7 正しいとは言い難い対処法 #60

「あずちゃん大丈夫? ってあれ、口から血が出ているよ」


 華雲に言われはじめて、左の口角からゆっくりと滴が伝っているのに気がついた。手で拭ってみると手の甲全体が赤くなるほどだった。


「……気にしないで、華雲ちゃん。私は痛くないから」


 本当は喋るごとに口の皮がえぐれるので痛む。


「えっ、でもあずちゃんの綺麗な手が真っ赤に……」


 ティッシュと手鏡を鞄から取り出し、口元を綺麗に拭いた。ふとそこに映る自分の表情が何とも惨めになっているのに気がつく。一体何をやっているのか、これではヤツらの思う壺じゃないか。それにやられっぱなしで何も言い返せなかった自分に嫌気がさす。



 悠喜菜は目線を泳がせ、気まずそうに無言のまま階段へ向かうと上へと登った。私たちも後をついていき、屋上へとやってきた。高いフェンスが外側と低いフェンスが内側に二重になっていて転落防止を兼ねているが、どこか鳥かごのように縛られて不自由に思える。それでいてどんなに高くなっていても、本気で死のうとしている人に対しては全くの無意味である。


 そんな低いフェンスの淵に腕を乗せ、滑走路を眺めている悠喜菜を見つけた。彼女に近寄ると重そうな口を開いた。


「悪い、さっきのはよくないクセだ」


 口の中は唾液と血が混ざり合い、飲み込む度に唇にも痛みが走る。それでも構わず悠喜菜自身の株を犠牲にしてくれたことに申し訳なさの意を込めながら伝える。


「でもありがとう、私の言いたかったことを代弁してくれて」


「……そんなに感謝しないでくれ。決して正しい対処法だとは思っていないから。ほら暴力でしか解決する方法を知らないからさ。今回もあれぐらいしておけばしばらく寄ってこないだろう」


「ゆきなちゃん――」


「悠喜菜ちゃん、それってつまり『両刃の剣』だよね。ときに人を助けるし、傷つけることもある」


「ああ、それだ『両刃の剣』ってやつだ」


 悠喜菜にも平和的に解決する私なりの方法を知って欲しい。華雲の言うとおりいつしか返って酷い目に遭うかもしれないから。


「自分の常識は他人とっては非常識。一番いいのは自分の感情を押し殺し、その場をひたすら耐えるしかないのが私なりの対処方法――」


「いや、私は違う。徹底的に反抗する、相手の退路を断つようしながら正論をぶち当てる」


「また二人とも頭いいからって考え過ぎだよ。二、三日は引きずるかもだけど、あたしはゆきなちゃんが正しかったと思うよ。でも色々と経験が少ないあたしがアドバイスできるわけでもないし」


「なるほど、何となく二人の言いたいことは伝わった。今後の素行を改めて考えておく。……でもまあそういう華雲も頭いいだろう、ほら前にパソコンで難しい作業をしていたから」


「えへへ、そうだっけ。ゆきなちゃんに言われるとうれしいな〜」


「フッ、チョロいな。バカに騙されないようにしなよ。それと愛寿羽、アイツらが言っていた『負け戦』はほぼ合っている。金や権力者の発言は魅力的に響くし、何故かそれが正しいと相づちを打ち、喉を唸らせる輩が存在するのも事実。抗うには正直厳しいし、限界がすぐにやってくる。でもな、それでも安心しろ! どんな事があっても私たちは愛寿羽の味方だから」


「……どんな事があっても私の味方で居てくれる」


「もちろんだ。な、華雲」


「うん。必ず全員を見返してやろう!」


 自己防衛の為にあえて主張しという対処方法。私には考えもつかなかった。正しい論理を持っているのに反論する自信が無かったから。機会があれば注意して実践してみるとしよう。


「ところで愛寿羽、口をゆすがないと吸血鬼みたいになっているぞ」


「えっ、とりあえず二人とも部活へは先に向かってて。後から行くから」


 私は流しで口をゆすいでから六格へ向かった。


 一体どうすれば私のマイナスイメージを払拭できるのか。そのためにもっと目立つ必要があるのだろうか? それとも逆におしとやかに三年間過ごせばいいのだろうか?


——そんなのできるはずがない。お父さんとお母さんの事故の真相を知りたいから。


 いずれにせよ目立つとなると後戻りが出来なくなる。でも自信がついた今それでいいと思える自分がいる。あの時みたいにつまらない日常を過ごしたくはないから。だから私は決して折れない……折れてはいけない。折れたらそれこそ終わりだから。



 はぁ、それにしてもせっかくのいい気分が台無しになってしまったのは残念。




 格納庫ではLogaris整備のノルマが既に完了していて、私たち一年生は格納庫を掃除することになった。気晴らしに空を飛びたい気分なのに、こういうときに限って地上だから……本当に、もう。それに二、三年生は打ち合わせで運航室へ向かってしまうし。

 私は若干頬を膨らませながら準備室に掃除用具を取りに行った。


 ほぼ正方形でマス目状の形をしているコンクリートの地面が広がる。その一マスは悠喜菜が斜めに寝そべっても、まだ余裕がありそうなぐらいの大きさ。そこへ校庭のグランドを整備するようなデッキブラシで、つなぎ目の溝に落とさないようマスごとに中心へ集める。ある程度集まったら竹柳君が手押しのスイーパーで回収していってくれた。



 作業が終わったタイミングをはかり、竹柳君におととい借りた体操着を返す。


「竹柳君体操着貸してくれてありがとう。一応洗っておいたわ」


 体操着を受け取ると顔を埋め深く息を吸い始めた。不思議に思った私は思わず聞いてみる。


「一体何をしているの? もしかして、汚れているところがかあったとか?」


「いや特に深い意味は無い。気にしないでくれ」


「あずちゃんいいラベンダーの匂いがするでしょ?」


 無邪気な笑顔で華雲が喋る。


「あぁ……」


「最高だ。貸したかいがある」


 よくわからないがソワソワっと鳥肌立った。

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