6 突飛な飛び火 #71

 夕日に焦がれていた空が薄暗くなった頃、私たちはいつものようにバス停のベンチで帰りのバスを待っていた。


 悠喜菜はスマホを取り出し、何かを確認したかと思うとすぐに胸ポケットにしまった。夏休み中もあってかしばらくバスは来ないみたい。そういえばいつの間に夏休みになったっけ? あまりに忙しすぎた全校部活動期間……。先日終えた終業式がもはや記憶から消えかかっている。


「あずちゃんは今日の晩ごはんどうするの?」


「特に決まってない……、何かいい案ある?」


「赤ワイン仕立ての牛フィレステーキに枝豆のサラダはどう?」


「まず未成年が赤ワインを買うところから始めないとね。それに一人だからもう少し簡単なのでいいかも」


「うーんそれじゃあ、赤ワイン仕立ての焼き肉!」


「いいね焼き肉。ちょうど余っているお肉があるから」


 あとは焼き野菜を買えば今夜は足りるだろう。


「じゃあ赤ワ——」


「それは却下」


「今泉の『赤ワイン仕立て』にこだわる意味ってなんだ?」


 口元に手を当てながら竹柳君は華雲の“赤ワイン”に対する深意を探っている。ただし華雲の気まぐれはいくら考えたところで答えは出ないだろう。何故ならあとで本人に聞いたとしても「そうだっけ?」と忘れているだろうから。



「そうだ、愛寿羽……。ちょっと頼みたいことが——」


 少し低めの声で、いつもより真面目な表情をしている悠喜菜。それはむしろ冷静を取り繕っているようにも見て取れる。



「なぁなぁなぁどうして、どうしてこんな見ず知らずの男と一緒にいるんやお前? それってもはや俺に対する冒涜やんけ!」



 偶然なのか分からないが、悠喜菜の頼み事を聞こうとする間合いに割り込んできた幡ヶ谷君。ただ、どことなくいつもと違う様子。歯をキリキリと噛みしめ、もの凄い剣幕で立っている。目線の先は私ではなく竹柳君へと送られている。察するに幡ヶ谷君からすると、竹柳君の存在が気に食わないといったところだろうか。



 私は悠喜菜にだけ聞こえるよう耳打ちをした。


「もしかして頼み事って幡ヶ谷君のこと?」


「違う。どうやらこれは別件みたいだな、それもかなり重大な」


 悠喜菜は即答した。


 幡ヶ谷君への誤解を解こうと口を開いたものの、いざ釈明しようものなら更に激高するだろう。


「彼は竹君、同じ部活の人だよ……」


 そんな私の横で華雲がシンプルに答えてくれた。



「ふーんそうか、つまり俺もグライダー部に入ればそうやって二稲木さんと仲良く一緒にいられるやろうか? どうせお前は下心があって俺より先に近づいているのが見え見えやねん」


「そいつは一体何の言いがかりだ? そもそも何のことだかさっぱり分からないんだけど。俺は今泉の言うところの『同じ部活の人』だ。始まる時間も同じであれば、終了する時間も同じってだけ。必然的に帰路につく時間も同じだろ?」


「そうやない、そんなんじゃないだろ。お前、俺より仲良さそうに話してるやろうが! 俺が男前だということを証明出来れば、ええんやろ? せやお前と勝負したらええんやな」


 彼に比べ竹柳君は非力で、勝負をしたらすぐに負けてしまうに違いない。


「悪いけど遠慮させてもらう。時間の無駄だし、そもそも興味ない。俺も早く家に帰りたいし」


「は? なんでやねん。俺は他人に横取りされるのがイヤやねん。納得できる理由を言え! ボケ!」


 竹柳君は大きくため息をつくと、静かに口を開いた。


「理由が分からないようなら、そもそも申し込み自体やめた方がいいと思う」


 右手で拳を握ったほんの一瞬の動作を悠喜菜は逃さなかった。


「そういう訳だ幡ヶ谷、やめておけ」


「黙れ! 毎回お前のそういう勝ち誇ったような顔、好かねんだ。だいいち女のクセに俺よりカッコつけやがって」


 握っていた拳の力を抜いたかと思うと、悠喜菜のネクタイを掴み引っ張る。


「二度は言わない。彼女の魂へ感情任せに触れているこの汚い手をどけてくれるか?」


 首が絞まって苦しい筈なのに全く表情に出さず、むしろいつもより落ち着いている。


「所詮ただのネクタイやろ? なんや、意味の分かるように伝えてくれや」


「いいだろう。本来正当防衛時のみ使用を許されているが、致し方ない。…………演武えんぶ


 ため息を交えながら口にした。瞬く間に悠喜菜は右腕を伸ばすとネクタイを掴んでいる彼の腕を絡めるようにしてグルグル回した。幡ヶ谷君はその場で一回転したように見えた直後、ぎこちなく地面に伏していた。


「今俺は何をされたんや? 力一杯掴んでいた腕を引き剥がすなんて。さては、ずっと手加減していたんやな! くっそー、女のクセに卑怯だぞ」


「その卑怯な女に負ける気分はどうだ?」


「くっ……」


 不敵な笑顔を浮かべながら幡ヶ谷君に問いかける。ワザと挑発し、正当化した状況を作りだしているようにも思える。もし本当にそうだとしたら——いや、これ以上思考するのはよそう。


