやねん。事件以降あの中学にはいられなくなって大阪に転校したんだ。本当にこの俺を思い出せないねんか?」


「ごめんなさい。……どうしてもダメみたい。やっぱり辻褄が合わないもの」


「……記憶障害があるって話し本当だったんや。だとしても都合よすぎない? やっぱり俺の事を初めから無視して――」



「いい加減……これ以上……御託を並べるのはやめろ。すごく不快なんだけど」


 ここまでハッキリものを口から出したのは随分と久しぶり……。いっそこのまま自制なんて取っ払って――。



「愛寿羽おまっ——」



「その性格を逸脱した発言もいわゆる後遺症の“バグ”ってところか……。昔江邊川に馬乗りになって殴ってた内に秘めている本性。……でもそれもすら思い出せないんやろ?」


 そんな事を告白されても……私……そうか、自分では思い出せない或いは情景の薄い部分こそ記憶の欠如なのだろうか。私を一番知っているのは他人という外部。そんなことを思考を始めると、無情に指が小さく震えだす。



「それってよく考えるとサイテーだよね。あずちゃんの記憶が無いことを見計らって、全部無かったことにしてもう一度近づくなんて……」


 華雲が心から軽蔑するように発言をした。


「その通りだ。言い返す余地もない。どうして誰も分かってくれない! 誰も俺を分かろうとしてくれないんだ! 俺はただ愛寿羽、お前だけが——」


 壁を一度だけ大きく『ドン』とはたいた悠喜菜は、幡ヶ谷君の話を遮る。


「あのさぁさっきから聞いていると、お前も愛寿羽の気持ちを理解なんてしていないだろ? そのくせ自分を悲劇の主と語るのは成り上がりが過ぎるんじゃ無いか? どうせ心のどこかで愛寿羽を……。絶対そうはさせない」


「そうじゃないって、純粋に、純白に想いを伝えているだけなのに! どうしてだ!」


 彼が言葉を重ねれば重ねるほどお腹の傷跡が疼く。あの夜の感触が鮮明に蘇る。


「幡ヶ谷君……もう、やめて。これ以上は進展しないしかえって貴方が傷つくことになるだろうから。だからお互い赤の他人として過ごしましょう。多分私自身幡ヶ谷君と面と向かって話すことなんてこの先出来ないし、したくもない。たとえ当事者じゃなくてもどのみち断っていたし……。お願いだから『そっとして』って言っているんだよ」


 しばらく幡ヶ谷君は目を泳がせながら言葉を探している様子だった。先ほどのような威勢はもはやなくきっぱりと諦めがついたよう。


「分かった……短い間だったけど、話してくれただけでホンマに感謝している。ちょっとだけ幸せだった。それが君の魅力なのかも、やな」


「……江邊川は今何しているか分かる?」


「悪いがあいつの行動は知らない……。隠しているとかではなくって、本当に知らないねん」


「そう、どうもありがとう」


 私は唇を噛みしめながら幡ヶ谷君が去って行くのを見届けた。


 はっきりと断ったのにどうしてこうも嫌な気分が蔓延ってしまうのだろうか……それに悔しい。ただ悔しい。でもこれで絡んでこないことを考えると、ある意味で不格好だけど勝利の形なのかも。



「二稲木……君という人は一体なんだ」


 動揺を隠せないままでいる竹柳君が私に聞く。


「ごめんね恥ずかしいところをみせちゃって」


「そう言うことじゃなくて……、正直……人間がここまで酷い事ができるなんて。何か押し当てたような傷を中心に、模様があんな稲妻みたいに広がって……」


「でも悪いのは私、彼らに意思を伝え損ねたから、その代償。それに確かに『死にたい』って懇願したのも私」


「……いや絶対に君は悪くない。どこにも落ち度がないじゃないか」


「何でも分かるような口ぶりで言われても……。その場面を見たわけでもないのに」


 木を見て森を見ずのように一点だけを切り抜いて『悪くない』と言葉をかけられても傷は癒えないし、心が楽になることもない。


「は? 目撃したとかどうでもいいんだよ! いいか、分かるまで何度も言うぞ、最初からどう考えても悪くはないって」



 ため込んでいた感情がいよいよ噴出した。



「だから何でも知ったように言わないで! 確かに二人の技量が満たず飛行機を墜落させたのも事実だし、その子孫が私なのも事実。そんな私にどれだけの敵がいると思う? 罵倒や、見識が浅いくせに『二稲木が悪い、二稲木が悪い』って批判をする人たちが……全員敵なの」


