3 運航管理室とエマコーヒー #37

 運航管理室では、ほとぼりが冷めるまで時間を潰すことにする。部活動棟の教室からすぐ近くで、グライダー部用の運航管理室となっている。ここは飛桜の空を飛ぶためにためのあらゆるデータが集まっていて、大きなモニターの左半分に日本地図が映し出されている。残りのスペースには滑走路の風、現在航行中の航空機の情報、その他周辺の風、フライト時間がまとめて表示されている。ふと、部屋に入ってから何となく、まるで喫茶店に訪れたかのような香ばしい香りが部屋中に漂っているのに気付く。その正体は柊木先輩と一緒にやってきた左手にあった。

「……いらっしゃい、どうかした?」

 あまりの香りの良さに、ここに来た本当の用事を忘れかけてしまった。

「あのー、現在気象と予想を確認したいのですがよろしいですか?」

「了解、ちょっと待ってて」

 デスクへ向かいコーヒーをすすりながら、柊木先輩が最新の天気図と滑走路の風情報をもう一つのモニターに映してくれた。

「……滑走路三〇側、風は二八六から四ノット、上昇気流によってダウンウインドで揺れるかもしれないよ」

「それなら大丈夫だね。あずちゃんならへっちゃらでしょ」

「そんなに買い被らないでよ」

「二稲木ちゃん、そんなに操縦が上手いの?」

「あ、いや、そういうわけでは……」

「そうなんですよ! あずちゃんは中学生ときにピュアグライダーに乗っていたみたいで——ほら先輩に話さないの?」

 困っている私の横で華雲が笑顔で迫ってくる。

「あ、そうだ! あれからどうなったかな教室は? 流石に落ち着いたかな?」

 自慢するような内容でもないので、話題を変えようと試みるも即座に戻される。それに中学二年生の頃で、それからしばらくブランクもあったし。

「……ちょうど二人分のコーヒー入れてあげるから、良かったら飲んでいく? 二稲木ちゃんの話、私も聞いてみたい」

「では遠慮なく、ありがとうございます」

 もう、こうなったら話すしかないようだ。華雲が会話の舵取りをしてくれたおかげで、昔週一ではあるがグライダーに乗っていた頃の思い出を中心に話題を膨らまられた。やがて場が和む頃には、すっかり柊木先輩と打ち解けられていた。初めは少し気難しい人なのかと思っていたがそんなことは無かった。加えて私たち同士の出会いについても話した。

「へー、あなたたちそんな出会い方をしたのね。てっきり入部で初めてかと思っていた」

 華雲と一緒に顔を合わせクスッと笑った。


 私は香りを嗅ぎながら、コーヒーを味わう。元々コーヒーをあまり飲んだことがなかったが、酸味や苦みが強くなくそれでいて砂糖を入れなくてもすごく美味しい。

「先輩のコーヒーほんのり甘くておいしいです! もう一杯いただいていいですか?」

 華雲が先輩におかわりをお願いする。

「あら良かった、すぐ用意するね。少し豆の配分を考えて良かった。よく皆の間では『エマコーヒー』なんて言われているのよ」

「エマさんコーヒー、なんかいいですねー」

 柊木先輩がコーヒーメーカーへ透明なポットをセットする。スイッチを入れると豆を挽く音が響いた。

「そういえばあたし気になっていたのですが、生徒会のお仕事と両立出来るのですか?」

「生徒会? 基本的に会計は繁忙期以外ひまよ。あとは全部会長に任せているカタチね。どちらかと言うと運航管理がメインだから。もしかして今泉ちゃんも生徒会に興味あるの?」

「そうですねー、少し興味あるかもです」

 それから華雲はコーヒーを入れて貰うと笑顔で飲み始めた。

 ふと運航デスクの緑色のライトが明滅を始めた。一瞬空の情報が更新されたのかと思った。

『飛桜運航管理、こちらはJA2778HSです』

 声の主は桜ヶ丘先輩。すぐさま柊木先輩はヘッドセットを付けデスクに戻った。

「JA2778HSこちら飛桜運航管理です、どうぞ」

『現在トレーニングエリアAを高度五〇〇〇にて航行中、今現在の飛桜滑走路の風をお願いします』

「現在RWY30サイド二五〇から四ノット、RWY12サイド二七二から三ノットとなっています。なおダウンウインドではサーマル(上昇気流)が発生しているため注意が必要です」

『了解、ありがとうございました』

 先輩はヘッドセットを外し、腕時計を確認した。

「ごめんね。今日は航空管制科がお休みになっている関係で、代わりに活動場所が空である部活、飛行部とグライダー部が交代しながら管制することになっているの。だからいかなくちゃ。二人と話せて楽しかったよ、またいつでも遊びに来てね!」

 お礼を華雲と一緒に伝えると、先輩はニコッと小さく手を振りながら運航室を後にしていった。部屋は本来の静けさを取り戻しモニターにも無音ではあるが風の情報が絶えず更新されている。

「じゃあ教室へ戻ろう。次はゆきなちゃんのフライトだから、教室は流石に大丈夫でしょ」

 私たちはコーヒーカップを洗ってから、運航室を出た。教室へ戻る途中の廊下で次のフライト準備のため教室を出ようとする悠喜菜とすれ違った。悠喜菜は何も言わず不器用に笑みを浮かべそのまま行ってしまった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る