2 フォネティックコード #36

 五月の終盤までは雨が降ったり止んだりと、天気が安定しなかった。それでも狙い撃ちするようにしながら、何回かまた空へ上がる。人数が少ないせいもあるが、意外に単独飛行まであと二五時間のうち九時間と順調に進んでいる。

 平日よりも週末は授業がないのでその分フライト本数が増える。いつも通り試運転を終えると敷島先生が鳳部長に声をかけた。

「鳳君、そろそろLogarisの整備をよろしく。もうすぐ大会練習とその他もろもろ確認しておかないと」

「分かりました敷島先生。ということは起動A整備でいいですか」

「そうだね……。ひとまずAでお願い。今回は設備更新に時間がかかるから、鳳のペースで計画を立てながらでいいよ。詳しくは整備準備室の折りたたみコンテナにある指示書に従って」

「了解しました。そしたら整備の竹柳は俺とLogarisの整備をしていこうか。夏までに飛べるようにすれば大丈夫」

「よろしくお願いします、先輩」

「じゃあの残った人は教室でこの僕、清滝教官が座学をするさ」

「そうだ有斗、今日は無線のフォネティックコードを中心に教えてあげて」

「ラジャー! 運航室へ行って柊木先輩に、この前変更されたATC(Air Traffic Controller:航空交通管制)の資料とフォネティックコードの表を人数分出して貰うように頼んでおくさ。で、その間楓は何するのさ?」

 桜ヶ丘先輩はむっとしながら答えた。

「フ・ラ・イ・ト! 試運転したらそのまま飛ぶからあとはお願いってこと!」

「了解ですさ」

 敷島先生がすっと搭乗し、静かに桜ヶ丘先輩に声をかけた。

「桜ヶ丘は、もう少しで三年生とデュオで飛べるようになるから頑張れ」

 一瞬白い歯を見せながら桜ヶ丘先輩は、慣れた手つきでキャノピーを閉じ、あっという間にエンジンを始動させる。誘導路へタキシングしていったのを確認して私たちも教室へと向かう。途中ハンガー(格納庫)内でLogarisのエンジンを分解している鳳先輩と竹柳君が、楽しそうに作業をしている横を通った。

「ねぇねぇ力くん、整備はどれぐらいの期間がかかりそうなの?」

「うーん、こればっかりは何とも言い難いかな。授業を受けず休みなくやって、三週間ってところかな」

「なるほど、よく分からないけれど頑張って。人手が欲しければあたしを呼んでね」

「お、おう」

 

 それから教室へ着き着席するとすぐに清滝先輩がやってきた。

「さて皆には、フォネティックコードについて勉強して貰うことにするさ。フォネティックコードは、例えばA(エー)とK(ケー)では地上ではこうして難なく聞き取れるが、上空で体験したとおりエンジンや風等で無線が聞き取りづらかったと思うのさ。この違いが分からなくなるのを防ぐためにこれらの送話方法を使うのさ。実際、機体にも最初の英語二文字と、表記があれば最後の文字が変換対象なのさ」

 先輩はフォネティックコードが書かれたプリントを配り始める。機体のJAをどうしてジュリエット、アルファーと呼称しているのか分からないでいた。てっきりそういうモノだとばかり思っていたから。

「Aだったらアルファー、Bだったらブラボーといったように日本語で言う通話表のとこで、アは朝日のあ、ウは上野のう、と割り当てられているのさ。ちなみの僕も……」

 誰かが咳払いをし、脱線しそうだった清滝先輩の話を戻した。

「え、ミリタリー系が好きな人がいればこの分野に詳しいかもしれないさ。もちろん日本語の方は覚えなくて大丈夫さ。代わりに航空無線通信士の試験の課題の一つでもある英語の方をしっかりと覚えておくようにするのさ。それじゃあ試しに手元の表を参照しながら、自分の名前の頭文字だけフォネティックコードに置き換え、発表していって欲しいのさ」

 私たちは白黒のプリントを見ながら、名前とコード表記を照らし合わせた。

「えーっと、あたしは今泉華雲だから、Kilo Imaizumiだね」

「私のは二稲木愛寿羽で、Alfa Ninagi」

「……」

「ゆきなちゃんどうしたの? わからないなら一緒に調べてあげるよ」

「いや、いいから。自分の羅列を完璧に覚えな」

 私はとっさに表を手に取り探した。あ、Yは……、華雲ちゃん察して!

「高碕悠喜菜はYだからー、Yankee Kozaki」

 またやってしまったね……。遅かれ早かれ知れてしまうだろうけれど。

「華雲ちゃーん、私はヤンキーじゃないからさ。アハハ」

 既に声がいつものトーンではなくなっていた。

「大丈夫さ。僕もYankee Kiyotakiだけれどヤンキーじゃないからさ。あはは」

「アハハ」

「フフフ」

「「フフフ、アハハハ」」

 運航室へ天候を確認するという名目で華雲を連れて静かに、いつ爆発してもおかしくはない教室に二人を残しそっと出た。廊下を歩いていると「ギャー‼」という断末魔のような叫び声が聞こえた。何となく状況を想像できたので自然にクスッと笑いがこぼれた。

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