12 煽ることしかできない先輩達 #46

 吹き流しが靡いていない、穏やかな気候の中、グライダー部最初のフライトは桜ヶ丘先輩からスタートする。最初の課題であるバンク六〇度に差し掛かる。だが、地上から見て明らかにバンク角が浅い。

「楓のバンクが浅いさ。もっと攻めに行かないとダメなのさ」

「……風のせいだね。ほら雲の動きを見て」

 柊木先輩は雲を指さした。地上は無風に近いが、上空の雲は高速で移動している。

「恐らくだけれども一定高度以上だと、大気が乱れるみたいだね」

 鳳先輩が空の動きを逐一報告するが、風速等の情報が分からない以上、桜ヶ丘先輩の判断力と技量に任せる他ない。やがて視界で捉えられない距離まで機体が飛んでいった。鳳先輩は双眼鏡で機体を追う。



 エプロンにはしばらく静寂した時間が流れる。この前のタンポポの群生が、綿帽子になっていて風に吹かれるたびに舞い上がっていく。私も綿毛と一緒に飛んでいきたい。

 知らないうちに先輩の飛行機が着陸し、エプロンまで戻ってきた。

「ごめんなさい。四〇度あたりから先、想定以上の強風で上手く旋回することができませんでした」

 降りてきた桜ヶ丘先輩は悔しがって、今にも泣きそうな表情だった。

「オイオイこの程度だと話にならないな! 今のうちに謝罪の内容を考えておくんだな」

「黙っていて欲しいのさ!」

 清滝先輩は桜ヶ丘先輩の両耳を覆いグライダー部の拠点まで付き添った。

「楓の最後の着陸は良かったのさ。よく頑張ったと思うさ。あとは僕に任せろさ!」

「お願い有斗!」

 飛行部二本目のフライトは、私のブリーフィングと調整等をしたため、どんなフライトをしているのかを見ることはなかった。その人は旋回が安定しなかったらしく大きく減点になったとだけ知った。

 グライダー部二番目は清滝先輩のフライト。滑走路の吹き流しはひらひらと靡き始めた。上空の雲もさっきよりもさらに速い速度で流れていく。先輩の乗った機体が飛び立ち、最初の課題のバンク六〇度旋回に差し掛かる。多少ぎこちない軌道を描きながら旋回を続ける。次のパラボリックフライトでは、特に目立った失敗は無かったようだ。視認できる距離まで戻り、ようやくファイナルで視界に映った機体の高度は他の人に比べて低かった。

「あれ通常のアプローチだよね? 清滝先輩どうしたんだろう?」

「……やっぱり大気が不安定だから、フォワードスリップはやめたのね。判断的にはいいけれど」

 天気図から視線を外し柊木先輩は穏やかではなくなった上空を見上げた。高層の雲と低い場所に位置する雲の動きがそれぞれ逆になるように動いている。ちょうど先日、月曜日の航空気象の授業で勉強したが、この場合風の動きが急に変わることがあるので、より一層操縦が難しいものになる。

 ふと先輩は人差し指を軽く舌で湿らせると空中に突き出しそっと目を閉じた。

「速報の情報と違う。…………風二四〇から〇三〇にかけてVariable(不規則)八ノット、Gast(突風成分)五ノットってところね」

「スゲーな人間風速計みたいだ。いつかやり方教えて貰おうかな」

 一連の柊木先輩の動作を見ていた悠喜菜は珍しく感心を持った様子で呟いた。


 ついに風が安定しなくなり、次のフライトまでしばらく時間を空けることになった。先ほどのフライト集計が発表されたのを知り、気休め程度に現時点の点数を確認しようと採点モニターへ一人で移動した。ちょうど画面の前に竹柳君が右手の二本指を頬にあてながら、考え事をしている様子がうかがえた。そこで私は採点モニターを見に来たことを後悔した。

「あと二五点足りないじゃんか……」

「どのみち、ほぼ満点で突破しないと厳しいかな?」

「ああ」

 その頷く姿で私の手が急に小刻みに震え始めた。やっぱり練習量が足りなかった? でも今更どうにも――とにかく不安だ。

「その、アドバイスになるか分からないが、力を抜いて基本を大切に飛行する方がいいと思う。このあと風が少し穏やかになるって柊木先輩も言っていたし」

 背後に数人やってくる気配を感じた。格納庫の入り口で感じた感覚と同じ、まるで身体が冷気で冷やされるような嫌な空気。

「ケッ、二稲木だっけ、お前も親と同じように墜ちるなよ。せいぜい地上でタキシングだけにしておけ」

「そうだそうだ」

「飛行機はお高いラジコンなんかじゃないってな」

 ヘラヘラと笑われる。そんなことは昔からから慣れっこだが、イラつく。これからの生物の思う壺にならないように、唇を強く噛んで平然を装う。お腹の底からこみ上げてくる熱は呼吸を深めにすることで何とか落ち着く。だが、竹柳君は我慢できなかったようで声を荒げる。

「今はそんなこと関係ないですよね? どうして先輩と言う立場に有りながら、人の嫌がる発言を……」

「おっと、空も飛ばない整備の分際で何を言っているんだ? そうだお前が代わりに飛べばいいんじゃね、その女よりもよっぽどマシかもな」

 先輩達がケラケラと笑う。

 竹柳君が俯き、拳を握っているのが分かった。私を庇おうとしてくれた気持ちだけで十分。でもそんな彼がバカにされるなんて、許せない。少しだけ反論してやる。

「先輩方、いい加減鬱陶しいので黙っていてもらえますか? 一年生の私たちに悪態を付いたところで無意味ですよ。それに正直そういうやり方がつまらないです」

 多少歯を噛みしめながらも笑顔も添えた。先輩達はムッときた様子で、つま先で地面を蹴ったり、舌打ちをしたりしながら去って行った。

「俺の思っていることを言ってくれてありがとう。でもアイツらの言っていることは気にしなくていい」

「うん、もちろん分かっているわ」

 分かっているのに手の震えが止まらない。

「どうした? やっぱり飛ぶのが不安か?」

「正直不安じゃないと言えば嘘になるかな」

「気にするな、フライトを楽しめばそれでいいんじゃないか。とにかく力を抜いて基本を大切に」

 私は深呼吸をして呼吸を整えた。

「ありがとうお陰で気が楽になったわ。竹柳君って優しいね。そんなことを言われたの初めて。……私そろそろスタンバイしなきゃ」

「おう、……頑張れよ」

 その一言に「ドキッ」と鼓動を感じた。頼りにされているという嬉しさと、大きな責任感。そこに不思議と上から注ぎ込まれる安心という感覚。不安を完全には取り払われないが、もう十分だった。

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