2 飛行前の座学合宿 #67

 八月に入ってから一週間目はずっと運航室に閉じこもり、ひたすら二年の先輩による座学を受け続けた。TFUNの諸元のように学ばなければいけない項目が多い。新しく覚えなければいけない計器や装置の使い方に始まり、航法や細かい数字をたたき込まれる。窓からグライダーや他の機体が空を飛んでいるのが見え、その度に空を飛びたくてしょうがなくなる。どうにかして私には早急に飛べるようになって欲しいと、先輩と敷島先生から聞いていた。



 時々華雲や悠喜菜の様子を見に教室へ行くと楽しそうに談笑する様子や、はたまた寝ているなんて時もある。幸せそうにうたた寝している華雲を見ると、衝動的にひっぱたきたくなる。



 何日目なのかも考える余裕すら無い或る休憩時間、ウーロン茶を買いに自動販売機へ足を運んだ。最もこの瞬間も頭を休める暇は無く、漠然と内容をイメージしながらボタンを押した。間もなく商品がガダンと落ちおつりが出てきたところで気付いた、買うものを間違ったと。



 ……どうしよう。



「フッ、豚骨ラーメン味の水だなんて買うヤツいるんだな、やっぱり君は面白い」


 聞いたことがある声だと思い振り返ると、飛行部の陣場先輩だった。感心されているのか、馬鹿にされているのか絶妙な複雑さを感じる。


「……私ボタンを間違えました。本当はお茶を買おうかと思っていました」


「そうかそうか、それは残念だったな。ただ、案外旨いかもしれない。たまには違った行動をすることで、蔓延る周りのステレオタイプを払拭できる機会にもなるだろう。そう君が教えてくれた異なる目線からの回帰――」


 これと言って何かをした自覚はないが、どうやら陣場先輩自身を変えるきっかけを与えたのは事実らしい。たまたま重なった偶然が現実味を帯び、持論の基礎を固めていく。吉岡もこんな気分が最初なのだろうか。


 ベラベラ延々先輩の長い話しを聞かされ、いよいよ喉が限界を迎えたので一口だけ飲んでみた。


 ……しょっぱいうえに全く美味しくない。製品を研究する会議で「不味い」と反対する人は居なかったのだろうかと不思議に思う。あとで華雲にも飲ませてあげよう。その前にこの人にあげる方が先か。


「ところで最近、どうだ?」


 唐突に目を開き私に質問してきた。あまりの不味さに、舌先だけ出しながら聞いていた――、いやむしろ何も耳に入れていたかったのがバレたら、それこそマズいので反射的に戻し平然を装う。


「今はLogarisの座学をしています。ただ覚えることが多くて苦戦しています」


「そうか、頑張れ。俺も志望大学受験勉強で最近飛んでなくて、発狂しそうなところだ」


「私もこう何日も飛べていないだけで、体の底から熱い気団がこみ上げるので先輩の気持ちがよく分かります。今はお互いに頑張りましょう」


「そうだな。あと柊木と鳳に“前回の管制担当時に鍵を閉め忘れていた”と伝えておいて欲しい。保安のためにもどうか頼む。では」


「分かりました、伝えておきます」


 自分で伝えれば良いのに……、と言いたかったが陣場先輩にもそれなりの訳があるのだろう。何よりも変に話しが伸びないよう取り繕うことを優先させた。


 先輩の姿が見えなくなったのを確認してからホッと息をつき、改めて自分が欲しかったウーロン茶を買ってから運航室へと戻った。


                   ◆


 ようやく学習期間が終わり確認テストを受ける。機体の基礎や緊急時の対応が主でそんなに難しくはないが、諸元にある細々した数字を覚える必要があったのでやっぱり詰め込みは必要だった。テスト中運航室のホワイトボードには、消えずにうっすら数字が残っていて判別も出来るが、そんなズルいことはせずに正々堂々自分の実力をぶつけた。



「よし、敷島先生のお墨付きでテストは合格! いよいよ実機で適正判断をするよ。フライターを持って今すぐ格納庫へ行ってみよう!」


 桜ヶ丘先輩の口から『合格』を言い渡され、少しだけ気が抜けた。ただ本当に大丈夫なのだろうか?


「あれれ? 不安そうな顔をしているけど『本当に大丈夫』って? 心配しないで、楓も二年生になる前あずっちと同じように一週間ちょっとで詰め込まれたからね」


 正直何が何だか分からないのが怖い。先輩の説明も本質を射ているのか、いないのかも定かでは無いし。


「適正時にテーマに沿った動物に割り当てるかが自動で選ばれるよ。愛寿羽っちがどの適正種別になるかが楽しみ。そういえば確か――、適性検査には人生で最も影響を受けた動物が適正種別に当たりやすいそうだよ」


「よく分かりませんが、ひとまず頑張ってみます。ちなみに種別は何種類あって、それぞれどのような能力があるのでしょうか?」


「うん? 数は不明で、能力も使ってみなければ分からないから総じて詳細不明。参考までに楓の適正は『犬』だったよー」


 詳細不明と聞くとますます不安になる。



 格納庫には桜ヶ丘先輩以外の部員全員がLogarisの機体を囲んで準備をしていた。


「あずちゃん、何だか久しぶりって感じ。いやまてよ、昨日も今朝も一緒に居たよね」


「久しぶり華雲ちゃん、恐らく二時間ぶりの再会かと……」


「なーんだ、たった二時間かー。あずちゃん大げさなんだから、寂しがり屋さんはあとでナデナデしてあげる」


 別にそういう訳では……。もしこの間の“ラーメン味の水”が売っていたら、あとで差し入れとしてラベルを取ったうえで渡してあげよう。

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