3 属性区分の確定・ジャメヴな追憶 #68

 桜ヶ丘先はタブレット端末を片手に、素早く指を動かしながら確認を進めている。

「機体の設定には管理権限が必要」などなど座学では聞いていた。ただ理解が浅いというのも、背筋を撫でられるような不安要素の一つだろう。


「じゃあ、心と体の準備はオッケー? とはいっても種別確認だけだから。リラックス、リラックス」


「先輩、お手柔らかにお願いします」


 ひとまずモヤモヤする感情を押し殺し、コクピットへと深く腰掛け手順通りマスタースイッチを入れる。桜ヶ丘先輩がタブレット端末を弄ると自動でキャノピーが閉じられた。



『Logaris新規ユーザー登録モード。フライターに登録されたデータを参照中……。四三時間、ソロフライト実施済み確認』


 機械による音声ではあるが、誰か聞き覚えのある声を合成しているので、そこまで無機質さを感じられない。



 視界に広がる操縦桿、スロットルやブレーキレバー、やっぱりコックピットに座ると滾ってしまい、先ほどの不安なんてちっぽけに思えてくる。


「あずっち、目を閉じてリラックスだよ」


「わ、分かりました」


 数回深く呼吸を繰り返し、高まる鼓動を押さえる。



『これより適性を確認します』



 程なく心地いい気分に全身が包まれた。冬が終わり春の暖かい陽気に似ていて、どことなく満たされるような感覚。


 それにしてもまだ一〇年ちょっとの人生で最も影響を受けた動物はなんだろう? 昔から特に外で遊ぶことがなかったけれど……、でも記憶の微かに残っている断片。そういえば——。


 静かに目を閉じて遠い日の少ない記憶の引き出しから景色、会話、状況を思い浮かべる。



 確か——そこは、広大な土地を埋め尽くす真っ白な雪景色……。太陽が山の尾根に隠れると夕暮れ時でも、呼吸をするごとに時が進み深い闇へと変わる。そんな中で私は走っている。でも一人で? どうして? 当時の感情が思い出せないが、汗を流しながら懸命に助けを求めていたような感覚。


『もう暗くなるからお家に帰ろう』


『でも■■■が■■■』


 感情的に言葉を発したであろう私は、何故か山へ向かって駆けていた。理由が思い出せない。ただ本能的な危機感で――。


『大丈夫だよ、私を■■して』




『適正確認終了。適正結果……種別『狼』。フライターに適正情報を保存しています』



 今まで思い出せなかったカケラを掴めたような……、適正確認が完了したことを告げられると、これ以降蓋が閉じたように全く思い出せなくなった。私は結果に対し驚くでも、喜ぶでも無くただそれが何を意味しているのかが知りたかった。思い出せそうで思い出せない、私にそんな体験があっただろうか?



『各種機能を確認しています……全ての適正において正常値を確認、フライターに書き込み中』


 しばらくしてから、降機を促されるような指示が出た。フライターを外し、コックピットから出ると桜ヶ丘先輩が私に興味深そうな様子で聞いてくる。


「どうだった?」


「……適性は『狼』でした」


 先輩はきょとんとしたままの表情で目線だけを動かした。


「え? そんな適正区分は初めて聞いたよ」


「実際これらの適正はどんな優位性や意味があるのでしょうか?」



「気になるよね? では実際に飛んでみよう。フライトプランも組んであるから、早速飛行してみよう! みんな準備を」


 気配を感じた私は肩をぴくつかせた。いつからだろうか敷島先生が側にいたのだろうか。呆気に取られる暇も無く先生に主張する。


「今から飛ぶのですか? まだ心の準備が……。そもそも搭乗するならそのまま乗っていいる方が良かったのでは?」


 てっきり今日のところは適性を確認するだけで、本格的に飛ぶのはまた今度かとばかり思っていた。ただ言葉にして思った。ソロの時もそう……、実はいつでも心は準備できているじゃないか……、あとは前に進む勇気だけが必要。でもやっぱり、今回はいくらなんでも早すぎる。


「あずっちが疑問に思うのは分かるよ、だって楓も同じだったから」


「あ、はい。でも座学の時もそうでしたが、どうしてこんなに急ぐ必要があるのですか?」


「実は楓達もよく分かっていないの。敷島先生に突然あずっちの座学を一週間で終わらせるようにと通達があって……。とにかく楓に付いてきて。アレを着るのにコツがいるから」