「…………」


「……だけど残された遺族の気持ちがよく分かるし、当て所のない怒りが娘である私に向けられるのは仕方無い……。」


「って事は江邊川の誰かも犠牲になったということか?」


「そう、だからどんなことをされても仕方がないと思ったし、お金で解決できる事は何とかなったけど……感情面の償いはどうしても私が受けるしか——」


「黙って聞いていれば『遺族の為』とか『償いだ』って……少しは頭が切れるヤツだと思っていたが、想像以上にバカじゃないか! どれもこれもお前の罪じゃ無いし、関係ないって言ってんだ」


 竹柳君は更に言葉を放つ。


「中学生のころ親父の車整備の手伝いで、どっかが漏電してたのを気づかず触れた時めちゃくちゃ痛かった。タチ悪いことにしばらくの間、夜もロクに眠れないぐらい痛むんだ。それに傷は今も腕に残っているし……。俺だって、お前だって痛みや苦しいのは嫌なんだよ! いいか、それでお前の腹にリヒテンベルク図形を刻む理由がどこにも無い! 逆に刻まれるぐらい君は優しすぎて、底なしのアホなんだよ! このバーーーカ!」



 心からすべてを言いきった竹柳君は息を切らしていた。その口調と言葉よって氷に熱を奪われるよう急速に怒りが収まった。



 彼に言われて正しいと思いこんでいた行動が、実は間違っているのだと考えが揺れる。いや……薄々気がついていたが、少しでも早く『人殺しの二稲木』と言い放たれる事態を終わらせたかったのが本心。ただエスカレートした遺族の一人である江邊川の前では、淡い期待など通用しなかった。


「正直なところ最初は疑心暗鬼だった。でも二稲木の真っ直ぐで淀みない信念に触れて決心した。俺が味方になってやるって。だから迫り来る敵をどんどんぶっ飛ばしてやるから。そうだ俺はお前の友達……いや、同志だ! それに……男だからちょっとはお前のことについて興味・・もあるしだな……」


「え?」


「そうじゃなくて、助けになりたい。こんなに優しい女子なんてどこにも居ないしな」


「なんだか解決方法が小学生みたいね。“ぶっ飛ばす”だなんて高校生にもなって……、でもそれも必要な瞬間があるのかもね。その時はお願いするかも」


 彼は若干頬を赤らめ、明後日の空に視線を移した。


「付け加えると“興味”があると言うのは、考え方や機体へのなじみ方とかで、べっ、べ、別にあずなぎのことを好きとか、恋愛的な感情は今のところない。こ、これでフェアだろ?」


「別に守るなら私でも造作ないけどな」


「そうさ、みんなで守ってあげよう。理不尽な世の中から」


「そこまで言ってくれてありがとう。こんなにも親身になってくれる男の人は初めてだから私もリキくんなら信用できるかも。もちろん私にできる事は自分でこなすつもりだし困ったら私にも頼って欲しい。でもやっぱり今は全部が終わるまで同年代の男の人は怖いかな」


「前に『少しずつ』って愛寿羽言っていただろ」


「そうだね、少しずつ着実に。過去の事は整理がついたら近いうちに話すから」


 隠し通すことは得策ではない。むしろ信頼してくれている仲間に背く行為。そう遠くないうち打ち明けよう。



 ようやくバスが視界に入ってきた。それは仲間を増やすまで決して現れなかったという配慮を思わせるようなタイミングで。


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