「いざに自分に降りかかると逆ギレとは、どんだけ自己中心的なんだよ。あれだ、じつに呆れた。もう相手にしない方がいいんじゃないか高碕」


 私も竹柳君に続いて悠喜菜を止める。


「そうよ悠喜菜ちゃん、これ以上は……」


 必要に迫られたとき、どうしてもねじ伏せなければいけない事だってある。話し合いの平和的解決なんて表向きの欺瞞。頭では分かりきっているのに、どこか身が縮むような恐怖を感じる。


「フッ、勿論だ。どっかの誰かみたいに感情任せにキレるなんてそうそうしない……な」


 本人はそう言うが、いつしかリミットを越えてしまう時が来るのだろうか。そうなったら悠喜菜は本気で人を殺してしまうのでは……。


「悪かった、俺が悪い! それでええから。でも俺はまだ諦めへん、二稲木に認めて貰えるなら何でもする覚悟や……。でもやっぱりお前さ——」



「いい加減にして!」



 相変わらず気持ちを理解してくれない彼に、私は声を荒げた。


「悪い悪い、それにしてもええよなー、二稲木はホンマに。友達が多くて、順風満帆って感じやん。俺なんて何をやっても裏目になるやいうのに」


 口を拭いながら立ち上がりながら喋る彼。


「それって嫌み? ……私の苦労なんて一つも知らないくせに」


 幡ヶ谷君にとって何気ないであろう一言に怒り、寂しさ、悲しさ、悔しさ、嫉妬、苦しさ色々な感情が爆発的に込み上げてきた。


「だって——」


 私は何かを言いたげそうにしていうる幡ヶ谷君の言葉を遮った。


「……貴方に私の何がわかるの?」


「わかるさ! 俺はお前が好きやし、一人で料理から航空機の操縦まで何でもこなせるのがホンマに羨ましい。俺には無いもんばっかやん」


「ねぇ『本当に私が羨ましい』と思っているの? 私が何の苦労もなしにここまで来れたと思っているの?」


「そりゃたくさん苦労をして今でもしていることは知っている。俺だって毎日大阪からここまで三時間近く時間をかけてここまで来ている、それも一つの苦労やろ?」


 一体いつまでこんな不快な時間が続くのだろうかと不安に駆られる。……であれば私も自分の傷をえぐる覚悟の問を投げる。日頃たまりにたまった鬱憤と共に。


「じゃあ聞くけど幡ヶ谷君は普段家に帰ったら何があるの?」


「『なにがある』ってそりゃ、家に着くの遅いからお袋が作ってくれるメシがあるねんな。なんやそんな当たり前な質問?」


「私には帰る家があっても、幡ヶ谷君のように頼れる親も居ない。世間からは未だに非難の目で見られ、その度に肩身が狭い思いをする。……そんなの耐えられる? これの何が“順風満帆”に映るのよ! それに——」


「なにしてん……」


 私は両手でブラウスの前身頃をぎゅっと掴みそのままめくり上げる。腹部を露わにしたのにも関わらず、羞恥を感じることは無かった。

 本当はここまでするつもりはなかった……、でも察してくれない彼にはいっそ関係を破綻させていいと思う。


「その傷……」



「私はかつて全身にわたり、筋肉繊維や内臓を損傷させられたことがあるの」


「うっ……」


「これがあなたのいう羨ましさ? こんな満身創痍な私の何がいいの?」


「……」


「あずちゃん」


 自分の中でちゃんと抑えようと思いつつも、胸の奥からぐつぐつと沸き立つ熱には抗えなかった。


「ね、私たち人生を交換しよう。それで私が嫉妬している部分、と幡ヶ谷君の憧れを入れ替えられればきっと苦労がわかる気がするわ」



 傷跡を目にした幡ヶ谷君は言葉を詰まらせている。



「もういい? 本当はただの友だちでいたかったから、傷跡を見せたくはなかったの……。でもそうさせたのは幡ヶ谷君。分かってくれないのも幡ヶ谷君」


 ブラウスのシワを伸ばしてから、スカートへしまい込んだ。いつもは不本意で見られる事があった傷跡をはじめて自分から見せた。

 そういえば華雲と悠喜菜にはまだ詳しくは教えてなかった。一方で竹柳君はただ驚き、幡ヶ谷君は取り乱していた。


「そ、そ、それはセコイやん。な、何にも教えられてへんし、今知った。知っていたらハナっからこんなこと……」


「私からすると幡ヶ谷君もズルいと思う」


「………………だからちゃうって。そんなつもりは」


「どうして現実や世間はこうも私に冷たく当たるの? 勿論私たちが諸悪の根源、誰かの尊い命、未来を奪ったのも代えがたい事実。ここまで説明しないと分からない?」


「どんなことがあったとしても、俺は受け入れてやる覚悟だ。そのために俺は振り向いてくれるよう努力するし、……それにあの時みたいに逃げはせん」


「幡ヶ谷君にとっての私って何なの? 何がそんなに幡ヶ谷君自身を動かすの? それに『あの時みたいに逃げない』ってどういう意味?」


 彼は重たそうに口を開いた。今さら何を言われても彼に対する態度は変わらないだろう。それでもまだ「好き」と口から出そうものなら次こそ……。



江邊川えべがわを覚えているか?」



 そんな彼の口から予想だにしない名前が出た。

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