3 心構え #56

 テスト当日の朝まで悠喜菜にしっかりと教えて貰ったので、本番では難しいところは特になく、むしろ恐ろしいぐらいに問題が解けるようになっていた。中学もこれぐらい真面目にやっていたら他の人が思う私の印象も変わっていたのだろうか?


 気がつくとあっという間にテストの三日間が終わっていた。もちろんテスト期間中は部活がない代わりに、しっかりと勉強しないと補修が終わるまでフライトは禁止になるそう。


「長かった闘いがやっと終わったー、今日からまた配信ができる!」


 最後の試験課目を終えた華雲の口から安堵の声が漏れる。私もやっと肩の荷が下りたように気が抜けた。


「華雲、これからも普段からを復習しなさいな」


「これからおもいっきり遊ぶもん、それが学生の特権でしょ?」


 華雲が私の耳元で小さく話す。多分悠喜菜の耳に入れば華雲はきっと締め上げられてしまうだろう。私は手を口に当てニコッと笑った。


「でもゆきなちゃんのお陰で、赤点は回避出来たと思うからよかった」


「それはよかった。教えがいがあったから」


 華雲に似せようと悠喜菜も笑顔を作るがぎこちなく口角が上がっただけだった。




 一週間程でテスト結果が返されはじめ数点しか違わなかった点数が、気付くと約一五〇点も差をつけていた。それは勝てっこない。二年生の飛行テストで差を埋めたいところ。


「あたし、三五二点でギリギリセーフだったよ」


「かなりギリギリじゃん」


「でも本当にありがとう! ゆきなちゃん」


 華雲が笑顔で悠喜菜に抱きつく。


「ほら寄るなって恥ずかしいなー」


 華雲に不意に抱きつかれると私も同じ女の子のはずなのにドキドキする。多分悠喜菜も同じように感じているのだろう……、それに表情は心許りか嬉しそう。

 テスト順位表には一位に堂々と『高碕 悠喜菜』の名前があった。私も順位としては全体の三〇位代だった。華雲も入学時の最下位付近に比べ、二〇位ほど上に名前があった。


「はぁ? 俺高碕に負けているやんか」


 私たちのそばで幡ヶ谷君が声を上げる。そんな彼の順位は五位だった。


「二稲木さんも……」


 彼は表を指でなぞりながら私の名前を探し、二回ほどトントンと音を立てた。


「まぁ、人は頭が全てやないってな」


 なんだかムカつく言い方だった。人の神経を逆なでするような口調にもとれる。この先フライトの実技があったら、確実に差を見せつけたい。でも、こんな私から空をとってしまったら一体何が残るのだろう……。


「幡ヶ谷はまだまだ私に敵わないって事だな」


「クソー、絶対お前に吠えずらかかせたるから」


「そうだな、卒業まで気長に待っているよ」



※  ※  ※



 もう少しでフライト時間が三五時間以上になる頃、先輩が密かに噂していたことがある。


「愛寿羽っちそろそろソロフライトだよね? 先生からソロフライトについて聞いている?」


 フライトのため格納庫で待機していると、桜ヶ丘先輩が整備備品の整理整頓をしながら私に聞く。


「いいえ、特に何も聞いていません」


「あれれ、おかしいな。規程の三五時間超えてその他の条件も満たしているから、もうすぐ説明があるハズなんだけどね」



 華雲がフライトから戻り、グライダーのエンジンが止められた。操縦席では先生は苦笑いをしている。


「今泉……、一生懸命なのは分かるけど毎回同じところで躓いていちゃ訓練の意味はなくなるんだぞ」


「はい、分かっています。でもなかなかイメージができなくて」


「そうだね、例えば目が悪いとかだったら目がよくなる対策を講じられるはずだろ? イメトレができないなら、工夫するんだ。自分を常にアップデートしていかないと、いつまでもそのままだぞ」


