8 茶髪少女の遁走 #73

「愛寿羽さっき言い損ねた話しなんだが――」



「どうしたの?」


「その……、昨日父さんと喧嘩しちゃって……悪いが一晩泊めさせて貰えないか?」


「いいけど、どうしてまた喧嘩なんて?」


「ゆきなちゃんとお父さんがケンカなんてしたら、きっとゆきなちゃんの家が吹っ飛ぶかも……。それならあずちゃんの家に泊まるのが賢明だね」


「ま、そんなところだな。それに若干一名ワクワクしている人がいるし……」


「別にあたし……、ただ楽しみにしていないし、ちょー楽しみにしているし」


「じゃあ、みんなで一緒に私の部屋でご飯食べよう。リキくんもどう?」


「俺もいいのか? そうだな……噂だとあずなぎの料理、旨いって聞くし」


「仲間だからでも誰がそんな噂していたの?」


「へ? この二人」


 リキはすっと二人を指さした。


「華雲がー」


「ゆきなちゃんが最初に言ったじゃん」


「そうかもなーきっと、前にやった調理実習で噂が広がったんだー、そうに違いない」


 明後日の方向を向きながら、これ以上に無く白々しい言い分を語っている。


「はぁーあんまり自信がないってば……。二人には労力として豪華“豚骨ラーメン水”を提供させていただきます」


 そう、あのラベルを見ずとも味が分かる醤油ベースの濃厚豚骨スープ。熱い日差しで失われた塩分が補給でき、口に含むだけで麺がいかに重要なアクセントなのかを再確認させられ、何より冷たいのが一層の不味さを引き立たせる。その体験により余計な行動を起こさなくなる――、いわゆる“興味本位の抑制”という知能的な成長が見込めるだろう。


                   ◆


 バスを降りてから、いつもと違いみんなで買い出しへ行く。結局、リキと悠喜菜ご所望のナポリタンを作ってあげることにした。いや、むしろ下手な料理でみんなを泣かせでもしたら厄介。


「結構買い込んだな。ところであずなぎの家まではどれぐらいで着くんだ?」


「もう着いているよ。あとはエレベーターで五八階まで——」


 両手に食材が入っている袋を提げたまま、リキは天高くまで目線を上げた。


「……マジかよ。タワマン住まいまでは聞いてないぞ。やっぱりお金持ちは違うなー」


 悠喜菜がリキの頭を肘でボンと突く。



 どうやらそこに関して二人は喋っていなかった事に感心した。やっぱり“豚骨ラーメン水”をあげるのは可哀想に思えてくるぐらいに——でも、まだ安心出来ない。



 リキは設備やギミックに「おー」と声を漏らしながら、男子らしく興奮している。ようやく部屋にたどり着くと彼は土間で、大きく両手を広げながら深呼吸を始めた。

 そんな不可解な行動を恐る恐る尋ねてみる。


「えっとーリキ君、両腕を広げて何をしているの?」


「鼻にラベンダーのいい香りが漂って思わず深呼吸、様々な妄想を膨らませていたところだ」


「いいラベンダーの香りがするだろ? これなら愛寿羽のあんなコトやこんなコトも想像できるよな」


「二人とも、恥ずかしいからやめてよ。どうして悠喜菜ちゃんみたいな男の人っていつも変な想像してばっかりなの?」


「おいおい、私を野郎と一緒にするなって。あくまでも一人のレディーとして——」


 やれやれと両手を上げながら華雲が言葉を挟む。


「ゴリラみたいな力を持っている“レディー”がよく言うよ。さっきだって幡ヶ谷を片手で投げておいて」


「あ? 何だと、誰がゴリラだって?」


 再び地雷原を踏み抜いた華雲。いやむしろ、リキに対し自ら身を挺して脅威の教育をしているのだろう。……だとすれば賢い。絶対に真似をしたくはないけど。


「イタッ、イタタ、ゴ、ゴリナちゃんに殺される! うぎぃー、あずちゃん助けて!」


「さてと、リキ君はパスタを茹でてくれる? 野菜を切るのは私がやるから」


「お、おう分かった……。なんかトンデモねー集団」


 華雲がどうなったかはよく分からないが、悠喜菜にマンゴージュースを出したり肩たたきをしたりしている様子から察するに相当絞られたようだ。


 ひとまず悠喜菜のグーグー鳴きっぱなしのお腹を収めるべく調理を急ぐ。授業の後も何回も作ったことがあるので、きつね色になるまでタマネギを炒め同時に手早くピーマンを切っていく。リキのパスタが茹で上がったら、自分好みの味付けをする。