 先輩と一緒に他の機体との間を縫うようにしながら、奥にある更衣室へとやって来た。もう流れに身を任せ、やるべきことだけに集中しよう。


「この前座学で対Gスーツ用のサイズを聞いたと思うけど、これでどうかな? 着る方法はツナギみたいに足からだよ」


「……そんなの聞かれた覚えはないです。今この瞬間初めて知りました」


 とにかくツナギを着たことは無いが、そんなのは調べればいくらでも出てくる。問題は“着替える”……つまり傷跡を見られるリスクがあるということ。


「あれ両手にスーツ持ったままで、どうした?」


「申し訳無いですが、一旦退室していただいてもらえますか?」


「あっ! そうだよね、いくら女の子同士だといえプライバシーは守らないとね。ではごゆっくり、それと何かあったら言ってね」


 秘密を隠すとはいえ、少々強引なやり方に罪悪感を抱く。そもそも傷のせいでこんな思いをしなければいけないのは、本当にうんざりさせられる。



 更衣室で着替えている窓の外では、遮光カーテン越しにシルエットで準備をしている人影が目に映る。同じエプロンで機体を出す部活はグライダー部しかないので、準備して貰う人たちに申し訳なく思う。早く自分の準備を済ませたいと思うほど、タイツを履くのと似た煩わしさがこのスーツにある。


 ふと出口付近にある姿鏡に映る自分。そんな私が将来役立てるのか、検討もつかない……。検討がつかないからこそ自信が無くなっていく。



「すみません、お待たせしました」


 機体付近で調整をしている桜ヶ丘先輩を見つけた。すぐさまシワがないかを一通り確認してくれる。


「キツいところはない?」


「ちょっと胸の部分が……。そもそもどうしてこんなに体のラインにピッタリなんですか?」


 少しだけ会話に間が空いた。


「ん? 苦しい場所はない? チッ、いつも制服越しだから気付かなかったけど」


「……やっぱり何でもないです」


 ちょうど華雲がシンクの蛇口を捻り、バケツに水を入れている。私の姿をじっと見つめニャッと口角をあげた。


「にゃッハー。その格好、あずちゃんならいいけど……。あたしならお嫁に行けなくっちゃう」


「華雲ちゃんそれどういう意——」


「プロトタイプでごめんね、それと嫁に行った人なら知っているから安心するんだ。では先生は管制タワーに登るからあとよろしく」


 スタスタと早歩きをしながら話し、扉の向こうにいなくなる敷島先生。せめてその人を紹介してから行って欲しかった……。


「よかったー、それならこれからも安心して夜におかし食べられるね」


 安心できる訳では無いけれど……。


 水が入ったバケツを両手に華雲は幸せそうな表情を浮かべながらエプロンへと向かっていった。



「おいさ、おいさ、おいさ楓、ちゃんと選んであげたのさ?」


 私たちの様子が気になっていたのだろうか、今度は清滝先輩と竹柳君がやって来た。


「『おいさ、おいさ』って何なの?」


「一回足りないさ、僕にアプローチするにはまだまだなのさ」


「……は?」


 そろそろ怒られますよ先輩、それもきっととんでもなく。


「いえ、これは、これで……いいと、思います。その、全体的に目の保養になります」


 挙げ句の果てに竹柳君までも軽々口にしている。あとでどうしてくれようか。


「そうそうこれがいいって、よく分かっているじゃんリキっち」


「でもなの……さ」


「あ? なんだって? あずっちは機体に搭乗しちゃって。それからリキっちはなんか適当に仕事しといて」


「いえ何でもないですさ、……決して楓が見劣りするとかって意味じゃ無いのさ。でも、さ——」


 どうしてこう余計な事ばっかり口にしているのだろう……。そうだ確か『爆風で進むのさ』とか意味の分からない理屈があったっけ。


「有斗くん、こんなに美人で小柄な理想的な女の子を目の前にして、まだ贅沢を言うだなんていいご身分だね。ひとまず感謝の印として、今すぐハイオクガソリンのよりも価値ある液体を飲ましてあげるから」


「それって、楓の右手に持っている燃料の質を確認するために取ったドレイン管(タンクに混ざった水分や不純物を取り除く道具)を僕に処理させるつもりなのさ?」


「リッター三〇〇円は下らない代物だよ。ミネラルウォーターよりは安いけど鉛も入っていることだし、これからバラストも要らなくなるね!」


「その体に毒な鉛を飲んだら僕ももれなく、死人になってしまうさ」


「そう! つまり一回死んで詫びなさい。そしてこの楓を尊敬し崇め奉りなさい」


 痴話げんかを横で聞かされながら搭乗の準備を進め、いつもと同じように髪を一つに纏めた。教わった手順通り先にベルトを締め、先輩の確認を待つ。


「あのー、将来二人が結ばれ末永く暮らしていくことは分かりましたので、そろそろスタンバイよろしいでしょうか?」


「全く仕事が出来ないヤツは困るのさ!」


「うるさい! いつも仕事していなのはあんたでしょうが!」


 多分このままだと飛ぶのは明日になりそう。


「桜ヶ丘先輩、そろそろ機体のキャノピーを閉じてください。……じゃないと出発できません」


「……そうだ! この機体訓練モードだからあずっちが自分で閉じられないんだったー、ゴメンゴメン」


 再びキャノピーが自動的に閉められる。一人きりになった空間で思わずため息をついた。


「エンジン始動前チェック、オールスイッチ・オフ、サーキットブレーカー・オールイン、フライター装着、管理同期モード確認」



「準備できたらエンジンまでかけていいよ」


「了解しました。マスター・オン!」



 電源を入れて間もなく、液晶に文字が浮かび上がった。


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