「……がんばります」


「でも滑らかに操縦できているからいい兆候だよ。今は辛いけどここを超えればグッと飲み込みが早くなるぞ」


「なるほどです、今日もありがとうございました」



 敷島先生は無線機を手に持つと、グライダー部の支援無線へ切り替える。


「えーっと柊木さん、この先の天候はどう?」


 少し間があったあと返事が返ってきた。


『天候調査の結果、現在の場内は微風、雨雲レーダーも三〇マイル以内に反応はありませんでした。このまま三時間は持つかと思います』


「了解!」


 先生は私の表情を見てニッコリ微笑んだ。


「では二稲木さんフライト行ってみよう。いよいよタッチアンドゴーの仕上げだ」


「よろしくお願いします」


 いつも通りの手順をこなしてから離陸する。この頃訓練エリアへは行かずひたすら滑走路の周りを飛び回り、離着陸を繰り返す訓練をしている。


「じゃあ、エプロンまで戻ろう」


 時間的にあと、二本ほどタッチアンドゴーの練習が出来るのに何故か先生から着陸の指示を受けた。


「よし、問題ないね」


 地上滑走中敷島先生がそう口にすると、いつものように訓練ノートに書き込んだ。ただ本来であればここでアドバイスを受けるが、このフライトだけ何もなかったのが気がかり。

 エプロンに到着するとすぐにキャノピーが上げられた。


「二稲木さんそのまま乗って待ってて」


 そう口にすると敷島先生がモーターグライダーを降りるや否や外部点検を始めた。私は特に何も思わずフライトのログをサーバーへ同期した。数分後敷島先生が点検を終えた。


「うん、午前中までの青嵐が綺麗に収まって視界も良好。他のトラフィック(航行)なく機体の状態も良好。では今から場周経路一周をソロでフライトしてもらいます」


「え⁉」


 唐突にソロフライトの許可が出た。そろそろだと思っていたが、いきなりだった。動揺する間もなく敷島先生は私に質問をする。


「飛べるよね?」


 その言葉の威圧を全身の肌で受ける。


 私はびっくりしたのも相まって思わず「はい、飛べます」と反射的に答えた。


 ああ、やってしまった……、もう後には引けない。ただこの壁を通過しないと何もかも始まらないような感覚。でも覚悟が——もし何かあったらどうしよう。

 葛藤をしていると先生にアドバイスされる。


「大丈夫! 風も穏やかだしいつも通りやればいいから。一旦上がったら絶対降りなきゃいけないから、一生懸命になれ」


「そうだ鳳君、追加のバラスト(重り)持ってきて」


 鳳先輩が格納庫の奥から四角く真ん中に穴が開いた、黒いゴムのような重りを持ってきた。


「それは何ですか?」


「今ある鉛のバラストだと足りないから、三角コーン下のゴム部分を代わりに持ってきた。ゴム臭いから小窓開けるんだぞ」


「要するに二稲木さんは軽いのさ」


 先生の代わりに臭いゴムのバラストが四キログラム分隣に乗せられた。グライダーや軽飛行機には重心位置があり、それが常に一定でなければならない。そこであえて機体を重くすることにより、釣り合いのバランスをとる。私の場合体重が大人の狼よりあるか無いかなので、格納庫にある鉛バラストでは足りずとっさのバラストを使うことになった。


――そういえば狼と同じってのは、誰から聞いたっけ……。


 とにかく私は気を紛らわす為、目を閉じながら深く息を吸い、飛行パターンを思い浮かべた。鼻から入ってくる臭気に、ふと昔お父さんがスウェーデンのお土産で買ってきた、タイヤのような真っ黒なグミを思い出した。正直あれを二度と食べたくはない。いらない思い出の蓋がこんなところで開くとは……たまらずキャノピーの小窓を全開にした。


 始動チェックリストを済ませ、「コンタクト」の合図でエンジンを始動させる。するとプロペラ回転で風が生まれ、窓から空気が逃げずに匂いが籠もった。仕方無く開けた窓を半分だけ閉め、機内のエアコンのような吹き出し口を回し空気循環させる。あまり改善もしないが、ひとまずこれで我慢、耐え忍ぐ。


「Hachioji JA2778 Solo Good after noon.(八王子管制こんにちはこちらJA2778ソロです)」


『JA2778 Solo Hachioji go ahead.(JA2778どうぞ)』


 聞き取りやすい管制英語を聴いて安心した。この時間を担当しているのは柊木先輩でやかった。


 タキシングの許可をもらい滑走路の末端まで来たところで、離陸チェックリストをこなす。


『Cleared for takeoff. 愛寿羽ちゃん場周の経路一周……短いけど気を抜かず頑張ってね』


「ありがとうございます柊木先輩、行ってきます!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る