「味付けをして——完成!」


「おー、これは旨そう。……色艶良くて正直説明通りに作れば誰でも作れる筈なのに、何とも優しさ溢れるこの感じ。さっそく盛り付けを」


「それはどうも。リキ君のパスタもいい湯で具合だったわ」


 冷蔵庫にあった適当なサラダと、出来たてのナポリタンを人数分食卓に並べた。


『いただきまーす!』


 三人ともフォークを手に取り夢中で口の中に掻き込む。私も我ながら良い出来栄えに安心した。


「いいねー、安定のあずちゃんクウォリティー!」


「よかったーおかわりあるから遠慮なく食べて」


 少し時間をおいてから前々から気になっていた質問をしてみる。好奇心と疑念の払拭のために。


「前から聞きたかったんだけど、リキ君はどうしてグライダー部に?」


「そういえばあずちゃんに『興味がある』って」


「そう……、いや違う。敷島先生の乗っている車がウチの店のお得意様なんだー。ただそれだけ。それによくエンジンを父さんと一緒に整備してたから、入学する前から顔見知りなんだ。飛行部と迷ったが、色々考えて――」


 この間私が乗ったあのスポーツカーの整備を……。なるほどそういう縁か。


「へー、グライダーのエンジンもバラせるって事は、その他の車種やLogarisもいけるのか?」


「バスやトラックは無理だけど、バイクであればプラグやタイヤ交換までならなんとか……。ジェットエンジンは完全に一から勉強しないとだが、前に座学でピストンエンジンの仕組みをやっただろ? TFUNのエンジンと共通点が多くて案外面白いんだよこれが」


「それなら今後色々と安心だな」


 ふとリキは時計に目を向けたので、私も同じように見た。もうこんなに時間が経っているだなんて。


「それじゃそろそろ撤収するとする。近いうちに大会もある事だし、俺もやることやらなきゃいけないから。じゃあ近いうちにまた来る」


「ちゃっかり『また来る』とか言っているし……もう、また来て頂戴ね!」


「私もあまり遅くなると怒られちゃうからまた明日ねー。今度遊びに来るときはみんなで遊べるシミュレーター持ってくるから」


「うん、それは楽しみだね」


——全く、好きにご利用ください。



 二人をロビーまで見送り、紅茶の飲み一息ついてから後片付けをした。もちろん悠喜菜にも多少手伝わせた。


「今日も面白いぐらい色々あったなー。もうクタクタだ」


 口を大きく開けながら欠伸をしている悠喜菜。


「それは同感。たまには何もしないで、一日中ぼーっとしてみたいかな。あ、悠喜菜ちゃんの布団まだ用意していなかった……。今準備してあげるね」


 危うく忘れるところだった。せっかくソファーに腰掛けたがもう一度立ち上がり、寝室で悠喜菜が寝られるよう布団を準備することにした。前に出したピンク色の……そうだ、クローゼットの中だった。私は一式を引っ張り出し、前に華雲が寝た時と同じように広げる。

 ふとある考えがよぎった——そういえば悠喜菜本人には質問する気は起きないけど、泊まることが確定しているのに、着替えの用意らしき荷物がないのはどうも不自然。


「悠喜菜ちゃん布団準備しておいたから」


 彼女からの反応が無かった。まさかと思いリビングへ向かうとやっぱりうたた寝している。



「もう少しだけ待ってください。か、必ず払いますから――」



 突然口にした寝言は酷く怯えている。夢から連れ戻そうと腕を伸ばすと、不意に手首を掴まれた。指先に掛かる力は強く、震えている。


 恐怖を感じている時、どうしたら気持ちが和らぐのか、私だったして欲しいこと……。人間によって冷やされた心を温めるのもまた人間、悠喜菜の震えが無くなる事を願いながらぎゅっと包む様に抱きしめた。


 パッと目を開けると、慌てて手の力を緩めた。


「大丈夫? ……悠喜菜ちゃん。こんなところで寝たら風邪引くよ」


「あっ……あぁ、迷惑かけたな」


「気にしにないで。シャワーを浴びてから寝るといいよ」


「ああ、ありがとう」



 きっとこれが準備もなく泊まりに来た、根本的理由なのだろうか?


「……なぁ愛寿羽、生きているだけなのに、どうしてこんなにも辛いんだ」


 まだ十年ちょっとの人生経験で語るつもりは無いし、私の悲劇自慢はしたくない。でもこれだけは言える。


「それは、今こうして生きているから……。生きて納得出来る答えを探すため。……悠喜菜ちゃん、本当はお父さんと喧嘩していないんでしょ?」


「どうして分かったんだ?」


「悠喜菜ちゃんお父さんの話を今までしたことなかったし、何より嘘をつくの下手だもの」


 嘘をつく悠喜菜は大抵喉に手を当てながら、自信なさそうに話す。嘘を見抜く力……私がかつて信頼できる人が皆無だった頃に磨かれたもの。



「そう、察しの通り私に父親はいない。事業に失敗し多額借金を返済する過程で事故死した。悪いがこれ以上は話せない――」


「そんな事が…………」


 私は言葉が喉の奥でつっかえたまま絶句していた。

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